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「母」 三浦綾子

2010-10-27 | 読書記録・お勉強
  

作中引用~~~~~~~

「母さん、おれはね、みんなが公平に、仲よく暮らせる世の中を夢見て働いているんだ。 小説ば書いてるんだ。 ストライキの手伝いしてるんだ。
 恥ずかしいことは何一つしてないからね。 結婚するまでは、タミちゃんにだって決して手ば出さんし・・・ だから、おれのすることを信じてくれ」

 そう言ってね、わだしが、

「多喜二のすること信用しないで、誰のこと信用するべ」 

って言ったら、うれしそうに笑っていた。~~~~~~~


子供の頃、三浦綾子の、キリスト教信仰を基盤に人間の心理を真摯・謙虚に捕え、それを易しく表現する精神に、結構な影響を受けていましたが、彼女の小説を随分長い間読み返さずにきていました。

最近、共産党に入党し、小説を書き続けたために1933年、特高警察に拷問死させられた、小林多喜二の母セキさんが多喜二を語るという形式の小説「母」を読み、また三浦作品、彼女の精神の魅力を再認識しています。


解説より~~~~~~~

 多喜二の優しさは、バイオリンを勉強したいと願っていた弟、三吾のために、小樽の拓殖銀行に勤めて初めて貰った給料をはたいて買い与えたり、
 また家庭を救うために身を売らねばならなかったタミを、当時の教員の初任給が四十円から四十五円といわれた大正十四年に五百円の金を工面して(ボーナスと友達からの借金で)身請けし、(結婚はせず、)自由な身にしたことなどに表れている。
 
 (中略)

 多喜二は、資本家の社会的不正と戦うために作品を書き、共産党員として活動するが故に、銀行はクビになり、投獄もされ、最後には築地の警察署で特高に虐殺された。

 セキは語る。

「多喜二の遺体はひどいもんだった。 首や手首には、ロープで思いっきり縛りつけた跡がある。
 ズボンを誰かが脱がせた時は、みんな一斉に悲鳴を上げて、ものも言えんかった。
 下っ腹から両膝まで、墨と赤インクでも混ぜて塗ったかと思うほどの恐ろしい色で、いつもの多喜二の足の二倍にもふくらんでいた」

「わだしはねえ、なんぼしてもわからんことがあった。 多喜二がどれほど極悪人だからと言って、捕えていきなり竹刀で殴ったり、ももばめったやたらに刺し通して、殺していいもんなんだべか。
 警察は裁判にもかけないで、いきなり殺してもいいもんなんだべか」

 それは民主主義を完全に否定し、人権を無視した者への重い告発の言葉である。
 
 そこに私は、著者三浦氏の、多喜二を虐殺したような人権弾圧と思想統制によって、国民を戦争の道へと駆り立てた、権力者への怒りと批判の目を感ずるのである。

 三浦氏は、『銃口』において、多喜二が亡くなってから数年後に起こった、特高警察による「北海道綴方 教育連盟」の良心的な教師たちへの弾圧を取り上げて書いているが、
 その『銃口』の中でも多喜二の拷問による死についてふれている。 ~~~~~~~~

         

 
「母」は、多喜二の、社会悪との戦いのため書いたプロレタリア文学に比べ、数段読みやすく、多喜二の信念、人間愛、今の時代とオーバーラップするような権力構造社会の認識、最後には、財閥・軍閥政治~そこからくる戦争にも反対し続けた、某・革新政党へのイメージ、までが易しく(優しく)胸に迫ってくるものになっていると思います。

 そして単純に恋人との数々のエピソードだけでも、2人のあまりのいじらしさに胸を打たれます。
 吾輩の中でいちばんの英雄、男の中の男です。


 今年の参議院選挙の結果を受けても、ここ2~3年の「蟹工船ブーム」はナンだったんだろう・・・社会への不安・失望を抱えながらも目を向けるべき方向をまた見失うのか・・と思うこの頃、「蟹工船」よりはむしろ「母」が広まればいいんじゃないかなぁと思っています。
 
・・・ですが、坂本竜馬のように、多喜二の人物そのものをメディアで大々的に取り上げて貰える訳はありません。。 (ので、書籍宣伝員ひっそり募集ちゅう。)



  

 15年ぶりくらいに、『氷点』『塩狩峠』・・なども読んでみました。
 最初に読んだのは小学生だったもんで、懐かしさとともにあのときの衝撃を思い出すか・・という期待に対して、衝撃が薄すぎる結果に少しびっくりしてしまいましたが・・。
 
 ・・が、これらもキリスト教に縁のない人(吾輩もですが)には新鮮な、中身ある内容ですし、『母』は泣きました。
 多喜二の小説についてはまだ無知ですが、略歴と『母』中での人間性に触れるだけでも十分胸いっぱいにゃ。