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猫と田舎の風景と

大好きな猫や鳥、お気に入りの風景などなど

諌早神社 (長崎県諫早市)

2009-02-23 07:01:53 | 神社・お寺
内視鏡検査を受けた帰り道、 ただでは帰らん猫です   友人から聞いた諌早神社にやってきました。

雨にうたれた境内はしっとりし、 静かです。 県の天然記念物のクス群が空気をより清浄化しているのでしょう。

クリックすると、 昭和37年10月にたてられた石の鳥居、 参道、 手水舎などが写った写真に変わります。



ここは2対の狛犬さんに護られています。 手前の年長らしき狛犬さんは、 風化が進んでいるようですねぇ。
 


まずは、 大正9年生まれの 『かまえ型』 の狛犬さん。 島根県出雲地方に多く、 出雲型とも呼ばれています。

後ろ足を立て、 今にも飛び掛らんばかりです。 かっと見開いた眼がまた迫力! 阿狛犬は玉をくわえていますよ。



ピンと立てた尾やたてがみのたわわなこと。 風になびいてるようにも見えますね。 巻き毛がまた魅力です。



角度を変えて見ていると、 キバや爪のとがっているところまで見えてきました。 かなりの強者のようですよ 



こちらは 『玉とり』 タイプ。 玉を片手で押さえ、 抱え込むようにしています。 お腹の辺りは掘りぬかれていません。



小さめの尻尾は背中に張り付いてるように見えます。 丸みをおびてて優しいイメージを感じるのですが 

よおく見ると、 長いたてがみが尻尾の辺りまで伸びているようです。 



この狛犬さんの目の大きさを大正生まれの狛犬さんが引き継いだのかしら。 でも眼差しは優しげですよ。 



阿形の狛犬さんのたてがみは巻き毛のようですよ。 そして、 前足には長い巻き毛が飾りのようについてます。

生まれたときのこの狛犬さんたちは、 愛らしくさえあったのではないでしょうか。 ふと想像してしまいます。



今日も狛犬三昧しております。 もちろん、 来てくださった皆様を巻き込んで   連れがいると嬉しいなぁ。

ところで、 今回気になったことがあるんですよ。 諌早神社の狛犬さんは阿形が向かって左になってました。

今まで見たのは、 だいたいは阿形が向かって右なんですよ。 何か意味やいわれがあるのかなぁ…  

狛太郎さんの 狛犬天国 で石工さんのこととかも書かれてあります。 こちら です。 

                                    


諫早神社(旧四面宮 しめんぐう)


 諫早神社は、神仏習合時代の明治維新までは四面大菩薩を祭神とする四面宮であり、代々領主の祈祷所として、また、諫早地方の中心社寺として維持され、「おしめんさん」の名称で親しまれていました。
 
 社伝によると、当神社の創建は神亀5年(728)で、行基菩薩が当地に立ち寄った際に、雲仙を遥拝し、石祠を作ったのが始まりです。
 
 建長年間(鎌倉時代)に領主西郷氏が社殿を建立、天正15年(1587)に新領主となった龍造寺氏(のちに諌早氏と改姓)が諌早領の宗廟として境内地を整備、神宮寺(神社に付属した寺院)として五智光山荘厳寺(真言宗)を創建しました。

 明治元年(1868)の神仏分離令により荘厳寺は廃止され、四面宮は明治5年(1873)に「諌早神社」と改称し、八幡宮、御霊宮、神名宮の御神体八柱を合祀しました。

 境内にあるクスの大樹6本は、その大きさとクス群としての景観が良好であることから、「諌早神社のクス群」の名称で昭和41年に県の天然記念物に指定されました。

平成17年3月   諌早市教育委員会

 
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十六善神社 (長崎県諫早市)

2009-02-19 07:22:08 | 神社・お寺
かなり前に訪れた神社の狛犬さんを紹介したいなと思います。 諫早市多良見町の十六善神社です。

以前、 紹介しました 熊野神社(諫早市多良見町) に行った後に寄りました。 そう、 あれは1月のこと…。

ここ十六善神社はかなり歴史の古い神社だそうです。 境内説明版が立てられていました。

                                        

