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アートセラピストのイギリス便り

アートセラピスト間美栄子のシュタイナー的イギリス生活のあれこれを綴った友人知人宛のメール通信です。

第133話 「キンちゃん」への手紙

2015-04-05 13:56:02 | 社会

Fukushima 4th anniversary in London

 

Green Party Japan中山均さん(新潟市市会議員)への手紙

 

中山さん、おひさしぶりです。お元気そうですね。もう「キンちゃん」ではなくて、小さな自分の人生は終えて、ほかの多くの人たちの健康や平和や幸せのために、「中山ひとし」として、自分の人生のすべてを捧げているのだなあと、遠くイギリスの地から感動して見ています。

 

わたしも、この3月、FUKUSHIMAの4周年に、はじめて(25年ぶりに?)反原発のデモに参加して、ロンドンの日本大使館前、東電ロンドン支店前などを歩きました。ビックベンのあるパーラメントで開かれた集会では、ヨーロッパ中の原子力発電所のことを知っている専門家が現況を説明してくれたり、福島で暮らすイギリス人男性が、子供たちやお母さんたちのすがたを語ってくれたり、日本で楽しく反原発運動をやっている若い大学生が希望を語ってくれたりして、わたしもとても力づけられました。

 

4月中旬に8年ぶりに日本に行きます。父親が歩けなくなってきているので、励まそうと新潟市の家で父と2週間過ごすつもりです。4月18日土曜日から、5月3日までいます。何かわたしでできることがあったら手伝わさせてください。

それでは、20年ぶりにお会いできることを楽しみにしています。

  

あいだみえこ

 

 

Dear friends. 


Have you watched the film ‘Princess Mononoke’?
Japan is a country which covered with high mountains, where the spirits still live now.
Human being has been invented technology all the time since the use of the fire.

Nuclear power is clearly beyond the ability of human; March 2011, Japan has sacrificed herself to reveal this to the world.

As a Japanese who live abroad, it was as if I have lost the home. Japanese people has lost clean water.
It took four years for me to recover from feeling of deep sadness. I have just attended the Fukushima anniversary event for the first time in March in London.

As I have met young people there, I now feel there is a hope. May be these generation who think differently could save the world. They may be able to approach to 'No nuke', in different way.

Let's  walk together, lets sing together, lets dance together for peace.

with Love from Mieko Aida


第109話 多様性を尊重すること

2012-04-06 22:37:37 | 社会

 

    ムスカリ

 

*4月となりましたね。日本ではまた新しい始まりを迎えていることでしょう。こちらイギリスでは、どこでも黄色のレンギョウと、薄桃色のもくれんの花が咲いています。4月8日はイースターサンデーです。

わたしの家の庭はさまざまの花木と芝生で、もう出来上がっているガーデンなのですが、今年はつつじを植えたりして、更なる改善を試みています。隣家には竹の鉢植えもあるしで、結構、和風の庭といえるかもしれません。

 

第109話 多様性を尊重すること

このところ病院では、報告書書きで忙しかったのですが、患者さんのリハビリテーションの進展具合のレポートをそれぞれの部署に書いてもらって、それをまとめるという、リハビリテーションコーディネーターの仕事をしていると、それぞれの個性もさることながら、どうもインド人セラピストたちは、みなぎりぎりになってからレポートを書く傾向があるのではないかときずきました。

私などは、コンピューターやプリンターの調子やネットワークの具合などが悪かったら、ミーティングに間に合わないだろうから、と早めに仕上げておきたい、と思うのに、かれらは、そんなわたしの話には聞く耳は持たないので (普段から他人の話を聞かない傾向がある上、たぶん「Miekoは催促ばかりしてうるさい」と思っている)チームワークってほんとに大変、と思わされてしまいます。インド人の彼らは「火」で日本人のわたしは「水」みたいな、根本的な性質の違いというかんじです。

わたしも実際、5年前に帰省したとき、新幹線がほんの少し遅れただけなのに、まるで新調したばかりのような真っ白な制服を着た車掌さんがわざわざやってきて、ふかぶかとあたまをさげて謝罪している姿を見て、あらためて日本人の几帳面さに驚かされましたけれど。

