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アートセラピストのイギリス便り

アートセラピスト間美栄子のシュタイナー的イギリス生活のあれこれを綴った友人知人宛のメール通信です。

第四十五話 アメリー:変人でもいい

2009-07-18 18:13:57 | 映画

* 庭ではいまキキョウが咲いています。
みなさんはもうスカイプ(無料でインターネットを通して話せ
る)してますか? 私も先日、友人とスカイプで初ビデオ電話
し、空間の概念を変えさせられました。友達は、「どこでもド
ア」のようだといっていました。我が家の庭から中継してお話
しできるので、ぜひ試してみてください。

http://www.skype.com/intl/ja/welcomeback/


第四十五話 アメリー:変人でもいい

フランス映画の「アメリー」はかなり変わった女の人アメリー
の日常を描いた、おかしな映画ですが、最後のほうで同じよう
にかなり変人の彼ができて、二人でバイクに二人乗りをするシ
ーンで、泣けてくるのは、私だけではないでしょう。

今回パリでは「アメリー」を撮影した場所をいくつか訪ね歩き
ました。アメリーの働いていたカフェや運河、モンマルトルの
丘などを、アコーディオンの主題歌を口ずさみながら歩き回っ
たのでした。特に調べて行ったわけではなく、「アメリー」好
きのなずなが何回も映画を見て、場所の名前を覚えていたので
した。

映画の「アメリー」の登場人物はみな変人ぞろいで、一人一人
の癖や、こだわり、がよく描けているといえますが、そのせい
か「私も変人だけど、変人でもいいじゃないか」といつも映画
を見終わったときに思えるのです。

そして、人と付き合ったことのない、自分の想像の世界にこも
ったアメリーが、隣のおじいさんの後押しで、やっと一歩を踏
み出すことができるようになる、そこに、私も励まされます。
 

(間美栄子 2009年 7月15日)


第四十四話 フィンランドの夏

2009-07-18 18:11:52 | 海外旅行

* 夏至にブリストルの近郊にあるスタンディングストーンにいってきました。庭では、昨年よりさらに伸びたピンクと白のつるバラ、そしてマーガレットが、夢のように咲き乱れています。
7月14日から8月5日まで3週間、なずなと友だちのケイトが二人で日本に遊びに行きます。小針浜のちどり・ネフでお世話になります。もしお暇のある方は、二人に日本文化を紹介してあげてください。よろしく。

第四十四話 フィンランドの夏

長い長い夏休み。一番思い出深い夏休みはフィンランドで過ごした5週間でしょう。

シュタイナーのアートセラピーの学校、ハイバニアで私が四年生のとき一年生だったフィンランド人のアナリーザは、イギリス人は人との距離を遠く保っているのに対して、すごく近いところまでやってくるタイプで、ハーブのきいたニジマスを持って押しかけてきたり、おいしいパスタソースをつくってくれたり。
当時なずながまだ小さかったので、もう寝かせなきゃ、とあせりながらも、よく、いつまでも三人で夜を過ごしていました。

ある夏アナリーザのおまねきで、わたしたちはフィンランドに遊びにいきました。針葉樹の森がどこまでも続き、そこらじゅうに湖が点在しています。その森の中で、ブルーベリーを山ほど摘んで朝ごはんにいただいたり、いつまでも沈まない太陽に向かって湖で泳いだり、サウナに入ったりという、まるで夢の中のような日々をすごさせてもらいました。

ところがこの沈まない太陽がネックで、どうにも夜眠ることができないのです。朝寝坊が続き、頭もぼんやりしてよく考えられない。そうこうしているうちに、行動派のアナリーザは、怠け者の私に堪忍袋の尾が切れて、爆発。
わたしたちの友人関係もそれでおしまいとなってしまいました。

それから数年がたち、ハイバニアを卒業してフィンランドに戻ったアナリーザから、彼女の作った色彩豊かなやさしい影絵のシアターの映像がメールされてきました。時がたって、私も許されたのだといいけれど。

(間美栄子 2009年 7月1日)