十六善神社の一の鳥居と二の鳥居

 神社は以前、 元釜名にあり 浮津大明神 と言われた。
延宝三年(1675年) 疱瘡が流行し、厄を忌避して現在地に遷したと云う。
 旧大草村の村社として村民の信仰の中心であった。
「二の鳥居」 には諫早一揆の中心人物であった諫早家家老三村惣左衛門の寄進と見られる
刻銘「富村領主三村惣左衛門」がある。

「一の鳥居」 にも安永五年庄屋等村民で建立した刻文が見られる。

                                        
 

向かって右のお社が十六善神社、 木の鳥居の奥に天満大自在天神が祀られています。 奥の石碑は忠魂碑です。



一の鳥居は神額が見えないほどに笹が飾られています。 そして、 小さな石橋を渡って、 二の鳥居をくぐります。

歴史を感じる石の鳥居とは対照的な左の忠魂の神額の鳥居の下にはH20.6.30の文字がありました。

ポインタの形が変わる写真は大きくなります。 狛犬に興味のある方ない方も、 よかったらクリック~   



十六善神社には、 昭和19年生まれの狛犬さんが座しています。 角度を変えて撮ってみましたぁ   

昭和12年生まれの熊野神社の狛犬さんと似てるような気が…。 背中の紋様と口の中の玉は一緒でしたねぇ。



お座り(蹲踞)スタイルの狛犬で、 けっして筋肉質ではなく、 指とかも丸みをおびたイメージがありました。



尻尾は5段、 下3段は二つに別れて巻いてます。 阿吽で巻き方がちがってます。 手足に羽(毛?)も生えてます。



対比して見るのも良いかなと思ったので、 熊野神社の狛犬の写真を貼ってみました。 どこがちがうかなぁ  



                                        


さてさて、 これから下の写真は 『忠魂碑』 を護っている狛犬さんです。 30~40cmくらいの小柄なタイプです。

古いものなのでしょう。 風化して彫りがはっきりしない部分が多いように思います。 特に阿形の方ですね。

耳は残っているようです。 カールした尾は背中にピタッと張り付くように彫られていますね。

自分と同じサイズの岩に覆いかぶさるような、 張り付くようなスタイル。 脚は踏ん張ってる感じでした。

狛犬さんを彫るときに、 手足やお腹の辺りをくり抜かないで、 肥前狛犬のような形にしようとしたのかしら? 



正面から見ると、 なんだか笑っているような感じがします。 口は半月を描くかのようにして、 大きいです。



表情はやけに人間っぽい感じがするでしょう。 口の開き方が小さく、 阿吽の区別もつけにくいなぁ。



ココに来てこの狛犬さんを見てると、 私はなんだかホ~ットして、 優しい気持ちになっていきました 
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年神社 (諫早市)

2009-02-03 14:08:39 | 神社・お寺
雪の降った日、 仕事帰りの遠回り。 先日行った十六善神社に寄って、 次に地図でみつけた年神社に向かいます。

鳥居を見つけたけど、 車で行くには無理のありそうな幅。 別なルートを求めてさまよいました…  

途中道を尋ねたご夫婦が、 それは優しい方々で   年神社の前まで途中から一緒に歩いてくださいました。

おかげでここ年神社にたどり着くことができました。 先ほどの鳥居を一の鳥居とみるなら、 ココは二の鳥居かな。



横に社務所を見ながら階段をあがっていくと、 輪のはまった三の鳥居が立っています。 形は二の鳥居と同じ?



二の鳥居の全景と、 拝殿の屋根の写真です。 神額の文字の形がそれぞれちがうようで気になります  



向かって左から二の鳥居、 三の鳥居、 拝殿の神額です。 漢字や書体がちがいますねぇ。 年代等は… 



参道にも、 境内にも狛犬さんがいない…   今日もまた狛犬さんとの出会いは無いのかなぁ… 

お賽銭を入れて神社までたどりつけたことのお礼を言って、 ふと格子の向こうを見ると  あっ、 あれは!