文化によって、人の考え方や、価値観は、かなり違うものだな、何が正しいとか間違っているとか、ないんだなと、学ばされるのが、外国で暮らす利点かもしれません。

梨木香歩さんの「春になったら苺を摘みに」には、イギリスで梨木さんが下宿していた家の大家さんウエストさんと、その家のさまざまな下宿人たちのことが書かれています。特にアフリカのナイジェリア人の下宿人のお話には、驚かされるほどの考え方の違いが描き出されています。これだけ違う価値観の人たちを受け入れることが出来る大家さんのウエストさんとは、なんとすごいひと。

星野道夫さんの「ノーザンライツ」は、星野さんがアラスカで出会った人たちのことを一人ひとり丁寧に書いたお話です。星野さんは、「人の暮らしの多様性」が一番大事だと書いています。白人でアラスカの原野に暮らす人、イヌイットで近代化の波にさらされている人、それぞれの暮らしに触れながら、どれも否定することなく人の価値観に耳を傾けています。星野さんは「僕と違う価値観で生きている人間を見ることで、僕自身のことがわかる。」といいます。

わたしも日本にいたときは「変人」と思われていましたが、多様性がある社会では、自分自身をもありのままに認めて自然に暮らしていけるので、楽、ということがいえるでしょう。

 (間美栄子 2012年 4月1日  http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef


第九十五話 歴史の旅「ヘイスティングの戦い(1066年)」

2011-09-05 22:44:26 | 社会

 

           Hastings  南イングランド  

 

 

 

*このところ涼しく、秋の気配がしていたのですが、9月になってまたお天気のいい、暖かい日があり、それだけでなんだかうれしくて、にこにこしてしまいます。

この夏は、日本から何人もゲストが来てくれて、南東イングランドを一緒に日帰り旅行して楽しんでいたのですが、皆さん日本食をお土産に持ってきてくださって、「水ようかん」、「わらびもち」などもいただきました。おいしかった!ありがたや。今日は久しぶりに車ふの入ったひじきの煮物にごま塩ふりかけご飯を料理しましたよ。

の脱原発やリサイクルの運動を出発点に、環境、経済、平和などの、さまざまなNGO活動に

第九十五話 歴史の旅「ヘイスティングの戦い(1066年)」

 

むかしばなしの浦島太郎は竜宮城で楽しくのめや歌えやの3年間の日々をすごしていたのですが、あるとき、乙姫に不思議な四方に窓のある部屋へ案内され、ふるさとの四季を見ることに。美しい桜の春。せみの声が聞こえる夏の窓。もみじが赤く染まる秋の窓。太郎は、北風が吹き荒れた雪の海が見える冬の場面で、ふるさとの年老いた両親を思いだし、いてもたってもいられず、地上に戻ることにしたのでした。

 

3.11で日本は変わったといわれますが、外国で暮らす日本人は「故郷喪失」のような感じの、悲しさがあるようです。(もちろん毎日を日本で暮らす人たちはもっと大変な思いをしているでしょう。)わたしは勉強で精一杯の十年を過ごしていたので、日本のニュースもウェブも見ることもなかったのが、3.11以来日本のニュースを見るようになりました。思いは日本へ、の日々。そんな時イギリスを訪ねてくれた日本からのゲストからは、ほんとうのところ、日本はどうなっているのかを聞くことができました。

 

 

劇団無形舎の早津さん(本町2丁目居酒屋「鳥の歌」店長) に連れられて、寺泊の近くの田んぼに通って素人無農薬栽培を試みていたのは20代のころでしたが、先日その田んぼのグループのHさんが私を訪ねてくれました。現新潟市沼垂にあった日本最古の古代城柵「渟足柵の研究会で世界の歴史の「柵」をまわっているとのこと。

 

歴史に興味があるならばと、私が住むタンブリッジウェルスから汽車で20分の、その名も「Battle」という、海の向こうからノルマン軍が攻めてきて、イギリスを征服した1066年の「ヘイスティングの戦い」の歴史の町に一緒に行ってきました。

戦いの場となったフィールドがそのまま残されていて、ぐるりと歩きながらそこここにあるパネルで戦いの様子を想像力で再現。矢が当たって倒されたイギリス王の首があったところを祭壇にして、そこに大きな修道院を建てたという、なんとも生々しい宗教なわけです。

