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生きたまま人体実験して殺した731部隊が免罪され、厚生省や医学界の頂点に収まった・・

2013-11-17 | 海外通信/外交/平和運動
 http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1766653.html

 ↑ 三千人以上を生きたまま人体実験して殺した731部隊が免罪され、厚生省や医学界の頂点に収まった・・↑


 


 その昔、1980年代ごろ、731部隊の詳細を小説にした森村誠一さん著の「悪魔の飽食」が新聞「赤旗」に連載されたそうで、森村さん大変な勇気がおありですね。

   ↑リンク記事 エグい画像があるわけではなく記事のみですが、閲覧注意。R15(?)





編集後記

 今日のサンデーモーニング、ちらっと見ただけですが、「この頃の小泉さん(元総理)と意見が一致していることに複雑な思いなんですが・・・」と仰ってる反原発サイドの方がいました。我輩も同感ですが、たとえ過去原発推進であり、格差を広げたりと、何をやらかした人物であっても、どんな思惑で言っているにしても、事実言うべきコトを言っていることについては、素直にありがたく思います。

「君が代」強制 進んで口元監視した橋下友人校長を「教育委員に」提案(維新の会) /チャベス大統領死去

2013-03-11 | 海外通信/外交/平和運動
2013年3月7日(木)

「君が代」口元監視した校長を
  松井知事が 教育委員に提案


大阪

 松井一郎大阪府知事は6日、「君が代」起立斉唱で 教職員の口元チェックまでした 府立和泉高校の中原徹校長(42)を教育委員に選任する案を府議会に提出しました。 可決されれば教育委員会議で教育長に任命される見通しです。

 中原氏は、橋下徹大阪市長と大学時代からの友人で、弁護士も同期。府の校長公募に応募し2010年4月、39歳で校長に就任。
憲法違反の「君が代」起立強制条例制定後の昨年3月の卒業式で、教職員が歌っているかどうかを監視し、口元をチェック
 結果をメールで報告し、橋下市長は「職務命令を忠実に守った」「すばらしいマネジメント」と絶賛しました。

 橋下・「維新」の教育「改革」に賛同し、和泉高校では「平和と国防を考える」との特別授業を実施。
侵略戦争を美化する歴史認識も教える必要があるという橋下市長の主張と通じるものです


 中原氏の校長就任をめぐっては、橋下知事(当時)特別秘書が、中原氏が校長に応募するかもしれないと府教委に事前に伝えたと報じられ、校長採用の年齢をそれまでの49歳から35歳へ大幅に引き下げています。

 日本共産党の宮原威府議団長は
「民間人校長としての中原氏の就任のいきさつには疑問が持たれていた」と指摘。
個人の内心の自由をじゅうりんすることをやってきた人物。いろんな価値観があっていい教育行政をつかさどる人に、特定の強権的な考え方をもつ人物を教育長にするのはまったく不適切だ」と批判しています。




2013年3月7日(木)

チャベス大統領死去
変革は銃でなく投票で
自主的な地域統合に貢献


 5日に死去したベネズエラのチャベス大統領は、軍事政権の弾圧や武装闘争の影響の強かった中南米地域において、政治変革を「銃弾ではなく投票箱を通じて」実現する流れを定着させ、米国いいなりを拒否した自主的な地域統合の推進に貢献した点で特筆される政治家でした。

 ベネズエラは1958年以来続いた二大政党による支配のもとで、豊富な石油収入が一部の富裕層やそれに連なる政治勢力に握られ、国民の大多数が貧困に苦しんでいました。こうした古い支配体制の腐敗を厳しく批判し、貧困層の救済を唱えて98年の大統領選で初当選を果たしたのがチャベス氏でした。

 翌年発足したチャベス政権は、新憲法を制定し、国民生活向上のための改革に着手しました。国民投票や各種選挙を連続的に実施し、改革の是非を国民に問いながら変革を進める姿勢を貫いてきました。 政権発足以来、昨年の大統領選まで少なくとも12回の投票・選挙を実施、そのうち11回で勝利し、国民の支持を確認してきました。


 2002年に既得権の侵害を脅威と見なした大土地所有者や財界と軍の一部が結託したクーデター事件が発生。チャベス大統領は一時拘束されたものの、民主主義を守れと立ち上がった広範な国民の抗議行動を背景に職務に復帰を果たしました。

 国営石油公社の一部幹部による特権的な支配を改変し、石油収入の多くを国庫に入れることに成功した後は、無料の診療所設置や識字運動、奨学金支給による就学率の向上などの社会開発計画を次々具体化しました。

 外交面では特に南米諸国連合(UNASUR)など、中南米の自主的な統合で積極的なイニシアチブを発揮。11年の中南米カリブ海諸国共同体(CELAC)創設では首脳会議の議長を務めました。

 近年では、政権与党幹部に関わる汚職や政策推進上の不効率さ、凶悪犯罪の横行などの問題も抱えていました。

 中南米では、ベネズエラの変革に続いて、ブラジル、アルゼンチン、ボリビアなど新自由主義からの脱却と対米自立を主張する勢力が大統領選で勝利を収めていきました。投票を通じた変革を重視するというチャベス政権の姿勢が、各国の変革に少なからぬ影響を与えたことはまちがいありません。 (菅原啓)


2013年3月7日(木)

チャベス大統領死去
ベネズエラ 30日以内に大統領選


 南米ベネズエラのウゴ・チャベス大統領が5日、首都カラカスの軍病院で死去しました。同日夕(日本時間6日朝)、マドゥロ副大統領がテレビ演説で明らかにしました。58歳でした。30日以内に大統領選挙が実施されます。

 チャベス氏は2011年6月にみずからのがんを告白し、手術、再発を繰り返してきました。12年10月の大統領選で4選を果たした後、キューバでがんの手術を受け、13年1月に予定されていた大統領就任宣誓式も延期したままでした。

 新たに実施される大統領選挙では、与党統一社会主義党からマドゥロ副大統領が立候補の見込み。野党も統一候補の調整を進めています。

 国葬は8日に行われる予定です。

志位委員長が弔意

 日本共産党の志位和夫委員長は6日、駐日ベネズエラ大使館をつうじ、以下の弔意を伝えました。

 ウゴ・チャベス大統領の死去の知らせを大きな驚きと悲しみを持って受け取りました。ご遺族と国民のみなさんに心から哀悼の意を表します。

 私たちは、チャベス氏が、1998年の大統領選挙で当選して以来、選挙や国民投票を通じて常に国民の信を問いながら変革の道を進めてきたやり方に、共感をもって注目してきました。与党・ベネズエラ統一社会主義党の大会にも、わが党の代表を派遣しました。

 ベネズエラに続いて各国で生まれた変革の波は、いまや中南米全体をおおっています。チャベス氏の念願だった自主的な地域共同体づくりは、域内全33カ国が加盟する中南米カリブ海諸国共同体(CELAC)として具体化が大きく進んでいます。

 重ねて哀悼を表明しつつ、チャベス氏がめざした国民を主人公とする自主的な国づくりがいっそう前進することを願っています。



 (以上、しんぶん赤旗3月7日(木)より)

♪なまり歌 タッチ主題歌 山形弁で【カバー】/ ベトナム「共産党の指導」維持 憲法改定案を公表

2013-01-04 | 海外通信/外交/平和運動
【民謡日本一】タッチ 主題歌 山形弁て?【カバー】


 元旦夜のテレビ見てってよ。

 「おしん」ば見よっとにゃ、おんなじ山形弁だっぺ。←てきとう御免


    ☆  ☆  ☆


 ベトナム 憲法改定案を公表

 「共産党の指導」維持。


 
 ベトナムの憲法改定案が2日、国民からの意見を募集(3月31日まで)するために公開されました。
 1992年に公布された現行憲法を全面改訂するもの。

 共産党を「国家・社会の指導的勢力」とする規定(4条)は維持されています。


 改定案によると、1条の「独立・主権・統一国家」に「民主」を追加したほか、2条の「人民の人民による人民のための国家」に「社会主義法治」を付け加えました。

 このほか人権に関する規定を大幅に拡充。
経済については「ベトナム経済は様々な所有形態と経済セクターから成る社会主義志向の市場経済」だとしています。


 経済の弱点 解決が遅い

  ズン首相

 ベトナムのグエン・タン・ズン首相は1日に発表した新年メッセージで、「経済構造と成長モデルの弱点を解決する速度が遅い」として、「マクロ経済は安定しておらず、インフレ率の再上昇もあり得る」と警告しました。

 2012年のインフレ率は6・81%」(11年18・13%)と、大幅に改善した一方で、国内総生産(GDP)成長率は5・03%で1999年以来の低水準にとどまりました。

 ズン氏はインフレ率をさらに下げ、成長率を上げることが今年の目標だと指摘。さらに15年までを目標とする経済再編で「国営企業の改革は特別な役割を持つ」として、「社会主義志向の市場経済制度の改善に貢献する」と強調しました。

 南シナ海問題には直接言及しなかったものの、「われわれは絶えず国の主権と領土的統一への侵害に対処しなければならない」と呼びかけました。


 ハノイ=面川誠

(しんぶん赤旗2013年1月4日(金)国際面より)


 
 貧乏人を蹴落とす「アベノミクス」とかいうインフレ計画とは逆のようですにゃ!

  「共産党」といっても、中国共産党ばかりではないようですにゃ! キューバ共産党とかにゃ。

   日本人よりかは誰をトップに置くかをちゃんと考えてる人種もいそうにゃ!