拝殿の中に小さな赤と青の木製の狛犬さんらしき姿が   夢じゃなかろうか  

格子の間から撮らせていただきましたが、 拝殿内は暗くて遠い、 ここが精一杯。 ところどころ色が… 。

長い間、 神社や地域を守ってきた小さな狛犬さん。 たくさんの感謝の思いがつまっていることでしょう。

大正の終わり~昭和のはじめ頃に置かれたそうです。 一度色をぬりなおしたとおっしゃてました。



ここ年神社は文禄元年 (1592年) に鎮座され、 昭和4年 (1929年) にこ現在地へ移転されたそうです。

修復記念碑です。 詳しい沿革等は裏に貼っております。 左の文政七年 (1824年) は二の鳥居です。



これからも地図を片手に神社巡りをしていきたいなぁ。 優しい方々との出会いもまた楽しみです  
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熊野神社 (諫早市多良見町)

2009-01-24 07:07:51 | 神社・お寺
最近何箇所か神社に行ったけど、 狛犬さんに会えなかった…。 宮崎のかぐらさんも会えんことが多いとか  

職場で 「 狛犬がおらあん 」 と愚痴ってたら、 多良見町に狛犬のいて、 歴史ある神社があるとのこと  

とっことっこと仕事帰りに遠回りして帰ろう   最初にたどり着いたのが、 ここ 熊野神社 です。

由緒がどこかに書かれてないかと境内を見てみるがわからず   拝殿前の鳥居には昭和6年1月の文字。 



鳥居の外に狛犬が1対置かれている。 昭和12年3月吉祥日の文字。 若い狛犬さんと呼んでいいのかなぁ。



ここの狛犬さんは阿吽の形がけっこうちがってます。 よぉく見ると、 歯の形からちがいますよ。

気になったんですが、 阿行の狛犬さんは男の子みたいなんですよ。 う~ん、 はっきりはしませんが…。

アゴの毛の流れも微妙にちがう。 阿形の方は宝珠をくわえてます。 向き合って置かれ、 顔は参道を向いてます。



よく見かけるタイプのような気もしますが、 よっく見ると、 阿形は獅子のようにたてがみが巻いてるようにも見えます。

特に阿形の狛犬の尻尾の巻き方は豪快ですね。 腕の後ろには長い毛がなびいているようにも見えます。



後ろから見ると阿形の尻尾はちょいとすごい  たわわな巻き毛でございます   

後姿の狛犬の足元を見ると長い毛があるようです。 ここの狛犬さんは長毛種だったのかなあぁ  

背中の紋様に見覚えがあるのですが、 どこで見たっけ? 思い出せん…  最近も物忘れが続いています。 



1対の狛犬さんで記事が一つ…。 久しぶりに会えた狛犬さんだったので、 しつこくまとわりついてきました。

高岩神社はたどり着けず、 十六善神社では感動し…、 宮崎神社では狛犬に会えず…、 神社尽くしの帰り道 
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熊野神社 お正月 (長崎県大村市)

2009-01-07 07:38:14 | 神社・お寺
以前にも紹介しました 熊野神社 に年末年始に行ってきました。 堂々とした旗が立てられてます。

お正月の準備で、 原町の方々が掃除をしたり、 新しいしめ縄を鳥居や社に飾られています。 

 

鳥居の横には石像が置かれています。 たくさんの腕を持つ千手観音様と三面のお顔をもつ、 …どなたでしょうか?

