私の子どもの頃
父は使いたいだけギャンブルにお金をつぎ込んでは
負けたいらだちを母への暴力という形に
変えていました。
父がげんこつを振り上げて
母をボコボコと殴り始めると
決まってまだ幼稚園児だった妹が
父の前に飛び出していって 母に覆いかぶさるようにして
「お母さんをたたかないで!」と叫びながら
死の恐怖にも似たものと戦いながら
母を守っていました。
そんなとき 父親っ子でもあった私は
「けんんかしたら どっちも悪い。
お父さんもお母さんも悪い。私はどちらも味方はしないよ。」と
強い口調で言い放っていました。
子どもだったとはいえ
暴力を振るう父と
振るわれる母のどちらが悪いのかは十分承知していたと思います。
また 暴力への恐怖から そんなもの言いになっていたのでも
ないと思います。
というのも 同じ時期に外で子どもだけで遊んでいたときに
妹と妹の友達が幼児にいたずらするとうわさされていた郵便局の配達員に
手を引かれて団地の裏に連れて行かれそうになったことがあったのです。
その時には
殺されるかも知れないという恐怖(そういううわさを耳にしていたので)を振り払って その大人の男性から妹たちを奪い返していましたから。
幼児の頃から 私はとても直感的な子どもで
その場の空気の流れに敏感でした。
そのため そこで私も妹とともに泣きながら母をかばうという
悲劇の一シーンに飛び込むことが
事をさらに荒立てることに 感覚で気づいていたのかも知れません。
あえて ここで母に冷たくし
父に暗に味方しているように振舞うことで 父の激しい怒りが少し静まることを
肌で感じていました。
ほぼ毎日のようにそんな恐ろしい晩がやってくるというのに
朝が来るとまるで童話の中のような
明るい優しい世界がありました。
母は私と妹に手作りのおやつを焼いて
手作りの服を着せ
絵本を読んでくれ
礼儀正しく人に接するようにしつけようとしていました。
母がちょっと少女趣味なあこがれで子育てをしていたことは
私が近所のやんちゃ3きょうだいの(女男男)家に遊びに行って
「こんにちは。お邪魔します。」とあいさつすると
「おや、お嬢様が遊びに来たよ。お母さんは幼稚園のスモッグにまで
アイロンをかけているんだね。」とからかうように
言っていた言葉からもわかります。
日中 母の最大の関心事は妹のしつけでした。
妹は友達から人気のある明るい活発な気質でしたが
聞き分けがなく わがままな一面もありました。
近所の子がお昼ごはんを外で食べると聞くと
自分も外食すると言って 2時間近くわめきちらして泣いていたり
近所の人が妹に話しかけると 足でけったり つばを吐きかけたりしていました。
そして姉の私と平等…というのが がまんならなくて
全部自分の分だ!と いつも激しく主張するのです。
あまり物に執着しなかった私は
自分が我慢して 妹に譲ることが多かったのですが
それを不憫がった母は 「この子はいい子で損をする」と私を猫かわいがりして
妹を叱ってばかりいました。
妹が叱られているとき私は 夜になると父のげんこつから母をかばって
母に覆いかぶさるようにしている妹の姿が目に浮かんできて
とても悲しくなりました。
どうして母は 朝になるとそのことを忘れてしまうんだろう?
どうして妹ばかり叱られるんだろう?
私には見えるのに どうしてお母さんには
いろんなものが見えないんだろう?
と考えていました。
今思うと 母はあまりにも辛い現実に
心がいっぱいいっぱいだったのです。
ですから近所の人の どんなにささいな悪口も冷たい視線も
がまんできないほど辛いものだったのです。
しつけのよい かしこいよい子を育てている母親として
周囲の人に認め続けてもらわなければ
母はその日一日を過すことすら 苦しくてたまらなかったのでしょう。
けれど妹はいつも母の期待を裏切って
近所と揉め事を起します。
よそのお家のテーブルに上がった…とか
近所の子とけんかして 団地の壁にその子の悪口を書いた…とか
そんなことが団地中を巻き込んでの騒ぎとなった時代でした。
ですから 母は まるで妹の母への深い愛情やその純粋な心が
見えないかのように
妹に向かえば 注意と小言とため息と叱責を
繰り返していたのでした。
それから長い年月 母と妹は戦い続けました。
今となっては 重い病に倒れた母を 親身に看病し続けたのは
ワガママ放題してきた父でした。
病から来るあまりの痛みに母がわがままで怒りっぽい一面を出し始めたとき
父は温和になりおとなしくなって行きました。
大人になるにつれ私は 母と妹がとてもよく似ていることに気づきました。
だれが悪いとか良いとか…もうそれはどうでもいいこととなりました。
でも 母にはどうして妹の心が見えなくなっていたのだろう…?
