ネットの掲示板で
ADHDって、自分が障害者だっていう意識あるのかな? 全く謙虚さがないというか、フツーの人より図々しいというか‥
という書き込みを見つけました。
この書き込みをした人が
どんな人間関係で いや~な経験をしたのかは知る由もありませんが‥
えらく上から目線の言葉使い‥
おまけに こんなにも人に
謙虚さを求める方ですから
おそらくご自分は謙虚さから遠い方だろうとお見受けしました。
無視しておけばいい‥そう思っても こういう意見の
「障害」という言葉に妙に引っかかるは
私だけではないと思います。
確かに発達障害の子は
定型発達の子が難なくこなしていくことも
時間がかかったり
なかなか身につかなかったりします。
多くの支援も必要としています。
でも発達‥障害‥という呼び名
何だかちがう感じがするんです。
だからって「個性」と呼んでしまうと
その子のハンディーがあいまいになって
できないことの原因を
その子の怠けや 親の甘やかし
に求める人が続出しますよね
たかが名前‥
されど名前‥
いつも ここでぐるぐる‥もやもや‥しています。
私が発達障害のある子に教える時
目的は「ふつう」に近づけることや
迷惑をかけないようにさせることではありません。
その子が自分の長所に気づき それを大切に思う心から
困難でも
ゆっくりでも
自分の短所を克服していって
その子らしい素晴らしさを発揮していくためです。
その子しか作っていけない人生を
自信を持って歩んでいってもらうお手伝いがしたいのです。
そこには 障害もふつうもありません。
何が原因か 誰が悪者か探す必要もありません。
しかしこの言葉の問題にぶつかるとき‥
この言葉が誰かを傷つけるとき‥
いつも ぐるぐる‥もやもや‥に舞い戻ってしまうのです
ADHDって、自分が障害者だっていう意識あるのかな? 全く謙虚さがないというか、フツーの人より図々しいというか‥
という書き込みを見つけました。
この書き込みをした人が
どんな人間関係で いや~な経験をしたのかは知る由もありませんが‥
えらく上から目線の言葉使い‥
おまけに こんなにも人に
謙虚さを求める方ですから
おそらくご自分は謙虚さから遠い方だろうとお見受けしました。
無視しておけばいい‥そう思っても こういう意見の
「障害」という言葉に妙に引っかかるは
私だけではないと思います。
確かに発達障害の子は
定型発達の子が難なくこなしていくことも
時間がかかったり
なかなか身につかなかったりします。
多くの支援も必要としています。
でも発達‥障害‥という呼び名
何だかちがう感じがするんです。
だからって「個性」と呼んでしまうと
その子のハンディーがあいまいになって
できないことの原因を
その子の怠けや 親の甘やかし
に求める人が続出しますよね
たかが名前‥
されど名前‥
いつも ここでぐるぐる‥もやもや‥しています。
私が発達障害のある子に教える時
目的は「ふつう」に近づけることや
迷惑をかけないようにさせることではありません。
その子が自分の長所に気づき それを大切に思う心から
困難でも
ゆっくりでも
自分の短所を克服していって
その子らしい素晴らしさを発揮していくためです。
その子しか作っていけない人生を
自信を持って歩んでいってもらうお手伝いがしたいのです。
そこには 障害もふつうもありません。
何が原因か 誰が悪者か探す必要もありません。
しかしこの言葉の問題にぶつかるとき‥
この言葉が誰かを傷つけるとき‥
いつも ぐるぐる‥もやもや‥に舞い戻ってしまうのです
もう少し気の利いた呼び名があると良いのになあ
「自信を持って歩んでいってもらうお手伝いがしたいのです。そこには 障害もふつうもありません」
との、なおみ先生の言葉に感動し涙してしまいました。そんなふうに思って接して下さる先生が、子供の周りにいたらきっと、子供も自信をなくさずにいたのかもしれません。
なおみ先生にとても励まされています。
ありがとうございます
かなり誤解している言葉ですね。もっとこうした問題を親身になって考えてくれる人が増えるといいんですが‥。
ありがとうございます。
のんママと言います。
時々ブログを拝見させて頂いています。
いつもとっても参考にさせて頂いて、元気をもらっています。
私は以前、自分自身のブログのなかで障害という言葉について、
《障害と思うより個性と考えるようにしています》
と書いた事がありました。
このブログを読んで、
《個性》
という言葉の中には私が考えていた言葉の中身に
別の意味があったことを気づかされました。
私はこの言葉にたよって楽な気持ちになろうと思った訳ではなく、
逆に子どもがどうしたら子ども自身に合った勉強や体験ができるのか、
親が子どもをゆったりと見守る励みの言葉にしてきたのです。
でも…人によって微妙に捉え方が違うんだなぁ…
と、田舎者の私は改めて感じた所です。
言葉ってホントに難しいですね…。
なおみ先生の教室が、我が家の近くにあったらいいのに…と思っていますが、田舎はまだまだ発達障害に対しては理解が薄く、困り感のある子どもを持つ親として、学校などの協力を求めるのにひと苦労しています。
でも、明るい子どもに励みをもらってがんばっています。
なおみ先生もがんばって下さい。
長々と書き込んですみません。
書き込みをした人には悲しくなりましたが、その後のなおみさんの文章を読んで、じーんとしました。私はなおみさんほど、息子に寄り添っていないなあと反省。。。
日本の社会って、ほんと「みんな一緒」とか「無言の了解」とかを求める社会で、流行語の「KY(空気読めない)」だって、アスペっ子に対しては、それこそが障害の本質なのだから、ひどいよーって思いました。
たまたま自分と相手が違うから、自分から見てかちんとくる行動をするから、批判する、排除するって、社会の一員としてすべきじゃないですよね。
まあ、私もADHDで謙虚なところはない人間ですが。。。存在自体がそんなに迷惑なの???って言いたいです。
なおみさんにひろを指導してもらえたらなっていつも思っています。
発達障害児の「心」の面でのハンディーをわかってもらわないと
そんな子はいじめてもいい!って思っている教師がいたりするんで 怖いです。