裏には、 千手観音様のやさしいお顔と、 細かく掘られた千の腕が見えるように大きい写真を貼っています。



つぶらなヒトミの狛犬さんは誰かと申しますと、 前回はツタに絡みつかれて、 岩にしか見えなかった…  

そう、 阿形の狛犬さんです。 お正月準備で丁寧にツタがはずしてありました。 こんなお顔だったんだぁ  



向かって左がツタに絡め取られている時の狛犬さん。 そして今の狛犬さんです。 クリックすると大きくなります。 

吽形の狛犬さんよりも彫りがはっきりしています。 尾は大きく少し曲がり、 たてがみはカムロのような感じです。 

阿吽の口のあき方は変化が少ないようですが、 よく見ると吽形よりも広くなっていました。

わかりにくいのですが、 中央の写真を大きくしてみると、 前足の肘のところが羽のように後ろに伸びています。

肥前狛犬にも足に羽が生えてるタイプがあるのかしら?  非常に気になるところです。 いかん、 また没頭した…。



この熊野神社には大きな馬の絵馬が寄進されていました。 格子越しに撮った写真です。 安政6年の文字。

安政6年 1859年 名前も書かれていましたが、 ****吉* しか読めませんでした。 迫力ある白馬です。



平成2年3月31日発行の 大村市の文化財 によると、 文明6年(1474)大村氏16代大村純伊が有馬氏との

合戦に敗れて加々良島に逃れたため、 萱瀬村の人たちが領主の戦勝帰国を祈って建立されたと伝えられます。

その当時は現在地より郡川を越えた、 堂山と呼ばれる所にありました。 相当大きな神社であったと思われます。

天正2年(1574)キリシタンによる焼き打ちにより消失しました。 その後、 寛永13年(1636)に旧社寺に再建され

貞享年間(1684~1688)に現在地に移されました。 以来萱瀬村の氏神として村人のあつい信仰を集めました。 

ここ熊野神社は長く深い歴史を持つ神社です。 ですが、 この狛犬さんがいつ頃ここに来られたのかは…  
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熊野神社 (長崎県大村市)

2008-11-18 10:39:14 | 神社・お寺
黒木へ紅葉を見に行った帰り道。 何となく気になって見ると、 鳥居。 その向こうに何か四角い物が…。



石段をあがり始める。 石垣の上にちょこんと置かれただけのような感じで吽形の狛犬が置かれている。 

台座もないし、 胸元にもはっきりとした年号は読み取れず…。 おなかの辺りはくり抜かれてないですねぇ。

狛太郎さんに報告せねば  たぶん肥前狛犬。 長与と雲仙では見ましたが、 大村では私は初です。



右から左から正面から真横から後ろから、 そして見上げて。 人から見れば間違いなく不審者かも… 

クリックすると3枚とも大きくなります。 興味のある方はのぞいて見てね。 横顔を見ると鼻の高い狛犬さんですよ。



ちょっと見上げつつ撮ってみました。 クリックする阿形の狛犬の横顔のアップです。 ツタの飾りが多くて… 



さて下の三枚は向かって左から、 斜め後から、 斜め前から、 横からみた阿形の狛犬です。 ツタが~ 

最初は狛犬と気付かず、 そして風化したのかと思い、 たんにツタに絡めとられたとやっとわかったものです。

こちらも3枚とも大きくなります。 秋の紅葉に彩られていますので、 形はちょっとわかりにくいかも 

でも、 よぉく見ると、 可愛い尾や、 ちょこっと立ったようにしてる耳とか、 少し開いた口がわかるかも  
 


神社の方から見下ろすと、 石垣の端っこにちょこんと置かれた感じです。 そして自分達の住む土地を守っています。



佐賀の方でよく見られる肥前狛犬がどうしてココに? 気になる   神社の由緒を知りたい 

ご近所の方にたずね、 教えていただいた先をたずねます。 この神社はここ原町の氏神様だそうです。

地元の方がきれいに掃除をしたり、 修理をしたりして守ってこられた神社だそうです。 お祭もあるとか    

町内会長さんのところで、 神社の歴史に詳しい方を教えていただきましたので、 今度たずねる予定です。

わかりましたら、 また絵馬や千手観音の写真を添えて、 記事を書きたいと思っております 
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お会式 (大村市)

