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重松清『疾走』のヨブ記 / 清武氏、新事実ある!25日の反論会見で紙爆弾投下へ 

2011-11-25 | 読書記録・お勉強
 重松清の「疾走」を、3分の1ほど読みました。 昨日の夜だいぶ読んでしまった。
なんか、シュウジとエリって、ちょっと運命的にも性格的にも自分に似てるところがあると思って(気のせいじゃないところもあるにゃー。)、長いけど、最後まで読むと思います。

角川書店発行の
P,89

運命は、双六盤です。
色々なことが書かれています。そのひとにとって幸せなことも、不幸せなことも。
『ふりだしに戻れ』という目もあるし、『5マス先へ進め』というマス目もある。
そのマス目の、どこに停まって、どこを飛ばしていくのか・・それが人生なんだと

って、神父さんが言うの、しっくりくる上手い例えだにゃと思いました。


P,161
(引用文献・『聖書 口語訳』 日本聖書協会)

ヨブ記・第7章
<記憶せよ、わたしの命は息にすぎないことを。
 わたしの目は再び幸いを見ることがない。
 私を見る者の目は、
 かさねてわたしを見ることがなく、
 あなたがわたしに目を向けられても、
 わたしはいない。>

ヨブ記・第13章
<黙して、わたしにかかわるな。わたしは話そう。
 何事でもわたしに来るなら、来るがよい。
 わたしはわが肉をわが歯に取り、
 わが命を手のうちに置く。
 見よ、彼はわたしを殺すであろう。
 わたしは絶望だ。
 しかしなおわたしはわたしの道を
 彼の前に守り抜こう>


まで、読んだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 

関係ないけど、↓↓面白いですにゃ。今まで、逆らった人知らにゃいもんにゃ。

清武氏、新事実ある!25日の反論会見で紙爆弾投下へ
スポーツニッポン11月25日(金)6時0分

25日に会見を行う清武氏。どんな新事実が飛び出すのか


 計10ページにもわたる資料を用意しており、徹底反論とともに巨人の内紛第2ラウンドが幕を開ける。
 再び事態が大きく動きだす。注目の会見を前に、清武氏の個人弁護士である吉峯弁護士は東京・千代田区内の自身の法律事務所前で報道陣に対応。会見での解任への反論について「もちろんあります。それも、あります」とした。内容は単なる反論だけではない。これまで表に出ていなかった新事実の公表。「それも」という言葉で、同弁護士は新たな「爆弾」を含め新事実を明かす可能性に含みを持たせた。

 11日の清武前代表の会見を皮切りにスタートした両者の深刻な対立。2週間がたち、球団側は清武前代表の解任、白石興二郎新オーナーの決定など沈静化に躍起だ。そんな中での会見で、清武前代表サイドは膨大な文書を用意して臨む。
 「ちゃんとペーパーを出すので。ペーパーは結構長いよ。(A4用紙だとすると)10ページくらいかな。丁寧に書いておいたから。まあ、それを見てください」
 清武前代表はこの日、吉峯氏の法律事務所にも姿を現さなかった。しかし会見を前に周到な準備を整えていた。11日の会見ではA4用紙2枚を配布。翌12日の渡辺球団会長による反論FAXはA4用紙3枚、約2000字だったが、今回はその3倍以上の10ページにわたる文書を作成した。

18日に電撃解任が発表された際に吉峯弁護士は、その全てに関して「取るに足らない。全く事実に反している。全部反論できる」と断言。同弁護士はこの日も、5つの解任理由への反論が可能とあらためて明言した。しかしその分量を見るだけでも、解任理由への反論だけでなく、そこに新事実が盛り込まれていることをうかがわせる。

 注目の会見の舞台は、日本外国特派員協会。内紛騒動の発端となった清武氏の11日の会見も、AP通信やウォール・ストリート・ジャーナルの電子版が報じるなど、国内外で注目は高い。清武前代表自身も解任直後に「今回何があったのか、どういう不当な圧力があったのかについてきちんと日本シリーズ後に私と弁護士で申し上げます」と話していた。

25日の会見が今後の「お家騒動」の流れに大きな影響を与えることは間違いなく、法的措置も含めた徹底抗戦への幕開けとなる。11日の騒動の発生からちょうど2週間。まだまだ収束点は見えそうにない。

『ぶどう園の労働者』のたとえ ー 三浦綾子 新約聖書入門 光文社文庫より

2011-06-29 | 読書記録・お勉強
 真に対等な人間関係を築くのは、人間様には難しいことにゃのか??
 
