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☆「生き辛さ」を抱えて生きるということという過去記事に、居眠り猫さんがこんなコメントをくださいました。
「何が何だかわからない安心できない世界」の中で生きているということは、社会に対する基本的信頼が形成されにくいということでもあります。
教師の言葉に従って行動したら、学級で自分ひとりだけ違うことをしていたとか、友達と話し合って決めたことを実行したら、自分以外誰もそうしていなかったとか、そういうズレを多数経験すると、何を信用していいのかわからなくなることがあります。
客観的には本人が相手の言葉の意図や場の状況を把握できなかっただけのことですが、本人の主観では虐めに遭ったのと区別がつかない場合もあります。
しかし、どのように生まれつこうと、心的向こう傷のない人生は有り得ないですし、すべてを理解しあえることも有り得ません。
自閉スペクトラムという概念を知って、自分のズレが招いた様々なことに何年かかけて納得した時、社会に対する恨みが減少しました。
ほどよく諦めがついたのが、建設的に作用したのだと思います。
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私は、できるだけ早い時期に 発達障がいの可能性に気づいて、
親や周囲の大人は、
そうした知識に目を通すだけでもしておいた方がいいと考えています。
それを、何でもかんでも「病気」と決め付ける行為とは
思っていません。
そうして、いくつかの対応をとってみたら問題が消えて、
気にしすぎだったな~と笑えるときがくると、
とてもうれしいです。
どうして早めに発達障がいかも……という気づきが得たいかというと、
知能に問題がないのに、発達障がいによる2次障害が原因で、
勉強についていけなくなる子や、
不登校になる子を減らしたいからです。
また、子どもがいじめを受けたと感じて傷ついているときに、
親や教師といった大人たちまでも「おまえが悪い」と決め付けて、取り返しがつかないほど子どもを傷つけてしまうようなことをしたくないからです。
居眠り猫さんの言葉が心にひびきます。
そうして、困り感を減らすうちに、発達障がいなどという
言葉がそぐわなくなったなら、
それほどうれしいことはないのです。
子どもに、「何が何だかわからない安心できない世界」の中で生きているという
そんな辛い思いだけは抱かせたくない
と心底 思っています。
![](http://education.blogmura.com/edu_handicapped/img/edu_handicapped88_31.gif)
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「何が何だかわからない安心できない世界」の中で生きているということは、社会に対する基本的信頼が形成されにくいということでもあります。
教師の言葉に従って行動したら、学級で自分ひとりだけ違うことをしていたとか、友達と話し合って決めたことを実行したら、自分以外誰もそうしていなかったとか、そういうズレを多数経験すると、何を信用していいのかわからなくなることがあります。
客観的には本人が相手の言葉の意図や場の状況を把握できなかっただけのことですが、本人の主観では虐めに遭ったのと区別がつかない場合もあります。
しかし、どのように生まれつこうと、心的向こう傷のない人生は有り得ないですし、すべてを理解しあえることも有り得ません。
自閉スペクトラムという概念を知って、自分のズレが招いた様々なことに何年かかけて納得した時、社会に対する恨みが減少しました。
ほどよく諦めがついたのが、建設的に作用したのだと思います。
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私は、できるだけ早い時期に 発達障がいの可能性に気づいて、
親や周囲の大人は、
そうした知識に目を通すだけでもしておいた方がいいと考えています。
それを、何でもかんでも「病気」と決め付ける行為とは
思っていません。
そうして、いくつかの対応をとってみたら問題が消えて、
気にしすぎだったな~と笑えるときがくると、
とてもうれしいです。
どうして早めに発達障がいかも……という気づきが得たいかというと、
知能に問題がないのに、発達障がいによる2次障害が原因で、
勉強についていけなくなる子や、
不登校になる子を減らしたいからです。
また、子どもがいじめを受けたと感じて傷ついているときに、
親や教師といった大人たちまでも「おまえが悪い」と決め付けて、取り返しがつかないほど子どもを傷つけてしまうようなことをしたくないからです。