ナショナリズムは「アホの壁」他 日本共産党 参議院議員 大門実紀史ブログより

2012-12-30 | 海外通信/外交/平和運動
日本共産党参議院議員 大門実紀史ブログ・乱読のすすめ 70- ナショナリズムは「アホの壁」他


大門みきし ブログ  「忙 中 遊 あり」 ぼうちゅう、ゆうあり
2012年9月1日土曜日

「それでも日本人か」

「ネットと愛国」安田浩一(講談社)

 野田総理問責決議案が可決された8月29日の参議院本会議。
問責決議に先立って、竹島・尖閣 「上陸非難」2決議が、民主、自民、公明、みんな、生活などの賛成多数で議決。日本共産党は反対しました。

わが党は、尖閣諸島は「日本の領有権は歴史的にも国際法上も明りょう」という立場。竹島についても、「日本の領有の正当性には根拠がある」という見解をすでに1977年に発表しています。ただ、竹島問題を解決するうえで、過去の植民地支配の根本的な清算を日本側がしっかり行うことが大事だと考えています。

領土問題は、歴史的事実と国際法上の道理にのっとり、冷静な外交交渉によって解決をはかるべきであり、感情的な対応をエスカレートさせることは双方が自制すべきという立場から、今回の「決議」には反対しました。

ところが、その本会議場で、自民党議員の一人が、わが党の席にむかって、「それでも日本人か、(反対なら)韓国へ行け」というヤジ、暴言をとばしました。ふだんはとても大人しい中堅議員です。私がにらみ返すと、下を向いてしまいました。


 そのとき、しばらく前に読んだ、フリージャーナリスト・安田浩一さんの本、「ネットと愛国」(講談社)を思いだしました。
 この本では、反在日、反中国などをかかげ、過激な行動をくりかえす日本の「市民団体」のすがたがリアルに描かれています。
かれらが、人種差別まるだしの街頭演説などを行っているときに、聞くに耐えかねて抗議する人がいれば、その周りを取り囲んで、「おまえはそれでも日本人か、朝鮮人だろ、朝鮮へ帰れ」と口汚く罵倒するのです。

安田さんによれば、行動に参加する若者の一人ひとりは、普段は大人しい、どこにでもいる「フツ―」の青年たちだとのこと。そういう青年たちが、かんたんに人にレッテルを貼り、攻撃の対象にしていく。ヤジをとばした自民党議員のなかにも同じものを感じて、ぞっとしました。

幸徳秋水
(1871-1911年)

 ところで、大逆事件(1910年)で死刑にされた幸徳秋水は、愛国心についてつぎのようにのべています。

「わたくしは、いわゆる愛国心が、純粋な同情・惻隠の心でないことをかなしむ。なんとなれば愛国心が愛するところは、自分の国土にかぎられているからである。自己の国民にかぎられているからである。他国を愛さないで、ただ自国を愛する者は、他人を愛さずして、ただ自己の一身を愛するものである。うわついた名誉を愛するのである。利益の独占を愛するのである。公正といえるであろうか。私ではない、といえるだろうか」(『廿世紀之怪物帝国主義』神埼清訳)

国を愛さない人はいない。しかし、ほんとうに国を愛するとはどういうことなのか、ふたたび真剣に考えなければならない時代にきています。 


大門みきし ブログ  「忙 中 遊 あり」 ぼうちゅう、ゆうあり
2012年10月31日水曜日

乱読のすすめ70-ナショナリズムは「アホの壁」

 先日、盛岡から東京まで約3時間の新幹線車内で読んだのが、石原慎太郎『新・堕落論』と筒井康隆『アホの壁』(どちらも新潮新書)の2冊でした。

案の定、石原さんの本は、ナショナリズムの化石。最初から最後まで、開いた口がふさがりませんでした。

いっぽう、かつて作家の田辺聖子さんから愛情をこめて「いちびり」と評された小説家・筒井康隆さんの本は笑いがとまらない。筒井さんにかかると、ナショナリズムは「アホの壁」だそうです。



まず、『新・堕落論』。
石原さんがこの本でいいたいのは、ようするに、日本人は戦後、アメリカから与えられた「あてがい扶持(ぶち)の平和(憲法9条)」に毒され、物欲、金銭欲など我欲に走り、衰退堕落した。
この我欲の泥沼から這い出すためには、子どもに国を思え、父母を思えと刷り込み、若者に組織の中での労役を義務化し鍛える。核保有をすすめ、中国などに武力対抗し、財政再建のための税制改革をすすめれば、国民を啓発し、我欲の抑制淘汰につながる、ということのようです。

 しかし、個人的な興味にもとづく「豪華海外視察」に夫人同伴で多額の都民の血税を使っていた石原さんに、我欲が過ぎると人さまを叱る資格などあるのでしょうか。
看過できないのは、東日本大震災が我欲に狂った日本人に下された「天罰」だという部分。

石原さんは、昨年の3・11の直後、東日本大震災を「天罰」だとのべました。しかし批判が一気に高まると、すぐに「被災者、都民、国民の皆様を深く傷つけた」と謝罪し、発言を撤回しました。

ところが、本書のなかで、また同じような主張を繰り返しています。
「…しかし戦後から世界では未曽有の長い平和がこの国にだけは続いた結果、人々の物欲への執着はとどまることがなく…ここまで堕ちた民族が大きな罰を受けない訳はないと思います。今回の東日本の大災害も、そう受けとめるべきでしょう」(42~43頁「タンタロスの悲劇」)。

親・兄弟や子供を失った被災地の人々を目の前にして、同じことばをいえるのか。他者の痛みなど関係なく、自論の展開だけに執着する驕りと無神経さ。人に美徳を説くのは筋違いではないか。
自分のことを『棚上げ』にして、よくここまで好き勝手にいえるものだ、とおもいました。

2011年3月15日 謝罪会見



 気をとり直しつつ、筒井さんの『アホの壁』をよんでいると、「ナショナリズムはアホの壁」というおもしろい一節がありました。

「戦争を好む性癖を持つ人はたいへん多い。ここではまず、なぜ自分の戦争好きを殊更に隠そうとしない人が多いのかを考えてみたい。
…子供にとっては喧嘩と破壊は日常であり、子供の社会は戦争だと言ってもよい。…玩具を奪い合ったり、お互いに引っ掻いたり噛みついたり…。破壊にしてもそうだ。玩具を壊し、人形の手をもぎとり…。
これら破壊の衝動から発する行為はいったん抑制されるが、アホはこの衝動をしばしば噴出させ、喧嘩をする。通常の子供たちはこの衝動を戦争ごっこに向けたり、スポーツに向けたりする。戦争と戦争ごっことスポーツの心理をはっきり区別することは非常に難しい」

「ところで人間は自己保存や種の保存の本能と同時に、同種既存の遺伝子も持っている。…会社に入るとその会社を愛するようになり、日本に生まれると日本にたいする愛国心が生まれるのである。これが同種既存の本能である。
…しかしこれらの本能には弱点があるらしいのだ。過剰反応を起こしやすいという弱点である」

「…こう考えてみると、同種既存の過剰反応によってアホの壁を乗り越えたら戦争、乗り越えずに良識の範囲内で競うのがスポーツ、ということになりそうだ。
戦争が好きという人は、ナショナリズムによる戦争までをスポーツの一種とみなし、わしには愛国心があるからという自己正当化によって、アホの壁を乗り越えたアホなのであろう」。
(大門みきしブログ「忙 中 遊 あり」より転載)。

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国際社会で日本がやるべきこと 平和憲法とILOの関係を考える 日本国憲法・前文

2012-12-07 | 海外通信/外交/平和運動
憲法とILOの関係を考える

―国際社会で日本がやるべきこと
   
高木 光(労働ジャーナリスト)

 ILO(国際労働機関)というと、労働争議をやっている人はともかく、一般の労働者にはいまひとつ、なじみが薄い存在です。でも、日本国憲法を持つ日本人にとっては、軽視できない組織なのです。それは、戦争の惨禍をふまえて、国際社会とどう向き合っていくかという点で共通項があるためです。

 労働運動の世界でILOといえば、今ならJAL(日本航空)の不当解雇について訴えたり、公務員労働者の労働基本権で何度も日本政府に「勧告」を出しているところとして知られています。

 古くは、国鉄労働組合(国労)などが分割民営化にともなう不当解雇を申し立てた歴史があります。
 でも、フツーの組合員はILOという名前は知っていても、何をしているところかまではあまり理解しているとはいえません。

世界平和の実現のためには

 ILOは、第1次世界大戦が終わった1919年に誕生しました。戦争の惨禍を繰り返さないために必要とされたのです。

 「世界の永続する平和は、社会正義を基礎としてのみ確立することができる」

 これは、ILO憲章の冒頭に掲げられている文章です。いまでいうなら、格差と貧困、不正がはびこる世の中は戦争の温床になるということです。


 その精神は、ILOのフィラデルフィア宣言にもうたわれています。「一部の貧困は全体の繁栄にとって危機である」との指摘です。自分さえよければいい、自分の国さえ平和ならいいという考えでは、世界の平和は実現できないと警告しているのだと思います。

 ILOは、労働に関わる国際条約をつくり、それを各国で具体化することを求めています。ちゃんと条約が適用されているかをチェックするのも大事な任務。各国の使用者や政府、裁判所などが条約内容に反する行いをしているなら、労働者や労働組合がILOに提訴し、その是正を求めることができる仕組みです。

 もちろん、ILOには裁判所のような強い権限があるわけではありません。条約違反に対しては、ねばり強く働きかけていくのが基本的なスタンスです。

日本国憲法とILOの共通点

 今年の10月、日本でILO関係者が国際シンポジウムを開きました。そのなかで、条約勧告適用専門家委員会の横田洋三委員長が発言し、日本国憲法の前文を引用しながら、「この精神で日本はILO活動を進めてほしい」と訴えました。
 
 「われらは、平和を維持し、専制と隷従(れいじゅう)、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」

 「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」

というのが、前文のエッセンスです。

 国際社会で貧困と格差を是正し、社会正義を実現することが、世界の平和に寄与するのだという理念が盛り込まれています。
 憲法前文は、ILO設立の精神とそっくりだといえます。

世界の圧倒的多数のなかで日本は

 しかし、日本は憲法前文の精神を生かした活動ができているでしょうか。
 ILO条約の批准率は3分の1にも達しません。特に重要な8条約のうち、2条約(強制労働と差別待遇を禁ずるもの)を批准していないのです。とても世界のモデルになれる状況ではありません。