 


 ~~『ぶどう園の労働者』のたとえ~~


 『天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けにでかけて行った。主人は、1日につき1デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。
 また、9時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、「あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう」と言った。それで、その人たちは出かけて行った。主人は、12時ごろと3時ごろにまた出て行き、同じようにした。5時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、「なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか」と尋ねると、彼らは、「だれも雇ってくれないのです」と言った。主人は彼らに、「あなたたちもぶどう園に行きなさい」と言った。

夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、「労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい」と言った。そこで、5時ごろに雇われた人たちが来て、1デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも1デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。「最後に来たこの連中は、1時間しか働きませんでした。まる1日、暑いなかを辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。」主人はその一人に答えた。「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと1デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。」このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。

(おわり)




 
 
 疑問の1つは、なぜ、朝から働いていた者から先に賃金を払わずに、最後に来た者から支払ったのか。
 ということである。朝から働いた者は、1日中汗を流して働いたはずなのだ。最後に来た者から金をもらうとなれば、はじめに来た者たちはかなりの長い間、うしろに立って待っていなければならない。こんな不公平な扱いがあるだろうか。話を聞きながら、いささか憤慨した者もいたかもしれない。

 日本でも、大阪や東京のある地域では、自分たちを雇いに来る人を待って、群がる場所があるという。その人たちをいわゆる『立ちんぼ』と呼ぶらしい。何もせずに立っているのは、遊んでいるのではなく、
「誰か雇ってくれないか」
 と、雇い主を求めて立っているのである。
 その1番目に選ばれた人たちは、どんなにうれしかったことだろう。1日1デナリの約束だったというが、1デナリの賃金は、当時の農園労働者の労働賃金、ローマ兵士の1日の賃金と同じであったという。

 1デナリの約束で、朝のうちに仕事にありついた人たちは、どんなに安心であったろう。まずは食いはぐれがないのだ。妻にも子にも飢えさせずにすむのだ。当時の労働者は、奴隷よりもその日の暮らしに困っていたという。奴隷たちにはとにかく主人がいる。主人は自分の持ち物である奴隷を飢えさせはしまいから、その意味では生活は安定していた。しかし労働者たちは違う。
 ぶどう園の主人が夕方5時ごろ出て行くと、まだ立っている人々がいた。5時といえば、もう1日が終わろうとしている時刻だ。彼らはまだ、雇ってくれる人を必死になって待っていたのである。

 もし、誰も雇ってくれないことに自暴自棄になり、絶望してその場を立ち去っていたならば、彼らは雇い主の目にとまることはなかったにちがいない。なんとしてもその日の食物を得るために、何時間も待っていた労働者たちの心情を思うと、胸に応えるものがある。
「あなたがたも、ぶどう園に行きなさい」
と、言われた時の彼らの表情を私は想像する。それは、朝9時に雇われた人の喜びとはちがって、恐らく泣かんばかりの深い感動があったにちがいない。
 そしてそのぶどう園の主人は、その彼らの、自分に対する絶大な感謝を深く心に受けとめたにちがいない。

 一方、朝から雇われていた者たちは、夕方になってやって来た労働者たちに、どんな視線を投げかけたことだろう。
「なんだ、今ごろやって来て」
 といった、古参特有の冷たいまなざしを向けていたかもしれない。そこには、人を見下す傲慢なまなざしがあったのではないだろうか。
 午後5時に来た人たちは、そうした視線を浴びながら、小さくなって、わずかな時間を夢中になって働いたに違いない。こうしてぶどう園の主人は、最後に来た者たちに、深い同情を抱いたのではないだろうか。
 