第四十三話 シェークスピアのグローブ座

2009-07-18 18:10:56 | イギリス旅行

* 最近セラピストの仕事に応募しましたが、だめでした。ある友人が「ケセラセラピスト」とメールをくれましたが、まあ、なるようになるさ、ですかね。何はともあれまだまだ人生は面白い。といえるのは先週なずなとパリに行ってきたからかな。パリの話もまたいずれ書きますね。

第四十三話 シェークスピアのグローブ座

今回は夏にしか公演のないグローブ座にまつわるエピソードです。
ロンドン、テムズ川のほとりにシェークスピアの劇場グローブ座があります。円筒形で三階建て、茅葺の劇場はシェークスピア生前のままの建築を再現したもので、特筆すべき点は真ん中の広いスペース、ヤードにあります。ヤードは屋根がなく、土間で、当時は下々の者が立って芝居を見物するためのスペースであったもので、何百年たった今もなお、わずか5ポンド(千円)で舞台のまん前で立ち見ができます。

ある夏ちいさななずなを連れてシェークスピアの劇を観にいきました。ヤードの舞台のまん前にかばんを置き、その上になずなを立たせて、ステージに寄りかかりながら観ていたのですが、ぽつぽつと雨が降り始め、とうとう土砂降りとなってしまいました。土間には水たまりができ、そのうちに川のように水があふれ、なずなが立っているリュックはまるで小島のようです。わたしは劇に集中することで、雨のことは忘れるようにしていたのですが、なんせ劇はマクベスの現代表現で、ちょっとなずなにはむづかしかったかも。

またあるときは夜空の星を見上げながら立ち見をし、その星星はステージの天井に描かれている星座と一体となって、シェークスピアの創造した言霊が時代を越えて、宇宙的に広がっているかのように星空に響き、やっぱりこの半屋外劇場はいいものだなと思ったものです。


(間美栄子 2009年 6月15日)


第四十二 話 Gap Year

2009-07-18 18:09:55 | 人生観

* 昨年はジキタリスの当たり年で100本も花が咲きました。ジキタリスは二年目に花を咲かせるので、秋に新しく芽生えた株を二年後のことを楽しみにしながら広い場所へと移植したりします。
植物は気を長く持って行動するように、と私に教えてくれるようです。

第四十二 話 Gap Year

庭のいすに腰をかけモモを食べながら、大きな茶色のナメクジが白いバラの花びらを食べているのを眺めていました。「こういう小さい動物は一日中食べていたりするんだよね。」「人間が近くに寄っても逃げたりしないから、きっと恐れというものがないんだよね。」「本能だけで生きているんだね。」一緒にのんびりとこんな会話をしていたなずなも、もう大学の進路と「Gap Year」を考える頃となりました。

イギリスではA レベルという4科目の試験を受け、大学の内定をもらうけれども、すぐには大学に入学しないで、社会を経験するため、一年間の「Gap Year」 を取る若者がたくさんいます。アフリカにボランティアに行ったり、仕事をしてお金を貯めたり、とさまざまです。

私の勤めるラファエルハウスでGap Year をして働いていた19歳の女の子サリーナは、ちょっとニコルキッドマンに似ていて(耳には5個ずつと、はなにピアスをしています)Gap Year の最中に妊娠して、相手の男性が家庭を持ちたいと希望するのを断り、シングルマザーになる道を選んだのでした。サリーナの夢は子供を連れて世界中を旅することだ、といいます。

やり直しのできる社会イギリスのこと、サリーナが大学にいきたいと思ったら、いつでもいけるわけですが、そうすると、つまり私は20年間のGap Year を取ってしまったのか!という感じです。

同じくラファエルハウスで働く男性、オリーは、毎年1ヶ月のお休みをもらって世界を旅をしている30歳で、昨年はスペインにある聖地に向かってピレネー山脈を越え、徒歩巡礼したのでした。彼もまた、いま、一年で辞めてしまった大学に10年ぶりに戻ろうとしています。

人生経験をした後で、もっと何かを学ぶ意欲が出るというのは本当で、「新しいことを学ぶ」というのも、きっと人間の本能なのかもしれないなあと思ったりします。わたしもよぼよぼの90歳のおばあさんになってもまだ、なにかのコース、やっていそうです。

(間美栄子 2009年 6月1日)


