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高畑淳子 赤旗インタビュー「欲望という名の電車」「組曲虐殺」 / 映画「猿の惑星」脚本家と赤狩り

2011-12-11 | 各界インタビュー(新聞赤旗等より)
 高畑淳子さん主演で、テネシー・ウィリアムズの代表作「欲望という名の電車」(鵜山仁演出)が、12月9日から上演。
 高畑さんは、「どれだけ遊んでも飽きない、最高のおもちゃ」と、この芝居の独特の魅力を語ります。


 「女のいやらしさ、誤魔化し、うそ、とか、誰しも確かにやった覚えがあるというのが、随所にある芝居です」

 崩壊する姿をどう演じるか

 アメリカ南部の都市ニューオーリンズの一角で展開します。高畑淳子さんは、没落豪族の娘、ブランチ・デュボアを演じます。ブランチは妹の住む家を訪ねます。豪族の娘として暮らした頃のことが忘れられないブランチは、話し方も妹の亭主らとは違います。
 
 「美しいものに囲まれ、美しい夕焼けを見て、美しい言葉を操って培ってきたものがアダになる。自分を時代に合わせることができなかった女性です。瞬間、瞬間、相手と駆け引きして、今何かが舞台で起こっているということを、いかに出していくか・・・。稽古で四苦八苦しています」

 「本読みのとき、膨大なせりふの量にクラクラしました。ブランチを、”すべてに絶望した女性”とか、”精神を病んでいる女性”など固定観念のようなものがあったんですけど、彼女はなかなかタフなんですね。そんなに弱弱しければこんなに長く踏ん張らないだろうと重います。ただ、私の場合、気をつけなければならないのは、自分自身の性格は骨太なので、感受性の強い、崩壊していくブランチをどう出していけるかですよね」

 昨年、小林多喜二を描いた井上ひさし脚本の芝居「組曲虐殺」に出演。 多喜二の姉チマを演じ、舞台に活気を与え成功させました。「『組曲虐殺』の音楽が素晴らしかったです。その小曽根真さんが、今回の音楽を担当して、生演奏してくれます。この部隊の大目玉です。

パンパンに嘘をついて虚勢を張っているブランチが、ピアノの音がポロンと入ってくると、ガラガラッと、心がもう別の世界に持っていかれる。稽古場に来て芝居に合わせて音楽を入れてくださっています。素晴らしい音楽で、至福の時を体験しています」

 水に匹敵する芝居の大切さ

 長い役者生活の中で忘れられないことはー。
 「30歳ぐらいのとき、もう役者はやめようと思っていたところへ、『セイムタイム・ネクストイヤー』という2人芝居に出合いました。加藤健一さんから『稽古場は遊び場なんだよ』と教えていただいて、それからはお芝居が楽しくなりました。

舞台『越路吹雪物語』で歌手・越路吹雪さんを支えた作詞家・岩谷時子さんの役を演じ、岩谷さんとお会いしたことも忘れられません。岩谷さんから、その後、『好きな仕事を一生懸命やって、自分が成長することほど、素晴らしい人生はないように思います』と書いた直筆のお手紙を頂きました。この世界に飛び込んでよかったと思いました」

 舞台に対する特別な思いを語ります。
「大震災後、劇場が休演になったりしました。そうした中で、自分が観客として芝居を見に行き、”それが活力になった”と本当に感謝しました。精神が潤わないと、人生は無味乾燥なものになってしまうと思います。私にとって芝居は、水に匹敵するぐらい必要なものです」

 情熱的な話しぶり。時に目を潤ませたりする様子に、感激屋なんだな、と感じました。(大井民生)


 たかはた・あつこ  1954年香川県生まれ。桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻を経て、劇団青年座所属。映画「釣りバカ日誌」 テレビドラマ「3年B組金八先生」「篤姫」など。舞台は「組曲虐殺」「をんな善哉」など多数。 
 紀伊国屋演劇賞個人賞、菊田一夫演劇賞個人賞など受賞多数。
  