 もう一つの疑問は、1日中働いた者の賃金と、1時間しか働かなかった者の賃金が、同じ1デナリだということである。これがもし現実に目の前でなされたとすれば、確かに私たちも、不平を言うであろう。私もここの箇所に、大いにひっかかったわけである。
 文句を言った古参の者に主人は答えた。
「友よ」
 主人はそう労働者たちに呼びかけた。
 日本にどれほどの数の企業があるか知らないが、その企業主が、労働者たちを、「友よ」と呼ぶ姿勢を、果たして何人持っているだろうか。恐らく1人もいないと断言していいのではないだろうか。

 友というのは、対等の関係を表す言葉である。労使関係は対等でなければならない。
が、人間というのは不思議なもので、金を払うほうが、人間的にも上であるかのような錯覚を覚えるらしい。片方は労働力を提供し、片方はその代価を提供しているにすぎない。つまり『ギブ・アンド・テイク』なのである。対等の関係なのである。『友』なのである。しかし、そうはいかないのが、私たちの実態である。イエスは2千年も前に、そのことを喝破しておられた。

 さて、このぶどう園の主人は、文句を言われたがなんらの契約違反もしてはいない。1日1デナリオンの約束どおりに賃金を払っているのである。だが、1時間しか働かない者にも1デナリを与えたということで、1日中働いた者は、カッとなったのではないか。冷静に考えれば、自分は約束だけの分をもらったのである。なんの文句もないはずなのである。

 1デナリはわずか100円そこそこの賃金である。辛うじてパンを食べ得るだけの額である。
 主人が後の者に金を払ったのは、単に労働時間だけではなく、雇い主を待って、夕方の5時までも絶望せずに立っていた労苦を思いやったからに違いない。が、人間は、自分が人からもらうものは喜ぶにもかかわらず、人がもらうのを見ると素直に喜べない。喜べないだけならまだしも、与えた主人に文句をつけるのだ。

 それはそれとして、とにかく天国とは、このような主人のいる所なのだ。主人が人を見るのに、何を見るか、単なるその人間の、能力でもなければ、学力でもない。ましてや体力でもなければ、容貌でもない。地位や富が重要でないことは、もはや言うまでもない。
 朝から夕方まで、ただ雇われることだけを願って、絶望的な場にありながらも、絶望せずに立っていた労働者たちのように、ただひたすら、神を待っている者が、祝福される場所なのである。

 しかも、ただ、ぶどう園の主人のために、幾らで雇われるかどうかも心にかけず、ひたすら謙遜に、一心に、主人につき従う者が祝福されるところなのである。先に雇われた者のように、古参面をしたり、お前たちと自分たちとはちがうというような顔をする者は、天国では先に立つことはできないのである。

 イエスは他の箇所で
「幼子のように神を受け入れる者が、天国に入ることができる」
 と言われているが、この幼子のようなへりくだった姿を、午後5時に雇われた労働者にイエスは見られたのであろう。
 このたとえ話は、われわれの生き方、現代社会のあり方、特に労働問題にもさまざまな示唆を与える話であり、また、信仰上、実に深い真理をもたらしてくれるたとえである。



 解説
 【 三浦綾子  新約聖書入門 光文社文庫 】

お金で世界を変える30の方法  田中 優 + A SEED JAPAN エコ貯金プロジェクト[編]

2011-03-10 | 読書記録・お勉強
 良い本見つけました。はじめにの部分だけでも社会のためになるような本です。
  本屋さんで見かけたら、手に取ってみてね。


 小林武史(ap bank代表理事/音楽プロデューサー)氏のコメント(帯宣より):

 お金を上手に使えば社会がよい方向に進むことができる。
 ということを、どれだけの人が知っているだろうか。
 だからこの本を たくさんの人に勧めたい。

  田中 優 + A SEED JAPAN エコ貯金プロジェクト[編]  合同出版


 

  お金で世界を変える30の方法  ーはじめに-

 毎日使っているお金なのに、私たちはそのいく先を知りません。
 いったいどこに貸し出され、あるいは投資され、どんな現実を生み出しているのでしょう。
 
 皆さんがお金を投資する先が、もし「国債」だとすると、その行く先は、米国債を経てイラク戦争の軍事費になります。
 軍需企業の商品は、政府が全部買い上げますから、ここに融資すると確実に利益になります。その代わり、たくさんの人々が死んでいきます。
 
