ADD?先生の発達障害児 教育応援サイト

ADD?傾向のある塾教師がADHDやアスペルガー症候群の子にどうかかわり教えたらいいのか模索していくブログです。

昔ならアスペルガー症候群の人って、ちょっと変ってる人だったのじゃないの?

2008-07-13 17:58:06 | アスペルガー症候群
小3のアスペッ子の☆くんのお母さんが、
「近所の人には、この子がアスペだということは話していないんですが、
この子がおかしなことを言っても、
☆くんらしい~と面白いキャラクターで通っています。
考えてみれば、子どもの頃も、あの人もそうだったんじゃないかな?なんて
人はけっこういたんですよ…昔は個性で通っていたのに、
今はアスペルガーとかなんとか名前がついて、難しい…。」
とおっしゃっていました。

そう…軽度発達障害についての知識が広まるにつれて、
支援の形が整ってきたり、
親の育て方が悪いと決め付けられることが減ったり、
と良い方向に向かっている反面、
「障害」という言葉が重く子どもの人生にかぶさってくるのも
確かなのです。

知人も、こんなことをおっしゃってました。
「明治の文豪達の話や歴史上の人物を見ると、
グレーゾーンの域にしっかり属していると思われる行動を取っている人が多い~
昔はそういう人もちょっと変っているで生きれて、仕事もあったんだね~」

何でなんでしょうね…この生き辛さ…。
変っているとか、個性的…とか許せない世界…。

進歩しているから、みながより質の高いものを求めているからでも
あるんでしょうね。
あいまいなものが許せない…全てのもの、全ての時間が、
ある最低基準を満たしていないと許せない…。

子どもが悪い先生に当たっちゃった…まあ、そんな年もある…と楽観できない…
買った商品が1つ足りなかった…レジの店員が頼りなかったからな…まあ、こんな日もある…で納得できない。
それって、私を含め今の時代の人に共通する感覚だと思います。

ただ、そうした完璧を求めて進化する社会は、
グレーゾーンの子を「発達障害」という枠の中に
追いやる社会でもあるのだろうな…と思うと、
いつも
ジレンマに陥っています。

発達障害に理解がなくて、強圧的でひどすぎる~と思える対応をする先生の話をよく聞いてみると…「あ~この先生、アスペなのかなぁ…??」と
感じる時があります。全然、相手の気持ちを読めてないんですよね…。
また、相手の気持ちを考えず、ずけずけ言って傷つける知人女性を見ていて、「この人ADHDぽいな~」と感じたりもします。攻撃的な割に、純粋でいい人なんですよね…

それと、ひとこと多くて、お友達を傷つけちゃうアスペッ子…
傷ついた子の気持ちを考えると苦しいけれど、私としては、
友達の傷つくことを言っちゃったからって、
まるで悪魔の子でも見るように「どうしてこんな悲しい障害があるんでしょう!」なんて表現する方は苦手なんです。
言っている当人に悪気がないのは丸わかりですから…。
傷ついた側のフォローは大事ですが、傷つけている当人も生きづらさに苦しんでいるんだな…と知って、
理解しあったり、そこのところは大目に見たり、
あいまいさやいいかげんさや悪さを多少受け入れて生きてっていいんじゃないかとも思えるのです。
クリーン過ぎる世界は、息苦しいです。

でも、一方、醜いものを排除して、よりクリーンな社会を目指していかねばならない…という矛盾する願いも抱いているのですよ。

 

いつもどうもありがとうございます。 

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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして (みち)
2008-07-13 20:30:53
>発達障害に理解がなくて、強圧的でひどすぎる~と思える対応をする先生

このような先生いますね。
特別支援教育の先生なのに、コミュニケーションが苦手な先生に「社会性がないのはアスペルガーなのよ。アスペルガーの教師は辞めさせるべきよ」と言っていましたが、
言っている本人(特別支援の教師)がアスペルガーじゃないのか?と思っております。
「アスペルガーだから、仕事を辞めろ」だなんて、特別支援という障害と社会の壁を取り払うべき立場の教師の言うべき言葉なのか?と疑問を感じました。

