前回の記事の続きの間に、ちょっと今気になっている話を挟ましてくださいね。
私は専門家ではないので、
あくまでも子どもの遊び方と問題を解決する姿、学習の仕方などを
観察して感じることなのですが、
サリーとアンの課題に正しい答えを出せるのに、
他の多くの面で
非常に広汎性発達障がいの受動型の子に近い認知のあり方をしている子
がいるのです。
そうしたタイプの子は、外から自分がどのように見えるか把握していないように見えます。
広汎性発達障がいの子か、純粋にADHDやADDの子か…では、
学習を教えていると、
成績は変わらない子でも
非常に大きな違いを感じるときがあります。
広汎性発達障がいの子は、
かなり難しい問題が解ける子であっても
学習以前の情報の取り入れ方や問題解決の仕方で
頭を傾げたくなるような方法を取ることがよくあります。
学習上の暗黙の了解と思われるようなことが、
小学校中学年を過ぎても、自分では思いつかない…ようなのです。
わからないとき、他の人のやっていることを見て判断する
うまくいかないときは、他の方法を試してみる
1箇所だけ間違えているときは、その部分を何とかする
(全部1からやりなおしたりはしない)
といったことです。
純粋なADHDと診断されている子でも、
その子にとってそれほど楽しいとは思えないような習い事を
やめたがらない
という特徴を持った子の学習を見ていると
先に紹介したような学習上の暗黙の了解がわかってないな…というところ、
私のその子へのまなざしを正確に受け取っていない感じ…
その子のできている能力、年齢からいうと易しすぎる課題でも、
はじめてする場合、手が出なくなる…(かなり極端)
ということがあるのです。
広汎性発達障がいかどうか、診断がおりていないのに、
推測して何の意味が…?と思われるかもしれません。
が、私は、広汎性発達障がいがあるようなら、かなりグレーゾーンの子でも小学校時代の対応で気をつけることがあると思うのです。
ひとつは公文式のような反復学習を続けるか否かは、広汎性発達障がいがあるかどうかで選択肢はちがってくる
もうひとつは中学でつまずきが予測される関数や方程式の概念を理解する
基礎となる体験を遊びを通して積んでおくべき
ということです。
ちょっとわかりにくい記事になってしまいましたが、今度時間のあるときに
しっかり続きを書きたいと思っています。
web拍手を送る
私は専門家ではないので、
あくまでも子どもの遊び方と問題を解決する姿、学習の仕方などを
観察して感じることなのですが、
サリーとアンの課題に正しい答えを出せるのに、
他の多くの面で
非常に広汎性発達障がいの受動型の子に近い認知のあり方をしている子
がいるのです。
そうしたタイプの子は、外から自分がどのように見えるか把握していないように見えます。
広汎性発達障がいの子か、純粋にADHDやADDの子か…では、
学習を教えていると、
成績は変わらない子でも
非常に大きな違いを感じるときがあります。
広汎性発達障がいの子は、
かなり難しい問題が解ける子であっても
学習以前の情報の取り入れ方や問題解決の仕方で
頭を傾げたくなるような方法を取ることがよくあります。
学習上の暗黙の了解と思われるようなことが、
小学校中学年を過ぎても、自分では思いつかない…ようなのです。
わからないとき、他の人のやっていることを見て判断する
うまくいかないときは、他の方法を試してみる
1箇所だけ間違えているときは、その部分を何とかする
(全部1からやりなおしたりはしない)
といったことです。
純粋なADHDと診断されている子でも、
その子にとってそれほど楽しいとは思えないような習い事を
やめたがらない
という特徴を持った子の学習を見ていると
先に紹介したような学習上の暗黙の了解がわかってないな…というところ、
私のその子へのまなざしを正確に受け取っていない感じ…
その子のできている能力、年齢からいうと易しすぎる課題でも、
はじめてする場合、手が出なくなる…(かなり極端)
ということがあるのです。
広汎性発達障がいかどうか、診断がおりていないのに、
推測して何の意味が…?と思われるかもしれません。
が、私は、広汎性発達障がいがあるようなら、かなりグレーゾーンの子でも小学校時代の対応で気をつけることがあると思うのです。
ひとつは公文式のような反復学習を続けるか否かは、広汎性発達障がいがあるかどうかで選択肢はちがってくる
もうひとつは中学でつまずきが予測される関数や方程式の概念を理解する
基礎となる体験を遊びを通して積んでおくべき
ということです。
ちょっとわかりにくい記事になってしまいましたが、今度時間のあるときに
しっかり続きを書きたいと思っています。
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いろいろ調べてみると、アスペルガーの受動型は
「周囲に流される」とあり、やはりその可能性が
あることをあらためて認識しました。
もしアスペルガーの受動型だった場合、
>公文式のような反復学習を続けるか否かは、広汎性発達障がいがあるかどうかで選択肢はちがってくる
とありますが、昨日のお話の中でもありましたが、公文式のようなパターン学習以外では算数の力をつけることは難しいということでしょうか?