 

世界史、日本史を語りながら、Hさんは、田んぼのグループのみなさんのその後20年の個人史も話してくれました。Hさんは今もジャズのベース奏者で、信濃川の土手を走っているとのこと。何十年たっても、いろいろなことに興味を持っていて、一人暮らしのお母さんのお世話に通いながらも第二の青春という感じです。話を聞けば、みなさん、人のため、社会のため、なにかできることをしつつ、楽しんでいる。

 

歴史を学ぶことで見えてくる長いスパンで見た今回の地震、津波、原発事故の意味。

向かっているのはお金でも地位でも権力でもない、人間の生きる道の上での、自分の役割

 

新潟にいれば早津さんの居酒屋「鳥の歌」の常連客となって毎晩、おいしい魚とおしゃべりを楽しんでいるところなのに、こうしてイギリスの地で暮らしているのも、また、私の役割であるのかもしれないなと思いはじめています。いつでも「Cup of Tea」、なんでも「Well Done」の、こののんびりしたイギリスの暮らし方を紹介するのも日本社会への貢献になるかもしれません。

 

そんなことを考えながら、Hさんが、ヘイスティングの漁師の魚直売所で買ってわたしにプレゼントしてくれた白身魚を、パクチーと生唐辛子野菜炒めソースでタイ風にしていただきました。おいしかった!ごちそうさまでした。

 

 

(間美栄子 2011年 91  http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef

 

      

                                 

 

(写真はヘイスティング独特の黒い細く背の高い網小屋。当時土地が足りなかった)


第九十一話 渡りの時

2011-06-30 22:49:36 | 社会

                            (毎日の通勤路- Dog Rose)

 

 

*今日から7月。我が家の庭では真っ赤なばらが咲いていて、いまイギリスは花盛りの季節です。隣の家のバードテーブルには、樫の木の枝を伝わってリスがえさを食べに降りてきているのが見えます。 

うちの庭にもきつねがよくやってくるのですが、狐がまるで犬のように道をぶらぶらのんきに歩いているのは、どうも野生であるといった警戒心がないような、妙なかんじ。きっと自然環境も変わり、年月をかけて動物も習慣を変えていくのですね。

第九十一話 渡りの時

 

ここ数日暑い日があり、じりじりとしたお日様にさらされると、わたしはホームシックになるのです。イギリスの一年中、涼しいか、寒いかといった気候に慣れていると、「暑い」がかえって懐かしく、暑い日ふと、出て来た日本のことを思い出したりします。

 

毎日の通勤路に私が選んでいるのは、湖を横切る細いフットパスで、このごろは、両脇からネトルや、ブラックベリーや、アザミといった、トゲとげした植物が生い茂ってきていて、注意深く自転車をこいでいかねばいけません。

ここからは、定住しているガンたちの、春にうまれた子供たちもずいぶん大きくなっているのが見えます。

私の故郷新潟市にも鳥屋野潟という大きな潟があり、夏にはお父さんのバイクの後ろに乗っけてもらって、竹の簡単なさおでつりにいったことがあったのを覚えています。

 

今、梨木香歩さんの随筆集「渡りの足跡」を読んでいるのですが、そこにはなにげなく見かける、かもや鳥たちも、旅をし、命をかけて渡りをしているということが、鳥たちの視点から愛情深く描かれています。

鳥たちも、定住するのか、それとも「渡る」のかは、それぞれの個体の判断によるのだといいます。

鳥も人間も「渡る」決心をするのは、もちろんそれが、さしせまっているからで、もし、その場所が、自分が生活し、子孫を産み育てるのに何の不足もなければ、「渡る」ことはおこらないのでしょう。

 

私の祖父の実家は、雪深い新潟県松代で、材木を取り扱っていたのが、あるとき大雨で、材木がみんな流されてしまった。夜逃げのようにして、4人の兄弟は村を出、それぞれの人生を歩むことになります。

 

末っ子の四男坊は新潟市で懸命に料理の修行をし、やがて所帯を持ち寿司屋を始めます。そこで子守に呼ばれたのが松之山に生まれ育った姪である私の母で、 「山の向こうに何があるのかもまったく知らなかった」少女が、おしんのように親元を離れて、都会に出てきたのでした。

 

