ニャン好きのブログを拝見していると、顔見知りになったノラを何とか守りたくても思うようにいかず、結局消息を絶ったノラの行く末を慮る記事が目に付きます。そんなときは書き手と一緒になってそのノラの幸せを祈ってしまう。ノラの生き様は過酷と口では言っても、実際に目にしたり聞いたりすれば心中穏やかではいられません。
ノラ猫と何らかのお付き合いをしてる人は結構多い。だが家猫と違ってノラは自由だから、ノラとの付き合いは対等です。嫌気が差せばあっさりとGood Bye. 残された人間はノラの身を案じたり嫌われた理由を調べたり、そりゃあ切ないもんです。自分も、シャッポに去られた時はその切なさを嫌というほど味わいました。
愛くるしいシャッポのいた時代は思い出になりました
でも最近になって、シャッポとの出会いを偲んでいるときにふと思い出したのです。お客さん情報によれば店に来る前のシャッポは公園のエサやりさんを頼ったり、別のお店でお客さんに食べ物をねだっていたらしい。そしてたまたまこの店に迷い込んだのがきっかけて、我々との付き合いが始まった。
どんなノラとの付き合いにも最初に出会いがあるのです。その出会いの前には、他の誰かとの別れがあったに違いない。シャッポが公園のエサやりさんや他のお店に別れを告げて、この店に来たように。そしてこの店とお別れしたシャッポは、放浪の旅を経てどこかで新しい出会いを得て、相変わらずあのラッパ声で癒しを振りまいているのではないだろうか。
もちろん事故や病気など意志に反した理由の場合もあるだろう。でも、信じたいじゃないですか。ノラってのはそうやって、結果的にいろんな人の心に幸せを配ってるんだ。そう、シッポの生えた天使なんです。
出会った頃は警戒心が強くなかなか写真に納まらない子猫だった
シャッポが唐突に行方不明になってから1年と10ヶ月。あの時は何ヶ月も足を棒にして探し回った。警察や清掃局など所轄の関係局には何度も問い合わせしてお友達になった。何より、お店のニャン好きお客さんの強力な情報網をもってしてもわからなかった。店頭で軽い虐待に遭って以来、見知らぬお客さんを怖がるようになったシャッポがそう簡単に連れ去られたとは思えない。結局シャッポは新天地を求めて、この界隈この街にはもういないのだと思います。
店の看板猫になったニャー(手前)とシャッポ
2年近い歳月を経て、ようやくシャッポのことを冷静に話せる自分がいます。シャッポからはいろんなことを教わった。何より、ノラ保護を始めたばかりの自分に、そんなに単純で簡単な話じゃねえよと教えてくれた。ノラの問題は奥深く、その深い底には人間のエゴという闇がある。ノラの一匹一匹がその闇を背負っている。だから、ノラ保護活動はその闇との闘いでもあるのです。
でも、闘いばかりじゃ疲れちゃう。疲れたときには一服の清涼剤が必要です。ノラ保護ボラにとっての清涼剤は、何と言ってもノラが幸せになった話。そんな話が満載のサイトがあります。しかし今日はシャッポの話で終わりたいので、サイト紹介は次の機会に。
10ヶ月振りのシャッポカテゴリー更新でした。
(写真はすべて再掲です。)
家猫(お泊り)を拒否して風来坊を貫いた
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