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ADD?傾向のある塾教師がADHDやアスペルガー症候群の子にどうかかわり教えたらいいのか模索していくブログです。

大人の手をやかせる子はみんな病気なんですか? 1

2009-10-23 18:14:39 | 番外
☆発達障害児は多すぎる? 1
☆発達障害児は多すぎる?  2
の記事に、次のようなコメントをいただきました。

ひまさんがとてもていねいなコメントのお返事をしてくださっているのですが、私も、少し書かせてくださいね。(まだコメントのお返事ができていない方、後回しになってすいません)


今は親ともに安らぐ子育てはしてはいけないのですか?昭和の時代の子育てはジャイアン症候群とかのび太症候群なんて病気はありませんでした。ジャイアンのような子はガキ大将として、のび太のような子は、優しい子として周りは接してくれていました。しかし今は少しでも着替えが遅いと病気ガキ大将的存在の子は病気、何か苦手な分野がみつかると、病気!病気!病気!何なんですか?!大人の手をやかせる子はみんな病気なんですか!


昭和の時代は、ある意味、おおらかで生きやすい時代でしたよね。

昭和の時代は、確かに病名こそつかなかったけれど、虐待に近いしつけもまかり
通っていたはずです。また明らかな差別もありました。
理解できないものは、追い払う、排除する、という人権を無視した行為が
行われても、だれも疑問も持たないような空気もあったのです。

「窓際のトットちゃん」がちょっと落ち着きがないからと、
小学校をやめさせられたことを
知っている方はたくさんいますよね。

私が小学生のころも、クラスに、今なら発達障がいと診断を受けるような子がいたのですが、親たちの苦情と、先生の無理解のなかで、転校していきました。☆お塩の足りないスープ鍋
という記事で書いています。

私が中学生だったころも、今思うと発達障害があったと思われる子が保健室で体育の先生からボコボコに殴られるなんて日常茶飯事でした。

それこそ、中学3年間、最高の「悪さ」が、廊下を早足で歩いた程度という
まじめ一筋の私や友人でも、廊下で少しふざけていたという理由で、
体育教師から思い切り平手打ちにあったり、頭をげんこつでなぐられたりしたことが何度もあるのです。
教室で態度が悪い子がいるからと、英語の教師が教室内で竹刀を振り回したこともありました。
でも、どんな理不尽な出来事も、テレビのニュースで取りあげられることもなければ、親たちが騒ぐこともありませんでした。

また、当時は医学的な知識がなかったので、自閉傾向を持つ子の母親は、育て方が原因とされて周囲から責め立てられ、
それは辛く苦しい思いをして子育てをしていました。
きちんとさせようという責任感が、子どもへの虐待行為に
なっていたことも多かったと思います。

実際、大人になって発達障がいがあることに気づいた方が、
子ども時代を振り返って、辛い記憶を告白するとき、
先生から汚いもののように扱われたり、裸に近い格好をさせられたり、
「また学校に来たのか?よく来るな…」といやみを言われたり……
と信じられないようなお話をたくさん耳にすることがあるのです。

それでも、昭和の時代は、大人が今のように子どもを監視する習慣はなかったので、
どこか間が抜けていて、すき間だらけで、
やんちゃで乱暴な子にも、いじめられっ子にも、居場所があったような気もします。
また、確かに、小学校が、親たちから文句を言われない完璧さを
保とうと今のようにピリピリしたところがなかったのでしょう。

長くなったので、引っ張るようですが、続きは次回に書きますね。



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4 コメント

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同感です (しーた)
2009-10-23 20:58:15
私は、大人になってから、発達障害の診断をうけました。

子供の頃から、診断を受けるまで、たくさんの辛い思いをしてきました。

なぜ、うまくいかないのか?普通の人と同じようにできないのか?
その理由が、ずっとわからず、悩み続けて、
違う方向へむだな努力を山ほどしてきました。

そのために、二次障害を発症して、2回社会からドロップアウトしてしまいました。

けれど、発達障害による"感じ方の違い"や能力の凸凹が原因だったとわかって、初めて、自分がしてきた努力の方向がまちがっていたことに気がつきました。

この努力をもっと正しい方向(効果的な方法)へ向けていたら、もっと生き易かっただろうし、
2回も社会からドロップアウトしてしまうこともなかったと思います。

そういう意味で、今を生きる発達生涯の子供達には、周囲の正しい理解によって、その子の才能を伸ばしていけるような環境を作ってあげたいと思います。

記事の冒頭にある意見もわからないではありません。
昔は、ジャイアンものび太も「個性」・「才能」として働いていける職業が多くありました。
しかし、高度成長の結果、今の日本社会では、このような"個性"を持った人が非常に働きにくい・排除されやすいしくみになってしまいました。つまり、「個性」ではなく、「障害」になってしまったのです。