少女だった私の母の新潟市への移住は、わたしがイギリスに移住したのと同等の大きなカルチャーショックを起こしたに違いありません。それでも何年かして、すっかりと町の暮らしに慣れ、結婚をし、家族を持ち、家を建て、定住したのでした。

 

イギリスでは成人すれば親の家に住むことはまれで、どんどんと引越し、住む町をかえ、家を買い換えていくのが普通ですから、わたしのような「渡り」をしやすい性分が多いということですか。

私の渡英の決心は私の魂の生のために、そうせざるを得なく切羽詰ってしたわけですか、十数年たった現在、KENTで家を買いながらも、家族とも住んでいなく、イギリス人の隣人ともあまりかかわらずに暮らしていると、それはきっと、定住というより「迷い鳥」のようなさまであることでしょう。

 

ニュースを見聞きしていて、心が痛むのは、福島に留まっている方たち、特に子供や若い人たちへの放射能物質の深刻な影響のことです。わたしのように、娘以外は何も持ってないという、身軽な人間の「渡り」とはまったく桁のちがう重さで、避難、移住、ができかねているのだと思いますが、命と健康あっての家族、仕事や家、財産、ふるさとで、子孫代々のことを考えて決心をする時なのではないかとあんじています。(それは住民の決心だけでなく、東電と政府の責任として、その費用および、補償をしっかり支払って避難、移住を促すことがことが必要なのではないでしょうか。そして私たち一人ひとりのおとなは東電と政府に責任を果たさせるよう抗議していかなければならないのではないでしょうか。)

 

イギリスにきてすぐ、わたしは両親になぜ、「渡り」をしなければならなかったか、長い手紙に書いて送りました。それから十数年間、両親は私を信じて、私となずなが元気で幸せであれば、それでいい、と遠くに暮らす親不孝に愚痴をこぼすこともなく、ずっと応援してきてくれました。そんな両親や、友たちとも離れていて、かつ「空の巣症候群」を患う親鳥でありながらも、やっぱり、ここで仕事をし、暮らしていく意味があると、考えながらきょうも自転車をこいでいます。

 

 

(間美栄子 2011年 71  http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef

 

 


第八十八話 現代史映画「存在の耐えられない軽さ」

2011-05-15 21:50:34 | 社会

                    映画Three colours- blue」ジュリエットビノッシュ

  

 

*我が家の庭では春から順に、れんぎょう、八重桜、カメリア、と花木が咲きつづけていて、今は日本にはない毒のあるマメ科の黄色い花の木バーナムがたくさんの花をぶら下げています。わたしは日本の原発事故のことを考えると落ち込んでしまい、ぼんやりと花を見て座っていることが多かったりするこのごろです。

なずなはイタリアを6週間旅しているところで、これまでは電話で話していたのが、それもないとなると、やっぱりさみしく、「これが空の巣症候群か」というかんじ。

 

 第八十八話 現代史映画「存在の耐えられない軽さ」

 

映画ショコラの主人公(ジュリエットビノッシュ)は小さな女の子を連れて流れてきた、ちょっと魔女のようなチョコレートの秘伝を代々受け継ぐシングルマザー。

私もなずなとふたりイギリスに流れ着いたときはマクロバイオティックをしていて、なんだか黒い料理や黒いパンなど食べていたので、映画ショコラを見たときは自分たちのことみたいに感情移入したものでした。

 

さて、そのジュリエットビノッシュが若いころ出演したチェコが舞台の映画で、「存在の耐えられない軽さ」という長編があります。http://www.youtube.com/watch?v=1wtFIt5PVS4&feature=related

田舎娘のテレザ(ジュリエットビノッシュ)は出張に来たプレーボーイ脳外科医トマーシュに出会い、いきなり押しかけ結婚をするのですが、このトマーシュには愛人がいるのでした。テレザにはそれが耐えられない。

時代はソ連の強圧にプラハが苦しんでいるころ。政府批判を書いたトマーシュは脳外科医の仕事を失い、窓磨きとなるのですが、徹底した「軽さ」のトマーシュはそれをまったく苦にもしないところがすごい。

 