2008-11-14 09:50:43 | 神社・お寺
久しぶりに三脚を袋から出しました。 大村市の本経寺でお会式があるそうなのでカメラ片手に出かけます。

三脚を抱えて門のあたりで撮ろうとしていたら、 お坊様が講中の来る方向とかも教えてくださって… 

写真を撮ると怒られるのかなと思ったんですが、 ホッ  御仏に仕える方は優しくあるものですねぇ  

子供の頃から聞き慣れた万燈講中の音が遠くから聞こえてきます。 温かそうな万燈の灯りが見えてきました。

万燈をリヤカーに乗せて引きながら、 本経寺へと万燈講中が進んできます。 こじんまりとした感じです。



人は仁王様に守られた門をくぐり、 万燈は駐車場を通って本堂前へと到着です。 境内は参加者のみですねぇ。



万燈は本堂前、 置き方が悪かったのか少し大きめの声の指示が…。 静かなので声が大きく聞こえます。

参加者は本堂で法要と法話があるそうです。 本堂の中がかなりはっきり写ったので、 ぼかしています。
 


万燈に飾り付けられた紙の花は、 日蓮聖人御入滅の時、 桜が季節はずれの花を咲かせたという伝説に由来して

桜の花を模して作られているそうです。 この花はお供え物のお餅と一緒に翌日に配られるそうですよ  

下の写真はクリックすると大きくなります。 日蓮上人さまの絵が描かれていると思うのですが…。



子供の頃に見た時は、 万燈がもっとたくさんあったように思います。 これも時の流れでしょうか… 

昔のことをうかがったところ、 遠い遠い昔は万燈講中は7つあったそうで、 範囲もかなり広かったそうです。
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石山寺 (滋賀県)

2008-11-04 09:07:01 | 神社・お寺
フフフ、 また間があいてしまったような…  どぉれ、 琵琶湖を後にして石山寺へと向かいましょうか。

石山寺駅を下りるとトーマスの電車が来ました。 ついつい、パチリ   石山寺へと歩き出すと懐かしのポストです。

ん? すごい迫力の石像が、 朗澄大徳ゆかりの庭園です。 石山寺屈指の名僧 「朗澄律師」 の没後の姿だとか。



やっとたどり着いた~、 石山寺です。 裏には山門の仁王様のアップです。 木製なので傷みが…、 でも迫力。 



山門をくぐって進みます。 天平時代の池の向こうには大きなくぐり岩 、 もちろんくぐりましたよぉ  

お庭の方に入ってみるとフジバカマの原種の鉢植えが置かれています。 あっ、 アサギマダラ  

この蝶は長い距離を移動するタイプです。 中には可愛そうなくらい羽が痛んだ蝶 もいました。 裏にはアップです。



私の視線はちょいと上方へ。 そう、 いろんなタイプの獅子型留蓋が…。 裏には傷つきながら頑張ってる獅子です。



源氏物語と言えばやっぱり十二単かなぁ。 着付けの体験があっていました。 写真中段の十二単をまとめてスルっと

衣装から抜け出すように脱ぐところにはビックリ   空蝉の場面の意味を体感したような気分でした。 



何人も記念写真を撮っていますねぇ。 硅灰石の奥に多宝塔がチラッと見えております。 そして、 秋明菊でぇす  



途中で見かけた煌びやかでとっても大きな屏風に描かれているのは、 源氏物語。 迫力あるなぁ。

先ほど奥に見えていた多宝塔です。 あぁ、 見上げた形をとりすぎて、 丸い造りの部分がよう見えとらん  

裏には石山寺経蔵です。 16世紀後期頃の建立とか、 深い歴史がそこかしこにある場所ですねぇ。



さすがに歩きつかれてヨロヨロになりつつ…   同行の三日月ちゃんは若い分元気やなぁ。 足どりがちがう…。 

ここは月見亭のはず。 お月見をするための舞台なのかなぁ。 ここから見る月はさぞや美しかろう 

裏には月見亭の少し下辺りの石の斜面です。 たくさんの石たちになぜか見とれていました 



のびのびの滋賀県の写真絵日記はこれで終了。 最後まで見てくださった方々、 ありがとうございます  
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天孫神社 (滋賀県大津市)