 経団連から選出されているILO理事はこの点について、「未批准条約を早期に批准するべきと思っていない」と断言。批准するための国内法整備などを慎重に行う必要があると述べています。世界の圧倒的多数の国が8条約を批准しているにもかかわらず、いまだにこんな言い訳をしているのは恥ずかしいかぎりです。

本物のグローバル化へ

 経団連も日本政府も、よく「グローバル化に対応しなければ日本は国際社会で生き残れない」などと主張しています
 でも、憲法やILOが求めているグローバル化への対応については、極めて後ろ向きな姿勢を取り続けています。
企業本位のグローバル化対応しか頭にないのでしょう。貧困と格差の是正を通じた世界平和の実現へ、いまこそ本物のグローバル化対応が求められます。
【学習の友2012-no:712-12】(高木光・労働ジャーナリスト)


日本国憲法 前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。
 われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理念を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して、他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


日本共産党は、徹底した平和主義をかかげる9条、国民の生存権と文化的生活を明記した25条をはじめ、憲法の全条項を厳格に守り実践することこそ、豊かな国民生活を保障する切り札であり、真に国民本位の政治を実現する道だと確信しており、広範な人々との共同を通じて、憲法を擁護しその条項の徹底のために全力をあげます。

日本共産党ホームページ
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官邸前大占拠 原発反対・即廃炉10・26youtube動画日本共産党jcpムービー途切れぬ行動 

2012-11-20 | 海外通信/外交/平和運動
10・26途切れぬ行動 元気もらった



jcpmovie さんが 2012/10/31 に公開
「官邸前行動で、笠井、山下議員がスピーチ」


 吾輩は11・11大占拠のときにちょっと行ってきました。

 ここに映るお一人に見覚えが。11・11に隣にいらした方でした。

安保が分かれば、世界が見える ⑦最終回 日米安保は廃棄できないのか?―即時廃棄できる。

2012-11-19 | 海外通信/外交/平和運動
 
安保が分かれば、世界が見える

私たちはどんな未来を
(下)  山里理一

 前回までの連載で、戦後日本社会の発展をゆがめてきた日米安全保障条約・日米軍事同盟について、様々に学んでこられたことと思います。

 今回は、①喫緊の課題である「脱原発」「原発ゼロ」を求める運動と日米安保条約との問題、
②憲法を活かした日本社会づくりの問題、 と取り上げ、日米安保条約を廃棄することで何が展望できるのか述べたいと思います。

1 日米安保条約はすぐに廃棄できます。

 日米安全保障条約第10条は、「条約が10年間効力を存続した後」、すなわち1970年以降は、日米のいずれからも「条約を終了させる意思を通告することができ」るとしています。そして、安保条約の廃棄の意思を相手国に通告しさえすれば、「通告が行われた後1年で終了」する、つまり自動的に終了することになります。

 日米安保条約を廃棄するために、日本政府がアメリカ政府とあらためて外交交渉を行う必要は全くないのです。
 日米安保条約を廃棄することを公約に掲げる政権が成立し、アメリカに通告すれば、安保条約はすぐに廃棄できるのです。
 日米安保条約の廃棄を求める国民的多数派を形成する運動、そして、安保条約を廃棄する政権・民主連合政権樹立への運動が、私たちには求められているのです。

2 日米安保条約を廃棄してこそ「脱原発」「即廃炉」への道が開けます。

 東京電力福島第一原発の苛酷事故を受けて、いま、日本国民の多数が放射能汚染に脅かされる生活のない日本社会、「脱原発」「原発ゼロ」の日本社会を求めはじめています。
 いまや「脱原発」「原発ゼロ」は国民世論となり、政府ですら認めざるを得なくなっています。政府のパブリックコメントにおいても、「即時ゼロ」が8割を占めています。

 しかし、民主党政権・野田佳彦首相は、9月7日に「2030年代に原発ゼロ」という目標を掲げはしましたが、これは目標があいまいなうえ、即時の原発撤退を求める世論に逆行するものです。

 こうした民主党・野田政権の動向の背景には、財界からの「脱原発」に反対する圧力があります。さらに
 アメリカからの「脱原発」への反対圧力について、例えば、次のような報道があります。

『民主党の前原誠司政調会長と(9月)11日に会談した米エネルギー省のポネマン副長官は「2030年代に原発ゼロを目指す」との民主党の提言について、「このような措置を実際に取れば、意図せざる影響もありうる」と、恫喝を加えました。

同氏は「エネルギー問題は日本が決めることだ」としつつも、「原発ゼロを目指すことを決めた場合の負の影響をなるべく最小化してほしい」と要請。同戦略の推進にあたっては、「柔軟性」を残すよう求め、日米間でさらに意見交換していきたいとの考えを示しました。

 8月に第3次アーミテージ・レポートを発表し、商業用原子炉での日米協力の推進を強調した米戦略国際問題研究所のジョン・ハムレ所長は(9月)12日、日本経済新聞(13日付)に『原子力は日本が担うべき責務』とする論文を寄稿。
『国家安全保障上の観点からも、日本は「原子力国家」であり続ける必要があると迫っています(「民主党案『原発ゼロ』に圧力」、『しんぶん赤旗2012年9月14日付』)。

 このような圧力もあり、民主党・野田政権は、「2030年代に原発ゼロ」という目標のあいまいな政策を掲げることになっているのです。


 いま、毎週金曜日の夕方から夜にかけて、東京・永田町の首相官邸前で、「脱原発」「原発ゼロ」「再稼働撤回」を求める数万人規模の抗議集会が行われています。また、全国で「脱原発」デモが行われています。金曜日の首相官邸前行動に呼応した全国各地の行動は100ヵ所を超えています。

 こうしたデモ・行動は、政府に対し、日本の各地に存在する原発の再稼動を行わせないための大きな力となるでしょう。
 実際、民主党・野田政権はこうしたデモ・行動を無視し続けることが難しくなり、8月22日、野田首相は、首相官邸前行動を主催している反原発首都圏連合(反原連)の代表と、首相官邸内で直接面談を行いました

この席で、野田首相は、反原連から「大飯原発の再稼動を中止すること」「現在検査で停止中の全ての原発の再稼動をさせないこと」「国策としての原子力政策を全原発廃炉の政策へと転換すること」「原子力規制委員会委員長及び委員の人事案撤回」などの要求を突き付けられることになりました。

 この席では、野田首相は、形式的な返答を繰り返すばかりで、反原連からの要求に対して正面から誠実に向き合い回答するという態度を一貫して取らず、その場しのぎに徹しました。

 野田政権は世論を無視した原発政策を続けていますが、その後も続く全国各地での行動・デモは、いずれは政府を動かし、民主党・野田政権が強行した大飯原発の再稼働を中止させ、これ以上の原発再稼働を阻止する力になるでしょう。

 しかし、現在の民主党政権においても、次の総選挙を経て成立する新政権においても、日米安保条約が存在し、安保条約を根拠にアメリカが「脱原発」「原発ゼロ」に反対する圧力を日本にかけてくる限り、その圧力に屈せず日本政府が「脱原発」「原発ゼロ」「即廃炉」の原子力政策・エネルギー政策を打ち出し、実行に移すことは難しいことです。

こうした意味で、戦後日本の原発推進政策は、日米安保条約に基づく「究極の対米従属」なのです。

 日米安保条約を廃棄し、日本の政策がアメリカからの干渉を受けることがなくなり、またアメリカの政策に日本が従属することがなくなってこそ、国民世論となりつつある「国策としての原子力政策を全原発廃炉の政策へと転換すること」が本当に実行される社会になるでしょう。
 「脱原発」「原発ゼロ」の日本社会を展望するためにも、日米安保条約について学習し、その廃棄を求める運動を、私たちは強めていかなければなりません。

3 国際政治の流れは軍事同盟の解体です。

 ところで、日本ではあまり知られていませんが、日米安保条約のような軍事同盟の解体は、世界的傾向になっています。軍事同盟を媒介にしたアメリカ帝国主義の世界戦略は破綻しつつあります。

 旧ソ連を中心としたワルシャワ条約機構は、ソ連崩壊(1991年)とともに解体しました。

 アメリカ中心の軍事同盟を見てみると、東南アジア条約機構(SEATO)は解散、中東中心の中央条約機構(CENTO)も解散、太平洋安全保障条約(ANZUS、米・オーストラリア・ニュージーランドの3国で締結)はニュージーランドの南太平洋非核地帯条約(ラロトンガ条約)加盟による一部機能停止、米州相互援助条約(リオ条約)も機能停止、など全体として崩壊に向かっています。

 いま実際に軍事同盟として機能しているのは、北大西洋条約機構(NATO)、日米安保条約、米韓相互防衛条約、太平洋安全保障条約(米豪のみ)の4つにすぎなくなっています。こうした軍事条約への参加は、31ヵ国で、国連加盟国の16%、世界人口の16%にすぎません。

 いま、日本は、日米安保条約・日米軍事同盟のもとで、イラク戦争時に自衛隊を現地に派遣するなど、アメリカ帝国主義の引き起こす戦争に巻き込まれる危険に晒されるとともに、自衛隊・軍事力を増強し、アジア各国から見て脅威的な存在になりつつあります。

 しかし、軍事同盟の解体という世界的な変化・流れをしっかりとつかみながら、日米安保条約の廃棄が、日本とアジアの平和と安全にとって必要不可欠であることを確信し、運動を押し進めていかなければなりません。

4 日米安保条約を廃棄し、平和的生存権の実現される日本社会を展望しましょう!

