確定申告の帰り道、 このまま帰るのももったいないなぁ。 ちょっと歩こうかな
大村公園の一角、 古そうなデザインの道しるべ。 振り返って見上げるとプラネタリウムが!!(教育センターの
中にあるのですが天体観望会の時に機械がとっても古くてもう部品もないとか話されてました)
寂しい話はおいといてと、 道しるべの後ろに 『旧梶山御殿』 があります。
この屋敷は「梶山御殿」と呼ばれ、江戸時代後期に第十代藩主大村純昌(すみよし)の時に大村家の別邸として建てられたと言われております。当時、この大村公園一帯は、大村藩の居城玖島城があり、この別邸は、その一角に造営されたものです。明治となってお城が廃城となった後は、大村男爵家(分家)の住まいとなりましたが、昭和38年に県の施設となり、その後、平成2年に大村市の施設となりました。現在の建物は、大正4年に建てられたもので、木造平屋建ての屋敷で奥には蔵も残されています。
長い説明文ですみません 自由にお入りくださいとなってましたので、 何部屋も続く畳の間や、 長い廊下、
昔の波打ったようなガラスの障子(?)を見せていただきました。 建物の中央に広い中庭がありました。
外に出て竹の塀の向こうのお庭も拝見。 奥のほうに東屋もあるのでユックリ過ごせそうです。
「旧梶山御殿」を出て玖島庭園に向かいます
左手の桜の林の中に1本だけ咲いてる木が きれいな色、 寒緋桜でした。
遊歩道は車道から一段高いところにあるので、 余所見をして歩いても危険は少ないですよ
遊歩道が終わる頃、 行く手に 『玖島庭園』 が見えてきます。 庭園の島を通って、 太鼓橋も渡ります。
子供の頃はすごく大きな太鼓橋に見えていました。 今はちょっと小さくなったみたい
庭園の隣には市営庭球場と大村競艇場があります。 今、 聞こえてくるのはボールを打つ音だけです。
大村公園の一角、 古そうなデザインの道しるべ。 振り返って見上げるとプラネタリウムが!!(教育センターの
中にあるのですが天体観望会の時に機械がとっても古くてもう部品もないとか話されてました)
寂しい話はおいといてと、 道しるべの後ろに 『旧梶山御殿』 があります。
この屋敷は「梶山御殿」と呼ばれ、江戸時代後期に第十代藩主大村純昌(すみよし)の時に大村家の別邸として建てられたと言われております。当時、この大村公園一帯は、大村藩の居城玖島城があり、この別邸は、その一角に造営されたものです。明治となってお城が廃城となった後は、大村男爵家(分家)の住まいとなりましたが、昭和38年に県の施設となり、その後、平成2年に大村市の施設となりました。現在の建物は、大正4年に建てられたもので、木造平屋建ての屋敷で奥には蔵も残されています。
長い説明文ですみません 自由にお入りくださいとなってましたので、 何部屋も続く畳の間や、 長い廊下、
昔の波打ったようなガラスの障子(?)を見せていただきました。 建物の中央に広い中庭がありました。
外に出て竹の塀の向こうのお庭も拝見。 奥のほうに東屋もあるのでユックリ過ごせそうです。
「旧梶山御殿」を出て玖島庭園に向かいます
左手の桜の林の中に1本だけ咲いてる木が きれいな色、 寒緋桜でした。
遊歩道は車道から一段高いところにあるので、 余所見をして歩いても危険は少ないですよ
遊歩道が終わる頃、 行く手に 『玖島庭園』 が見えてきます。 庭園の島を通って、 太鼓橋も渡ります。
子供の頃はすごく大きな太鼓橋に見えていました。 今はちょっと小さくなったみたい
庭園の隣には市営庭球場と大村競艇場があります。 今、 聞こえてくるのはボールを打つ音だけです。