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雨が似合うジャズ曲 Bill Evans”Remembering the Rain”  Miles Davis”Round Midnight” Paul Bley

2012-06-11 | ピアノ
Bill Evans - Remembering the Rain


 やっぱり静か~なのが雨に合うかにゃ。にゃかにゃか渋くていいのが知れたにゃ。


『 Miles Davis Quintet - 'Round Midnight  』←は、トランペットがメインですが

 『 Paul Bley - Closer  』

 『 Paul Bley- Harlem  』

吉永哲道 チャイコフスキー「四季」1月”炉端にて” The Seasons January "By the Hearth"

2012-01-30 | ピアノ
Tchaikovsky The Seasons January "By the Hearth", Tetsumichi YOSHINAGA



 1月の最後に。
 
 このお方、なかなかに素晴らしい演奏♪ バッハの「来たれ異教徒の救い主よ」も音が小さいけど良かった。ショパンのマズルカもプロコやスクリアビンもあった。音小さいが・・・。


ついでに11月のyoutubeも。ネコ画像です↓

 『 ♬ トロイカ ♬ チャイコフスキーの四季より、11月トロイカ  』

チャイコフスキー 四季より 10月秋の歌 / 瞑想曲 

2011-10-27 | ピアノ
チャイコフスキー 四季より 10月秋の歌



 今週聴いたyoutube。で、覚えているもの。

★『 チャイコフスキー/18の小品 5.瞑想曲,Op.72/演奏:須藤梨菜 』


★『 Leonard Bernstein & Boston Symphony Orchestra - Tchaikovsky 5th Symphony 』
 (バーンスタイン&ボストン交響楽団 チャイコフスキー交響曲第5番)



 ★前に幻想ポロネーズをアップした、川村文雄さんplays
 リストピアノソナタロ短調 と、モーツァルトピアノ協奏曲第23番 2,3楽章 

 
 『 ジュネーブ国際音楽コンクールピアノ部門優勝/萩原麻未/第1楽章 』


 ブルックナー交響曲第8番、第5番   など。


 あ、『 音【最幸福的事】完整版 MV 』 ていう中国語の歌 最初の一文字消してしまってわからん・・

これぞツィメルマン2♪ ショパン協第1ー2・3楽章 Zimerman Chopin Piano ConcertoNo. 1 MvtII

2011-10-26 | ピアノ
(Zimerman)Chopin Piano Concerto No. 1 Mvt II



これぞツィメルマン2。 やっぱユンディ・リより勝ってしまったかな。
 でも部分的にユンディの方がいいところもある。やっぱルービンシュタインでいい。

 これは2楽章。3楽章も最初から神タッチ。


 関連動画の最近も。漂うように弾くより、タッチも表現もクリアなほうが、ツィメルマンの粒立ちが際立っていいと思う。。

Ain Yoon - Bach/Marcello oboe concerto in D minor ・ Chopin Piano Concerto No 2, 2nd mov 

2011-10-24 | ピアノ
Ain Yoon - Bach/Marcello oboe concerto in D minor


 亡き王女のためのパヴァーヌをあっぷしたAin Yoon(韓国)さん、なんとあれは13歳のときのだったみたいで、最初お顔みて16歳くらいかと思ってたのでびっくり。

 ↑10歳↑でこれもすごいです。現在14~15歳みたいですが、小さいときから、まったくその辺のオトナ有名ピアニスト顔負けの表現力ですにゃ。どれを聴いてもすごい。ももちろん、テクニックもすごーい。これからが楽しみ。中国のユジャ・ワンも、子どものとき凄かったんだっけ? 

 これもすごい。 『 Ain Yoon - Chopin Piano Concerto No 2, 2nd mov 』ショパンピアノ協奏曲第2番第2楽章。これも10歳らしい。


 ちなみに、妹さんも3,4歳下にいらして、ヴァイオリンなのでよくわかりませんが、かなり上手そうですにゃ。こちらも注目ですにゃ。

youtubeで近藤さんの演奏発見。バッハ=ヘス編曲 「シチリアーノ」 /主よ人の望みの喜びよ

2011-10-22 | ピアノ
シチリアーノ(バッハ)


大昔のCDのかにゃ? なんか違うような。もうちょっとじっくりだったようにゃ気がするが。どこの音源からだろ?? シチリアーノを聞こうと思って、せっかく偶然見つかったのは嬉しいけど、音が聞き取りにくいし、ちょとザンネン。


 ついでに出てきた、『 Dinu Lipatti plays J.S. Bach - Cantata BWV 147 (1950) 』

 同じバッハ=へス「主よ人の望みの喜びよ」 ディヌ・リパッティの演奏。

スコダ&デムス シューベルト幻想曲ヘ短調(志位委員長も演奏)Skoda et Demus SchubertD.940

2011-10-06 | ピアノ
Paul Badura-Skoda et J醇rrg Demus, pianos | Fantaisie en fa mineur, D.940 de Franz Schubert