 ダントツに子供を殺す爆弾といわれる「クラスター爆弾」を製造する会社にも、日本の銀行 が多額の融資をしています。
 世界の子供を殺すことも、私たちの預貯金がしてしまうのです。


 いわゆるハゲタカファンドと呼ばれる投資会社の原理はただ1つ。
 「善」は収益を高く上げること、「悪」は収益を得られないことです。その行動は、弱い立場にいる人たちを虐げます。
 投資会社ドニゴール・インターナショナルは、深刻な貧困に陥っているザンビアの債権を安く買い取り、高く売ることで莫大な利益をこの国から吸い上げました。
 
 その結果、ザンビアではHIV / AIDS 患者が無料の治療を受けられなくなったり、無料で学校に行けるはずだった子供たちも夢を諦めなければならなくなりました。
 ここにも世界一といわれる私たちの貯蓄が関わっているはずです。

 この話から分かるように、私たちの未来を決めるのは、私たちが考えたり祈ったりしていることではなく、「どこにお金を預けたか」によるのです。


 世界ではすでに、貧しい人たちを救い、地域全体がよくなるようなお金の流れを作る金融機関もあります。それに比べると、日本はまだ始まりかけたばかりです。

 しかし、そんな日本の中でも、各地に「NPOバンク」と呼ばれる、非営利のバンクが作られ始めました。
 他の金融機関では融資しない、市民の事業や非営利活動、福祉や環境などを対象に低利で融資を行っています。

 また、環境に配慮されたものに投資しようとする動きも始まり、「グリーンな投資」は、今や数え切れないほどあります。
 
 また、これから、いい施策をお実行する自治体が地方債を地域住民に販売したり、さらには良い政策を採る国が、他国の投資家に向けて販売することもありえるでしょう。


 さらには最新の技術を応用しながら、食料の自給や、エネルギーの自給を目指そうとする人たちもいます。
 お金がいらない暮らし方を実現すれば、お金に支配されない生き方が可能になるからです。


 この本を執筆したのは、まだ微弱なこの流れを大きな流れに変えたいという私たちの願いはどこから来るのか、この流れはどこに始まるのかをお知らせしたかったからです。

 戦争の動機、環境破壊の原因がはっきりすれば、対策もはっきりした輪郭で描けます。
 
 お金の引き起こす問題への探求は、今始まったばかりなのです。 ここに示した30の方法にひとつでも共感してもらえたら、とてもうれしく思います。
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  田中 優 + A SEED JAPAN エコ貯金プロジェクト[編]  合同出版

 (ちょっとだけ省略編纂してますが)

「母」 三浦綾子

2010-10-27 | 読書記録・お勉強
  

作中引用~~~~~~~

「母さん、おれはね、みんなが公平に、仲よく暮らせる世の中を夢見て働いているんだ。 小説ば書いてるんだ。 ストライキの手伝いしてるんだ。
 恥ずかしいことは何一つしてないからね。 結婚するまでは、タミちゃんにだって決して手ば出さんし・・・ だから、おれのすることを信じてくれ」

 そう言ってね、わだしが、

「多喜二のすること信用しないで、誰のこと信用するべ」 

って言ったら、うれしそうに笑っていた。~~~~~~~


子供の頃、三浦綾子の、キリスト教信仰を基盤に人間の心理を真摯・謙虚に捕え、それを易しく表現する精神に、結構な影響を受けていましたが、彼女の小説を随分長い間読み返さずにきていました。

最近、共産党に入党し、小説を書き続けたために1933年、特高警察に拷問死させられた、小林多喜二の母セキさんが多喜二を語るという形式の小説「母」を読み、また三浦作品、彼女の精神の魅力を再認識しています。


解説より~~~~~~~

 多喜二の優しさは、バイオリンを勉強したいと願っていた弟、三吾のために、小樽の拓殖銀行に勤めて初めて貰った給料をはたいて買い与えたり、
 また家庭を救うために身を売らねばならなかったタミを、当時の教員の初任給が四十円から四十五円といわれた大正十四年に五百円の金を工面して(ボーナスと友達からの借金で)身請けし、(結婚はせず、)自由な身にしたことなどに表れている。
 