 さて、いま考えるべきことは、財界本位の政治から国民生活本位の政治への転換とともに、日米安保条約を廃棄し、対米従属の政治から脱却し、憲法を活かした日本社会を展望することです。
 そこで特に重要になることは、憲法第9条と第25条です。

 第9条に従って平和を実現し、第25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」ということ、すなわち国民の生存権を保障する日本社会を築くことです。

 この2つのことを統一的に示すのが平和的生存権です。これについて憲法前文は「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と述べています。
 平和がなければ国民の生存権は保障されません。また、生存権が保障されなければ真の平和もあり得ません。2つのことは相互前提の関係にあるのです。

 いま平和的生存権の実現される社会を築くために大事なことは、第一に、対米従属から脱却し、非核・非同盟中立・独立・民主主義の日本を実現すること、第二に、雇用・生活・社会保障を国民が安心する程度まで充実させること、です。

 このような社会を展望するためにも、日米安保条約の廃棄が決定的な意味を持つということを強調し、この連載講座の締めとしたいと思います。
 8ヵ月間の長期にわたる本連載をお読みいただき、ありがとうございました。

(追記)このたび、本連載執筆陣のうち、山田敬男、峰良一、山里理一の3人による集団執筆で、労働者教育協会編『これでいいのか日米安保』(学習の友社刊)が出版されました。ぜひ本連載と合わせてお読みください。
(やまさと・りいち/労働者教育協会常任理事・講師、勤労者通信大学経済学教科委員長、とちぎ県労働者学習協議会会長)
【学習の友 2012-no:711 11】

生活保護攻撃に「フランス基準では河本親子が当然」/ チャベス大統領4選・貧困削減(ベネズエラ)

2012-10-14 | 海外通信/外交/平和運動
2012年10月13日(土)

しんぶん赤旗  きょうの潮流


 ことし7月、日本に住むフランス人記者、レジス・アルノーさんの記事に注目しました

▼「人気お笑い芸人の河本準一は生まれる国を間違えたのだろうか」。
河本さんが、“高収入を得ながら母親が生活保護を受けていた”と、自民党議員に攻撃された事件
によせて書いています

▼「フランスの基準からすれば、河本親子は当然のことをした。母親は失業して国に助けを求めた。息子は一生懸命働いて高い所得税を払っているのだから、政府の歳入の足しにさえなっている」(『ニューズウィーク日本版』7月18日号)

▼お国柄の違いと退けられません。日本でも、1950年にできた今の生活保護法は、金持ちの息子がいても仕送りがなければ保護を受けられる建前です。46年の旧法では、仕送りがなくても仕送りできそうな息子がいれば受けられなかったのですが
▼今も“自分たちの負担で”と、「自己責任」を振り回す人たち。政府は、生活保護をもっと“狭き門”にする考えです。
が、もともと、震災や原発事故、会社の都合の失業で収入を失うのは、自己責任といえません。私たちは、放っておけば失業や貧困のはびこる社会が土台の国に住みます

▼マルクスが説きました。「資本」は貧しい人を助ける費用を「自分の肩」から労働者や庶民の負担になすりつけるすべを知っている。その「資本」の無責任とたたかい、社会は進歩してきました。
ちなみにアルノーさんによれば、フランスの親子の絆は「とても強い」そうです。


    =^・-・^-・-^・-・^-・-^・-・^=


 南米ベネズエラ・チャベス大統領が4選果たす


 事前の世論調査で一騎打ちの大激戦と報じられていたが・・

 任期は6年、初当選以降、20年間にわたる長期政権に。

 ベネズエラは南米でも自主的な経済・外交に向け、改革を進めてきた印象。現職の何が評価されたのか。


 貧困対策に支持

 チャベス氏は、貧困削減など国民生活向上に一貫して重点を置き、最低賃金の連続的引き上げや、公的医療機関の無料化、無償住宅建設などを実現、

 貧困世帯の割合は、チャベス氏の大統領就任以前の98年の約44・3%から、2011年の26・7%まで、大幅に下がった。 これは注目に値する。
 今回も、貧困対策の強化をあらためてアピールし、低所得層からの絶大な支持を得た。

 ただ、対立候補に10ポイントの差をつけたものの、過去3回の大統領選と比べ、得票率は最低となった。
  逆に野党側は2年前の国会議員船の得票数から100万票も伸ばしている。

 チャベス氏は、がん性腫瘍を摘出する手術を昨年来2度も受けており、健康面でも懸念があり、
 治安悪化やインフレ率の高等などの経済問題も指摘されている。
 それが票に影響したとの報道もある。

 汚職などのために開発計画が上手く進んでいないところもあり、そこにつけ込まれ、政権への不満をあおる攻撃があったとも言われている。

 選挙からの教訓

 でも、チャベス氏は計画実行における不備を自らの「誤り」の一つと認め、改善を約束している。
 勝利宣言でも、「よりよい大統領となる」と表明。
 今後も、ベネズエラの改革路線から目が離せない。

 (しんぶん赤旗日刊紙2012・10・12(金)よりネコ型編)
 

尖閣諸島問題 日本共産党の見解・志位委員長 「領有の正当性 理を尽くし説け」 歴代政権の対応

2012-08-19 | 海外通信/外交/平和運動

尖閣問題 いま必要なことは

日本共産党の見解と論戦から


沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)の魚釣島に15日、自称中国籍の活動家ら14人が上陸、入管難民法違反容疑で逮捕後、17日、強制送還されました。

日本共産党は2010年10月、「尖閣諸島問題 日本の領有は歴史的にも国際法上も正当」との見解を示し、「何よりも重要なことは、日本政府が、尖閣諸島の領有の歴史上、国際法上の正当性について、国際社会および中国政府にたいして、理を尽くして主張することである」と指摘しました。

日本政府は「努力する」との答弁にもかかわらず、その形跡はみられません。そして、今日問題が大きくなっています。いまこそ、冷静に理を尽くして日本の領有の正当性を堂々と説くべきです。


日本の領有は歴史的にも国際法上も正当 ――日本共産党の見解

日本の領有と実効支配は正当


(写真)尖閣諸島。魚釣島(手前)と北小島、南小島=2004年11月、穀田恵二衆院議員撮影
 尖閣諸島の存在は、古くから日本にも中国にも知られており、中国の明代や清代の文献にも登場します。しかし、日中どちらのにも、同諸島に住民が居住していた記録はありません。日本共産党の「見解」は、「近代にいたるまで尖閣諸島は、いずれの国の領有にも属さず、いずれの国の支配も及んでいない、国際法でいうところの『無主の地』であった」と指摘しています。

 その後、尖閣諸島を探検した日本人の古賀辰四郎氏が1885年に同島の貸与願いを申請。日本政府は、沖縄県などを通じてたびたび現地調査をおこなったうえで、1895年1月の閣議決定で尖閣諸島を日本領に編入しました。

「見解」は、「歴史的には、この措置が尖閣諸島にたいする最初の領有行為である。これは、『無主の地』を領有の意思をもって占有する『先占』にあたり、国際法で正当と認められている領土取得の権原のひとつである」と述べています。

 中国側は現在、尖閣諸島の領有権を主張していますが、その最大の問題点は、「中国が1895年から1970年までの75年間、一度も日本の領有に対して異議も抗議もおこなっていないという事実」(見解)です。

侵略による奪取と異なる

 中国側は領有権の主張の根拠に、日清戦争(1894~95年)に乗じて日本が不当に尖閣諸島を奪ったという点をあげています。

 日清戦争で日本は、台湾とその付属島嶼(とうしょ)、澎湖(ほうこ)列島などを中国から不当に割譲させて、中国への侵略の一歩をすすめました。問題は、尖閣諸島がこの不当に奪取した領域に入るかどうかです。この点について、「見解」は当時の経過を詳細に検討しています。

 「見解」は、日清戦争の講和条約(下関条約)の経過からみて、
(1)尖閣領有の宣言が交渉開始の2カ月ほど前であること、
(2)条約は尖閣について一切言及していないこと、
(3)交渉過程で中国側が抗議した事実はないこと、
(4)条約締結後の交換公文で台湾付属島嶼に含まれていないこと―をあげ、「日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格がまったく異なる、正当な行為であった」としています。

日中とも冷静な対応を

 問題は、歴代の日本政府の態度に、1972年の日中国交正常化以来、本腰を入れて日本の領有の正当性を中国側に対して主張してこなかった弱点があることです

 領土画定の好機だった1978年の日中平和友好条約締結の際には、中国の(とう)小(しょう)平(へい)副首相が尖閣領有問題の「一時棚上げ」を唱えたのに対し、日本側は領有権を明確な形では主張しませんでした。

 1992年に、中国が「領海および接続水域法」で、尖閣諸島を自国領と明記した際にも、外務省は口頭で抗議しただけでした。

 「見解」は、同時に中国政府にたいしても、「問題が起こった場合、事態をエスカレートさせたり、緊張を高める対応を避け、冷静な言動や対応をおこなうこと」を求めています。

 「見解」は、日中両国が、2008年5月の共同声明で「共に努力して、東シナ海を平和・協力・友好の海とする」と合意していることを指摘し、「東アジアの平和と安定に貢献するよう」求めています。


志位委員長「領有の正当性理を尽くし説け」

政府「努力する」と答弁したが…


(写真)代表質問をする志位和夫委員長。その奥は菅直人首相=2010年10月7日、衆院本会議

 見解発表後、10月7日の衆院本会議で代表質問に立った志位和夫委員長は、尖閣諸島問題をめぐる党の立場を改めて示すとともに、日本政府の問題点について、「歴代の政府が1972年の日中国交正常化以来、本腰を入れて日本の領有の正当性を主張してきたとはいえない点にある」ことを指摘しました。

 志位氏は、(1)78年の日中平和友好条約締結の際、中国の小平副首相が尖閣領有問題の「一時棚上げ」を唱えたのに対し、日本側は領有権を明確な形で主張しなかった(2)92年に中国が「領海法」を決め尖閣諸島を自国領と明記した際にも、外務省が口頭で抗議しただけだった―事例を列挙しました。

 10年9月の中国漁船衝突事件後の民主党政権の対応についても、「国内法で粛々と対処する」というだけで、領有の大義を、根拠を示し理をつくして主張する外交活動を行っているとはいえないと批判。「こうした態度を改め、歴史的事実、国際法の道理にそくして尖閣諸島の領有の正当性を、中国政府と国際社会に堂々と主張する外交努力を強めることを求める」とただしました。