とその頃の出来事を思い出すたびに ふとその疑問がぶりかえすのです。
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父は使いたいだけギャンブルにお金をつぎ込んでは
負けたいらだちを母への暴力という形に
変えていました。
父がげんこつを振り上げて
母をボコボコと殴り始めると
決まってまだ幼稚園児だった妹が
父の前に飛び出していって 母に覆いかぶさるようにして
「お母さんをたたかないで!」と叫びながら
死の恐怖にも似たものと戦いながら
母を守っていました。
そんなとき 父親っ子でもあった私は
「けんんかしたら どっちも悪い。
お父さんもお母さんも悪い。私はどちらも味方はしないよ。」と
強い口調で言い放っていました。
子どもだったとはいえ
暴力を振るう父と
振るわれる母のどちらが悪いのかは十分承知していたと思います。
また 暴力への恐怖から そんなもの言いになっていたのでも
ないと思います。
というのも 同じ時期に外で子どもだけで遊んでいたときに
妹と妹の友達が幼児にいたずらするとうわさされていた郵便局の配達員に
手を引かれて団地の裏に連れて行かれそうになったことがあったのです。
その時には
殺されるかも知れないという恐怖(そういううわさを耳にしていたので)を振り払って その大人の男性から妹たちを奪い返していましたから。
幼児の頃から 私はとても直感的な子どもで
その場の空気の流れに敏感でした。
そのため そこで私も妹とともに泣きながら母をかばうという
悲劇の一シーンに飛び込むことが
事をさらに荒立てることに 感覚で気づいていたのかも知れません。
あえて ここで母に冷たくし
父に暗に味方しているように振舞うことで 父の激しい怒りが少し静まることを
肌で感じていました。
ほぼ毎日のようにそんな恐ろしい晩がやってくるというのに
朝が来るとまるで童話の中のような
明るい優しい世界がありました。
母は私と妹に手作りのおやつを焼いて
手作りの服を着せ
絵本を読んでくれ
礼儀正しく人に接するようにしつけようとしていました。
母がちょっと少女趣味なあこがれで子育てをしていたことは
私が近所のやんちゃ3きょうだいの(女男男)家に遊びに行って
「こんにちは。お邪魔します。」とあいさつすると
「おや、お嬢様が遊びに来たよ。お母さんは幼稚園のスモッグにまで
アイロンをかけているんだね。」とからかうように
言っていた言葉からもわかります。
日中 母の最大の関心事は妹のしつけでした。
妹は友達から人気のある明るい活発な気質でしたが
聞き分けがなく わがままな一面もありました。
近所の子がお昼ごはんを外で食べると聞くと
自分も外食すると言って 2時間近くわめきちらして泣いていたり
近所の人が妹に話しかけると 足でけったり つばを吐きかけたりしていました。
そして姉の私と平等…というのが がまんならなくて
全部自分の分だ!と いつも激しく主張するのです。
あまり物に執着しなかった私は
自分が我慢して 妹に譲ることが多かったのですが
それを不憫がった母は 「この子はいい子で損をする」と私を猫かわいがりして
妹を叱ってばかりいました。
妹が叱られているとき私は 夜になると父のげんこつから母をかばって
母に覆いかぶさるようにしている妹の姿が目に浮かんできて
とても悲しくなりました。
どうして母は 朝になるとそのことを忘れてしまうんだろう?
どうして妹ばかり叱られるんだろう?
私には見えるのに どうしてお母さんには
いろんなものが見えないんだろう?
と考えていました。
今思うと 母はあまりにも辛い現実に
心がいっぱいいっぱいだったのです。
ですから近所の人の どんなにささいな悪口も冷たい視線も
がまんできないほど辛いものだったのです。
しつけのよい かしこいよい子を育てている母親として
周囲の人に認め続けてもらわなければ
母はその日一日を過すことすら 苦しくてたまらなかったのでしょう。
けれど妹はいつも母の期待を裏切って
近所と揉め事を起します。
よそのお家のテーブルに上がった…とか
近所の子とけんかして 団地の壁にその子の悪口を書いた…とか
そんなことが団地中を巻き込んでの騒ぎとなった時代でした。
ですから 母は まるで妹の母への深い愛情やその純粋な心が
見えないかのように
妹に向かえば 注意と小言とため息と叱責を
繰り返していたのでした。
それから長い年月 母と妹は戦い続けました。
今となっては 重い病に倒れた母を 親身に看病し続けたのは
ワガママ放題してきた父でした。
病から来るあまりの痛みに母がわがままで怒りっぽい一面を出し始めたとき
父は温和になりおとなしくなって行きました。
大人になるにつれ私は 母と妹がとてもよく似ていることに気づきました。
だれが悪いとか良いとか…もうそれはどうでもいいこととなりました。
でも 母にはどうして妹の心が見えなくなっていたのだろう…?