  前回同様、志位委員長プロフィールにあった、奥様との連弾思い出の曲、シューベルト・幻想曲ヘ短調 D.940です。 
 ちなみに、当然?、バス・パートが志位さん。

 さすが志位さん(前回も)、波乱含みの訴えかけるような曲がお好みのようで? 名曲ですが♪♪
 あ~近藤さんと連弾してもらいたい。

 にしてもスコダさんはすばらしいピアニスト(音楽学者としても有名・・としか知らなかったにゃ!)ですにゃ♪ 静かなニュアンスでしとしと・・っと♪ 

 いつも適切な表現って感じだし、静かでもメリハリもちゃんとあって粒立ちうっつくしいし、かな~り吾輩好みのお方!。もっと聴こう。


 wikipediaより ~Paul Badura イェルク・デムス(Jörg Demus, 1928年12月2日 - )はオーストリアのピアニスト。
日本では、パウル・バドゥラ=スコダとフリードリヒ・グルダの二人とまとめて、「ウィーン三羽烏」などと呼ばれたが、それぞれ個性も方向も異なっている。 ウィーン音楽アカデミーに学び・・~



 このつづき、後半の映像が無いみたい?ですが、

 『 Schubert Fantasie Op103 D940(2/2) Maria João Pires & Ricardo Castro 』 ででも♪。。。
  ↑NHKピアノ・レッスンでおなじみ、ピリスと、リカルド・カストロの連弾です。 



 『 Schubert Fantasia for Two Pianos in F Minor, D. 940 (1/3); 1st movement; Perahia & Lupu 』
  ↑ルプーさん&ペライアさんの演奏も。ゆっくりです。


志位和夫・共産党委員長played  シューマン ノヴェレッテ Op.21-1 Novellette /Schumann

2011-10-06 | ピアノ
Novellette Op.21-1/Schumann シューマン ノヴェレッテ Op.21-1



 日本共産党委員長・志位和夫さんが高校時代に人前で弾かれたという曲です♪
 結構いい曲♪ 私にはとてつもない難曲と書かれてましたが(先日アップした、志位さんのプロフィールに)。
 奥様と連弾されたという、シューベルトの幻想曲ヘ短調も、後日しよっかにゃ♪

 http://www.youtube.com/watch?v=c2kDwXZRPNk&feature=related  ←もどうぞ

 <youtube>ルービンシュタイン様が弾いた、同じく↑シューマン・ノヴェレッテop.21↑の5番。

 Schumann's Novellette Op. 21, No. 5

 Arthur Rubinstein, 1963

 A cheeky salon piece radiating cheerfulness and humor.

 
  

 

~私と音楽~ 志位和夫(日本共産党委員長)HP プロフィール  

2011-09-22 | ピアノ
 志位和夫 HP  私のあゆみ  より。 (「私と音楽」を最初に、順番変更しました) 


私と音楽

 音楽は、私にとって、人生の一部といってもいいほどのかけがえのない世界です。高校のころは、作曲家に本気でなりたいと勉強していた時期もありました。
ピアノ、バイオリン、作曲について、習いました。作曲の勉強は、和声法と、対位法、そして簡単なソナタ形式の習作を作ることでした。幼稚なものですが、当時の作品も残っています。

しかし、この世界は、どんなに望んでも才能の壁というものがあることを知らされました。作曲家の道は断念しましたが、音楽は生涯の友人です。
もっぱら聴くことが中心ですが、どの時代のものも好きです。バッハから、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ショパン、リスト、ブラームス、チャイコフスキー、マーラー、ラフマニノフ、プロコフィエフ、そしてショスタコービチ。どれも大好きです。

ピアノは、少しずつでも、毎日練習することを目標にしていますが、いっこうに上達しません。それでも大好きです。人さまの前で演奏したのは、高校時代に。シューマンの『ノベレッテン』(第一番)という私の技術ではとほうもない難曲に無謀にも挑んだときと、結婚式のさいに妻とシューベルトのヘ短調の『幻想曲』を連弾した二回だけです。
この『幻想曲』は、ピアノの連弾曲としては、奇跡的な傑作ですが、演奏が、とくに私の受け持ったバス・パートが傑作にふさわしいものだったかは、まったく疑わしいものでした。