第四十一話 地中海クルーズの旅

2009-07-18 18:08:36 | 海外旅行

* ツバメがまた戻ってきて、チーチーとすごい速さで空を飛び回っている、初夏のこの頃です。なずなは今、庭の芝生に寝っころがって試験勉強の真っ最中。この試験の結果で大学の入学応募をするわけですから、重大なのですが、試験勉強は1ヶ月くらいだけ。(日本の大学受験とは大違い。推薦入学みたいなものかな。)イギリスって、なんてのんびりした国なんでしょう。

第四十一話 地中海クルーズの旅

ラファエルハウスのみんなは、軽い知的障害を持っている人たちで、かなり自立し、いろいろなことを自分で選び、決定しているのですが、ホリデーもそれぞれお供を連れて好きなところにいきます。

ある年、私はティナのお供で8日間の地中海クルーズの旅にでました。
地中海とはいっても、イギリスの旅行社が仕立てた豪華客船ツアーで、お客はイギリス人のお年寄りたち、船員はブラジル人でウェイターは中国人、食べ物はアメリカの会社による24時間食べ放題。その上サルサダンスの船上講習会に参加したりで、いったい私たちはどこの国にいるのかしら?という感じ。

スペインのマヨルカから出港し、立ち寄る港もシシリー島、イタリアのナポリ、フランス、スペインのバルセロナ、と毎日違う国、違う言葉。
観光バスで駆け足で、フィレンツェを見、ピサの斜塔の駐車場についたころにはティナは、「もう、一歩も歩けない」とどんなに励ましても、どうしてもピサの斜塔のそばまでいくことはできませんでした。

今思うとあれは、多国籍の船の中にいた時間が多かったのであるから、それを体験したのだな、とわかるのですが、バルセロナもフィレンツェも、もう一回ゆっくり行ってちゃんと滞在してこなくっちゃ。

(間美栄子 2009年 5月15日)


第四十話 自然のサイクル

2009-07-18 18:07:36 | 人生観

* ぶなの森はうす緑色の若葉を広げて、いま一番美しい季節です。
我が家の庭は、ブルーベルが満開。今回はコンポストのお話ですが、ふと、人生の中でも、地味な土作りにあたる時期があるかもしれないなと、思ったりしています。でも、その土からきれいな花が咲くのですから、たいしたものですね。コンポストの山の上にパンくずを置いておいたら、シジュウカラが遊びに来ていました。

第四十話 自然のサイクル

忙しい現代社会のせいか、どうも四季の巡りが早くなっているような気がします。「えーっ、この前までまだ春だったのにー」という感じです。植物たちはのろい私を待ってはいません。宿根草は毎年また現れて喜ばせてくれるし、一年草は意外なところに育っていて驚かされたりします。植物たちには、信頼という言葉が良く合います。

昔、私が不機嫌なティーンエイジャーだったころ、母がいつも鉢に水遣りをしながら「植物はかわいいねぇ。」とつぶやいていたのを覚えていますが、年月を経て今度は私が、「私の子供たちにハローをいわなくっちゃ」と同居のティーンエイジャーはそっちのけで、帰ってくるとまず庭に出て行くという具合です。

この家に引っ越してきたばかりのときは、草ぼうぼうの庭で、どんな宿根草があるかも知れないので、一年間じっと観察の時をすごしました。その間やっていた庭仕事は、コンポストのフレームを木を積み上げて作り、生ごみと芝生の刈草を積んでいくということだけでした。

もちろんガーデンセンターで腐葉土を手に入れることはできるわけですが、コンポスト作りは「朽ちていく」という自然の不思議を知らせてくれ、また、芽を出し、花を咲かせ、種をちらし、自分は無にもどる、という自然のサイクルを完結するので、私の楽しみの一つです。

赤ちゃんのこぶしほどの大きさのアボガドの種がコンポストの山の中で水を吸い静かに呼吸し、いつのまにか芽を出していたのを見つけたときは驚きでした。植木鉢に植えて、窓際で育て、いまや若いアボガドの木となりつつあります。 

(間美栄子 2009年 5月1日)