本人は公文式をやりたいと思っていますが、公文をすることで平行して他の学習方法をする事が時間的にも本人の取り組む気持ちも難しくなり、公文式のみになってしまうと思いますが、そうなると今までの出来を見る限りでは順調に進度をあげていくとは思いますが、「概念」としての理解することは不可能に近くなるような気がします。。公文式が合っているから続ける方がいいのか、合っていてもあえて他の学習方法を選択すべきなのか、悩むところです・・・。
また>中学でつまずきが予測される関数や方程式の概念を理解する基礎となる体験を遊びを通して積んでおくべき
これについては、恥ずかしながら私自身も難しいと
感じているため、基礎となる体験を遊びがどういう
ものかわからず、うまく関わってやることができないため先生に頼ってしまうことになりそうです。。
またレッスンで具体的な方法を教えていただけたらと思います。
今後ともどうかよろしくお願いします。
わからないとき、他の人のやっていることを見て判断する
うまくいかないときは、他の方法を試してみる
1箇所だけ間違えているときは、その部分を何とかする(全部1からやりなおしたりはしない)
ということが、苦手なわが子。もう中学生になってしまいました。
公●式、成績は上がるだろうけど、自分で解決する力はのびないという考えに賛成し、あえて普通の塾(発達障害を勉強して理解してくださる先生です)
に行っています。
なおみ先生の、
もうひとつは中学でつまずきが予測される関数や方程式の概念を理解する
基礎となる体験を遊びを通して積んでおくべき
ということ、ぜひお聞きしたいです。
公文式に通っていないのですが、幼稚園がお勉強系で年少からひらがなや足し算を習っています。宿題もプリントで週4日あります。園長先生が計算力第一とお考えでこれから引き算、九九、漢字とどんどん進んでいくようなのです。
息子はみんなと同じように足し算は出来ますが、実際は10の合成が完全ではありません。
数の概念など幅広く考えてほしいのに、このままでは偏った考え方しか出来なくなりそうでとても心配です。新しい記事、心待ちにしております。
当方は、自分は発達障害ではないかと疑って関係書籍を読んでいて、「サリーとアンの課題」というものを知った、四十路の素人です。
課題をみて素人なりに思ったのが、「この問い方では、いい年をして「子供の使い」になってしまうような人でも、簡単に正答する場合があるだろう」ということです。
なぜなら、課題の問題文が、推察に必要なすべてのできごとを時系列に従って明示しただけのもので、しかも、冗談や虚偽は含まれていないからです。
実生活では、考慮すべき条件自体をその場のできごとだけでなく、脳内データベースからも探さなくてはなりません。
それも、言葉や表情の真の意図を鑑別する材料まで含めて。
しかし、「サリーとアンの課題」は、それができなくても正答できる作りになっています。
あの課題は、日常生活レベルの推察力を構成する能力のうち、ごく一部分の能力の有無を見るものではないでしょうか。
私は「サリーとアンの課題」は正答できても、ままごとはできません。
今まで息子の不思議な部分が、少し理解できたように思うのと同時に、わかって下さる人がここにいるという思いです。
長年続けた○文への疑問・・・
子供自身の気づきを待つということ。
しかし我が子は発達障害児・・・果たして手を出し過ぎたから気がつかない子なのか、自分で考えにくいのか・・・などなど・・・
虹色教室に行ってみたいし、御相談したいという気持ちが抑えきれないのですが、現在募集などはされていますでしょうか?
お返事いただけると幸いです。