音楽は、言語の世界とはまったく違った、独特の力で、人の心に直接訴えてきます。この素晴らしい世界と出会えたのは、私の生涯にとって大きな幸せです。


 
落花生の畑が原風景

 私は、1954年7月29日、千葉県四街道市(当時は町)に生まれました。「和夫の『和』は、平和な世界をという願いを込めた」と、聞かされました。私の家は、町の中心部から離れた落花生の畑が広がるなかにありました。四街道は、とりたてて名所・旧跡があるわけでもない、平凡な田舎の町でしたが、私にとってはいまでも故郷であり、畑や野原のなかを走り回って遊んだ懐かしい思い出があります。父(明義)も、母(茂野)も、日本共産党員で、二人とも小学校の教員でした。父は、船橋市の教職員組合の書記長をつとめ、日本共産党の船橋市市議会議員もつとめました。

父の肩車にのって安保闘争

 私の初めての「政治体験」の記憶をたどると、幼稚園児だった時、1959年から60年にかけての日米安保条約改定反対の大きなたたかいがおこるなか、千葉市でおこなわれた安保反対のデモ行進に「参加」したことでしょうか。「参加」したといっても小さな私が大勢のなかを歩くのは危ないと考えたのか、父の肩車の上でした。当時の安保闘争の緊迫した熱気ある情景がはっきり思い起こされます。おそらく、5歳から6歳のころのことだと思います。



入党--輝いていた日本共産党の姿

 日本共産党に入党したのは、1973年、大学1年生のときです。当時、自民党の田中内閣が、小選挙区制をもちだすという動きがもちあがり、大きな反対運動がおこりました。私の大学でもストライキを決めて、駒場から国会へ700名ほどのデモ行進もしました。このたたかいなかで、民主主義をまもるために輝いていたのが日本共産党でした。たたかいに参加するなかで、仲間もでき、よびかけられて入党しました。学生時代は、党の活動と学生運動に熱中しました。科学的社会主義の古典も夢中で読みました。大学の学業の方はというと、講義の出席は悪く、立派な学生とはいえません。物理工学科でしたので、卒業には実験と卒論が必要で、これだけは何とか仕上げました。超伝導といって、極低温で、電気抵抗がゼロになるという物性の研究でした。この時期は、私にとって、人生の進路を決めた、ほんとうに大事な時期となりました。


日本共産党の専従の道に

 党員になったとはいえ、進路については、いろいろと悩みました。大好きな音楽の道を本気で考えていたこともありましたし、物理の道をやりたいと考えたこともありました。でも、選んだのは、日本共産党の専従活動家の道でした。大学を卒業後、1980年に、日本共産党東京都委員会の青年・学生分野で仕事をはじめました。1982年からは党本部の勤務となりましたが、おもに青年・学生分野での仕事と、政策委員会や、社会科学研究所などの仕事でした。かけだしの専従時代には、多くの先輩からたくさんのものを、教えていただきました。新しい経験の連続でした。


1990年の党大会で

 私の生活が一変してしまったのが、1990年の7月に開かれた日本共産党第19回大会でした。大会で中央委員に選ばれた後に開かれた第1回中央委員会で、突然、書記局長に選ばれたのです。私には、まったくの突然の話でした。「ほんとうですか」とよく聞かれますが、ほんとうに突然の話でした。「えらいものが回ってきた」という驚きもあり、不安もありましたが、重責を担うことになりました。35歳のときでした。
この時は、まだ国会に議席もなく、衆議院に議席をえたのは、1993年の総選挙の時でした(旧千葉1区)。知名度の低い私にとって、たいへんな苦戦でしたが、地元のみなさんの必死の支援と、不破委員長(当時)にも何度も応援にきていただくなど、たくさんの応援をいただき、国会におしあげていただきました。38歳のときです。


逆風と上潮と、新たな試練

 書記局長に就任した当初は、旧ソ連・東欧の崩壊がすすんでいるさなかであり、「共産主義崩壊論」が、内外で荒れ狂っているたいへんな逆風の時代でした。
しかし自主・独立の党への強い自信と誇りがあって、将来を悲観するような、悲壮な気持ちは少しもありませんでした。この時の党全体のがんばりが、90年代の後半からの躍進につながりました。その後、相手の側からの巻き返しもあり、新たな躍進をつくれるかどうかという、とても重い責任を担って、2000年に開かれた第22回党大会で、私は、幹部会委員長に選ばれました。

「21世紀の早い時期に民主的政権」をつくることが、私たちの目標です。書記局長になってからの12年間をふりかえってみても、いまこそどんな風が吹いても、揺るがず、国民から頼りがいのある、強大な党をつくりたいーこれが、私の願いであり、決意です。



稲本 響 映画「イキガミ」 hibiki inamoto ニューヨーク・スタインウェイ

2011-08-29 | ピアノ
Japanese Pianist hibiki inamoto 稲本 響 映画「イキガミ」



 昔すれ違ったことがあって、オーラを感じましたが、10年ぶりくらいに見たら、なんじゃいこの髪型ってぶった切りたくなりました。が、
 高木綾子さんのyoutubeがほとんど無かったので、昔近藤さんが愛用していたニューヨークスタインウェイでも。
 
