ART THERAPY

ART THERAPY INSPIRATIONS

1月27日(日)のつぶやき

2019-01-28 06:08:25 | Photos

1月5日(土)のつぶやき

2019-01-06 06:39:42 | Photos

12月28日(金)のつぶやき

2018-12-29 06:41:12 | Photos

11月13日(火)のつぶやき

2018-11-14 06:38:50 | Photos

11月6日(火)のつぶやき

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11月5日(月)のつぶやき

2018-11-06 06:31:53 | Photos

10月23日(火)のつぶやき

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9月11日(火)のつぶやき

2018-09-12 06:48:53 | Photos

第143話 200頭のらくだ

2018-09-10 17:04:35 | わたしのメール通信

第143話 200頭のらくだ

ぜんぜん違う文化の土地をたづねたいなーという気持ちが沸き起こってきたときは、トルコやモロッコにいって、モザイクやアラベスクなどイスラム美術にひたるというのがわたしとなずなの二人旅なのですが、ぜんぜん違う文化でありながら、なぜかなつかしい、そんな気持ちがするのは不思議です。

モロッコの屋台で夕飯をたべながら、屋台のお兄さんたちと会話をしたりしたことをいつまでも覚えていたりもします。
それは、おかあさんのお手製の「いろいろな肉」のミンスをのせたパンとスープだけの屋台でしたが、なんとなく、ほっとする空間でした。並んで順番待ちをしている人の後ろにずっと立っていたホームレスの人にお客さんの一人がじぶんのものと同じようにミンスとスープを買ってあげているのも見ましたし、屋台のお兄さん自身がホームレスの人の空き缶にスープを注いであげているのも見ました。
なずなはそんな姿を見て「施しはイスラムの5つのプリンシパルのひとつだからねえ」と教えてくれました。

同じ屋台にふた晩通ったので、すっかり顔なじみになり、20歳くらいのキッチンボーイはぺらぺらといろんなことを話してくれました。「あそこのレストランでまえ働いていたんだけど、こっちの屋台のほうが払いがいいからこっちにかえたんだ。一日の賃金はいくらいくらでー」その金額はちょうど私たちが食べていたミンスとスープの値段でした。そうか、そんな暮らしなんだなあ、でもなんて明るい顔しているんだろう。となんだか感じ入ってしまいました。
キッチンボーイは「もし200頭のらくだを持っていたら、娘さんとの結婚を申し込むんだけどなあ」
なずなは「200頭のらくだをもらって、お母さんどうするの?」
わたしは「そうだねえ、そしたらサハラに住もうか」
こんなのんきな冗談を聞いていた屋台のお客も、順番待ちをしていた人たちもみないっせいに笑って、持てる者も、持たぬ者も、宗教の区別もなく、「いま」をともに「笑う」ことができるのはいいなあと思ったのでした。

間美栄子(2016年7月22日)

9月4日(火)のつぶやき

2018-09-05 06:55:23 | Photos

第142話 映画「阿賀に生きる」と「風の波紋」をみて

2018-09-03 15:58:48 | わたしのメール通信
第142話 映画「阿賀に生きる」と「風の波紋」をみて

映画「阿賀に生きる」を20年ぶりに再び見る事が出来ました。時の流れは、同じ映画にまた新たな視点をもたらすようです。まずはっとしたのが、登場人物のおじいさん、おばあさんたちが「若い」ということ。映画完成当時私は20代でしたが、いま自分の親が80歳代半ばとなってみると、70歳代の老人は若々しく、元気はつらつのように見える。田んぼの中で機械を自在に扱う長谷川義男さんなんて、とてもたくましい。餅屋の加藤さんも、力つよく杵でもちをついたり重たいおもちを抱えて身軽に動いたり。3組のご夫妻がああだ、こうだと言い合いしながら一緒に生きている姿が、うらやましくなるほど楽しい。

録音のしょうちゃんがナレータをやっているのが、あらためて素朴でとってもいい。当時しょうちゃんは童顔のハンサム?でしたが、若いしょうちゃんの「それがぼくたちの映画の始まりでした」ということばで映画が始まり、映画はカメラのこちら側にいる若い7人のスタッフたちとお年寄りたちとの関係性を描いていく。老人たちは熱心に耳を傾けてくれる若者たちに自分の経験を語る。
わたしが一番すきなシーンは、舟大工の遠藤さんが初めて川舟のつくり方を教え、舟が完成し竣工式をした後。お祝いの会も終わって車に乗せられた遠藤さんが、わざわざ窓をさげて、カメラのこちら側にいる若いスタッフたちに話しかける。「また寄りなせ。来たら寄りなせ。」フィルムをまわしはじめる前から数知れずと遠藤さんのお宅に寄り、話に耳を傾けてきたスタッフにむけた遠藤さんのこのことばは、とても優しく心にしみる。

映画「風の波紋」では、今度はカメラの向こう側に写っている、気張らないありのままでユーモアのある中年の木暮さんと周りの人たちとの関係性が描かれている。木暮さんはきっと村の中であれこれと頼まれごとを引き受けながら、老人たちと暮らしているのだろう。できる仕事はきっとなんでもやっているのだろう。屋根の雪下ろしをはじめ、除雪車の運転や、ごみの収集。

「風の波紋」を見たあと、わたしは30年ぶりにわたしの母の故郷、映画の舞台の松之山を訪ねてみた。母の実家は祖母ががんになったので治療をするため、50年も昔に山を降りた。家の建物は解体してどこかに使ってもらったという話だったが、跡地がどこなのか、わたしには見当もつかない。の集会所の前にいると、ひとりのおばあさんがとおりかかった。「ホシバの孫です。わたしのおかあさんは83歳ですが」と尋ねてみると、「あそこだがね、あの高いところ。わたしも83歳だよ。ホシバの家は絶えたんだったね」と指差し教えてくれた。

「風の波紋」を見ていて「松之山は生きつづけることができるんだなあ」と涙がこぼれてとまらなかった。最後のシーンで小さな子供たちが体験田植えをするところが写っている。指導員の人が「いちどパンツまで水の中につかってみるといいよ」というと、「パンツー?!」と声を上げながら、田んぼの水におしりをつける子供。こんな素直な子供たちがいて、  木暮さんたちみたいなつながりのなかで生きている人たちがいて、松之山はこれからもきっと生きつづけることができるんだな、と心があかるくなった。

さてわたしは?わたしもわたしの「松之山」―今住んでいるところで、いまの周りの人たちとのつながりのなかで生きていくのでしょう。勤務する病院で患者さんの話に耳をかたむけ暮らしていくのでしょう。と大きなオーク、樫の木を見上げながら思ったりしています。

間美栄子(2016年6月)

7月31日(火)のつぶやき

2018-08-01 06:44:04 | Photos

7月22日(日)のつぶやき

2018-07-23 06:50:10 | Photos

5月8日(火)のつぶやき

2018-05-09 06:50:22 | Photos

4月29日(日)のつぶやき

2018-04-30 06:58:03 | Photos