2008-10-28 11:44:38 | 神社・お寺
大津祭の曳山の出発地。 そしてすべての曳山が所望(カラクリ)を行っていく場所、 天孫神社です。

Wikipediaによると、 「祭神は、 彦火火出見尊 ・ 国常立尊  ・ 大己貴命  ・ 仲哀天皇 。

延暦年間(782年~806年)の創建と伝えられる。 はじめ琵琶湖畔にあったが、文明年間(1469年~1487年)に

現在地に移った。明治維新までは「四宮神社」と称したが、明治初年に現在の社号となった。」 とあります。

大津祭でたくさんの人が来ています。 正面が本殿になりますが、 ギリギリまでお祭の露天が店開きをしています。



可愛いポーズの狛犬さんがいました。 明治2年生まれの狛犬さん。 丸みをおびた体型に親しみがわきます  

曳山が巡行していってしまうまでは、 境内で神事が行われているので到底近づくことはできません…。

や~っと近づけました。 裏には角度を変えた大きめの写真です。 片足を上げたポーズが可愛い~  

今の社号になったころに置かれたのでしょう。 猫足の台座にも飾りが掘られていましたよ  



おやおやぁ? よ~く見ると吽型の狛犬さんの頭に角らしきものが  さすが歴史ある神社の狛犬さん 



側面と後姿です。 全体的に柔らかなラインの狛犬さん。 そして豊かな巻き毛の持ち主ですねぇ 



こちらのかなりごっついイメージの狛犬さんは本殿前に座していたものです。 筋肉質ですねぇ 

尾っぽに電気のコードが…。 狛犬さんも祭のお手伝いをしているようでした。 あっ、 年齢がわからん…  



正面に回ってみますと、 おぉ、 とっても迫力ある顔立ちの狛犬さんでした  あと1対あるとか…  



明後日には、 琵琶湖のほとりの鳥さんとか、 道沿いで見かけた私の気になるものとかを紹介したいなぁ  
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鵲森宮神社 (大阪)

2008-10-21 09:50:46 | 神社・お寺
すみません   オフ会の記事は、 順番が前後することが多いかと…。 

玉造神社を後にして、 三日月ちゃん母娘と向かいましたのは 『鵲森宮神社』 かささぎもりのみや神社です。

すでに日は落ちてしまいました。 三日月ちゃんと私のすぐそこの距離の違いを実感しながら進みます 

推古天皇の御代に難波の吉士磐金が新羅国から還ってきて、 献上した2羽の鵲をこの森に飼わせなさった。

そのことから 『鵲の森』 と称え、 遂には宮の名となった。 この宮所は実に千四百年の星霜を経ているそうな…。



暗い石段をあがり、 お賽銭をあげる。 ふと上を見上げると縄の少し上に2羽の鳥の彫刻がありました。

クリックすると鳥さんのアップです。 鵲(カササギ) 今は長崎にもカササギが飛んでくるようになりました。



神社の方がお賽銭をひきにこられました。 暗い境内で写真を撮ってるおばさん…。 おまけに質問まで  

以前は青銅製の狛犬だったそうです。 戦争中(1939年頃)国に供出させられた代わりに置かれたのだそうです。

そのわりには大きいかなと言われたような…。 宮司さん、 夜に参拝して本当に申し訳なく思っております  



あっ、 上の写真をクリックしますと後姿があらわれます。 玉造神社の狛犬さんとはまたちがっていますよ。

狛犬って本当に個性的ですよね。 似ているようにみえても、 よく見るとちがう。 足首や手首の飾りが印象的。

太ももの刷毛目のような飾りも気になります。 角度を変えて見てみるのもまたいいなぁ  伏せたような耳?



ラストは横から1枚。 夜の神社、 下から見上げた若い狛犬さんの迫力はかなりのものでございました 



三日月さんと満月ちゃんと神社近くの洋食屋さんで夕食を食べて、 三日月ちゃんにホテルまで送ってもらいました。

駅のパンフで明日の予定もたったし、 ホテルの部屋から夜景は撮ったし。 ではでは  
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