 菅直人首相(当時)は、尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も疑いのないことだと述べながら、「尖閣諸島をめぐり解決すべき領有権の問題はそもそも存在しない」などと主張。一方で、漁船衝突事件後の自身と温家宝首相との懇談(10月5日のアジア欧州会議)などで、日本の立場は明確に伝えていると述べ、「正しい理解がえられるよう今後とも努力する」と答弁しました。

 その後、首相は野田佳彦氏、外相は松本剛明氏、玄葉光一郎氏に代わり、この間、30回以上にわたって日中間の首脳会談・懇談、外相会談(電話も含む)が行われました。しかし首相答弁にもかかわらず、尖閣諸島問題で、突っ込んだやりとりが交わされた形跡はなく、日本政府が国際社会に主張した例も見当たりません。

 中国側と尖閣問題で議論すると「領土問題の存在」を認めることになるとの恐れから、そもそも踏み込んだ議論を避けているのです。

 今年5月13日の日中首脳会談、7月11日の日中外相会談では、尖閣問題が議題に上りました。このうち首脳会談では、温家宝首相から、中国側の主張に言及があり、野田首相は「(尖閣をめぐる問題が)日中関係の大局に影響を与えることは望ましくない」と述べるだけ。両国がそれぞれの立場を主張し、平行線で終わっています。

 国際社会で、正しい理解が得られるよう「努力」しているとはとてもいえない状況です。


非常に理路整然 僕は自民派だが…評価する

ネットに反響

 尖閣諸島問題についての日本共産党の見解について、インターネットを通じてのアクセスが続いています。

 見解を読んだ上での書き込みもあります。

 「こういう歴史研究を踏まえた見解は一朝一夕に出せるものではないでしょう。まさに政党としての歴史の重みが試されるところ」「非常に理路整然としていてわかりやすい」「国としての根本である主権について真剣に考えていると思う」

 政権与党への注文を兼ねた意見もあります。

 「現政権の外交の弱さには国民はうんざり。早く衆議院を解散して、外交に強く、国民が安心して生活できる国を望んでいる」「現政権に、共産党くらいの気構えがあればと思う。わが国の理を各国に知らしめることはとても大切」

 この見解を通じて、日本共産党にたいする見方が変わったという意見もあります。

 「明確な論拠に基づいて客観的な考察を述べていると思う。共産党への自身の見方が少し変わった」「共産党には民主党に無い正義があるね。僕は自民党派だが尖閣問題に対する共産党の発言はとても評価できるものです」
(しんぶん赤旗2012・8・18)

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竹島問題 日本共産党の見解・志位委員長 2006年韓国訪問時の発言 侵略反省の上協議を

2012-08-13 | 海外通信/外交/平和運動

 竹島問題を考える 日本共産党・志位委員長 2006年韓国訪問の際の発言<再録>


 韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領が竹島(韓国名・独島<トクト>)を訪問したことから、あらためて竹島問題にどう対処すべきかが注目されています。
この問題で、2006年の韓国訪問の際、韓国要人と対話した日本共産党の志位和夫委員長が党本部で行った報告会(同年9月25日)での発言を再録します。


 四つ目に、日韓の間にある、どんな懸案事項を解決するうえでも、歴史問題で日本が誠実な態度を取ること―侵略戦争と植民地支配への反省をきちんとおこなうことが、冷静な話し合いを成り立たせる基礎になることを痛感いたしました。

 たとえば、日韓の間には、竹島―韓国では「独島」と呼ばれている島の領有をめぐる問題があります。
韓国では、国民のおそらく99%以上が、「独島」は韓国の領土だ、日本帝国主義の侵略によって最初に奪われた領土だと考えています。

9月5日におこなった西大門での韓国メディアとのインタビューでも、この問題への態度が問われました。 9月7日におこなったハンナラ党の金炯�藻(キム・ヒョンオ)院内代表との会談でも、この問題についても「さらに関心を持って示していただきたい」と要請されました。


 私は、「この問題は、靖国問題などとは違った事情があります。わが党は、1977年にこの問題についての見解を発表していますが、竹島(独島)の領有権を日本が主張することには、歴史的な根拠があるとそのなかでのべました」と、まず私たちの立場を率直に伝えました。ハンナラ党の金炯�藻院内代表との会談では、私がそこまで言いますと、「共産党がですか」と聞き返してきました。会談は一瞬、緊張しました。

私は、「そうです」と答えるとともに、「同時に、この問題が、1905年に起こったということを私たちは重視しています。すなわち韓国の植民地化する過程で、これ(竹島の日本への編入)がおこなわれたことも、まぎれもない歴史的事実です。 韓国はすでに外交権を剥奪されており異議を申し立てる条件がありませんでした。ですから、韓国側のいい分も検討しなければならないと考えています。

植民地支配への反省という問題が基礎にないと、この問題は、冷静に話し合いができないと思います。その反省のうえに、事実を付き合わせる冷静な共同研究が必要ではないでしょうか」とのべました。

そうしますと、先方から、「いいお話をありがとうございます。植民地化の過程については、私の方からあえて申し上げなかったのですが、それについて志位委員長の方から言及されたというのは、非常に意味のあることだと思います」との答えが返ってきました。この会談は、一瞬の緊張はありましたが、最後はたいへん友好的な雰囲気で終わりました。

 竹島問題は、日韓間で非常にこじれている問題ですが、私は、この会談を通じて、こじれにこじれた糸をときほぐす道が見えたように思えました。 1965年の日韓基本条約の締結にいたる過程で、日韓両政府間で竹島領有をめぐって往復書簡による論争があります。

その論争の過程でも、また今日においても、日本政府は、韓国併合―植民地支配を不法なものであったと認めていません。 それを認めないもとで、竹島の領有権を主張するから、この問題が「侵略の象徴」となってしまうのです。ですから韓国政府は、この島の領有権をめぐっては話し合いすら拒否するという状況にあります。

日本政府が、植民地支配の不法性、その誤りを正面から認め、その土台の上で竹島問題についての協議を呼びかけるなら、私は、歴史的事実に基づく冷静な話し合いが可能になると、これらの交流を通じて痛感したしだいです
(しんぶん赤旗2012・8・12)


 浜田省吾 『八月の歌』でも、 

 ~ 八月になるたびに 広島の名のもとに平和を 唱えるこの国アジアに 何を償ってきた ~ と歌っているのを観ました。

 普通に考えれば、韓国の反日ムードもそりゃ分からんではないですにゃ。 反日感情は、もはやオリンピックサッカー日韓戦で「独島は我が領土」と書かれた旗を掲げた朴鍾佑(パクジョンウ)選手(観客席から受け取ったもの)みたいにゃ過激なのは一部的で、ほとんどの人はあまり何も考えてないと言ってもよいくらいとか、ニュースで聞いたけど。

「ほとんど」がどの程度か、本当のところは知りませんがにゃ。日本のニュースも、とんと信用ならんもんで。
 

NHKザ・プロファイラー「ヒトラー」/橋下市長 独で話題「危険な政治家」 /沖縄侵略の歴史 安保で見える③

2012-07-08 | 海外通信/外交/平和運動
橋下大阪市長 独で話題「危険な政治家」

 左派党幹部が紹介



 ヒトラーと似ていると指摘されている橋下徹大阪市長。
ドイツでは、市職員への入れ墨調査が新聞で大きく紹介され、ドイツ国民のなかで「危険な政治家」だと話題になっています。

 大阪市の友好都市、ドイツ北部のハンブルク市の市議会と経済界の来訪歓迎レセプションのとき、ドイツ左派党副幹事長のノルベルト・ハックブッシュ氏が明らかにしました。

 1日夜のレセプションで、日本共産党の山中智子市議団幹事長との懇談の席上、ハックブッシュ氏は、橋下市長が実施している入れ墨調査がドイツの新聞「フィナンシャル・タイムズ・ドイチュラント」に大きく報道され、「非常に危険な人が出てきたと思っている」と話しました


 「ヨーロッパでは、ヒトラーにたとえるのは最大の侮辱」と主張している橋下氏。

山中氏が市職員への憲法違反の「思想調査」など橋下市長の「独裁」ぶりを告発すると、ハックブッシュ氏は「ドイツでも10年ほど前に言葉たくみに人をひきつける動きがあった」と警戒しました。

 ハックブッシュ氏はまた、見学した歴史博物館(大阪市)で、大昔の資料は充実しているが、日本では近現代史は若者にどう教えているのかと質問

山中氏は、侵略戦争の反省に立つことを「自虐史観」と攻撃し、侵略戦争を賛美し、加担してきた人物が戦後も復権、君臨していると述べ、ヒトラー率いるナチスに対するドイツの戦争責任の取り方とは大きく違うと語り、交流しました。
(しんぶん 赤旗 2012・6・6)

  
   ☆彡☆ミ☆彡


7月7日(土)七夕、午後9:00~、「ザ・プロファイラー」というシリーズ番組があり(岡田准一さん司会)、

 7日に取り上げられたのは、 「アドルフ・ヒトラー」

大量殺人を先導した「怪物」・・。でも、現実離れした捉え方をするのは危険、今も独裁者は世界中にたくさんおり、

昔と状況は変わりつつも、そういう種の、

 ~自分に逆らう者は排除、自己陶酔し、自らのビジョン(欲望)を達成するためだけに民衆のネガティブ感情を利用する~~

 という人間に、踊らされやすい風潮に日本が今あること・・・


  を感じると、関西弁のコメンテーター名越康文さんが、「今ある危険・あの人物」のことだと知らせようと明らかにアピールされていましたにゃ。まぁ、「誰」とは言いませんが。

 ヒトラーは、「怪物」かどうかはおいといて、やはり幼い頃からその資質をもった人物であったことは想像通りですにゃ。
 にしても、常軌を逸したテンションの演説術は凄かったですが。(内容は無い様で、感情的な演出だけなのも、このテの先導者に共通。)
 あれに「ついていこう」とよく思ったもんだ・・・人間の負の感情って・・