 「欲望という名の電車」 出演 高畑淳子 神野三鈴 宅間孝行 小林正寛ほか。


  しんぶん赤旗2011年12月5日  月曜インタビューより。

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 同日同面のしんぶん赤旗 ーー朝の風ーー 


 映画「猿の惑星 創世記」で、猿のシーザーが自分を育ててくれた人間に「ノー」と言うシーンは忘れ難い。人間の思い通りには動かない意志が強烈だ。
 タイトルに「猿の惑星」の名のある映画はこれ以前に6作ある。

 第1作の「猿の惑星」が公開されたのは、1968年。チャールトン・ヘストン演じる宇宙飛行士らが不時着すると、そこは言葉を話せない人間を猿が支配する社会だった。自由の女神が倒れかかっている鮮烈なラストシーン。
戦争をやめず、「万物の死を招く」人間への鋭い告発がある。

 この脚本家マイケル・ウィルソンと、猿の女性科学者を演じたキム・ハンターは、47年からハリウッドを襲った”赤狩り”で、ブラックリストに載せられたが屈しなかった。

 "赤狩り"を研究してきた映画評論家の山田和夫氏は”赤狩り”後、端役での出演しかなかったハンターにとって、「猿の惑星」は、「本格的カムバック」となったと記す。

 彼女は”赤狩り”の嵐が吹き荒れた当時、「仲間や友人を密告して、自分の保身を図る道をとらなかった」「それだけでもどれだけ勇気のいることだったか」、この第1作には彼らの「苦闘した良心の記憶」が生き続けている、と。

 「猿の惑星」を思うとき、呼び覚まされる歴史の事実である。(響)



  念のため申しますと、”赤”が危ないのではなく、”赤狩り”を行う米政府(今の日本でも同じようなもの)が危ない方なのでお間違いなく。昔から。

 いまどきの人から、さぞダサいと思われているであろう”日本共産党”ですが、意外と中身は先を行ってたりするんですにゃ。いがーいと。必要なこと、道理を通す方向性も明確だったりするんですにゃ。あとは数だけ、弾圧できないだけの支持数だけ。



 

TPP秘密交渉 世界がブーイング ”満杯の財布にもっと詰め込もうとしている”

2011-12-11 | TPPとは・講座
 TPP推進 秘密交渉、世界がブーイング

  満杯の財布にもっと詰め込む
 より(しんぶん赤旗2011.11.29)
   

 A 野田首相の協議開始表明を受け、財界はいっせいに「歓迎」のコメントを発表した。経団連は、「新たな時代のルール作りをはじめ交渉に積極的に参加し、わが国経済の持続的成長の実現に資する協定の成立に全力を」と強調した。
 B 経済同友会も「ルールづくりに主体的に関与することが可能になる」としたね。日本商工会議所は、「実質的に交渉参加を表明したものと理解」するとしており、民主党内のTPP「慎重派」にくぎを刺した形だ。

 A 業界団体も歓迎のコメントを出している。日本鉄鋼連盟は「TPP実現に向けた確固たる意思を持って交渉に臨んでいただくことを強く期待」とした。自動車工業会は、「ビジネス環境の整備と自由貿易の進展が期待される」と歓迎した。
 B ところで、財界が強調する「ルールづくり」というのはくせ者だよ。
 A 野田首相も、オバマ大統領との会談で、この「経済のルールづくり」を強調していたね。

国民が蚊帳の外

 B 「ルールづくり」交渉そのものは、まったくの非公開で行われている。TPP協定が出来上がれば、国内法をしばってしまう。交渉過程において主権者である国民が蚊帳の外というのは、大問題だ。
 A 労働組合や団体、個人からなるニュージーランドの「TPPウオッチ」は、「TPP交渉は、非民主的で偽善的なものである」とし、「今後何十年にもわたり国内法を縛り付けるものだ」と厳しく批判している。

 C つまり、将来、国民が選挙で選んだ政権がTPP協定とは違う政策を実現しようとしてもできない、ということになってしまうわけだ。

 B 秘密交渉については、ニュージーランドだけでなく、他の交渉参加国の市民からもブーイングが起きている。米国、オーストラリア、ペルーなどの国々の市民団体は、TPP交渉の透明性を高めることは最低限の課題だ、と求めている。
 C 秘密協議で、多国籍企業の利益が優先され、国民の利益が侵害されているとしたら大問題だからね。