第三十九話 イースターの不思議な空気

2009-07-18 18:06:00 | 出会った人

* 二年前に枯れて、残念に思っていた庭のライラックの樹の根元から、若い枝が伸びていたのですが、今年ついに花芽がついたのを発見。これもイースター(復活祭)の印だ、と一人満足。「再び花が咲きますように」というのは私の101ウィシュの中のひとつだったのです。冬の後、春が必ず来るように、これからもっといいことが起きるかな。

第三十九話 イースターの不思議な空気

11年前イギリスに来たとき初めて招待されたパーティは、なずなと二人で散歩をしているとき道で偶然出会った親子から招待されたもので、子供たちのイースターのパーティでした。近くの森に行って、イースターエッグというチョコレートのちいさな卵を隠してあるのをさがしたりしました。

そこでまた偶然出会ったのが、クリスチアーナの家族でした。おかあさんのアンジェラは真っ白のふわふわの髪で、目がきらきらしていて不思議な感じの55歳くらいの人で、クリスチアーナは47歳のときの初子、ということ。お父さんは20歳年下の頭をまるめたフランス人のピエール、仏教の修行を積んだそうで、いつも座禅をしているとのことでした。

一人っ子同士のなずなとクリスチアーナが一緒に遊ぶと、二人とも競争心丸出しで、大変でしたが、ふたりは今でも時々連絡を取り合っていてクリスチアーナは、若きバイオリニストになっているとのこと。

知恵のあるおばあさんのように見えるアンジェラに会うたび、いろいろなカップル、親子があるものだ、といつも感心させられていましたが、イースターの季節は今年も同じように、どんな奇跡が起きても不思議はない、と思えるような空気で包まれています。

(間美栄子 2009年 4月15日)


第三十八話 アイルランドびいき

2009-07-18 18:04:28 | 出会った人

* 経済、政治の悪化で、心配、という声も聞きますが、これはちょっと前にネットで見た日本のニュースです。
悪天のため千歳空港で26人が足止め。画像は男の人のインタビュー。「まあ、あしたは飛ぶというので,今夜はここに泊まろうと。」下のほうから子供の声が。「だいじょうぶ、だいじょうぶ」。カメラ、ゆっくり下りていくと、にっこり笑う小さな男の子の顔。
ポジティブな親にして、ポジティブな子あり。
以来、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」は私たちの合言葉になっています。

第三十八話 アイルランドびいき

永住権の申請にはイギリスとの強いつながりを申し立てなければならないのですが、「イギリス人のパートナーがいるので」、と一言いえたらどんなに簡単だったことか。
10年間、出会いには縁がありませんでしたが、誰のこともいいなぁーと思ったことが全然無いわけではないのです。

なずなの同級生のお父さんで、無職のシングルファーザーのJoeにひかれたこともありました。ぼさぼさのあたまで一日中バイオリンを弾いているようなひとでしたが、目が澄んでいて、なぜか味があるというような。
なずなを放課後預かってもらって迎えに行くと、Joeが子供たちのために、おいしそうなパンケーキを焼いていて、私もついご馳走になったりしているうち、だんだん親しくなっていったのです。Joeの借家は、ストラウドの商店街にも近く、玄関は使わず、いつもキッチンのドアから出入りしていて、誰でもひょいっと立ち寄れる気軽さをもっていました。

子供たちが遊んでいる間、小さなキッチンのテーブルで向かい合い、安い刻みタバコをくるくる紙で巻きながら、いろいろなお話を聞かせてくれる中でも、アイルランドに住むお父さんの、ヤギとろばと一緒に暮らす田舎の生活の話は特別で、彼のお父さんへの深い愛情が感じられました。

どこでも出かけてなんでも経験しよう、がモットーのわたしは、あるイースターの春休みになずなを連れて、Joeのお父さんの山の中の小屋を訪ねて行きました。水道はなく、洗い物は雨水を溜めたタンクからでした。飲み水は近くの泉に汲みに行きます。金色の砂がふわふわと舞う泉は、湧き出てくる水が清らかで神秘的でした。ストーブの燃料は炭化した草を裏山から掘ったもので、ぷかぷかとパイプをくゆらす優しいお父さんの名前もやっぱりJoe、でありました。

(間美栄子 2009年 4月1日)


