第139話 微生物たちとの会話
おひさしぶりです。
今年の秋はイギリスも暖かく、11月までブラックベリー(藪苺)をお昼休みにつんでいることができました。たくさんとったベリーは冷蔵庫の中で生き続けています。
お手紙もせずになにをしていたのかというと、イギリスではどこでもりんごの木があるのですが、地面に落ちているりんごを拾って、香りを味わったり、いたみ方を観察したり、スムージーに入れたり、保存法を考えたりしながら、あれこれと命の秘密を考えていました。
「なぜりんごは落ちるのか?」
答えは「重力」ではなく,「りんごの意志」ということを考え付きました。人間はりんごの種を消化できないようにできているので、のぐそをして、たねを新開地に運んでいってあげるという交換条件でおいしい果肉をいただくことができるというわけですね。りんごはわざと高いところから落ちて傷がついて、微生物が入りやすくなり、中の種が次の命をはじめやすくしているのではないか、と。
植物や、種の働きを観察していると、巧妙にできていて、自然の力にあっと驚かされる毎日です。
人間の体も一生懸命働いていて、毒を排出しようと懸命で、アレルギー反応や炎症を起こしているのを、「病気」とよんでいるんだろうなあとおもいます。
人生50年過ぎ、スピリットが、少しづつ効かなくなって来る体にあせるのか、あがくのか、最後のチャンスと思うのか、恋愛をしたり、旅に出たり、したいと思っていたことをやったりするのでしょう。
私の場合も2015年は一本の樫の木を見ているうちに「生命の秘密」をたどる旅に出たという大きな変わり目の一年でした。
春には父親の入院で8年ぶりの日本訪問があり、いろいろな人と桜をながめながらほん音で話したりすることができました。
帰国後も「生命の秘密」をさぐって植物や動物、石のことなど考えつづけていて、どこまでも命の起源をさかのぼっていたのでした。ゴールデンレイショ(黄金率)のこともわかるようになりました。
夏にはスムージーの機械を手に入れて、ビタミンやミネラルをもっと吸収できるようになると、からだの細胞が変化し始め、意識が変わってきました。‘命‘がなんなのかわかってきはじめて、微生物の声がきこえはじめてきて、「私たちの体は森と同じように微生物のすみかで、たくさんの命でできているのだ」と思いついたのです。
秋には突然思い立って、北スペインのサンチャゴへ、カミーノの巡礼というには短い40kmですが、まる2日間歩いてきました。歩きながら、道端のさまざまな植物を摘み水筒にいれ、巡礼の目印の帆立貝と一緒にその水を飲みながら、かの地の微生物を体に取り入れていました。栗やりんごを拾いながらあるいたり。
冬にはモロッコにいって、何を買うにも定価がなく、モロッコ人と取引しなくちゃいけない状況を経験して、もうかっこつけたりしないで、そのまま、下品でも何でもいいから、言いたいこといっちゃっていいんだ、ということを学んできました。
モロッコの公衆浴場蒸し風呂ハマンで毛穴を広げて、太ったおばさんにごしごしとあかすりをしてもらったあとに、冬の寒空の下で屋台でスープをすすっていたら、案の定風邪引いてしまいました。
微生物には大きく分けて二種あるようです。一つはサバイバルのために、危険を冒してでも行動範囲を広げ、新開地へと向かい、新しいことを試して、適応していければ少しは生き残るだろうさというタイプ。もうひとつは、今までやってきた方法で何とか生き残ってきたのだから、このまま同じ場所で我慢してでもやっていこうというタイプ。
人間の体の森には両方の種類の微生物が存在していて、どちらが多いかで人の行動が決まるのでしょうね。
私は新しいことを試して生き延びようというタイプが多いので、来年もまたいろいろなところに行って、いろいろなものを食べて、いろいろなものを見てみたいと思っています。
今年は本当にお世話になりました。どうもありがとうございました。
2016年もよろしくお願いします。
間美栄子(2015年12月30日)