多かれ少なかれアスペルガー傾向は誰にでもあるものだと思います。
誰でも、相手の気持ちを100%読み取れる人はほとんどいないと思いますので。
私も、自分にはアスペルガーの傾向が少なからずあると思っています。
アスペルガーと特別視せずに、普通に生きていける社会になれば・・・と思います。
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Unknown (悠里)
2008-07-13 21:09:32
お久しぶりです。うんうんとうなずきなながら読みました。
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判断 (junseok)
2008-07-14 08:30:00
こんにちは。

ここは親の判断が分かれる部分でしょうね。

「障害」とついてストレスになる子供もいれば、
時間をかけて自分から理解する子供もいますし。

多分その判断の結果って100年前も
100年先も変わらないんだと思います。

前にも書きましたが、
僕の友人は診断を受ければ
「発達障害ですね」と言われる人間の集まりです。

ちょっと変わってるとか、
そういうレベルではないくらい。

人間関係が得意でなかったり、
私生活のリズムが一般と大きくずれてたりしますが、
仕事が順調なのでそれを気にしないほどの
精神的余裕が持てます。

なら一方的に子供に「あなたは障害よ」と
言うよりもそれを凌駕できる精神的余裕を
きちんと与えるのも親のやるべき事かなと思います。
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みちさんへ (なおみ)
2008-07-14 21:51:44
コメントありがとうございます。…その先生はひどいですね
アスペルガーの人もADHDの人も気持ちよく働ける社会がくるといいですね…それで、事故とかがないとなおいいんですが…。アスペルガーの子らと接していると、いつも将来の仕事のことを考えてしまいます。
(アスペルガーと特別視せずに、普通に生きていける社会)私も夢見ています。
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悠里さんへ (なおみ)
2008-07-14 21:52:45
コメントありがとうございます。お久しぶりです。コメントをいただいてうれしいです!
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junseokさんへ (なおみ)
2008-07-14 21:54:59
コメントありがとうございます。夏ばてしていなかったですか?
(仕事が順調なのでそれを気にしないほどの
精神的余裕が持てます。)とてもうれしく読みました。良い職場なんですね。暑いですががんばってくださいね。
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多様性は醜い? (あや)
2008-07-30 17:06:07
「醜いものを排除して、よりクリーンな社会を目指していかねばならない…という矛盾する願い」ですか。民族浄化運動を連想しました。
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Unknown (あやさんへ (なおみ))
2008-07-30 17:40:45
Unknown (なおみ)

2008-07-30 17:38:39

醜いものを排除して、よりクリーンな世界を目指していかなければならない…という矛盾する願いとは、あいまいさやいい加減さを許して、イジメや暴力や怠惰などを許容していく世界はやはり生きにくいことからくる願いです。軽度発達障害児に対する差別的な対応をする先生が、軽度発達障害を持っている…ということもよくあることです。軽度発達障害がある方が社会で働く姿を大らかなまなざしで支援したい気持ちと子どもに2次障害を起させないために高い精神性を教師に求める気持ちは、同じひとつのところから生まれる矛盾する願いだと思います。

民族浄化運動…が連想されてしまうとすると辛いですね…。


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精神主義ではなく (あや)
2008-09-01 10:57:47
不躾なコメントだったようで、すみません。ご無沙汰しました。発達障害を持つ持たないに限らず、子どもを教師が傷つける危険性について敏感になりすぎていて、高い精神性を教師に求める動きは、日本では随分進んでいるのに、現実には、高い精神性を求める親の気持ちが教師を追いつめているケースを少なからず見ます。これは、多分、システムがうまく機能していないということなのです。