現在の東電原発事故以後の日本の状況を見ていると、まさに、歴史の大きな転換期にあると感じます。そんな時、テレザのようにカメラを戦車に向けて証言者となれるのか。トマーシュのように職を捨ててでも自分の考えを表現していけるのか。一人ひとりの勇気が変化への力とつながっていくようにおもいます。

 

私の職場の同僚でチェコからきた三十代の人が言っていました。「ほんとに社会が変わっていくのは私たちの代が死んでから、共産主義を経験していない次の世代からだろう」と。

私たちもみな日本の教育を受け、日本の社会で育って、「洗脳」されているので、この日本の政治、社会管理システムを疑い、変えることはなかなか出来ない。でも、この東電原発事故では、そのシステムがいかに人間をおろそかにしているのかをあからさまにして、いまや誰にでもおそろしさが見えるようになった。

 

次の世代まで待てない危機的な状況にある現在、どうか、一人ひとりの声をTwitterでも、Facebookでも使って伝え合ってください。少なくとも日本では言論の自由があるのですから。

 

間美栄子 2011年 515  http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef

 

P.S, ジュリエットビノッシュが主演した映画でも特にいいのは、フランス映画の「Three colours- blue」交通事故で夫とこどもを亡くした女性の心の様を細かく描写しています。http://www.youtube.com/watch?v=jJetkmTWxQc


第八十七話 怖い近未来映画 「Children of Men」

2011-05-03 01:14:59 | 社会

*先月ずっと暖かい日が続いたイギリスでは、ブルーベルが満開。お昼休みには病院の近くの森でブルーベルの海を見ながらピクニックをして息抜きをしています。

ギャップイヤーのなずなは半年働いて貯めたお金でイタリアを6週間旅している真っ最中。ベニスを始まりとした各地をめぐるユースホステル安旅で、さまざまなことや、人々の暮らしを目にしていろいろ感じていることでしょう。

わたしはTWITTERで原発事故のことを読むひびがたたったか、飛蚊症という、目の症状が悪化。スローダウンしなさい、ということなんだな、と理解し、コンピュータはほどほどにして、毎日早寝しています。皆さんも、原発のことで心労が重なっていると思いますが、眠るのは効きますよ。

 

第八十七話 映画「Children of Men

 

原発事故の後、昔見た「黒い雨」を思い出し、映画の中で原爆症で苦しむ女性を演じていたのは元キャンディーズのスーちゃんだったなあ。あの夏、かんかん照りの日、映画を見て心も体も(クーラーで)冷え切ってしまったんだったなあ、とおもっていました。そんなところに、田中好子さんが乳がんで亡くなったとの訃報を聞きました。「もっと映画に出たかった」というスーちゃん。http://www.youtube.com/watch?v=ToT1lQXMRRM

「原発のせいでがんになりたくない」と声を大きくしていいのだと、スーちゃんも後押ししているように感じます。

 

このターニングポイントでもし社会が変われなかった場合、どんなことが待っているのか、かいまみせる怖い近未来映画があります。

 

Children of Menhttp://www.youtube.com/watch?v=NikEQy1XxDE

 

時は2027年。世界中で子供が生まれなくなって、18年がたっている。テロ、移民迫害、というすさまじいありさまのロンドン。主人公のクライブオーエンが巻き込まれるのは、奇跡的に子供を身ごもった黒人のティーンエイジャーの少女を守り避難させるという使命。

 

イギリスでは現在も日増しに、移民を入れるなとの声が高まっていて、外国人のあまりいないケントに住む私としてはもう人々の視線が痛いくらい(被害妄想もあり)

移民たちが檻に入れられるシーンは人ごとではなく、ほんとに震え上がってしまう。

逆算すると世界中で一人も子供が生まれなくなったのは2009年という設定で、ピルを飲む女性たちが排出する尿が循環し、飲み水に入り、と想像すると実際ありそうな話だ、と思っていたが、放射能が不妊に及ぼす影響は、チェルノブイリ原発事故後の流産の増加を見るとわかるように明白です。

 

福島の避難所で15歳の少女が「子供が産めない体になるのではないか」と東京電力に質問したとのつらいニュースをみましたが、ここに核心があるとおもいます。この子供たちの未来をどうやったら保障できるのか?映画の中の奇跡的に子供を身ごもった黒人の少女のラフな話し方もまったくふつうの「いま」の若い人そのもので、私には、現実感のある怖い映画です。