 A 国際農民組織のビアカンぺシーナはさらに手厳しい。
「世界はまだ、食料とエネルギー、金融、環境の危機にさらされているが、これらの危機を引き起こした企業と資本家たちは、FTA(自由貿易協定)とTPPを推進することで、すでに満杯の財布に、もっと詰め込もうとしている」と鋭く批判している。


 C ビアカンぺシーナも、別に貿易を否定しているのではない。国際貿易においては、人権を尊重し、食糧主権を支持し、基本的な公共サービスを人々が利用できるようにしなければならない、といっている。

A 経団連の米倉弘昌会長と全国農業協同組合中央会(JA全中)の萬歳章(ばんざい・あきら)会長は9日、都内のホテルで会談した。この中で萬歳会長は残留農薬、遺伝子組み換え食品、検疫基準、労働者の入国基準、公的医療保険制度が守られるかなどの課題を提起し、国民の中に「不安がある」と強調した。

「不安」に応えず

 B これら国民の不安に何ら応えることなく、野田政権は、関係国との協議開始を宣言したわけだ。
 C JA全中は、「野田総理の姿勢は極めて遺憾であり、断じて納得できない」との抗議声明を発表した。これから、TPP反対へ国際的にも連帯して、いっそうたたかいを広げていかなければいけないね。




真珠湾攻撃が始まりでない / 「坂の上の雲」で描かれない歴史~戦争熱狂に抗した平民社~

2011-12-11 | 海外通信/外交/平和運動
 成り立たない「自存自衛」論
  アジア・太平洋戦争 開戦70年      しんぶん赤旗2011年12月より


「坂の上の雲」で描かれない歴史   大日方純夫

~戦争への熱狂に抗した平民社~


 NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の第3部「激闘完結」編の放映が始まりました。「旅順総攻撃」「二〇三高地」「敵艦見ゆ」「日本海海戦」の4回で、まさに戦争の再現です。しかし、このドラマからは消し去られてしまった事実があります。

戦争の禁絶を宣言

 ロシアと戦争せよという声が高まっていた1903年11月、次のように宣言して、ある週刊新聞が創刊されました。
一、われわれは人類の自由を完全にするために平民主義を維持する。出身の高下、財産の多寡、男女の差別を打破し、一切の圧制束縛を除去することを欲す。

一、われわれは人類が平等の権利をうけるために社会主義を主張する。生産、分配、交通の機関を社会の共有とし、その経営処理を社会全体のためにすることを要す。

一、われわれは人類が博愛の道を尽くすために平和主義を唱える。人類の区別、政体の異同を問わず、世界を挙げて軍備を撤去し、戦争を禁絶することを期す。

 社会主義者の幸徳秋水と堺利彦が創刊した「平民新聞」です。初版5000部はたちまち売り切れ、3000部を増刷したといいます。高まる開戦論に対して、彼らは新聞「万朝報」の紙上で非戦論を展開していましたが、同紙が開戦論に転換したため、退社して平民社をつくり、非戦の主張を続けたのです。

口ある限り絶叫す

 1904年にはいると、日本とロシアの間には、戦争の危機が迫りました。1月17日付「平民新聞」は、全紙面に戦争反対の記事を掲げ、「吾人は飽くまで戦争を否認す」と主張しました。戦争は道徳上の罪悪、政治上の害毒、経済上の損失であり、戦争によって社会の正義は破壊されるとして、戦争への熱狂からさめよと、「愛する同胞」に呼びかけました。

 しかし、こうした叫びも空しく、2月、日露は開戦しました。「平民新聞」は、平和を乱した責任は政府にあるが、戦争の災禍を負担するのはすべて平民だとして、今後も、口あり、筆あり、紙ある限り、われわれは戦争反対を絶叫すると、決意を表明しました。そして、われわれの仲間であるロシアの平民も、きっと同じ立場をとるに違いないとのべたのです。

 さらに、「自動機械」となって、人を殺すため、あるいは人に殺されるために戦場に行く兵士に、次のように呼びかけました。
 諸君の田は荒れ、老親は取り残され、妻子は飢えに泣く。諸君の生還は保障の限りではない。しかし、諸君は行かざるを得ない。行け。行って諸君の職分を尽くせ。だが、ロシアの兵士も人の子、人の夫、人の父であり、諸君と同じ人類である。どうか彼らに対して残虐な行いのないように。

