帰らぬシャッポ。
スタッフの何人かが変わったこともあって、店ではシャッポの話題も殆ど出なくなりました。事件事故迷子に保護、足を使い情報網を駆使しても結局手掛かりひとつ得られなかった。近況写真も増えない今となっては、店では過去の存在になるのもやむを得ない。
ニャー(右)と事務室で
シャッポから得た教訓。
自らの命より種族保存の行動を優先させる本能の呪縛から解き放つためにも、やはり去勢が必要だったこと。人間の都合に合わせて"調教"しようとしないこと。ニャンコは強制を嫌うので、自分から変わるのを待つのが基本だ。
仕事の邪魔して大あくび
そして何より、たくさんたくさん癒された。
人懐っこさと野生の顔を交互に見せたシャッポ。あのデレデレと勇猛果敢さのアンバランスが何とも言えない存在でした。人間に見せた信頼と不信、自分への店内ストーカーだったシャッポ。今もどこかで達者だとすれば、彼はどっちの顔をしているのだろうか。
雨の日にニャー(右)と
個々の命と向き合うということ。
多くの報われるべき命が救いを待っている。焦る気持ちはあっても、関わった命からの信頼にはしっかりと応えたい。身がひとつしかない以上これらは二者選択となり、自分は後者を選んだ。それは、シャッポに見限られたとしても変わることはない。
店の番人(番猫)?
答えの出ない大命題。
ノラか家猫か。人間社会の中で暮すニャンコには、このどちらかしかない。最近同じようなブログをいくつか読みました。家猫(室内飼い、外飼い)が脱走してノラになって、再会したときは自由で楽しそうで家に帰ることを拒絶された、というもの。
そうだろうか。自分には忘れることができない、テンちゃんを初めて見たときのあの衝撃。ノラの生活が"楽しい"なんてことはあり得ない※。それでも、時としてノラを選ばざるを得ない事情があるのだろう。それは去勢によっても拭えない。そこを解明しない限り、家猫の脱走は続くのだ。
※ニャンコはどんなに困っている時でも苦しい時でも柔和な表情をします。その表情で彼らの状況は誤解され易い。(昨年9/29記事「くものこと」)
大親友だったチビ(右)と
千変万化。
しかしその一方で、ニャンコに限らず動物たちの環境変化への順応性はかなり強いようだ。アフリカの草原で暮らしていたライオンでさえ、動物園の檻の中で不満なく暮すことができるのかもしれない。種族保存の本能と食料調達の不安を取り除けば、彼らが自由でいなければならない理由も減るだろう。ただ、やはり前述の"何か"があって、機会があれば脱走しようと試みる。
甘えん坊シャッポ
自分なりの応援歌。
他のスタッフの人たちの理解と協力を得て、店に迷い込んだり周辺で遭遇したノラを保護して、里親探しをしようと思います。一度に3匹くらいが限界かな。シャッポのように失踪してしまう子がいても、それはそれで仕方ない。 もちろん"事件"を起こさせないための手立ても必要だし、地域猫的なニャンコの共同生活についても勉強する必要がある。
経験からして、置き餌をすればいつの間にかノラが集まってくる。ノラに門戸を開けておく店、(宣伝はしないが)それが自分なりの応援歌です。
また会う日まで
シャッポよ、楽しかった日々をありがとう。君のことは忘れない。
<後日追記>
ひとつ大事なことを忘れてました。シャッポに名札をつけていなかったことを大変後悔したことです。ニャンコにやさしい名札について調べてから、改めて書こうと思います。
スタッフの何人かが変わったこともあって、店ではシャッポの話題も殆ど出なくなりました。事件事故迷子に保護、足を使い情報網を駆使しても結局手掛かりひとつ得られなかった。近況写真も増えない今となっては、店では過去の存在になるのもやむを得ない。
ニャー(右)と事務室で
シャッポから得た教訓。
自らの命より種族保存の行動を優先させる本能の呪縛から解き放つためにも、やはり去勢が必要だったこと。人間の都合に合わせて"調教"しようとしないこと。ニャンコは強制を嫌うので、自分から変わるのを待つのが基本だ。
仕事の邪魔して大あくび
そして何より、たくさんたくさん癒された。
人懐っこさと野生の顔を交互に見せたシャッポ。あのデレデレと勇猛果敢さのアンバランスが何とも言えない存在でした。人間に見せた信頼と不信、自分への店内ストーカーだったシャッポ。今もどこかで達者だとすれば、彼はどっちの顔をしているのだろうか。
雨の日にニャー(右)と
個々の命と向き合うということ。
多くの報われるべき命が救いを待っている。焦る気持ちはあっても、関わった命からの信頼にはしっかりと応えたい。身がひとつしかない以上これらは二者選択となり、自分は後者を選んだ。それは、シャッポに見限られたとしても変わることはない。
店の番人(番猫)?
答えの出ない大命題。
ノラか家猫か。人間社会の中で暮すニャンコには、このどちらかしかない。最近同じようなブログをいくつか読みました。家猫(室内飼い、外飼い)が脱走してノラになって、再会したときは自由で楽しそうで家に帰ることを拒絶された、というもの。
そうだろうか。自分には忘れることができない、テンちゃんを初めて見たときのあの衝撃。ノラの生活が"楽しい"なんてことはあり得ない※。それでも、時としてノラを選ばざるを得ない事情があるのだろう。それは去勢によっても拭えない。そこを解明しない限り、家猫の脱走は続くのだ。
※ニャンコはどんなに困っている時でも苦しい時でも柔和な表情をします。その表情で彼らの状況は誤解され易い。(昨年9/29記事「くものこと」)
大親友だったチビ(右)と
千変万化。
しかしその一方で、ニャンコに限らず動物たちの環境変化への順応性はかなり強いようだ。アフリカの草原で暮らしていたライオンでさえ、動物園の檻の中で不満なく暮すことができるのかもしれない。種族保存の本能と食料調達の不安を取り除けば、彼らが自由でいなければならない理由も減るだろう。ただ、やはり前述の"何か"があって、機会があれば脱走しようと試みる。
甘えん坊シャッポ
自分なりの応援歌。
他のスタッフの人たちの理解と協力を得て、店に迷い込んだり周辺で遭遇したノラを保護して、里親探しをしようと思います。一度に3匹くらいが限界かな。シャッポのように失踪してしまう子がいても、それはそれで仕方ない。 もちろん"事件"を起こさせないための手立ても必要だし、地域猫的なニャンコの共同生活についても勉強する必要がある。
経験からして、置き餌をすればいつの間にかノラが集まってくる。ノラに門戸を開けておく店、(宣伝はしないが)それが自分なりの応援歌です。
また会う日まで
シャッポよ、楽しかった日々をありがとう。君のことは忘れない。
<後日追記>
ひとつ大事なことを忘れてました。シャッポに名札をつけていなかったことを大変後悔したことです。ニャンコにやさしい名札について調べてから、改めて書こうと思います。
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