こちらのブログ…最近やたらダークな(暗い)話題が多くなってまして…
後味が悪い…という方すいません~
私自身は、現在のさまざまな困りごとや、
軽度発達障害児の問題、学級崩壊などは、
人々が生活の中の「悪」…不快なこと、困ったこと、嫌なこと…と
どう付き合えばよいのか…?
どう対処すれば良いのか…?
わからない
何も考えられない
備えもできない
という状態に陥っているために、悪化していると感じています。
それでそうした「真っ黒いもの」を一度光の下まで引っ張り出してみて、
多くの人と観察したり、よく検討したりすれば、
それなりに良い解決法が
見えてくるのじゃないかな?
と考えているのです。
この光の下へ…というと、
私なんかでもわが子の行動にイライラさせられるとき、
いったん焦点を当てていた子どもの問題以外の多くの問題を
きちんと意識してみると、
たいてい自分が肉体的に疲れている…
他に困った問題を押し付ける人物がいる…
といった子ども以外の問題が、自分の怒りに加担されていたことに
気づきます。
もしここで、私が自分の問題(疲労など)を振り返らずに、
すぐさま子どもを叱る、攻撃する
という手に出ていたら、
おそらく子どもからかえってくる反抗的な態度で、
「わが子の行動にイライラする」は、
もっとリアルなものとなっていたことでしょう!
現在は、世の中が退屈で不景気で暗い事件が多発しているので、
自分たちのイライラや閉塞感の全てを、
「身近な何か」の上にかぶせて見てしまいがちです。
そうすれば自分自身や見なくてはならない本当の問題から目をそらして
いられるからです
これってある意味人間の知恵なのでしょうね。
中国や北朝鮮のように
国民が苦しい生活を強いられると、
他の国を悪者にして怒ることで、
国民の不満をそらしてますし…。
世論も公務員を悪者にして、
一般企業では考えられないような怠けやいい加減な仕事が
まかり通っているにちがいない…と決め付けて怒ることで、
職場の労働条件の悪さをごまかしてますし…
実際、公務員になる人は、子ども時代から、
真面目で周囲の要求にきちんと応えてきたような人がほとんどですから、
確かに一部に問題はあっても、
世間で思っているほどいい加減な仕事をしている人はいないように
思うんですけど…ね。
話が横道にそれ過ぎていますが…
私は軽度発達障害の子たちが、これほど問題視される背景には、
先生や親や生徒自身の不満や怒りや余裕のなさが
背景にあるように感じてます。
なぜって「悪」の問題は、昔から文学のテーマにもなっていて、
「一房のぶどう(確かそんなタイトルだったと思うけど…)」とか
ヘッセの「デミアン」のような本の中では、
誰もが通る道として描かれていたはず…
子どもは悪さをしながら大きくなる…という共通認識が崩れて、
悪いことする子は発達障害児…みたいな
大人が妙な色眼鏡で子ども達を見ているように感じるんですよ。
確かに発達障害のある子は、
相手が困ることや嫌がることをしてしまう
時がありますよ。社会性のなさから周囲に迷惑をかけることもあります。
でもそれは本人にとっては、自分でコントロールすることのできない
ハンディーであって、困っていることでもあるんです。
だから問題は子ども側にもあるでしょうが、
そうした「ダーク」な問題にきちんと対処できなくなっている
大人たちの知恵のなさにも
相当問題があるように感じるのですよ。
ですから私は社会や自分自身の「ダーク」な面をきちんと見つめて、
言葉にしていくことは、暗いことではなく、
心のお掃除くらいに思ってます。
子どもたちの明るい未来のために、大切な作業なのではないかなぁ?
と感じているのですよ
↑
いつもどうもありがとうございます。
後味が悪い…という方すいません~
私自身は、現在のさまざまな困りごとや、
軽度発達障害児の問題、学級崩壊などは、
人々が生活の中の「悪」…不快なこと、困ったこと、嫌なこと…と
どう付き合えばよいのか…?
どう対処すれば良いのか…?
わからない
何も考えられない
備えもできない
という状態に陥っているために、悪化していると感じています。
それでそうした「真っ黒いもの」を一度光の下まで引っ張り出してみて、
多くの人と観察したり、よく検討したりすれば、
それなりに良い解決法が
見えてくるのじゃないかな?
と考えているのです。
この光の下へ…というと、
私なんかでもわが子の行動にイライラさせられるとき、
いったん焦点を当てていた子どもの問題以外の多くの問題を
きちんと意識してみると、
たいてい自分が肉体的に疲れている…
他に困った問題を押し付ける人物がいる…
といった子ども以外の問題が、自分の怒りに加担されていたことに
気づきます。
もしここで、私が自分の問題(疲労など)を振り返らずに、
すぐさま子どもを叱る、攻撃する
という手に出ていたら、
おそらく子どもからかえってくる反抗的な態度で、
「わが子の行動にイライラする」は、
もっとリアルなものとなっていたことでしょう!
現在は、世の中が退屈で不景気で暗い事件が多発しているので、
自分たちのイライラや閉塞感の全てを、
「身近な何か」の上にかぶせて見てしまいがちです。
そうすれば自分自身や見なくてはならない本当の問題から目をそらして
いられるからです
これってある意味人間の知恵なのでしょうね。
中国や北朝鮮のように
国民が苦しい生活を強いられると、
他の国を悪者にして怒ることで、
国民の不満をそらしてますし…。
世論も公務員を悪者にして、
一般企業では考えられないような怠けやいい加減な仕事が
まかり通っているにちがいない…と決め付けて怒ることで、
職場の労働条件の悪さをごまかしてますし…
実際、公務員になる人は、子ども時代から、
真面目で周囲の要求にきちんと応えてきたような人がほとんどですから、
確かに一部に問題はあっても、
世間で思っているほどいい加減な仕事をしている人はいないように
思うんですけど…ね。
話が横道にそれ過ぎていますが…
私は軽度発達障害の子たちが、これほど問題視される背景には、
先生や親や生徒自身の不満や怒りや余裕のなさが
背景にあるように感じてます。
なぜって「悪」の問題は、昔から文学のテーマにもなっていて、
「一房のぶどう(確かそんなタイトルだったと思うけど…)」とか
ヘッセの「デミアン」のような本の中では、
誰もが通る道として描かれていたはず…
子どもは悪さをしながら大きくなる…という共通認識が崩れて、
悪いことする子は発達障害児…みたいな
大人が妙な色眼鏡で子ども達を見ているように感じるんですよ。
確かに発達障害のある子は、
相手が困ることや嫌がることをしてしまう
時がありますよ。社会性のなさから周囲に迷惑をかけることもあります。
でもそれは本人にとっては、自分でコントロールすることのできない
ハンディーであって、困っていることでもあるんです。
だから問題は子ども側にもあるでしょうが、
そうした「ダーク」な問題にきちんと対処できなくなっている
大人たちの知恵のなさにも
相当問題があるように感じるのですよ。
ですから私は社会や自分自身の「ダーク」な面をきちんと見つめて、
言葉にしていくことは、暗いことではなく、
心のお掃除くらいに思ってます。
子どもたちの明るい未来のために、大切な作業なのではないかなぁ?
と感じているのですよ
↑
いつもどうもありがとうございます。