とその頃の出来事を思い出すたびに ふとその疑問がぶりかえすのです。
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いらしてくださって、とてもうれしいです。
今回 ブログで私が攻撃した…というお話なんですが、先ほど見に行かせていただいたら、誰かが書いたコメントに勝手になおみさんが書いたんでしょう?という推測をするコメントなどがたくさんあり、私はどれも知らないことなので、謝りようもないんです。
それに最初にコメントしたのは、本当に私なんですが、そのコメント自体、多くの人が読んだら私が攻撃して書いてるのではないのはわかるはずなんですが、
最初のコメントがブログを管理している方に消されてしまい、攻撃された…というコメントだけが残っているので、私には対処のしようがないんです。
私は、発達障害の子がいても明るく工夫しながら暮らしていける話題を提供していきたいな…と思ってこのブログをしてきましたが、そうした考えが「しんどい」という方が多いのであれば、このブログを閉鎖しなければならないかな?とも考えています。
ちょうど仕事が忙しくなってきたこともあり、ブログをひとつに統一することも考えていたので、今回の出来事が原因というわけではないのですが…。
またコメント欄に、私が書いたものでもないことで、あれこれ中傷する方がいらっしゃる場合、すいませんが削除させていただきます。
多くの人を傷つけたことは事実です。
教育者であるなら、もう少し人の気持ちや痛みを理解すべきでは?
書き込むだけ書き込んで、そして逃げてしまい、あまりにも無責任に感じました。
失礼ですが、教育者失格です。
そして、自分の言葉に責任を持たなければならないのでは?
これは、中傷コメントではないので、削除しないでください。
返事は結構です。
よく冷静に考えて、自分を顧みる材料になされて下さい。
ただコメント欄という字数の制限上、どうしても言葉が足らなくなってしまい伝えたかったことが伝わらないのかもしれません。でも多くの方を傷つけた…という言葉は私には理解しにくいことです。
私のお友達は私とちがう考えも自由に発言しますが、私はそれを健全でよいこと、良い友達として感じています。攻撃したい心から発している言葉か、ちがうかはだれでもわかります。
それと息子がある程度パソコンにくわしいので、もしいたずらに何か書き込んでいる人物の特定がしたいのであれば内部の情報を調べて発信元を調べてくれると言っていますので、あまりにひどいことになっているようでしたら協力します。
ところが、今その方のブログに行くと、コメント欄が過去のものまで閉鎖されていました。
犯人を特定したりして、これ以上揉め事を大きしないという管理者の配慮かもしれません。
ネットでは匿名性ゆえに勝手な発言をしたり、他人になりすましたりする方もいます。でもそうした情報はパソコン内にちゃんと残っていますし、削除してもなおたどっていけます。でも それを公表しての そうした無意味な争いは、時間の無駄だし子どもに悪影響だと思うのでするつもりはありません。
(でも だれかが故意に傷つけられている場合、公表もやむえないと思いますが…。)
今回の件は、これで終了させていただきます。
以前から、色々と参考にさせていただいております。今までと違う、オリジナルの発想が凄く息子に合っていたみたいです。
明日にでも、紙皿の時計の勉強をしてみたいと思っております。
イラストもどんな画材で書いたら、あんなに「ほんわか」な感じなんだろうと思いました。絵を見ればその人の感情が分かると思うのに・・・。
私も子供の頃は周りの人たちに対して、自分の気持ちを伝えることがなかなかできなくて
「どうして分かってくれないの?」
といつも感じていて、つらかったことを思い出しました。
いま、長男のことで支援の方法などを学校と話しを進めたい所ですが、ちょっとづつ理解してもらえるようになってきたものの、なかなか進歩がありません。
だからといって、
「学校は何もしてくれない!」
と不平不満ばかり言っていても何も始まらないので、考えを切り替えて、私自身が学校側の立場を理解するように努力する事にしました。
お互いが歩み寄ることで一番いい支援の方法が見つかるかも…と思ったからです。
子どもとの関係もそうだと思っています。
つらい経験をしたからこそ、子どもの話を聞いてあげる事を大切を感じて、理解する努力をしています。
でもがんばりすぎて「いい人」にならないように気をつけながら。
いつもこのブログを読んでいて、励みをもらっています。
これからも色々な事を教えて下さい。
何も言わないことが母のため…私もそう感じて苦しかった時期があります。妹の味方をすると母に文句を言われ、私が味方をしているとは知らない妹からは蹴られたことが何度かあります。でも大人になって妹と仲良くできているのは、そのとき私が味方していたことを本当は気づいていたからかもしれません。rikoさんのお母さんも どこかでrikoさんの言葉の正しさに気づいていると思いますよ。