ムンクの「病む少女」
* 皆さんお久しぶりです。わたしは以前よりましてスローに暮らしていて、ハーベストムーン=中秋の名月のマイケルマスには、月光浴を楽しんだり、家の近所の湖のあるドノランパークをゆっくり散歩したりして、のんびり休日を過ごしていました。
先日初霜が降りましたが、まだまだオーバーを着たくない (なにせ半年間、オーバを着ることになるのですから) と、「超重ね着術」を発明し、十二単のようにすこしづつずらして色を見せながら、タンクトップ、Tシャツ、ブラウス、セーター、カーディガンと、スカーフ二枚、という具合に着込み、色の組み合わせを楽しんでいます。オレンジとむらさき、桃色と黄緑、の組み合わせが、今のところのわたしのヒット。
第118話 ムンク「病む少女」
今の病院に勤めてちょうど三年になります。「石の上にも三年」というが、あの厳しいドイツ人ボスのもとで、失敗もしながら、なんとかやってきて、やっとそろそろ「セラピー」といえるかな、と思えるようになりました。
毎日患者さんたちと時間をともに過ごしているうちに、だんだん家族のような感じになり、よく夢にも出てきます。やはり、言葉が話せない患者さんはイノセントな存在で、そんな愛を注げる相手がたくさんいる年月を重ねるうちに、わたしの顔や声も以前より優しく変わっているのにきづきます。
だんだん体中の筋肉が衰えていく病気のSさんは、腕はもう動かないので口で絵筆を持って絵を描くのですが、「自分自身に親切にしてあげなくちゃ。ほかに誰も親切にしてくれる人はいないんだからね。」と教えてくれました。
彼が優しいピンクの水彩絵の具で桜の木を描いていくのをみていると、わたしは、もう15年も見ていない、日本の桜のそばに立っているような気分がします。
アートを通して患者さんに働きかけていく、アートセラピーの仕事は、わたしにとっては天職といえると思うのですが、思えば子供のころから、色に興味があり、犬の散歩にいけば、畑のなすの濃い紫に感じ入ったり、田んぼの稲のさざなみをあきることなくながめていたのを覚えています。
ティーンのときにムンクの「病む少女」に出会い、一枚の絵がこんなに感情を表すことができるのだと驚いたものでした。少女の涙ぐんでいる弱弱しい横顔と傍らで頭を伏せて嘆き悲しむ母親の姿を描いたこの絵のレプリカをずっと壁に貼っていました。
あれから30数年の年月を経て、先日テイトモダンで、このノルウェーの画家ムンクの特別展があり、本物の「病む少女」に対面してきました。
ムンクはいつも同じモチーフを何度も繰り返し描いていて、それらが両側の壁にパラレルに貼ってあるのも面白い展示でした。ムンクといえば、「叫び」が有名ですが、アルコール浸りになった孤独の晩年の、幾枚ものセルフポートレイトも深く彼のパーソナリティと感情が表されていました。
「病む少女」の前にたたずみ、この絵がわたしをアートセラピストにしたのだなあと、人生の不思議をしみじみ感じていました。
(間美栄子 2012年10月15日 http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef)
(動作療法士や、作業療法士の資格があると、世界中どこでも就職があるのですが、アートセラピストでは、ないというのが現状です)
あいだより