 また、戦争に狂喜する人びとに対しても、戦争が何をもたらすのか、冷水を頭からかけてよく考えよと警告しました。戦争による膨大な公費は子孫を苦しめ、増税は国民を苦しめ、戦争は軍国主義の跋扈、軍備の拡張、投機の勃興、物価の騰貴、風俗の堕落をもたらす、というのです。

活動の歴史的意義

 3月、「平民新聞」は「予露国社会党書」(露国社会党に与うる書)を発表しました。
 諸君とわれわれは同志であり、断じて戦うべき理由はない。愛国主義と軍国主義は、諸君とわれわれの共通の敵だ。
 手紙はこう書いて、敵国ロシアの社会主義者に対して連帯を呼びかけました。

 この手紙は英訳されて世界各国の社会党に送られ、大きな反響を呼びました。ロシア社会民主労働党の新聞「イスクラ」は、これに答える一文を発表して、日本の同志の「一致連合の精神」を称えました。また、8月、オランダのアムステルダムで開催された第2回インターナショナルの第6回大会では、日本代表とロシア代表が壇上で握手をかわし、参加者はこれに拍手喝さいしました。
 
 平民社の活動に対する当局の妨害・圧迫は厳しく、「平民新聞」もしばしば処罰や発売禁止の対象となりました。しかし、戦争への熱狂の中で、敢然とこれに抗した平民社の活動の歴史的な意義は極めて大きいと言えます。国家を越えて人類を見つめ、戦争を越えて未来を見すえる。それは、なお私たちの課題であり続けています。それこそが、私たちにとっての「坂の上の雲」ではないでしょうか。

(おびなた・すみお 早稲田大教授)



12・8と東南アジア全面侵攻   根本敬

 ~真珠湾攻撃が始まりでない~



 大学生の多くは12月8日の真珠湾奇襲で「太平洋戦争」が始まったと思っている。多くの日本人もそうであろう。しかし、事実は違う。日本の海軍機動部隊による真珠湾奇襲の約65分前に、陸軍を中心とした部隊がマレー半島のコタバルに上陸し「アジア・太平洋戦争」は始まっている。これはこぼれ話的な細かい事実などではない。この戦争の特質を一番よく表している重要な史実なのである。それは二つの点で説明できる。

深くつながる作戦

 第一に、マレー半島への上陸のほうが真珠湾奇襲より先だったことは、この戦争が日本による東南アジアへの全面侵攻と占領を目的としたものだったことを象徴している。まずはイギリスの東南アジアにおける拠点シンガポールを陥落させることが軍事的に重視されたので、マレー半島に上陸し南下作戦を展開したのである。その際、大きな戦力を持つアメリカ太平洋艦隊が早々にやってきて日本軍の侵攻作戦を邪魔したら困るので、事前に鹿児島湾などで飛行士の訓練を十分に積んだうえで、オアフ島の真珠湾を奇襲したのである。この二つの作戦は相互に深くつながっており、どちらがより重要かといえば、作戦上(軍事上)は真珠湾奇襲かもしれないが、歴史上はコタバル上陸のほうだといわざるを得ない。

 第二に、アメリカへの宣戦布告が真珠湾奇襲に間に合わなかったことが「だまし討ち」だったとして議論されることがあるが、たとえ遅れてしまったとはいえ、宣戦布告をしようとした事実が存在する(「日米交渉打ち切り」というあいまいな表現を用いたが)。しかし、マレー半島上陸のほうは「何の断りもなく」行われ、あたかも「植民地だから勝手に侵略してもよい」と日本側が思っていたかのごとくである。ここには東南アジアに対する蔑視があったとはいえ、まさに戦争が「東南アジアへの侵略」だったことをよく表している。
 
 こうした事実からわかるように、この戦争を「太平洋戦争」と呼ぶのはきわめて一面的である。「太平洋戦争」と呼んでしまったら最後、「日米の戦争だった」という記憶が独り歩きし、その結果、アメリカの「物量に負けた」「レーダーに負けた」「合理主義に負けた」といった解釈だけが重要視されることになる。しかし、戦争は東南アジアへの全面侵略と占領が目的で行われたのだから、正確には「アジア・太平洋戦争」と呼ぶべきである。もちろんその際に中国での戦争も継続していたことを忘れてはならない。

