今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

メディア批評、の・つもりが・・ (国民の鏡としてのメディア)

2021年11月24日 | シリーズ:ノラたちとの共存を目指して
本記事は、「ノラたちとの共存を目指して・場外編その4」の位置づけとなります 

先日書いた、JFEの人工島に取り残された1000匹の猫たちの話。
「JFE 人工島 猫」で検索してみて下さい。
Googleで検索すると、53,400件がヒットします。(11/24現在)
しかしこれを時系列で紐解くのは至難の業。今はどうなっているのかが読み取れない。
TNRしようにも食べ物がなく、人も入れないのだからJFEに頼むしかないはず。
ではJFEのコメントは? まさか無視ではあるまいに。
どうぶつ基金をはじめとする大手ノラ保護団体の動きは?

この話だけじゃない。
世界遺産登録を目指していた奄美で野良猫3000匹を駆除する話はどうなった?
あれだけ批判されながら、本当に実行されたのかどうか。
沖縄の名護の公園で2年前から続く地域猫の虐待殺傷事件は?
その都度ニュースになって、無力なボラさんの悲痛な声だけが残る。
警察が乗り出したと報ずるが、その後は報道されず毎回同じことの繰り返し。
このような報道の在り方には、知性も進歩も見られない。

他にもたくさんある。
今や猫の虐待殺傷、遺棄や飼育放棄、多頭飼育崩壊などのニュースを見ない日はない。
しかしそのどれもこれもが、その後どうなったのかわからずじまい。
こういった在り方で、これら報道の目的はなんなのだろう。
殺処分してるくらいだから何をしたっていいだろうと?
犯罪とはいえこれだけやってる人がいるんだから、どんどんやっても大丈夫ですよ。
そう受け取られても仕方あるまい。
テレビも新聞も、雑誌もネットニュースもみな同じ。
だったら人間性だの人間愛だの、そんな偽善に満ちた言葉は金輪際使わないでほしい。

シャッポ (2017年12月行方不明)

と、いろいろ言いたいことはあるけれど、メディアも営利商売。
読み手が多い取材対象に傾くのは致し方のないところだ。
朝~夕のワイドニュースや週刊誌が小室圭さん報道にあれだけ熱心で執拗なのも、
それを扱えば売れる(視聴率が上がる)からに他ならない。
我々一般人が持つ社会正義の感覚とは違うのです。
追われて事故を起こしたダイアナ妃の車に追いついても、助けるどころか写真を撮り漁ったパパラッチ。
取材対象がどうであろうが、"売れる"ことこそ彼らにとっては正義なのだろう。

こう書けば、それは人道上如何なものかと誰しも思う。
でも、問題の本質はもう少し深いように思うのです。
例えば氾濫した川で溺れかけた子猫を救出すべきか、その悲惨さを世に伝えるべきか。
野生界で草食動物が生きたまま食べられるシーンは残虐極まりないけれど、
獲物にありつけず餓死するのは肉食動物の方が多いという。
何かと虐待の対象となる弱きノラたちは、鳥や小動物を殺傷する悪魔の存在でもある。
人道とは。そして正義とは。倫理の問題に正解はないのかもしれません。

だからこそ、これは我々人間ひとりひとりの心の問題なのだと思います。
我々含めてこの地球上に生きる者は、母なる大地が決めた自然の法則には逆らえません。
しかし限りなく発達する人智は、時として自然を超えて神になろうとする。
自然界ではあり得ない快楽目的の殺傷など、その最たるものだろう。
いやノラの存在そのものこそ、命を弄んだ人間の悪行の結果なのです。
政治とメディアの質はその国民のレベルを反映すると言われています。
フランスでは捨て猫が横行し、これではいかんと多くの人々が声をあげ、メディアを動かし、そしてついに政治を動かした。
同国では2024年からペット販売を禁止し、新たな飼育者にも制限を設ける新動物愛護法が可決したのです。

ニャー(右)とシャッポ

このニュースは、本日になって朝日新聞に大々的に報じられた。
1面では法の説明とペットショップ側に寄り添った内容。
3面では動物福祉後進国日本における実情と、業界の抵抗で進まない法改正。
7面では今でも細かな規制が設けられ、さらに進歩する独、英、米の取り組みについて。
いずれの国でも販売可能年齢や販売環境(購入者の飼育環境含む)における頭数、面積、日照、運動(自由度)等について細かく定められている。

JFEの問題も奄美の問題も名護の問題も、この記事を読んでいる人にとっては大問題だけど、日本社会全体から見ればそれは少数派なのでしょう。
だからメディアも口濁しほどしか動かない。
メディアが動かないから、当事者たちも動かない。
勿論それに甘んじることなく声を挙げ続けること。
当の猫たちにとっては、一刻の猶予も許されないのはこれまた事実。
自分の場合は、JFEのみならず当地(川崎)市役所、警察、関連団体、大手保護団体の掲示板や問い合わせを使って声を挙げ続けています。



「ノラたちとの共存を目指して」:予告編(期日未定)
その1  資料編「現状と動向調査」(追記:餌やり、地域猫問題) 2017.2.27
その2  現場編「ノラを守るのに理由は要らない」(報道されたボラさんたち) 2017.5.31
その3  エサやり問題・続編「裁判事例の検証・他」(司法が肯定したもの、否定したもの) 2017.8.31
その4  一服編「ノラだからこそ・・かわいい!」(ニャー&みう+テンちゃんの日常) 2017.11.30
その5  闘魂編「許さない、虐待に不法投棄に暗闇ビジネス」 2018.4.29
その6  原点回帰編「再確認・人間性とは?」(食肉、動物駆除と保護活動) 2018.8.31
その7  形而上学編「ノラの幸せとは」(シャッポやソトチビの行動に想う) 2020.1.31
その8  地域猫問題・続編「殺処分ゼロに向けて」(目的達成のために必要なこと)
その9  理想追求編「殺処分ゼロの先にあるもの」(対等の精神と真の共存)
その10 最終章「共存の終焉」(ノラのいない社会)
番外編
番外編1「罪と罰」(法の実行と刑罰の妥当性) 2019.3.29
番外編2「動物愛護の精神を問う」(餌やり議論の本質) 2019.10.31
番外編3「エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(前編)」(特別加入) 2020.6.30
番外編4「エサをやるなは殺せと同じ・第3弾(後編)」(特別加入) 2020.8.31
番外編5「政治とメディア」(ノラたちの未来を決める人たち) 2021.1.31
番外編6「保護に奔走する人たち」(その2とその6の補足)
場外編
場外編1  猫の煩悩とはこれ如何に 2021.7.10
場外編2  続・死刑に処すべし? ~死に体・動物愛護法の復活を期して~ 2021.7.21
場外編3  どうしてこんなに軽いのか <続・続・死刑に処すべし> 2021.11.10
場外編4  メディア批評、の・つもりが・・(国民の鏡としてのメディア)
場外編5  社会の闇 (残存する「当たり前のように猫を捨てる文化」)
場外編6  ジレンマ(猫捨てを補完するノラ保護活動)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新しい家族を待ってます | トップ | お兄さんになりました »

コメントを投稿

シリーズ:ノラたちとの共存を目指して」カテゴリの最新記事