居眠り猫さんの言葉が心にひびきます。
そうして、困り感を減らすうちに、発達障がいなどという
言葉がそぐわなくなったなら、
それほどうれしいことはないのです。
子どもに、「何が何だかわからない安心できない世界」の中で生きているという
そんな辛い思いだけは抱かせたくない
と心底 思っています。
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今思えば、私の担任だった教師たちは、軽度発達障害という概念が存在しない時代なりに、なんとか私に社会性を身に付けさせようと努力していました(これが解るまでに何十年かかったことか)。
仮に今であれば、今の時代なりの方法で試行錯誤されたことだろうと思います。
どちらの時代であっても、指導する側もされる側も困難な道のりであることには、たぶん変わりはないでしょう。
他者の脳の働きを自らのものとして体感することは誰にもできませんし、奇異な者として見られることを完全には避けられないからです。
(私の特質は障害として扱われることはありませんでしたが、小学生時代の一時期同級生にキチ○イとして嘲られました)
発達障害という新たな視点から生まれる方策が、曲がりくねった長い道の助けとなるものであってほしいと思います。
「今まで生きてて良かった・・・。」と感じました。
それまでは、まさに先生のおっしゃる「何が何だかわからない安心できない世界」の住人でした。
私の場合、居眠り猫さんとは違うパターンで、他者からは”普通”に見えてしまうようです。
それが、逆に、私自身をより分かりづらくさせていました。
他者から”普通”に見えることによって、できて当たり前だと思われる、という現実。
”普通”という呪縛に自分自身が縛られ、最終的には身動きが取れなくなってしまいました。
それは今思うと、自分を殺しているのと同じことでした。
生まれ持った生き辛さとは別の、生まれた後に発生した、もうひとつの苦しみです。(圧倒的に後者の辛さのほうがキツイです。それを避けるのに必要なのは、自分の特性を知ること。その一点のみです。)
「誰も分かってくれない。」
それは、だんだん孤独から絶望へと変わっていきます。
発達障害の概念を知ることなく、辛い思いをかかえて命を絶った(絶っている)人はたくさんいると思います。
発達特性を持つ人間は少数派だけれど、みんなに「ひとりじゃないよ。」と伝えたい。
定型特性を持つ人間は多数派だけれど、どちらが良い・悪いというものでもない。
理解しあうことによって、まずは同じ土俵に立ちたいのです。
違和感を覚えた他人がいた場合・・・”ヘンナヤツ!”と思ってもいいから、間をあけて、ちょっぴり想像してほしいな~と思う。
その違和感を、なぜ感じたのか。
その違和感は、どこからきているのか。
定型の人・・・視点を変える。
発達特性の人・・・声を上げる。
これを積み重ねていけば、現代社会の問題に少しは血が通っていくんじゃないかな~という気がします。
世知辛い世の中は、すべての人にとっても「生き辛い」ですもんね。
変えていかなきゃ☆
分類が問題ではなくなおるかもとか言えばわかるかもと思うことが危険だと思います
はやく特性を知ってわかる言葉と経験で覚えて成長させることだと思います
病気だからといつかなおるとか仕方ないとか思うと二次障害にはいって病んで行くと思うので…
なかなか居場所がなかったり悩んだりしていたり逆にきがつかなかったりそんな母や子供さんがたくさんいます
これからもがんばってください
直るわけではないし。。。。
日本人は、人と同じ事を良しとする事が多い民族だと思います。
だから、よけい生き難い場所が多いです。
そういう個性。
違ってて当たり前。
彼女アスピーだからね。って気軽に
そんな風に、思ってくれる人たちがたくさん
たくさん、いてくれる世界になれば良いのにな・・・
現実として、今の段階では、発達障害について有効な手助けを得るには「患者」として「病院」で診察を受けるという方法が主だと思います。
(学校の先生には、まだまだ充分な知識やノウハウが浸透しているとは決して言えない状況です)
例え話として、たとえただの肩こりでも「患者」として「病院」へ行って医者に診てもらったら、何らかの病名をつけられてしまいます。
発達障害が「病気」のように表現されてしまうのは、これと同じ現象だと先生は指摘していらっしゃいます。
こちらの先生が、こうして情報発信をなさっているのは、発達障害についての知識が、もっともっとあちこちに浸透して、医者だけでなく、誰もが適切な対処・対応をできるという状態にしたいという思いからだと思います。
そのときこそ、発達障害は「医者」にかからなければならない「病気」などでは無い、ということになるのではないでしょうか?