 内容は覚えてないけど、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」もあります。


 この番組、次回来週土曜日は、「クレオパトラ」 再来週は、「レオナルド・ダヴィンチ」。

 ダヴィンチ・コードは、普通にハラハラ面白かったです。シラフが。


  =^・-・^-・-^・-・^-・-^=

  
 2012年4月24日(火)
橋下「改革」の危険 4年の実態に見る
市長になっても 全世代への負担増


  より。 

2008年6月には「大阪維新プログラム案(財政再建プログラム案)」を発表。人件費345億円の削減のみならず、私学助成の大幅削減、高齢者・乳幼児・障害者・ひとり親の4医療費助成の削減、市町村補助金のカットを打ち出しました。府民の反対署名は300万人を超えました

 このとき、橋下氏は“障害者施策は削れない”とテレビの前で涙まで流し、「『障害者・命・治安』に配慮」(「朝日」)と報じた新聞もありました。しかし、実際には障害者8団体の団体補助をゼロにするなど障害者にも冷たいものでした。

 4医療費助成の削減は府民世論で現在も食い止めているものの、10年8月の「府財政構造改革プラン」でも、府営住宅の当面1万戸削減方針など暮らしにかかわる施策の削減が打ち出されています。

 
 つづきはリンクでご確認を。 削減・削減。削減のみですにゃ。やりたい放題ですにゃ。

 (しんぶん赤旗HPより。 ←ネットで簡単お申し込み 無料見本誌、日刊/日曜版の購読)



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安保が分かれば、世界が見える ③

 第3回 沖縄と基地を考えよう



はじめに

 今年2012年は、沖縄県が日本本土に復帰して40年目の年に当たります。「えっ?沖縄ってもともと日本の一部じゃなかったの?」とそう思われる方もいるかもしれません。

また、美しい珊瑚の海に憧れて沖縄を訪れた方の中には、あちこちに存在する米軍基地や、繁華街で米軍兵士の姿などを見かけて戸惑う人もおられるかもしれません。

 そこで今回は、日米安保条約と沖縄の関係について、ちょっと歴史を振り返りながら述べたいと思います。


1・本土進攻に対する「捨て石作戦」の犠牲に

 アジア・太平洋戦争末期の1945年3月、米軍は50万人以上の軍隊を引き連れて、沖縄に侵攻しました。

 このとき、日本軍は県民を避難させて安全をはかることはせず、逆に住民を戦力と化して、できる限り日本本土での「本土決戦」を長引かせるための「捨て石」にしました。

 現地第三二軍の司令官である牛島満中将は、その死に際して「悠久の大義に生きるべし」として、住民が降伏または投降することさえも許しませんでした。

 この結果、軍人と行動を余儀なくさせられた住民の中には、手榴弾で「集団死(自決)」をはかるものも出たり、また日本軍兵士から「スパイ容疑」で虐殺されるものも出ました。実に県民の4人に1人という膨大な犠牲者が出たのです。


2・戦後は「太平洋のキーストーン」として

 1945年8月15日の日本の降伏後も、沖縄に平和な時代は訪れませんでした。

 日本が連合国に降伏する前から、米軍はかつての日本軍の飛行場などを接収し、戦後のアジアにおける世界戦略の一角として利用しようとしました。

 その後、連合国とのサンフランシスコ講和条約(ソ連、中華人民共和国は調印せず)が発効した後も、沖縄の「施政権」は米国政府が保有し、県民の諸権利は引き続き制限されました。

沖縄県民の行政機関である「琉球政府」は、その上に君臨する米国民政府の指揮下におかれ、立法・行政・司法の3つの権利は事実上、米国民政府の制約下におかれたのです。
県民は、米軍兵士による事件・事故に対して無権利のまま、泣き寝入りの状況でした。

 一方で、日本本土から米軍の海兵隊が移駐してくるなど、本土の反基地闘争によって米軍の存在が脅かされるような状況になると、そうした部隊を沖縄に置くように米軍の判断も変化していきました。


3・祖国復帰闘争と沖縄、日米安保

 こうした事態に対して、沖縄県民は決して手をこまねいていた訳ではありません。

 1960年に結成された「沖縄県祖国復帰協議会」は、沖縄人民党(後に日本共産党に合流)、沖縄社会大衆党、沖縄社会党など党派を超える団体・勢力が参加し、日本本土での沖縄返還をめざす運動と共闘し、内外で祖国復帰の運動を盛り上げていきました。

 これに対し、日米両国政府は、沖縄の施政権返還後も核兵器の持込を認める「核密約」の取り決めをおこなう、また米軍によって基地として使用された土地の整備費用を、米国でなく日本政府が負担するという形にするなど、その姿勢は極めて不誠実なものでした(この経緯は、TBS系テレビドラマ『運命の人』などでも一部が紹介されましたので、ご存知の方もいるでしょう)。

 たいへん残念なことに、沖縄の米軍基地撤去と、即時無条件返還を求める運動は、国会における与野党の力関係などにより、十分な成果を得ることができず、復帰後も全米軍専用施設の75%が存在する状況は今も変わっていません。

安保条約 第六条
 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。

 前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、一九五二年二月二八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(改正も含む)に代わる別個の協定及び合意される他の取決めにより規律される。


4・本土復帰後も安保条約第六条に基づく「日米地位協定」のカベが・・・

 沖縄では、こうした状況の中で、復帰後も米軍による事件・事故が絶えませんでした。

 米軍兵士がひき逃げを起こしても、それが公務中であれば裁判権は米軍側に移ってしまう、また、女性に対する暴行事件を起こしても、基地に逃げ込んだ後で本国に逃げ帰ってしまう、など、県民の権利は無視されてきました。

 これらの問題の根源には、日米安保条約に基づいて締結された日米地位協定がありました。

日米地位協定
 正しくは、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協定及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」といいます。

 地位協定は、1951年に締結された旧安保条約締結の際にむすばれた「日米行政協定」を手直ししたものでした。

安保条約第六条は
「極東における国際の平和及び安全の維持に寄与する」と定められており、そこでは、日本国内における米軍兵士の特権的な地位を認め、その立場を保障するというものでした。

その結果、刑事事件の容疑者が米軍兵士であった場合、基地の中に逃げ込めば日本の司法権が及ばない、などの事態が起こりました。


 そして1995年9月、沖縄では駐留している米国海兵隊の兵士3名が小学生に集団で暴行するという事件が発生しました。

 しかし、米軍側はこのとき、容疑者が沖縄県警の再三の引渡し要求を受けても容疑者の引渡しに応じませんでした。
このときも、米軍が引き渡しに応じない口実として、日米地位協定第一七条五項Cが理由とされました。

日米地位協定第一七条五項C・・・条文は以下の通り。
「日本国が裁判権を行使すべき合衆国軍隊の構成員又は軍属たる被疑者の拘禁は、その者の身柄が合衆国の手中にあるときは、日本国により公訴が提起されるまでの間、合衆国が引き続き行なうものとする。」(外務省訳)

 こうした対応に怒った県民は、1995年10月21日に超党派で県民総決起大会を開催し、8万5千人が参加しました。

慌てた日米両国政府は、同年秋に予定したクリントン米国大統領の日本訪問を中止し、また日本政府は地位協定の運用の改善などを約束しました。
そして、翌1996年4月には、橋本・クリントン会談で「普天間基地の5~7年後までの」「返還」がうたわれました。


5・普天間移設の挫折と政権交代

 しかしながら、その後の日米合意では、普天間基地の無条件の撤去ではなく、名護市辺野古への「移設」が条件として掲げられていました。この条件付「返還」合意に対して、名護市民は反発しました。

そして辺野古受け入れを決めた当時の名護市に対して、1997年12月に名護市民は住民投票で「反対」の声を突きつけました。

 これに対して、日米両国政府は名護市民の声を無視する形で、辺野古でのボーリング調査を強行しようと何度もはかりました。しかし、名護市民の非暴力の抗議行動に阻まれ、クイ打ち一つできない状況が今日も続いています。


 その後、名護市長選での移設反対派の勝利、2009年の総選挙での県内移設を主張する自民・公明の候補者の落選など、沖縄の米軍基地移設をめぐる県内の政治状況はがらりと変化しました。

 総選挙で勝利した民主党は、社民党、国民新党とともに辺野古移設を含む「日米合意の見直し」を掲げました。さらに、自民・公明の支持を受けている保守系の仲井真沖縄県知事も、普天間基地の県内移設に反対を表明せざるを得ない状況が生まれています。

 自公政権から民主党を中心とした鳩山内閣の成立などで、日米間の沖縄をめぐる「密約問題」についてもようやく光が当てられ、また沖縄の米軍基地問題が抱える様々な問題も、本土で報道される機会が増えました。

 しかしながら、日米地位協定はまだ抜本的な改定はなされず、
沖縄に駐留している海兵隊の撤退は実現されていません。鳩山政権後、菅そして野田内閣は、「安保絶対化」から抜け出そうとせず、日米間の軍事一体化を推し進めています。

また近年では、米軍が引き続き「太平洋国家」として、アジア地域に関わろうとする動きも出てきています。沖縄県北部の東村では、米軍がヘリパッド基地を作ろうとする動きも強まっています。

 5月15日には、沖縄の施政権が返還された日です。

 美しい海や珊瑚に憧れて皆さんが訪れる沖縄には、やはり軍事基地は似合いません。

美しい沖縄が、金網のない真に平和な島となるためにも、いまこそ沖縄の平和を脅かしている安保条約についてもっと学び、その危険性を国民的規模で語り伝えていこうではありませんか。
【学習の友 6月号】(みね りょういち/国際政治問題研究者)