しかし、社会の仕組みを昔に戻すことはできません。

また、ブログ主さまおっしゃるように、ひどい差別が当たり前として問題ならなかった時代でもありました。
私自身も、先生から虐待に近い扱いをうけたことがあります。(私のブログで紹介しています。)


虐待に近い扱いを受けて育った発達障害の子供として、「同じことが繰り返されてはいけない」、と声を大にして言いたいです。

私の後を歩く子供達が、少しでも幸せになってほしい…そう願います。

返信する
いろんな子いました (なかよし)
2009-10-23 21:16:47
昭和の時代の小学生でした。
小学校6年の頃、近所に戦争中の被爆で顔にやけどを負ってる方がいました。
クラスの男の子たちは、ひどいことをその方に言っていました。
ご家族が、やめてほしいと苦情が入り、当時の担任は女性でしたが、男子生徒を思いっきり平手打ちしていました。

その件は、親などから非難はまったくありませんでした。
私の中の、教師の暴力はそれしかしりません。

ただ、今振り返れば、あの子もこの子も今の時代ならなんらかの診断をだされてしまうのかな
と思うようなクラスでした。
でも、それぞれの特徴を先生はうまくつかみ、居場所だけは与えていたように思います。

どんな子にも居場所があればなんとかやっていけるのではと思います。
返信する
昔は… (anzu)
2010-01-18 16:19:05
差別がまかり通っていましたよね。
確かにガキ大将はガキ大将、とろい子はとろい。
でも殴ったりもあれば「うすのろ」とかいうあだ名でずっとこづき回されたりもありました。

また、さらに昔は自営業や農業、就職するにしても近隣のコミュニティを出なくても良かった。

今みたいにいろんな所からいろんな人が進路を求めて集まり競争するわけでもなかった、と言うのも大きいと思います。

今思い出せば小学校の頃に走り回ってた子、引っ越していないはずなのに中学にはいませんでした。
大人になって養護学校に行ったことを聞きました。

今思えば、と思ったあの子、成人して鬱病で自殺しました。

別の子、勉強は出来るけど「常識が通じない」と職を何度も首になったり居づらくなったり…。

昭和の頃は仕事も今よりゆるかった職も結構あると思います。

私もたくさん叱られました、駄目なんだ、忘れ物、だらしない、汚いといじめられ…。
今の子供達みたいに「どうやったら忘れないか」を教えてもらえませんでした。
緊張感を持て、気合いを入れろ、精神論…。
ジャイアンは殴られればその相手の前では大人しかったですが、その大人がいない別の場所や対象にはやはり大将だったり…。

昔は今ではセクハラ、パワハラ、DVと言われるものが家庭でも職場でも学校でもありました。
やはり同じに語れないと思います。

もう一つは、最近は診断基準や情報の氾濫を抜きにしても増えているという話を聞きます。

一つには今みたいに親や保護を委託されたものが目を離さず付きっきりではなかった時代
川や井戸、天水桶、かまどにいろり…事故で亡くなったり育たなかったことも多かったのではと思ってしまいます。
返信する
どちらが良いのか… (なつ)
2011-06-12 23:30:20
私もそう思います。
昔は昔で、親も育て方を周りから責められ、精神的に参って家族全員がまとまらなくなったり、今思うと
障害がわかっていたら
あんなに皆が不幸にはならなかったんじゃないかと
思う一方で、今は障害に
神経質になりまだわからない幼児でも母親が悩み
子育てに良くない心理で
接していく傾向もありますとても難しいんですが
やはり分かりにくい時期に変に知識が入ると母親の子育てが本当に発達障害のような子供にしてしまう危険もあるので、周りの温かい環境なども大切だと思います。皆が皆、子供をそういう目線で見るようになると楽しい子育てができなくなり本当に虐待が増えることもあるでしょう。
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