民衆に負けた史実

 このことに気付くとき、私たちは12月8日を「真珠湾奇襲の日」としてだけでなく、「東南アジアへの全面侵攻開始の日」として正しく記憶することができよう。それによって、日本がアメリカの「物量」や「レーダー」や「合理主義」に負けただけでなく、東南アジアの民衆の日本軍に対する反感とナショナリズムにも負けたのだという史実を認識することができる。

最近、ビルマ(ミャンマー)の民主化進展が話題になっているが、同国で民主化運動を指導するアウン・サン・スー・チーは「ビルマ独立の父」アウン・サン(1915~47)の娘である。アウン・サンがビルマ国民に尊敬される理由は、彼が英国に象徴される帝国主義と戦い、かつ日本軍に象徴されるファシズムとも戦ったからである。娘のアウン・サン・スー・チーが生まれた1945年6月、父アウン・サンは日本軍に対する武装蜂起を指導していた。戦争はまさに「アジア・太平洋戦争」だったのである。

(ねもと・けい 上智大学教授)

共産党以外「バスに乗り遅れるな」~第二次大戦開戦時 全政党が大政翼賛会に合流 

2011-12-11 | 原発利益共同体 ・ 軍事体制
 成り立たない「自存自衛」論

アジア・太平洋戦争(第二次大戦)きょう開戦70年

 ~侵略戦争の歴史伝える努力を~
    しんぶん赤旗2011・12・8


8日は、1941年のこの日、日本陸軍が英領マレーに上陸し、海軍がハワイ真珠湾の米艦隊を奇襲攻撃してアジア・太平洋戦争が始まってから70年となります。
しかし、70年たった現在も、日本が行った侵略戦争と植民地支配を美化する政治家の発言や歴史教科書問題など、歴史を歪めようとする潮流が後を絶ちません。戦争体験者が少なくなる中、侵略戦争の真実を伝える努力が引き続き重要です。

成り立たない「自存自衛」論

 侵略戦争を美化する勢力は、アメリカがイギリス、中国、オランダとともに日本を経済的に圧迫(ABCD包囲網)し、強硬な要求を突きつけてきたために、日本は「自存自衛」のためにやむなく開戦したかのように描こうとしています。
 しかし、こうした主張は、日米の最大の対立点の一つが日本の中国侵略問題だったことをまったく無視するものです。
 1931年に中国東北部への侵略戦争(満州事変)を、37年に中国への全面侵略戦争を開始した日本は、中国の徹底抗戦に直面し、戦争終結を展望できない泥沼に陥りました。中国に権益を持つアメリカ、イギリスなどは日本の中国侵略に反発し、中国を支援しました。

 日本は40年、ナチス・ドイツが電撃戦でオランダ、フランスを占領し、イギリスへの空爆を開始したことに幻惑され、日独伊三国軍事同盟を締結。フランスがドイツに降伏したのに乗じて、ビルマから中国に通じる米英諸国の中国援助のルートの遮断と戦争継続のための重要資源を確保しようと、北部フランス領インドシナに侵攻しました。これは米英諸国との対立を決定的にしました。

 日本はさらに41年8月には南部フランス領インドシナに進駐しました。
 これに対し、アメリカは石油の対日輸出などを禁止し、中国からの日本軍の撤兵を要求しました。ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相は「太平洋憲章」で、第2次世界大戦後の世界が立脚すべき基本原則として、民族自決の原則とともに、いかなる国にも不当な領土の拡大を許さない立場を明らかにしていました。アメリカが日本軍の中国撤兵を求めたのも当然でした。

 しかし、日本は「米国の主張にそのまま服したら支那事変(日中戦争)の成果を壊滅するものだ。満州国をも危くする。さらに朝鮮統治も危くする」(東条英機陸相、後に首相)と撤兵を拒否しました。11月5日、昭和天皇が臨席した御前会議は、11月末までに対日経済封鎖の解除が実現できなければ12月初旬に開戦することを決定。アジア・太平洋戦争に突入していきました。