 

歴史はコンセクエンスでおきています。ひとつひとつの出来事は影響し合い、次の出来事を生み出しています。政治家や経済界だけが歴史をつくるのではなく、民衆の意識が変化にかかわっています。どうか、自分のきもちや考えを声に出してお互いに伝え合ってください。

 

では、またお便りします。体には気をつけて。お元気で。

 

間美栄子 2011年 51  http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef

 

   Nazuna in spring in Japan, 18 years ago


第八十六話 東電原発事故以後の暮らし方

2011-04-15 21:17:10 | 社会

              

 

 

*放射能もれなど深刻な状況にある不安な日々だと思います。ポジティブな心でいることはとても難しいでしょうが、こんなときこそ、自我のしっかりした人がひとりいるだけで、そのまわりは違ってくるのでしょう。

こちらはイースターの季節。使徒たちの裏切り、苦しみ、辱め、そして死をとおり、復活し永遠の命を地上に広げたキリストの物語は今年は特に意味深く感じます。

 

八十六話 東電原発事故以後の暮らし方

 

私の勤める病院では99%の看護士、セラピストなど200人ものスタッフが外国人で、ブルガリアなど東欧から来ている人たちはみんなスモーカーとか、インド人たちは、アレンジドマリッジ(お見合い結婚)だとか、それぞれのお国柄がみえてくるのですが、自転車に乗ったことがないという人がかなりいるのには驚きました。

 

何人もの人が、私が自転車に乗っているのを見ては、「どうして車を買わないの?」と聞いてくるのです。老いも若きものっている自転車というのも日本的文化かもしれませんね。

わたしの感じ方では、ガソリンを買って車を走らせる、というのがどうもしっくりこないのです。近距離なら自分の足とエネルギーを使って移動できるのですから、それに石油を使うこともないだろうと。遠距離では一人ずつ車を走らせるより、公共の交通機関のほうが石油を使うのが少しで済みます。

 

東電原発事故以後の暮らしかたを考えている人も多いことでしょう。

イギリスでは屋根に太陽光発電のソーラーパネルのある家が多くあります。私の第二の故郷ストラウドのグリーンパーティの友人クレアーとポールの家ももちろんソーラーパネルで、お湯も温められるし、十分電気を作れるといっています。遊びに行って驚いたのが、薄暗い階段で、別に明るくなくてもいいところは薄暗くてかまわないという具合でいけるわけですね。うちもそうですが、イギリスの家は冬向き住宅で、窓は二重窓で、けっこう保温が出来るようになっています。

 

日本はかつては夏向き住宅で、夏涼しいように設計されていたのですよね。パーマカルチャーを始めたビルモリソンはオーストラリアの人で、そこにはクーラーの要らない夏向き住宅のアイデアがたくさんあります。http://www.amazon.co.jp/dp/454093029X?tag=shibuimusic-22&camp=243&creative=1615&linkCode=as1&creativeASIN=454093029X&adid=13WRYFTT94F1NBZT59FZ&

 

マットさんのパーマカルチャー農場でも、ソーラーパネルがついていました。はじめはそれを購入したり取り付け工事をしたりでお金がかかりますが、それがいずれは支払われる、といっていました。私のうちも、お金がたまったら、ソーラーパネルの取り付けをしたいと思っています。

 

ストラウドでもブリストルでも、風力発電が結構見られました。フィンドホーンもエコビレッジとして風力発電ほかさまざまな取り組みが実践されています。

http://www.findhorn.org/aboutus/ecovillage/

 

 

イギリスでの原発の状況を見たら20ほどある原子炉を10年がかりで全部止めるという方向にあるようです。反対運動のせいでなく、コストがかかるからだとか。

大きな発電所を作るより、個人個人が自家発電をする、そんなことも可能でしょう。

http://www.cat.org.uk/information/aboutcatx.tmpl?init=1

 

この原発事故をターニングポイントとして、さまざまな面で一人ひとりの意識の変革が起きることを願っています。

 

間美栄子 2011年 415  http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef


第八十五話 わたしの責任

2011-04-01 21:33:58 | 社会

         (ベトナム人のお坊さんティクナットハン)