 (中略)

 多喜二は、資本家の社会的不正と戦うために作品を書き、共産党員として活動するが故に、銀行はクビになり、投獄もされ、最後には築地の警察署で特高に虐殺された。

 セキは語る。

「多喜二の遺体はひどいもんだった。 首や手首には、ロープで思いっきり縛りつけた跡がある。
 ズボンを誰かが脱がせた時は、みんな一斉に悲鳴を上げて、ものも言えんかった。
 下っ腹から両膝まで、墨と赤インクでも混ぜて塗ったかと思うほどの恐ろしい色で、いつもの多喜二の足の二倍にもふくらんでいた」

「わだしはねえ、なんぼしてもわからんことがあった。 多喜二がどれほど極悪人だからと言って、捕えていきなり竹刀で殴ったり、ももばめったやたらに刺し通して、殺していいもんなんだべか。
 警察は裁判にもかけないで、いきなり殺してもいいもんなんだべか」

 それは民主主義を完全に否定し、人権を無視した者への重い告発の言葉である。
 
 そこに私は、著者三浦氏の、多喜二を虐殺したような人権弾圧と思想統制によって、国民を戦争の道へと駆り立てた、権力者への怒りと批判の目を感ずるのである。

 三浦氏は、『銃口』において、多喜二が亡くなってから数年後に起こった、特高警察による「北海道綴方 教育連盟」の良心的な教師たちへの弾圧を取り上げて書いているが、
 その『銃口』の中でも多喜二の拷問による死についてふれている。 ~~~~~~~~

         

 
「母」は、多喜二の、社会悪との戦いのため書いたプロレタリア文学に比べ、数段読みやすく、多喜二の信念、人間愛、今の時代とオーバーラップするような権力構造社会の認識、最後には、財閥・軍閥政治~そこからくる戦争にも反対し続けた、某・革新政党へのイメージ、までが易しく(優しく)胸に迫ってくるものになっていると思います。

 そして単純に恋人との数々のエピソードだけでも、2人のあまりのいじらしさに胸を打たれます。
 吾輩の中でいちばんの英雄、男の中の男です。


 今年の参議院選挙の結果を受けても、ここ2~3年の「蟹工船ブーム」はナンだったんだろう・・・社会への不安・失望を抱えながらも目を向けるべき方向をまた見失うのか・・と思うこの頃、「蟹工船」よりはむしろ「母」が広まればいいんじゃないかなぁと思っています。
 
・・・ですが、坂本竜馬のように、多喜二の人物そのものをメディアで大々的に取り上げて貰える訳はありません。。 (ので、書籍宣伝員ひっそり募集ちゅう。)



  

 15年ぶりくらいに、『氷点』『塩狩峠』・・なども読んでみました。
 最初に読んだのは小学生だったもんで、懐かしさとともにあのときの衝撃を思い出すか・・という期待に対して、衝撃が薄すぎる結果に少しびっくりしてしまいましたが・・。
 
 ・・が、これらもキリスト教に縁のない人(吾輩もですが)には新鮮な、中身ある内容ですし、『母』は泣きました。
 多喜二の小説についてはまだ無知ですが、略歴と『母』中での人間性に触れるだけでも十分胸いっぱいにゃ。 


簿記受けてきた

2008-11-17 | 読書記録・お勉強
 ちょうど1年前に、失態を犯し受けそびれれ(呆)、その後ほったらかしにしていた日商簿記3級を、昨日ようやく受けてきました。
 去年は独学でしたが、今回は効率よくTACのトレーニングを受けました。

 何かに焚き付けられないと、机に向かうとかピアノに向かうとかいうことがなかなかできないダメ人間な私。 今回も結局授業に出る以外ほんのちょっとしか勉強しなかったけど、さすがにTACの直前対策「的中答練」問題は解いていたので、本番の試験は簡単に感じました。

 前回は、ひねったイジワル問題が出て打ちのめされた人が多かったんだとTACの先生に脅されてたので、いつ出るんや、いまかいまかとびくびくしながら解いていたけど、そんな問題は一問も出なかったよ。らっきー。