(1)「醜いもの」を排除し「よりクリーンな社会」を目指すこと
(2)「高い精神性を教師に求める」こと
どちらも、民族浄化運動で立派な標語になると思われます。しかし、おそらく、教師の高い精神性を求めて解決しようとすることが間違っています。なぜ、そんなことを考えるかというと、たとえばAS当事者は精神性が低いから他者を傷つけるわけではないからです。

日本では教育現場で、教師が児童・生徒の人権を蹂躙しても、古くさい民法的な「懲戒権」的な考え方がベースにあるのか、あるいは自尊心を叩きつぶして従順な人間に育てることが国家的教育目標なのか、ほとんど問題にされてきませんでした。まず、これが正されない限り、話は始まらないでしょう。

(1)児童・生徒の人権を蹂躙する教師は教育者として適格ではないと判定して、教育職は辞め、別の職業に就くように就労支援を行なうことです。その上で、
(2)児童・生徒の人権を蹂躙してはいないが、十分に教育的とは言えない態度で接することがある教師については、教師本人が教職にある者として育っていけるように、研修の場を提供していくことが必要でしょう。そうして、さらに、
(3)特に難しい発達障害などの問題を抱えたお子さんに対処するには、通常の教員としてのスキルだけでは足りないところがあって、そのことが子どもに2次障害を起こさせるのであれば、そういう専門的教員を配置すべきではないでしょうか。

いずれにせよ、「高い精神性を教師に求める」ことや「醜いもの」を排除し「よりクリーンな社会」を目指すことで解決できる問題ではないと思います。

違うでしょうか。
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水、清くして魚棲まず (あや)
2008-09-01 11:07:10
長くて、すみません。もう1つ、思ったのは「子どもに2次障害」を起こさせる原因は、当然のことながら様々です。例を挙げます。アスペルガー社会人のBlog『「定型の世界」を見た。』で、AS当事者が適応に難しさを感じる事例が挙げられています。この中のコメントに、次のようなものがありました。
> 定型だと思っている私自身ですが、人の悪口を陰では言いません。
> 誰かのことを悪く言うことで、自分の居場所を確認している、「ゆがんだ精神状
> 態にある」くらいに捉えた方がいいのかも知れません。
この方は、やはり教育者で、ご自分は高い精神性を持つ立派な方のようです。「あいまいさやいい加減さを許して、イジメや暴力や怠惰などを許容していく世界はやはり生きにくい」と考えていらっしゃることでしょう。とは言うものの、日本では「水、清くして魚棲まず」と言います。私はコメントに、蔭口を叩くことは褒められたことではありませんが、「自分たちのネガティブな気持ちをガス抜き」してAさんを排除せずに済ませている面がある1つの人間関係のあり方だと書きました。

さて、このように陰口を叩くような「醜いもの」を排除し「よりクリーンな社会」を目指さなければ、「あいまいさやいい加減さを許」すことになって、「イジメや暴力や怠惰などを許容していく世界はやはり生きにくい」ということに必然的になるのか?というと、そんなことはないようです。私は、junseokさんのコメントに、ほっとしました。曰く、
> 僕が赤ん坊の頃から我が家は近所の井戸端会議場で、
> 近所のオバサンが行ったり来たりのなかで成長してきました。
> (なので幼少時の一人称が「私」だったくらいです)
>
> だからこういうやり取りは慣れている……(以下略)……
こうした近所のオバサンたちは、普通に働いて家事をやって子どもを育てていると思います。「高い精神性」も持たず、「醜いもの」を排除しようとも、「よりクリーンな社会」を目指そうとも思っていないようです。そのように、魚は棲んでいるのであり、水=社会は清くないのです。学校も、小社会であって、1つ前のコメントに書いたように、児童・生徒の人権は守る必要がありますが、「水、清くして魚棲まず」にしてしまっては、学校内は表面だけ「いい子」が蔓延して教育にはならない危険性を感じます。
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