 このように、アジア・太平洋戦争は、中国侵略戦争の延長線上に発生した戦争でした。この二つの戦争を切り離して、日本がアメリカの不当な要求に対して「自存自衛」のために立ち上がったなどという見方は成り立ちません。
 アジア・太平洋戦争を含む足かけ15年の日本の侵略戦争によって、2000万人を超えるアジア諸国民と300万人を超える日本国民の命が奪われました。

 この痛苦の歴史は過去のことと済ますことはできません。野田佳彦首相が12,13日に計画していた訪中を延期したのは、13日が日本軍による虐殺事件=「南京事件」(1937年)の節目にあたるため、中国側が影響を配慮して再調整を申し入れたと報道されています。

 歴史の過ちを繰り返さず、アジア諸国民との真の友好を築くためにも、歴史をゆがめる侵略戦争美化論を許さないことが必要です。


共産党以外「バスに乗り遅れるな」
 
 ~全政党が大政翼賛会に合流~
  

 (TPPのことじゃありませんよ。こんな、使い古された扇動文句だったとは。感嘆にゃ


 アジア・太平洋戦争を推し進める国内体制を支えたのが、日本共産党以外の全政党が合流した大政翼賛会(たいせいよくさんかい)でした。

 今日、民主、自民、公明の3党が、アメリカ・財界の要求を忠実に実行するために事実上の「オール与党」体制をつくっていることは、「太平洋戦争直前に、日本共産党以外のすべての政党が解散して、戦争推進の大政翼賛会に合流していった歴史を想起させるもの」(第4回中央委員会総会への志位和夫委員長の報告)です。環太平洋連携協定(TPP)参加を求める勢力が使う「バスに乗り遅れるな」というスローガンもそのころ盛んに使われたものです。

 当時、日本共産党は、天皇制政府の厳しい弾圧によって全国的な活動は困難となり、機関紙「赤旗」(せっき)も停刊を余儀なくされていました。しかし、治安維持法で逮捕された党員は獄中でも戦時下の法廷でも、天皇専制と侵略戦争に反対して不屈にたたかいました。

 一方、1940年、ドイツがヨーロッパを席巻すると、日本の政界には、ドイツと手を結んで侵略戦争のための国内体制の強化を進める「新体制運動」が始まりました。日本共産党以外の全政党は「バスに乗り遅れるな」を合言葉に自ら解党してこの運動に合流しました。こうして発足したのが大政翼賛会でした(大政翼賛とは天皇の政治を補佐する意味)。

 大政翼賛会は、産業報国会、大日本婦人会、部落会、町内会、隣組を指導下に入れ、国民の一切の民主的自由を奪い、侵略戦争への犠牲を強要する国民統制と動員の機関としての役割を果たしました。

1931年 日本軍が中国東北部の柳条湖で鉄道を爆破。軍事行動で「満州」制圧。
  32年 日本がかいらい国家「満州国」を建国。
  33年 日本が国際連盟を脱退。
  37年 北京近郊の盧溝橋で日中両軍衝突。全面戦争へ。
  39年 ドイツ軍がポーランド侵攻、第2次世界大戦始まる。
  40年 9月 日本軍が北部仏印に侵入。
      9月 日独伊三国同盟締結。
      10月 大政翼賛会発足。
  41年 7月 日本軍が南部仏印に侵入。
      11月 御前会議で12月初旬の対米英開戦を決定。
      12月 日本軍がマレー半島上陸、ハワイ真珠湾を奇襲攻撃、アジア・
          太平洋戦争に突入。
  45年    天皇制政府、ポツダム宣言を受諾して連合国に降伏。

開票日から‘独裁者‘ / 「橋下氏と対決、共産党だけ」’時事放談’で野中広務元幹事長

2011-12-11 | 橋下維新の会 ・地方政治 / 共産叩かれ記
“ 橋下氏と対決、共産党だけ ”