 ただ、TACの予想もあんまり当たってなかったみたいだけど。
 今回はハレー彗星並に珍しく(というか、今後はそうなっていく傾向らしいけど)精算表の推定問題じゃなく、貸借対照表と損益計算書の穴埋め問題が出たので、第5問は精算表だと思い込んでいた独学の人はちょっと驚いたかも。でも別にひねってなかったけどね。

 それと、第4問は、資本金からの引出金というこれまた少しマイナーなのが(個人商店対象の3級ならではの問題)出たけど、私は練習不足だし慎重に解いたので、時間切れでしたのであんまり関係なかったですわ。

 ちなみに、第2問は、商品有高帳(移動平均法)と順当な出題でした。

 
 過去問を1問も解いてないので(TACの難しい問題に慣れようと思って←言い訳)分かりませんが、今回(第120回)の試験はイタダキの回だったみたいです。まぁ前回が難しかった(合格率・全国平均29、5% 例年は40%くらい)ので、問題作る人が反省したということみたい。
 
 どの回でも70点取れるラインはだいたい揃ってるらしいけど、合格率を見るかぎり、前回受けなくて私は運がよかったってことでしょう。問題作った先生ありがとー

 帰り道、気をよくしてらぽっぽの紫芋の焼き芋と、あこべるというパン屋の高いパンを買って食べました。ほくほく
 そして、図書館でアルバン・ベルク四重奏団のシューベルト「死と乙女」をレーザーディスク鑑賞して、ヴェデルニコフとブレンデルのベートーヴェンCDも調達しました。
 この二人、ちょっと前から私のブームです。ベートーヴェンの31番の3楽章と32番の1楽章ぜったい弾きたいなぁ5番と30番の3楽章もいいなぁ どれもむちゃな難しさやけどね

 帰ってCD鑑賞した後は、フィギュア見ましたよ。 最近の真央ちゃんにはクギ付けでおす、コーチがすごいんかしら。ほんとにきれいで、表情も演技も大人になって。
 昨シーズン世界選手権の演技見てまた泣けてきましたわ。今シーズンのプログラムも魅力的だし。失敗を糧に、その天性のセンスと努力でもっともっと伸びていくと思います。楽しみだわ~
 小塚君も伸びやかでよかった。伸び盛りの人を見るのってわくわくしてたのしいですね。昨日はらぶらぶで充実した日だったわん
 
 

 

私たちが好きだったこと(2)

2007-12-05 | 読書記録・お勉強
 ページが前後しますが、P85の続きで ルネ・ユイグ著 <かたちと力>の場面。

P86 
~~「ロバちゃんは、目から鱗が落ちるみたいだって言ってたわ。とくに、550ページのところなんて感動したって・・・」
 と愛子が、また台所で言った。 曜子は、首をかしげ、550ページをひらいた。

ーーーところで、生命が、物質的様相に覆われていながら、液体がもたらすかたちを利用する一方で、時間の影響下でその命令にもすでに順応するようになっている時、それらのかたちを凌駕する射程をつけ加えていた生命は、異なる次元に入っていたのだ。
そのために生命は新しい組織原理を根底からうち立てる。ーーー
 
 私と曜子とは、顔を見合わせた。
「与志くんは、わかる?」
「わかるような気がするけど、やっぱり、わかってないだろうな・・・」
 すると、愛子は、夕飯の支度をすべて終えて、リビングに来ると、
「最後の何行かを読んだら、わかるわ」
 と嬉しそうに言って、私に、優しい目を注いだ。
「最後って、どこよ」
 と言いながら、曜子はその部分を捜した。

ーーー生粋の物質から天才まで、原子からレンプラントまで、どれもが同じ根本的な実在を自らのために保ち続け、またそれを明かしてくれている。
こうして、かたちという表面的には限られた分野で試みてきた分析は、われわれの抱いている、知りたいという、価値ある生き方をしたいという欲求に差し出されてくるすべての問題に、光を投げかけることができるし、光を投げかけてくれるにちがいない。ーーー
 (中略)

「どうして、かたちと力を分析することで、価値ある生き方をするための光が得られるんだい?」
「あの本を全部読んだらわかるわ」~~ 



 ・・たしかによーわかりません。。もうちょっと、わかりやすく言ってくれ。
 550ページは、要するに環境に打ち勝つ生命の順応力・進化力?
 ってことですか?? ユイグさん。

 最後部分は、知りたいという、価値ある生き方をしたいという欲求に差し出される問題は何でも、科学的に原子・分子レベルで考えていけということですか??
 