 近藤さんとは、調律も全然違ったらしいし、3分半くらいの映像でやっとニューヨークだと、肘?のフォルムで確認できますが、音が硬質で明るいですねやっぱ。
 
 
 彼はポップスを編曲したCDなど結構面白かったですが、結構本格的なお料理も趣味らしくて昔よく月刊ショパンでレシピを披露してましたにゃ。コーヒーフレッシュミルクとわさびと醤油のソースを海老みじん切りのパン粉焼きにかけるとかってやつを、真似したことも。美味しかったです。
 

ラフマニノフ- Prelude op. 23 no. 7 in c  by Vadim Chaimovich  経団連米倉会長 異常な原発擁護

2011-07-14 | ピアノ
Rachmaninov - Prelude op. 23 no. 7 in C minor [by Vadim Chaimovich]


リトアニア出身、チャイモヴィッチ?さん。まだ若そうで有名ではないのか、読み方がすぐに出てきませんでした。



 では・・??


 
 
 赤旗日刊紙 2011年7月13日(水)    
 

 『空洞化』の脅し
  どこまでわがままを通すのか


 経団連の米倉弘昌会長が11日の記者会見で机をたたいて怒りをあらわにしました。『ストレステスト(耐性試験)』の実施などで定期点検中の原発の再稼動の時期が遅れることに、いら立ちを抑え切れなかった様子です。
 米倉氏は『電力の安定供給』がなければ「日本企業は海外移転してしまう」とのべました。さっさと原発を再稼動しないなら大企業は日本から出て行って、日本を空洞化させるぞという脅しです。



 異常な原発擁護の姿勢

 被害を拡大している東京電力の福島原発事故は国民の意識に大きな変化をもたらしています。原発は『廃炉』へと答えた人が82%(『東京』6月19日付)、段階的に削減し将来は『やめる』という人が77%(『朝日』12日付)―。圧倒的多数の人が原発ゼロの社会を求めるようになっています。
 無責任な原発『安全宣言』で再稼動を急ぐ政府のやり方には国民の怒りが広がっています。信頼を完全に失った電力会社と原子力安全保安院・原子力安全委員会に任せるストレステストに一片の信頼性もないことも明らかです

原発とは共存できないという思いからの国民の怒りとは正反対に経団連会長は原発をすぐ再稼動しないことに怒っています。放射能による被害は日本列島の各地に拡散し、危険は何十年先まで及び、地域社会が文字通り崩壊の悲劇に見舞われているというのに―。かつてない国民の不安、とりわけ暮らしを根底から覆された福島の住民の無念と痛恨の思いに何の痛みも感じないのでしょうか。

 米倉氏は東電の原発事故を見て「千年に一度の津波に耐えているのは素晴らしい。もっと胸を張るべきだ」と言い放ちました。賠償でも「東電の免責は当然」、東海地震の震源地に建つ浜岡原発の停止要請にも「唐突だ」と、なりふり構わず原子力発電と電力会社を擁護し続けています。
他方で再生可能エネルギーを増やすことについては「電力価格の上昇をもたらす」と敵視する姿勢です。

 背景には電力会社が財界中枢に座り、日本への原発導入の当初から財界が後押しし、政治献金をテコに歴代政権に原発推進を迫ってきた、財界と原発との深いかかわりがあります。それでもなお、悲惨極まりない3月11日の事故を経験したあとでは、利益を最優先にしたこれまでの原発推進の姿勢を少しは反省してもよさそうなものです。しかし、米倉氏の発言や態度からは、そんな反省のかけらも見えません。
 反省どころか、日本から出て行くぞと政府や国民を脅すに至っては、情けなささえ感じます。
 

 いまそこにあるリスク

 東電の事故は本質的に危険な原発こそ電力の安定供給の最大の障害であることを示しました。その原発から速やかに撤退し、再生可能エネルギーを最大のスピードで本格導入していくことは大企業の経営にもプラスのはずです。大企業が原発の近くから工場を撤退しようとしているように、原発の存在はいまそこにある経営のリスク(危険)にほかなりません

 大企業の中にも浜岡原発の停止要請を歓迎したり、再生可能エネルギーの推進を主張したり、安易な海外移転はしないと表明している経営者もあります。それと比べても経団連会長の姿勢は異常さが際立つばかりです

(おわり)

 


 旧約聖書・新共同訳  箴言(しんげん)より一部抜粋
 
 増長し、傲慢な者、その名は不遜

 不遜な者を諭しても侮られるだけだ。
 神に逆らう者を戒めても自分が傷を負うだけだ。
 不遜な者を叱るな、彼はあなたを憎むであろう。
 知恵ある人を叱れ、彼はあなたを愛するであろう。


 聖書に抵抗がある方は、いわゆる『名言集』である、旧約の『箴言』を。。