 *4月となり、日本ではいつもの年なら、あたらしい始まりといったところですが、今年は、地震、津波、原発事故で、そんな気分にはなれないでいることでしょう。誰もがみな不安な心でいることでしょう。

わたしもニュースを読んでは日本のことを思う日が続いていますが、先日ふと思い立って、花の種まきをしました。土に触れて、これからもつづいていく命に想いをはせていました。日本では桜が昨年と同じように美しく咲いていることでしょうね。

 第八十五話 わたしの責任

 

「独身の頃、Aikoのアパートで原発の話をしたことがあったよね。覚えていますか?」

アイ子というのは私の子供のころからのニックネームで、旧友からこんなメールをもらって、20年前のことを思い出しました。

そうだったなあ、友達にも原発のこと話しても、伝わらなかったんだな、あのころ。

「危険な話」を夜通し読んで、仕事に行っている場合でない、といきり立っていた日もあったなあ。

六ヶ所村に夜行バスで行って、ヒューマンチェーンをつくったときもあった。日比谷公園で反原発一万人集会に参加したときもあった。 

 

でも、私たちは原発を止められなかった。

 

 

あれから私はイギリスに移住して、自分の勉強と娘との暮らしで精一杯になってしまい、市民運動はぷつり。

 

そしてついに原発事故は起きた。

 

イギリスで暮らす日々の中で鍛えられたのは、自分の人生に責任を持つという感覚です。普段の会話の中でも、「幸福は自分でもたらす」ということが常識になっているようです。何かを決めるとき、「何々をしましょうか」とひとに聞くといつも「Up To You」と返事がかえってきて、結局は自分で判断しなくてはならないのです。「不幸せは誰かのせいではなく自分しだいなのだ。」という考え方が定着した私が日本のこと、とりわけ、原発事故のことを思うとき、こんなふうになるのです。

 

日本の電力会社も官僚も、政府も、悪い。

そして選挙に行かない人も、知り合いに頼まれたからといって候補者の政策を読むことなく投票する人も、悪い。

さらには学者も反原発運動家も悪い。

そして私たちすべての大人が悪い。善良な人も、おとなしい人も、寡黙な人も、悪い。

 

子供たちに対して、大人として、原発を止められなかった責任を果たしていかなければならない。

 

日本人の、お上がすることだから、知識のある人たちが決めたことだから、間違えはない、という従順な受身的な態度。テレビが言うことだから、新聞に書いてあることだから、とうのみにする態度。20年前、わたしはそれはどうにもならないのだなという気持ちで、あきらめたのかもしれません。いまの私はその責任をしはらうときがきたようです。

 

ちなみに、イギリスでは電気代もガス代も、水道料も、下水も、みんなみんなべらぼうに高いです。税金も健康保険料もすごく高いです。ここの社会ではその一員であることは大変高くつくのです。

日本の社会のありようだけが、社会ではないこと、それは「伝統」ではなくて、意識の変革が必要なのかもしれない。ときづいてほしい。本当に大切のものは何か、自分の気持ちに聞いてみる、自分の頭で考えるという姿勢に変わっていってほしい。そんな願いを持って話しかけ続けていく、それがこれからの私に出来ることなのかな、と考えています。

 

「一枚の紙に雲を見る」とティクナットンが書いているように、もし想像の目を働かせたら、私たちにも見えてくるでしょう。私たちが使う電気を作る原発のために被爆した、ウランを採掘している人たちの姿。電力会社の下請けの労働者の姿。私たちのまだ見ぬ孫、ひ孫たちの顔が。

   

間美栄子 2011年 41  http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef

        


第八十四話 アレクセイと泉

2011-03-16 22:35:36 | 社会

第八十四話 アレクセイ

 

 

地震と津波原発のニュース、こちらでも見ています。被害の状況やなくなった方の数など知らされるたびにとても悲しくなり、ずっといろいろ考えています。

 

私はなずなが生まれてから、地震がこわくてしかたありませんでした。山がぱっくりと割れて崩れて幼児のなずながそこに飲み込まれていくという悪夢を見て、うなされたこともあります。子供が生まれて、ほんとうに大切なものが初めてできたとき、たった一つ失いたくないものは命、ということを感じていたんでしょう。

 

地震があるとわかっていながら55も原発がある日本は、お金のために命をかけているのか?また、その方向をどうにも転換できないのが日本人なのか?それは諦念観なのか、せつな的に生きるのか?