 難しい言い方されると、なんか気になっちゃいました・・
 いろいろと、今でも価値ある提言なような気がしますが・・
 でもだいぶ昔の人なのかな、ルネ・ユイグって。
 
 私の解釈が的外れでなければいいですが




P140
 受験勉強の合間に、また本を読んでいた愛子。
 今度は、ラ・ロシュフコオ著 <箴言(シンゲン)と考察>
 17世紀フランスのモラリスト(←人生の探求者)らしい。
  以下はその言葉。↓↓

 「情熱を永つづきさせようとしても、いのちを永つづきさせようとするのと同じように、われわれの勝手にはならない」

 「われわれは、意志よりもちからを余計にもっている。だから、われわれが事を不可能だと思うのは、しばしば、自分自身にたいして逃げを打つためだ」

 
 ・・・ごもっとも


 「わずかな言葉で多くのことを理解させるのが、大人の特質なら、小人はそれに反し、多弁を弄して一つとして言うところなき天与の才能をもっている」


 ・・そうですね。。がんばります。
 
 

 
 


私たちが好きだったこと

2007-12-04 | 読書記録・お勉強
 宮本輝 著   新潮文庫

 半分くらい読みました。
 いまのところ、胸キュン青春小説て感じ。
 ひょんなきっかけで公団住宅に男女2人づつの4人が共同生活することになり、その2組の男女に愛情が育まれたり、お人よしな4人が色々と知り合いや恋人のために借金を重ねていったりしてます。(すごくテキトウ)

気になった文章をいくつか書いておきたかっただけです。
   

P85 
 ルネ・ユイグ著「かたちと力」という本を、頭の良い(でも不安神経症を患っている)愛子が読んでいて、3人に紹介している。

 ーーーもっとわれわれの身近なところでは、水や火や風となって動く自然のなかに具体化された力が、あらゆるところに現れては、攻撃しに殺到してくる。
 それらの標的になるのは組織を形成して、ひとつのかたちをまとい、それを維持しようと努めているものすべてだ。
 こうした力の背後には、虚無の控えの間である混沌へ返れという威しがいつでもとどろいているかのように見える。
  ・・・・・・・・・「時は満ちた。地球よ、永遠に死ぬのだ・・・」
 これが、自分の目で見て確かめられるものの水準で、人間が間違いなく抱き得た想い、本能的に知の姿を規制することになった想いである。---

 
 この手の事はあんまり考えたくないなぁ。(でもたまに気になったり。)
 虚無・・混沌・・ 終わりのない宇宙のことを考えるのは怖いので、天文学者の気持ちってあんまりわかりません。ルネ・ユイグって人は何学者なんやろう?
 知の姿を規制かぁ・・・・
 ちなみに愛子は皆に勧められて27歳で医学部受験勉強を始めるのですが、
 本当は天文学部に行きたかったと言っています。



P180 
 ロバ(昆虫を撮る為に奥地にこもったりしている写真家)の名言
 
 命も金で買えない。金で買えないもののために、金が必要なんだ。
 「金ってやつは、金で買えないもののために真価を発揮する」

 そうだね、ロバちゃん、いいこと言うね。
  


P181
 曜子(カリスマ美容院の店長になった)が過去の不倫相手に心が傾いているのを、ロバが悩んでいたり、4人が面倒見ている少年少女に子供ができたあたりの場面で。
 