企業は労働者に分け前を 独労相が賃上げ支持発言 労組「ストも」 / 「蟹工船」小林多喜二と石川啄木

2012-02-24 | 海外通信/外交/平和運動
 
企業は労働者に分け前を

独労相が賃上げ支持発言
赤旗日刊紙2012・2・19


 世界的な景気後退の可能性も指摘される中で、ドイツでは「企業は悪くない利益をあげている」として、現職閣僚が「労働者にその成果を分け与えるべきだ」と発言し、労働組合の大幅な賃上げ要求を支持する立場を表明しています。労組側もたたかう構えを強めています。(片岡正明)

昨年は実質賃金マイナス

「ストも」労組たたかう構え


 その閣僚とは保守のキリスト教民主同盟(CDU)のウルズラ・フォンデアライエン労働相で、独紙ビルト日曜版11日付で「労働者が増えたと実感できる賃上げをすべきだ」と強調。「勤勉に働く者に成功を分け与えるのが(CDUなどが唱える)社会的市場経済の根本的な約束だ」と述べました。

 同国では、労働組合が年明けから、自動車・電機部門で6・5%、化学産業部門で6%、公務員が6・5と“春闘”で次々と大幅賃上げの要求を掲げています。しかし、使用者側はユーロ経済圏の景気悪化の下で「(要求は)現実からかけ離れている」と否定的です。

 こうした中での、労働担当閣僚の賃上げ容認発言です。

 背景には、長年、労働者の賃上げが抑えられてきたことがあります。ビルト紙によると、2000年から11年末までで、専門性を持つ労働者の賃金はインフレや社会保険料の値上げを考慮すると約18%低くなっているのに対し、大企業の幹部の収入は約22%も上がっているといいます。

 リーマン・ショックから立ち直ったドイツは昨年、予想値で3%程度の経済成長を記録しましたが、ハンス・ベックラー基金経済社会研究所(WSI)によると、各産業部門を平均した賃上げは2%と、インフレ率の2・3%を下回りました。部分的には4%など高い賃上げを勝ち取った産業部門もありましたが、印刷業など低い賃上げで妥結した部門が多く、実質賃金はマイナスとなりました。

 ドイツ労働組合総同盟(DGB)のゾンマー議長は経済危機といっても「企業の存続や雇用の危機があるわけではない」とし、「労働者の正当な取り分を勝ち取るためにはストも辞さない」(13日付ビルト紙電子版)姿勢をみせています。

 社会的市場経済 労働者の権利や社会的弱者の擁護など社会政策と市場経済を統一する概念で、市場にだけ経済をまかせるのではなく国家の介入により、社会的公正と経済的繁栄を実現していくことを目的としています。1948年にドイツの経済学者が提唱し、ドイツの基本的経済政策として採用されました。欧州連合(EU)の基本条約にも明記されています。

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きょうの潮流   しんぶん赤旗2012年2月20日

 戦前のプロレタリア文学作家、日本共産党員だった小林多喜二が特高警察に捕まり虐殺されたのは1933年2月20日です。薄曇りの寒い日だったといいます

▼文学、党活動の両方で多喜二と行動を共にした手塚英孝が彼の言葉を伝えています。「書く人は沢山(たくさん)いるよ、だが、皆、手の先か、体のどこかで書いている」「誰か、体全体でぶっつかって、やる奴(やつ)はいないかなあ。死ぬ気で書く奴はいないかなあ」(「小林多喜二の思い出」)

▼北の荒海で奴隷のように働かされる労働者の悲惨さと決起を描いた多喜二の「蟹工船」は80年以上の時を超えて、非正規雇用や低賃金に苦しむ現代の若者から共感を集めています。対象に全身でぶつかったからこそ書けた作品です

▼北海道小樽市で21日から小林多喜二国際シンポジウムも開かれます。多喜二が4歳だった1907年末、一家は秋田から小樽に移住しました。当時、石川啄木もこの町で暮らしていました。新聞編集の仕事に挫折した後、社会主義に関する演説会に参加し、感動を日記にしるしています▼「こころよく/我にはたらく仕事あれ/それを仕遂げて死なむと思ふ」。小樽公園にある碑に刻まれた啄木の歌です。命がけでできる仕事を求める思いが痛いほどです

▼今年は啄木没後100年、来年は多喜二没後80年です。社会主義に未来を見いだしつつ貧苦に倒れた啄木。日本共産党員として活動中に殺された多喜二。2人の志を受け継いで歴史を前へ動かすのは21世紀に生きる私たちです。


日本軍「慰安婦」問題  政府犯罪に償いを

2012-01-09 | 海外通信/外交/平和運動

日本軍「慰安婦」問題

 戦時中、日本軍は、侵略した朝鮮半島、中国、東南アジアなどの地域に設置した「慰安所」で、連れてきた女性たちを奴隷状態に置き、兵士らとの性行為を強要しました。被害者の数は数万人から20万人と言われています。

 韓国の元「慰安婦」が初めて名乗りをあげてから20年がたちました。昨年末の日韓首脳会談で李明博(イ・ミョンバク)大統領は、「慰安婦」問題の解決を野田佳彦首相に要求しましたが、野田首相は、「問題は決着済み」として拒絶しました。問題解決には何が求められているのか、長年、「慰安婦」訴訟に関わってきた大森典子弁護士に聞きました。

日本は法的責任負う

 日韓首脳会談などを通じ、「慰安婦」問題が改めて世間の関心をよんでいます。しかし、マスコミ報道も含め、日本国民の間に歴史的事実がしっかり理解されていないと痛感しています。
 
政府による犯罪

 「戦時中、日本軍は強制的に女性たちを連行していない、その証拠はないから責任はない」と日本政府は問題をすりかえて主張します。しかし、軍中央が「慰安所」制度をつくり、女性たちを兵士にあてがったのですから、そこに女性らを連行した態様が官憲による強制か、民間人を使ったかで日本政府の責任が変わるものではありません。
 戦時では性暴力はつきものだ、という意見も一部ありますが、日本軍が組織的に慰安所を設けていたことと一兵士が女性に乱暴するという問題とは性質が違います。

 「慰安所」に女性たちを事実上監禁し、多いときは1日に何十回も兵士の相手を強要することは、女性を人として扱わない、女性の尊厳を根底から奪う行為です。著しく人権を侵害する凄惨な犯罪行為が政府によって行われたのです。国連の各委員会、国際労働機関(ILO)がこれまで、日本政府に対し、被害者の訴追、謝罪と補償などを求める勧告を幾度も出し、米国、オランダ、カナダの3ヵ国と欧州連合(EU)の議会が謝罪や補償を求める決議をあげました。戦時下における性暴力を二度と繰り返さないための努力を続ける国際社会が、日本政府の責任逃れは許さないという姿勢を示したものです。

協議応じる義務

 韓国の憲法裁判所は昨年8月30日、「慰安婦」の損害賠償請求をめぐる日韓両政府の解釈上の違い(紛争)について、韓国政府が請求権協定に定める手続きをとってこなかったのは違憲であるとの決定を下しました。日韓両政府は1965年に、日韓基本条約と請求権協定を締結しました。韓国側は、そこにいたる外交交渉の文書を2005年に公開し、協定で放棄した請求権には、日本政府が関与した反人道的不法行為である「慰安婦」問題は含まれないという立場を明確にしました。そして憲法裁判所の決定と首脳会談での大統領の解決要求となったわけです。

 これに対して野田首相は、65年の請求権協定で、韓国側はすべての個人の賠償請求権を放棄したとの解釈から、「決着済み」だと述べています。しかし、この協定の3条1項は、日韓両国に解釈上の違いがある場合、「外交的に解決する」ことを明記しています。
 韓国憲法裁の決定はこの3条に基づく手続きを取ることを要求し、韓国政府は9月と11月に日本政府に対し、文書で協議に応じるよう求めました。日本側はそれに応える条約上の責務を負っているのです。


政府の謝罪・補償が基本

 日本政府は1993年、「慰安婦」調査を行い、その結果を受けて河野洋平官房長官談話を発表しました。「慰安所」の設置、管理及び「慰安婦」の移送については日本軍が直接、間接的に関与していたと断定し、「慰安婦」の募集についても、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、「官憲等が直接これに関与したこともあった」と日本軍の関与を認めました。その後、首相を務めた安倍晋三氏はじめ、一部の政治家は、この談話を激しく攻撃し、それに逆行する姿勢を示しました。

「償いといえぬ」

 村山政権時の95年に、被害者に「償い金」を支払う「アジア女性基金」が設立され(07年に解散)ました。しかし、これをもって補償は終わったというわけではないのです。基金は政府として償うお金ではなく、法的にも道義的にも日本政府の責任を明確にしていません。民間の基金で、国民に寄付を募り、そのお金を「償い金」として被害者に渡していたものです。「償いとはいえない」「金を払えばいいのか」と多くの被害者は怒り、韓国の234人の元「慰安婦」のうち、当初これを公に受け取った被害者はわずか7人です。その後、最終的に韓国で何人が受け取ったかは公にされていません。

 戦後66年がたち、被害者は80歳以上になり、存命する元「慰安婦」は、韓国で登録された234人のうちでは63人になりました。中国やフィリピンなど、他の国でも同じように亡くなる方が相次いでいます。認知症になった方もいます。彼女らにとって残された時間はわずかで切迫しています。生きていることの意味があったと思える瞬間がないまま彼女たちが亡くなることは許しがたいことです。

 「慰安婦」たちによるソウルの日本大使館前での水曜デモも1000回を超えました。少女像(平和の碑)が設置されたことで、野田佳彦首相は昨年末の日韓首脳会談でその撤去を求めました。日本側がきちんとした問題の解決をしないから少女像を建てられたということを理解しないで外交の場で撤去要求するのは恥ずかしいことです。

法的責任は明確

 野田首相は、「法的に解決済み」「人道的な立場で努力」といいますが、ジュネーブ条約は、非人道的な行為に基づく賠償請求権の放棄は認めない、免責はないというのが基本的な立場です。日本に法的な責任があるのは明確です。まず日本政府は、韓国から求められている請求権協定3条(解釈の違いがある場合の外交的解決)に基づく2国間交渉に速やかに応じ、さらにこの問題の最終的な解決である被害者への謝罪と補償を行う姿勢に立つべきです。これが基本中の基本です。