 

津波で消えてしまった町のウエブを見てみました。そこには町の憲章が掲げてあり、海と山のある豊かさを誇った言葉が書かれていました。

だれも諦念していたのでも、せつな的に生きていたのでも、お金のために生きていたのでもなく、よく生きようとしていた住民の人たちの生活が垣間見えます。

 

チェルノブイリのあと、すべての村が廃村になり、みんな出て行ってしまった後も、そこにとどまりつづけた老人たちと、たった一人の若者アレクセイの物語、ドキュメンタリー映画「アレクセイと泉」を思い出しました。http://www.youtube.com/watch?v=QuIkhdTXBOY&feature=related

 

その村には放射能に汚染されていない水がこんこんとわきつづける泉があったのです。それは地下に蓄えられた、自然が長い時をかけて作り出した水でした。

 

「母なる大地は どこでも聖なる場 みんな地球の子 みんなの子 大地は人のものでなく ひと大地のもの」

この歌は、スコットランドにあるフィンドホーンで習い歌った歌です。フィンドホーンは美しい「聖地」のように思われるかもしれませんが、そこはただのごく普通の海に面した小さな村の、空軍基地がすぐ隣にあるキャラバンキャンプ場なのです。メディテーションをしていても、頭の上では空軍機のキーンというすさまじい音がしてくる。平和を祈る人と戦闘機を操る人。戦争と平和が隣合わさっている。

 

原発と「聖なる場」も隣り合っている、大地はどこでも聖なる場だから。

原発を作り、自然を畏れ敬うことを忘れてしまった人間たちは、ふたたび大地とつながることが出来るでしょうか。

 

いつか不思議とみどりがよみがえる、アレクセイの泉のようなところがいくつも生まれてくることを信じています。

 

 

間美栄子 2011年 315  http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef

 

 P.S. 東京で4月「アレクセイと泉」上映されるそうです。http://www.mmjp.or.jp/pole2/426_timetable.pdf


第四十八話 歌声で目覚める日々は遠くなり

2009-09-01 01:16:28 | 社会

踏み切り 「STOP LOOK LISTEN 」 と 歌いながら二人で散歩


* 秋の気配がただよう九月、もうすぐ阿賀に生きるの監督、佐藤真さんの命日ですね。二年前、追悼文を書いてから、はじめて日本語で文を書くようになった私ですが、そこには書かずにはいられない、強い感情があったのです。
普段はじっと抑えているさまざまな感情、麻痺している心、鈍くなっている感受性。文を書く作業は、ふたをあけ、そこから流れ出てくるものに耳を澄ます瞬間です。

第四十八話 歌声で目覚める日々は遠くなり

社会学の本を読んでいるとさまざまな面白い研究に出くわします。オートエスノグラフィーといって、研究者自身の生活、経験を研究材料にするもので、たとえば、ある研究者は病院のポーター(用務員)として雇われながら、医者の高圧的な態度を観察、記録したり。息子が結婚をするにあたり、義理の母になるということを、研究した人もいました。

また、別の研究者は、自身の母親が知的障害者で、子供のころは母からひどい虐待を受けて育ったのですが、母との関係を振り返り、書くことで消化、理解していきます。

ある日、大人になった筆者は、母に妊娠した旨を電話をします。母は、「今度こそ」とつぶやきます。今度こそ、子供(孫)においていかれないで、いっしょに自分も大人になれるかもしれない、と考える知恵遅れの母の悲しみ。

でも、この寂しさは、私にもあります。
ボーフレンドができた。アルバイトを始めた。友達と一緒に世界を旅する。大学に行って学生寮生活をする。どれもこれも私の知らない、果たせていないことをやれている娘をうらやましく、ねたましく、おいてきぼりになったような気分がするこのごろ。

赤ちゃんだった日は、おおむかしになり、いつも朝からうたっていた子供時代も過ぎ去り、これからは対等の関係となっていくのでしょう。わたしはこれからもオートエスノグラフィーを書き続けることで、寂しさやいろいろな気持ちを納得していくのでしょう。

(間美栄子 2009年 9月1日)