 ファーブル: 物の秩序は、その膨大な数が偶然の疫病と季節の無慈悲からではなく、産むと同じように、烈しく破壊する避けがたい運命のために殺され滅ぶことを求めている。

 ーーなぜ、そのとき、私の脳裏にファーブルの言葉が浮かんだのかわからない。
 なぜ、物の秩序が、烈しく破壊する避けがたい運命のために殺され滅ぶことを求めているのか、私(与志=工業デザイナーの主人公)にはわからない。 けれども、それは、<産むと同じように>という前置きなくしてはすべて無意味となる言葉であることだけはわかったのだった。
 そして、そのとき、私は、愛子を愛そうと思った。これが愛するということだと、愛子も知り、私も知るように愛してみせる、と。ーー


 与志くんに同感でございます。 物の秩序ってどうにもならないんだなぁ・・みたいなことは、小さい頃からおぼろげに思ってました・・。
 でも、それは変わらないことで、生まれたからには・・みたいな。(そのわりには・・
 まぁこんなことを考えるのは、暇な証拠です。 有難いような有難くないような・・ 

「和英辞典ではわからない

2007-12-04 | 読書記録・お勉強
英語の使い方」  (講談社+α新書) 牧野高吉

 と言う本が目についたので借りてみました。
 そして、昨日アンスネスさんインタビューの英語がまるで分からなかったのが哀しかったので、見てみました。
 私の英語力からして、今さら英語の勉強なんかしてどうにかなるとはさらさら思っていませんが(はっきり申しまして一言もしゃべれません)、
 しかも、この程度の使い方くらい、和英辞典でも分かるだろう(?)とは思いますが、まとめて書いてあるとわかりやすいなぁ♪ ってことで。
 
 こんな感じでした。↓↓  (例文も載ってたが割愛)


between 時間・場所・空間の間 一対一の相互関係   during 期間 (the vacationなど特定の)  for 期間(three daysなど一定の)  while ~している間   among グループ全体の間 



meet 約束して会う   see 見かける・話をする   run into 偶然ばったり    encountre 出くわす



agree 意見が合う 食べ物・気候などが合う  go (well) with ; match つりあう・調和する   suit 好み・体質に合う 似合う



rise , go up 高い所へ移る  improve 状態が向上する 腕・等級が上がる   be get nervous 平静さを失う、あがる   used up バッテリーがあがる   Help yourself, please. 召し上がれ



light 場所が明るい、輝いている   bright 将来・見通しが明るい



clear 疑問の余地がないほど明白な   obvious 誰の目にも明らかな   evident 事実から推測して明らかな   be not yet known まだ明らかにされていない


 ま、常識の範囲でしょうな。
 私のように一言も覚えてないヒトにとってはいい辞典かもしれません。
 単語帳、例文帳として・・

簿記3級(迷える日々)

2007-10-12 | 読書記録・お勉強
 11/18の簿記の試験、申し込むべきかしら?? (2500円なり)
 だいぶ前から、やってはやめ、忘れたころに、またやってはやめ・・って繰り返して
まだ基礎レベルのことしか分かっていないけど・・
 一ヶ月、頑張れば試験受けられるだろうか?
 受からなくてもいいから、(やる気あんのか) 、、模擬試験こなすくらいには・・(って、ほんとに、、)
 大丈夫だよね、やれるだけやろ。 暇なんだから。←少しはプレッシャーかけないと、またやめそう

 でも、今日はまだ12日。 14日振込み締め切り期日だから、ぎりぎりまで勉強して、決めよう。
今日、明日はがんばって、3時間勉強だ!!
           

 現在、15日でございます。 14日に振込みして参りました。
 で、3日間の合計勉強時間が・・・3時間。(もうやめちまえ)

 まあ、言い訳は色々あるんですが。(だんなが風邪ひいた&休みだから3食昼寝付きだった、とか、ついついピアノ&CDに夢中になってしまった、とか、部屋の汚れが・・とか)←それ言い訳?それでいいわけ?←おもろくもない

 
 簿記なんて、ちょっとかじったからって、大して役には立たないだろうけど、少しぐらい分かってた方がいいだろうし、分かると、よくできてるなぁっておもしろいし、感心するし(私見かけ通りジミなこと好きだし。根気ないけど←それ好きっていわんのちゃう)、少しは役に立つだろし。。

 ・・と、自分を励まし(プレッシャーかけ)ながらがんばろ。。
 
 って言ってる間に火をつけろ