第三十七話 わたしがアラン島にいったわけ

2009-07-18 18:00:00 | 子育て

* つぼみも膨らみ始め、毎日窓から眺めては花が咲くのを楽しみにしていた隣家のモクレンの大木が切られてしまい、がっかり。
モクレンはこの世と精神世界にまたがる、といわれる神秘的な木ですが、私がイギリスに来て最初に学んだシュタイナーのカレッジの庭にも、モクレンがありました。なぜ隣人が花が咲く前の木を切らなくてはならないのか、私には理解できませんが(アレルギー?)、人はそれぞれ違う価値観を持っているんだなーと痛感させられているところです。

第三十七話 わたしがアラン島にいったわけ

ある春休み、アイルランドの西海岸のアラン島をなずなと二人訪ねました。
ドキュメンタリー映画の父と呼ばれるフラファティの「アラン」を二十年も前に見て、ものすごい強風の中で海草を埋めて土を作って暮らしている人たちの生き方に圧倒されたのです。

アラン島は初期キリスト教の修行の地で、いくつもの崩れた教会を見て回りました。
こんな西のはずれの荒海の岩だけの島にどうしてこんなにたくさんの僧が集まったのだろう。という疑問は、果てしなく広がる断崖の上に疲れて寝転がっている幼いなずなを見ながら、どうしてわたしはこんな地球の西のはずれの断崖まで小さな子供を引っ張りまわしてきて、風に吹かれているのだろうという疑問と重なっていきました。

ところが、ユースホステルで、偶然、フィンドホーンで育ったという若い青年に会い、そのひとから、なずながよく育っていますね、といわれた瞬間、この一言を受けるためにここまで来たのだ。と思いました。
そのときまで、ずっと私自身の心が暗く、生活もめちゃめちゃという感じで、母親としてちゃんとしていないという負い目がいつもありましたが、その瞬間、背中の荷物が取り除かれたかのように感じたのです。

年月が経ち、ティーンエイジャーになったなずなが、ある日突然、「またアラン島みたいなとんでもないところに旅に行きたい」と言い出したときは、わたしもさすがに驚きましたけれど。

ある一言のために遠いところまで旅をすると言う話でした。

(間美栄子 2009年 3月15日)


第三十六話 車窓にて

2009-07-18 17:58:46 | イギリスでの暮らし

*久しぶりに庭に出てみると、もう、薄青紫色の小さな犬のふぐりの花が咲いていました。
皆さん「英13歳の少年父になる」という最近のニュースをお聞きになったかもしれませんね。このニュースの裏には、深刻な社会事情がありまして、どうしてイギリスではティーンエイジャーが簡単に親になったりするかというと、国からの手当てで、住む所も、生活費も、まかなえるからなのです。
手当てと人間のモチベーション(やる気)とはかなり難しい関係にあるようです。イギリス人よ、誇りを取り戻してくれ、とわたしも(納税者)いいたい!

第三十六話 車窓にて

わたしはよくカンファレンスやワークショップ、インタビューなどでいろいろなところに汽車旅をします。タンカーが沈没するようなすごい嵐の朝、旅をしたときもあったし、すばらしい朝焼けで、ひらめきがわくようなときもありました。

でも、ウェールズの旅はちょっと緊張します。だって駅名が,まるでキーボードをでたらめに打ったかのごとくのウェールズ語で書いてあるので、どこを走っているのやらわからないのです。私の家の近くの丘からセバーン川の向こうに見えるウェールズは、すぐそこなのに、外国なのです。

さて、カンファレンスにいくと出会うのは、極東アジア出身の博士課程の学生たちで、台湾、中国、香港、韓国と、国は違っていても共通なのは、孔子の教え、儒教がまるで血液の中に流れているかのようで、控えめで、陰日なたなくがんばることを美としている価値観、文化がそこにあります。

なずなのピアノのコンペティションに行くと、そこにきている若い人たちの多くは極東アジアの子弟で、「おいおい、イギリス人のこどもたちはもう楽器を習うという辛抱強さが、なくなっちまったのかい?」と思ってしまうほどです。

イギリスの何でもWell Done! のおっとりした文化の中で育ったなずなですが、極東アジア的価値観もなぜかもっていて、これからどうやって折り合いをつけて行くのか楽しみなところであり、大変でしょうなーといったところです。

(間美栄子 2009年 3月1日)