公教育の一斉学習は発達障害のある子に合わせるべきなの?
そうした議論をすると、たくさんの子がひとりふたりの子のために
犠牲になっている
というイメージがつきまといます。
でも、それはどうなのでしょう?
最初の時点で、定型発達の子にばかり環境を合わせているから、こうした議論が生まれるようにも思います。
一斉教育の中の軽度発達障害児は、
一昔前の職場の女性の立場に似ていると
思います。
ほとんどが男性の職場の中で、男性中心の環境や
男性中心のタイムスケジュールの中で、
女性はいつも足手まとい、迷惑をかける存在でした。
環境そのものが女性に配慮されていないため、普通にがんばっていると、
迷惑をかける結果になります。
困った事態に陥ると、
「これだから女は…」と、愚痴られつつ、
周囲に負担をかけつつ、配慮してもらう依存的で甘えた存在。
しかし現在、女性ゆえの能力を会社の売り上げ増に使いたいと、
最初から女性に十分配慮した環境を整えた会社は、伸びているようです。
話が横道にそれすぎましたが、
発達障害の子が周囲に迷惑をかけてはじめて、
その子の問題を見て、配慮を検討していく…という姿勢は、
「子どもは平等」という見方からすると
間違っているように思います。
最低限の平等(普通にがんばっている限りは、周囲に迷惑をかけないように環境が配慮されている)が保障された上で、
それでも問題が起こったとき、
さらに個の問題を見て、配慮を検討していくのが正しいように思うのです。
特にアスペルガー症候群などの『広汎性発達障害』の子に向けての配慮は
そうした子が教室にいるいないにかかわらず
(軽いグレーゾーンの子たちがたくさんいるので)
公教育の場で最低ラインを設けて守るべきでは
ないでしょうか?
私は以前、知的障害の子の学習を見ていたことがあります。
小学2年生で3歳くらいの知能の子です。
この子に教えるのは、
ある「わかりやすさ」が
ありました。
確かに記憶力や思考力に問題があるものの、
それでも、さほど私自身の考える道筋や学び方とへだたりがあるわけではないのです。
私は乳幼児に学習を教えているので、
同じ方法で接すれば、
1~2ヶ月の間にかけざんや漢字をマスターさせることができました。
またADHDの子も見たことがありますが、それもだいたい教えた勘があれば見れる子たちでした。
しかし、知能自体は非常に高い子であっても
広汎性発達障害の子を教えるのにあたっては
「それまで教えてきた勘」など少しも役立ちませんでした。
まず、この広汎性発達障害というのが
どのような特徴を持つものか…
独特の認知のあり方を1から学ばなくては、
ノートをつけさせることすら
困難なことも多かったのです。
その後、広汎性発達障害の子たちとたくさん接するにつれて、
どんなに普通児と見分けがつかない子でも
こうしたハンディーを持った子たちに教えるには
十分な知識と環境的な配慮が必要!
と確信するようになりました。
もう一回だけ続きます。
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そうした議論をすると、たくさんの子がひとりふたりの子のために
犠牲になっている
というイメージがつきまといます。
でも、それはどうなのでしょう?
最初の時点で、定型発達の子にばかり環境を合わせているから、こうした議論が生まれるようにも思います。
一斉教育の中の軽度発達障害児は、
一昔前の職場の女性の立場に似ていると
思います。
ほとんどが男性の職場の中で、男性中心の環境や
男性中心のタイムスケジュールの中で、
女性はいつも足手まとい、迷惑をかける存在でした。
環境そのものが女性に配慮されていないため、普通にがんばっていると、
迷惑をかける結果になります。
困った事態に陥ると、
「これだから女は…」と、愚痴られつつ、
周囲に負担をかけつつ、配慮してもらう依存的で甘えた存在。
しかし現在、女性ゆえの能力を会社の売り上げ増に使いたいと、
最初から女性に十分配慮した環境を整えた会社は、伸びているようです。
話が横道にそれすぎましたが、
発達障害の子が周囲に迷惑をかけてはじめて、
その子の問題を見て、配慮を検討していく…という姿勢は、
「子どもは平等」という見方からすると
間違っているように思います。
最低限の平等(普通にがんばっている限りは、周囲に迷惑をかけないように環境が配慮されている)が保障された上で、
それでも問題が起こったとき、
さらに個の問題を見て、配慮を検討していくのが正しいように思うのです。
特にアスペルガー症候群などの『広汎性発達障害』の子に向けての配慮は
そうした子が教室にいるいないにかかわらず
(軽いグレーゾーンの子たちがたくさんいるので)
公教育の場で最低ラインを設けて守るべきでは
ないでしょうか?
私は以前、知的障害の子の学習を見ていたことがあります。
小学2年生で3歳くらいの知能の子です。
この子に教えるのは、
ある「わかりやすさ」が
ありました。
確かに記憶力や思考力に問題があるものの、
それでも、さほど私自身の考える道筋や学び方とへだたりがあるわけではないのです。
私は乳幼児に学習を教えているので、
同じ方法で接すれば、
1~2ヶ月の間にかけざんや漢字をマスターさせることができました。
またADHDの子も見たことがありますが、それもだいたい教えた勘があれば見れる子たちでした。
しかし、知能自体は非常に高い子であっても
広汎性発達障害の子を教えるのにあたっては
「それまで教えてきた勘」など少しも役立ちませんでした。
まず、この広汎性発達障害というのが
どのような特徴を持つものか…
独特の認知のあり方を1から学ばなくては、
ノートをつけさせることすら
困難なことも多かったのです。
その後、広汎性発達障害の子たちとたくさん接するにつれて、
どんなに普通児と見分けがつかない子でも
こうしたハンディーを持った子たちに教えるには
十分な知識と環境的な配慮が必要!
と確信するようになりました。
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