 「体はって選挙やろうなんて気迫はまったくない」


 4日、放映されたTBS番組「時事放談」で、自民党の野中広務元幹事長が大阪ダブル選での自民党や民主党の選挙姿勢を、こう嘆く一幕がありました。

 番組で野中氏は、両党のこんな姿勢を「政党が支持をしながら、政党の人が選挙事務所におらないんですよ」と大嘆き。「(大阪に)応援に行ってね。本当に選挙事務所に政党の人が府議会議員も市議会議員も、そして国会議員はもちろんおらない」「今度、ビラまいてやっとったのは共産党ぐらいで、他そういうことで動いている団体というのは私、見たことがない」と訴えました。
 結局、橋下氏の独裁と正面から対決しているのが共産党しかない―。野中氏の目には、そう映ったようです。


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 橋下氏 開票日から ‘‘独裁者‘‘    しんぶん赤旗より

 「教育基本条例案」
 「職員基本条例案」

十分議論せず、公報にも書かず
 当選したら「民意」だと押し付け


大阪市

 「職員基本条例案、教育基本条例案に府庁総務部、教育委員会は猛抵抗してきた。有権者の判断を行政組織はしっかり受け止めなければならない」。
当確の報をうけたあと、マイクを向けられた橋下氏はこう述べ、さらに
「反対論を出し尽くした上で有権者が出した結論は重い」と重ねました。


 橋下氏の弁によれば、「反対論が出ることは承知の上で条例案を出した。府総務部、教育委員会には反論の場を与えた。それを受けての有権者の判断だ」。

 「反対論を出し尽くした」といっても府総務部、教育委員会と「維新の会」府議団の意見交換は1回だけ。橋下氏は2条例案について「選挙公報」には書かず、「維新の会」のビラではわずか数行です。 「教育基本条例案」に盛り込まれている3年連続定員割れの府立高校の廃校や学力テスト結果の学校別公表など具体的な中身はいっさい触れていません。府議会での実質的議論もこれからです。「反対論を出し尽くした」などとは到底言えません。

 にもかかわらず橋下氏は、大阪市議会で否決された2条例案を今度は市長提案で出すとし、「民意を無視する職員は市役所を去ってもらう」と絶対服従を強いようとしています。「職員基本条例案」は、市民のために仕事をしようとする職員は職務命令違反や最低評価にし、クビにできるというもの。市職員を市民「全体の奉仕者」から「1人の奉仕者」にしようとする憲法違反の横暴です。

 
 橋下氏の得票は75万票で、マスコミは橋下氏の「圧勝」と報じましたが、得票率は6割、有権者の4割以下です。平松邦夫候補には52万人余が投票しています。「選挙で勝ったからすべて従え」というのは乱暴な言い分です。
 「民意は二つあったと言える」という立命館大学の村上弘教授は、橋下氏の「大阪都構想」についても「十分説明していない」とし、「これでは民意の支持を得られたとは言えない」と指摘しています(11月29日付「東京」)。

 大阪商工会議所会頭の佐藤茂雄(しげたか)氏は2条例案について、「とくに詳しくはないが、教育は一番大切だ」とし、「厳しい経営をしてきた者としては、重ねて兼聴(多くの人の意見を聞くこと)の精神の尊さを言いたい」と語っています(11月29日付「毎日」)。

 橋下氏はまた同夜の会見で、 「補助金を徹底的に見直す」「無駄か無駄じゃないか、判断の決定権を民意で我々が得た。市長である僕と知事である松井(一郎)さんに期待がある。府庁でやったやり方をそのままやる」と述べ、独裁政治宣言をしています。橋下氏が府庁でやってきたのは、文化、福祉、医療、教育、中小企業、商店街などの府民向け施策の切り捨てです。
 橋下氏は「話し合いをしても解決ができないということであればもう一度民意を問うこともある」と市議会リコールもちらつかせます。

 同志社大学の真山達志政策学部長が次のように語っています。

 「何かを話し合って決めていくという環境が大阪からなくなるのは非常に恐ろしい。いろいろな組織や団体、政党が少しでも声を上げて暴走しないようにチェックすべきだ」(11月29日付「東京」)。

撤回求め7日集会

 「反独裁」でかつてない府民の共同が広がった今回の大阪ダブル選。7日には2条例案の撤回を求める府民共同の集会(中ノ島公会堂)が開かれます。独裁を許さないたたかいが新たなスタートを切っています。