(おわり)

「慰安婦」問題をめぐるこれまでの動き

91年 8月 韓国で被害者が初めて名乗りをあげ、その後日本政府を相手に提訴
      12月 日本政府が調査を開始
92年 9月 フィリピンの被害者も名乗り出て、その後提訴
93年 8月 河野洋平官房長官が「あわびと反省の気持ち」表明の談話発表
94年 1月 オランダ人被害者が提訴
95年 7月 アジア女性基金発足(07年3月に解散)
    8月 中国人被害者が提訴
96年 1月 クマラスワミ国連人権委員会「女性への暴力」特別報道官が「慰安婦」問題で日本政府は謝罪と補償を行うべきだとの報告書提出
    3月 国際労働機関(ILO)専門家委員会が「慰安婦」は強制労働条約違反だと日本政府に勧告(以降、数次にわたり勧告)
98年 4月 山口地裁下関支部が立法不作為で国に慰謝料支払い命じる
    8月 マクドゥーガル国連人権委員会特別報道官が「慰安婦」問題で法的責任と責任者の処罰を含む報告書提出
99年 8月 国連人権小委員会が武力紛争下の性暴力に関して、個人請求権と国家責任は条約や2国間協定で消滅しないと決議
01年 3月 参議院に「戦時性的強制被害者問題の解決促進に関する法律案」が日本共産党、民主党、社民党により共同提出
   12月 オランダ・ハーグで女性国際戦犯法廷最終判決。天皇を最高責任者とする日本軍の組織的犯罪と認定
07年 7月 米議会下院「慰安婦」決議採択
   11月 オランダ議会下院「慰安婦」決議採択。カナダ議会下院でも決議採択
   12月 欧州議会で「慰安婦」決議採択
11年 8月 韓国憲法裁、韓国政府が請求権協定の規定に基づく解決のための手続きをとらないのは違憲と決定
   12月 日本大使館前の水曜デモ1000回目。平和の碑建立。日韓首脳会談で李大統領が「慰安婦」問題解決を要求

 ~しんぶん赤旗1月分より~

西松 中国人強制連行 消息判明 100人超す

2012-01-09 | 海外通信/外交/平和運動
 西松 中国人強制連行 信濃川

進む調査・救済

消息判明 100人超す


 第2次世界大戦末期に中国河北省、山東省などから中国人183人を強制連行し、新潟県十日町市の信濃川発電所建設工事で働かせた西松建設は、2010年4月、被害者と和解しました。謝罪し、被害者全員の救済へ「西松信濃川平和基金」をつくりました。基金による被害者・遺族調査で、判明していなかった人の消息が明らかになっています。

 同平和基金管理運営委員会の委員である中国人強制連行・強制労働弁護団団長の高橋融(とおる)弁護士は、「10年1月から5月にかけて集中的に被害者の調査が進められました。まだ調査は続けられていますが、100人を超す人たちの状況が明らかになりました」といいます。

70人に補償金

 被害者・遺族への補償金交付は同年8月から始まりました。基金の管理の実務を引き受けている中国人権発展基金会副秘書長の劉庶k(わい)さんが、遼寧省瀋陽市に住む被害者の許同友さん(85)を訪ねて、約65万円を手渡したのが第1号で、70人以上の被害者・遺族に交付されています。
 高橋弁護士は、「補償金を受け取った遺族は、父親から大変な目にあったと聞いていたけれども、こういうふうに持ってきてくれたと喜んでいたという報告を受けました」といいます。

 調査は、西松建設が戦後、外務省に提出した「事業場報告書」の名簿と被害者の情報をもとに進められました。
 名簿は、60数年前のもので字がぼやけているところもあり、名簿作成時の聞き違い、家族に累が及ぶのを恐れて名前を変えている者もあります。中国の行政区画は当時と大きく変わっており、該当すると思われる各県の民政局に問い合わせましたが、ほとんど成果はありませんでした。

語れぬ歴史
 調査員らは、被害者がいると思われる村まで行って、手がかりを探しました。
 「基金会の若い2人は、陝西(せんせい)省に赴いて11の村を訪ねたが1人も見つからなかった。名簿の判読できなかった地名をもう一度見直し、その村に行ってやっと見つけた。ところが、被害者の長男は、父親は日本に行ったことはないと否定した。日本へ強制連行されたというのは、中国では『はっきり語れぬ歴史』とされるので、トラブルを避けるため自分の息子にさえ、この歴史を隠すことは十分にありえる」と報告書は述べています。
 調査ではおよそ160の村を訪ね歩き、102人を探し当てたといいます。

真実知る 貴重な話

 信濃川平和基金管理運営委員の高橋融(とおる)弁護士は、「今回の被害者調査で、強制連行・強制労働の実態が新たに分かったということはあまりないようです。残念ながら、健在である被害者は数名しかおられず、直接、体験をお聞きすることができなくなっています」といいます。
 
激しく泣いて

 しかし、被害者の家族が調査員に話した日本軍に捕まったときの様子や、父親から聞いた日本での体験などは、強制連行の真実を知るうえで貴重です。
 被害者・李占祥さんの妻は調査員に会うと、激しく泣きだしました。日本軍は民兵隊長である夫を捕まえるために、先に自分を捕まえて拷問したため、夫は日本軍の前に出て行って捕まったということでした。

 20歳のときに日本に連行された平満倉さんは、衣食も満足にもらえない過酷な環境で重労働をさせられました。同い年の劉徳修さんが寒さと飢え、疲れで両目を失明したため、毎日の労働には、平さんが彼を背負って工事現場まで連れて行きました。こうして劉さんは辛うじて、一日一日を生き延びました。

 名簿に記載されている「李林栄」については、名簿に記載された村では知っている人はいませんでした。ただ村史には彼の名前があり、祖国に帰還した後、1947年の戦闘で犠牲になったことが記録されていました。
 調査報告書はいいます。「中国北方の大部分の農村地域ではかつて戸籍制度が存在せず、多くの地方で村史や宗族史もないため、6,70年も前に故郷を離れて二度と戻ってこなかった人については、探すことが大変困難です。人々の記憶から消えたのだから」

 被害者・遺族の多くは、農村に住んでいます。中国の農村の多くはまだ交通の便がなく、調査員らは、村から村に移動するとき、安全とはいえないオート三輪に乗せてもらったこともあるといいます。
 「調査にあたったのは中国人権発展基金会の事務方が委託した50代、60代の4人の女性です。大変困難な調査だったと聞いています。その困難を突破し、調査を進めてくれたことを私たちも喜んでいます」と高橋弁護士。

被害者多くに

 調査では、被害者らがわずか数ヵ月や1年余り、日本で奴隷労働させられたことで、多くの人が命を失わずとも体はボロボロになり、労働力をなくしたことが明らかになりました。また、帰国して間もなく死亡した人も数人いました。
 「今後も新しい手がかりを探し出し、できるだけ多くの被害者を探し当てて、西松建設による謝罪と補償を本人あるいは遺族の手に渡せるようにしていく。これをもって人類社会の正義と人権が明らかに示されるように」と報告書は結んでいます。

裁判・15回の交渉で

 新潟県十日町市の信濃川工事事務所に連行された中国人は、1944年6月と8月に中国・天津市の塘枯(とうこ)港で貨物船に乗せられ日本に来ました。信濃川では、つるはしとスコップでトンネルや川を掘り、手押し車やトロッコで土を運び、堤防を築くことや水力発電の基礎工事を行いました。
 45年1月に長野県王滝村の間(はざま)組御岳作業所に異動になり、トンネル工事に従事。さらに同年6月には同県信濃町柏原の間組戸寿(とす)作業所で、鉄鉱採掘をさせられました。同年12月に祖国に帰還しました。

何回も骨拾い

 信濃川の被害者のたたかいは、97年9月、企業10社と国を相手に提訴した東京第2次訴訟に参加したことからはじまりました。
 原告らは裁判で次のように陳述し、謝罪と補償を訴えました。
 「作業中、壁とトロッコの間に人差し指が挟まれ、指を切断する事故に遭いました。治療を求めても『医者も薬もない』と言われて、なんの治療も受けることはできませんでした」(郭真さん)
 「食事は、黒パンやぬか入りの米のご飯だった。ひもじくて耐えられない時はニレの葉やクワの葉を盗んで食べた」(李恕さん)

 「日本人の人夫頭は私に死体を焼くのを手伝わせた。何十回も骨を拾いました。拾った骨は私たちの寝起きしている宿舎の片隅に置きました」(韓英林さん)
 東京高裁は2006年6月、「強制連行はなかった」とする企業の主張を退け、「平穏な暮らしをしていた原告らが突然、強制的に異国に連行され、極めて劣悪な環境の下で過酷な労働に従事させられたというものであって、これらの行為は強く非難されるべき非人道的な行為というべきものである」と断じました。また、被害者ごとに強制連行と強制労働の事実を認定し、国と企業の不法行為、企業の安全配慮義務違反を認めましたが、時効と請求期間が過ぎているという除斥で請求を棄却しました。

来日80人要請

 同年10月、中国の被害者たち約80人が来日し、政府、各政党、企業にたいし解決を要請しました。信濃川の被害者も西松建設に赴いて、要請しました。
 信濃川の被害者が参加した東京第2次訴訟に関わった森田太三弁護士は、「最高裁は07年4月、西松安野案件で請求を棄却し、続いて6月に西松信濃川案件も請求を棄却しました。この最高裁判決後の7月、弁護団は西松建設に解決の要請を行いました。こうした経過を踏まえて、09年5月に和解交渉が始まり、15回の交渉をへて和解が実現しました」と振り返ります。今後、全面解決に向け、三菱マテリアルをはじめ、関係企業との交渉や国への働きかけを進めることが重要になっていると語りました。

(おわり)

赤旗日刊紙2011年12月24~26日号。