アートセラピストのイギリス便り

アートセラピスト間美栄子のシュタイナー的イギリス生活のあれこれを綴った友人知人宛のメール通信です。

第121話  フィンドホーンの夜明け

2013-01-07 19:59:28 | フィンドホーン

 

 

 Sunrise at Kent, UK

 

* あけまして、おめでとうございます。2013年も、どうぞよろしくお願いします。

ロンドンで新年の花火をみたなずなは、去年同様、パーティと二日酔いで、疲れた顔でおもちを食べに家にやってきましたが、今度はけんかすることもなく、すごしました。わたしたち二人も少しは大人になったみたい。

わたしはまだ植えていなかったチューリップやスイセンの球根をやっと植えて、ほっとしたところ。

冬きたりなば春遠からじ。

 

第121話  フィンドホーンの夜明け

 

 

このお正月のお休みは、ここイギリスはいつもより暖かく、穏やかに過ごすことができました。元旦には、自分のベットルームの窓から日の出を拝み、拍手を打ち、よい年になるよう、祈っていました。

アートセラピールームでは、新年早々、患者さんたちと、うす桃色に染まる空と、丘の向こうから上る朝日を描いています。

 

ことしはスコットランドのコミュニティ、フィンドホーンも、わたしも、新たな半世紀の一年目となります。これからまたどんな奇跡が起きるのか、楽しみです。

この美しい映像と音楽のビデオは、15年前に一緒にフィンドホーンを訪れた日本人グループと、創始者のアイリーンとの質問のセッションの録音から、Rryuさんがまとめてくれたものです。http://www.youtube.com/watch?v=JEeNSv4DbvQ

以来、いつも、あの北の地ではじめてみた朝日のことを思い出しては、わたしの心にともったちいさな明かりをともし続けた15年間でしたが、今年からは、この光を、ほかの人たちにも手渡していけるような、そんな転換期にあるような気がしています。

あのときアイリーンに「わたしが、わたしが、という、我をなくすにはどうしたらよいのですか?」と質問したのですが、その後、イギリスで長年の貧乏学生生活をしている間に、アイリーンの教えてくれた「祈るのです」ということばに、みちびかれて、お金のためでも、誇りのためでもなく「他を助けるために仕事をする」ということを、体で学ぶことができたといえるでしょう。

毎週のシュタイナーの魂のこよみでも、「小さな自分を犠牲にして、大きな自分を生きるのだ」ということが繰り返し出てきますが、今年は、そんなことができてくるような、予感がしています。

 

オーストリアで金色の布張りのクリムトの絵のついた2013年ダイアリーを手にいれたので、クリムトの絵のように金色に輝くべく、よい年になるよう、意識して毎日を過ごしていきたいと思っています。

フェースブックはほどほどにして、落ち着いて本を読んだり、書き物をしたり、考えたりしたいというのが、今年の抱負です。

20代の登山をしていたころの写真を眺めているうちに、世界中の聖地とされる場所をもっと訪ねてみようという、インスピレーションも沸いてきました。

どうぞ、ことしもよろしく、お付き合いをお願いします。

 

(間美栄子 2013年1月7日   http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef

 


第101話 フィンドホーンの仲間たち

2011-12-03 21:51:15 | フィンドホーン

    

 

 

  

*12月となりましたね。私は今、この季節の飲み物「マルドワイン」-生姜、オレンジ、レモン、シナモン、そして、クローブの香りのする、あたたかい赤ワインの作り方をマスターしようとおもっているところ。

寒い冬は心も体もあっためてあげないと、ですね。

 

101 フィンドホーンの仲間たち

                                         

シュタイナーは「人は7年ごとに人生の節目を迎える」としましたが、11月に誕生日を迎えた私は、ちょうどこの7番目の節目に当たる変化の年が始まりました。

 

フィンドホーン(http://www.findhorn.org)35歳の大きな節目を迎え、イギリス移住を決意したのは14年前。

35歳は過去からの力と未来からの力がほぼ同等の強さになるので、自分の経験から「こうしよう、ああしよう」と考える以外のところから、まるで自分では考えもつかないような発想がわいてきます。突飛というか、誰かほかの人の考えのような気がするほどで、自分ではコントロールのつかないような力で引っ張られているような体験をしました。

 

最近友達のつてで、何人かの35歳前後の女性が私のところに訪ねてきたりすることがあったのですが、やっぱり35歳の節は強力なんだなーと感じます。仕事をやめたり、離婚したり、勉強を始めたり、海外行きを決意したり。私もこんなだったなー、この人たちは、これから始まるんだなー。とその渦巻きの真ん中でたっている姿をみていて、こちらもわくわくします。

 

今わたしもまたこれからの新しい7年間をどう生きていくか考えているところですが、そんな時、14年前の誕生日を一緒に祝ってくれ、イギリス移住を応援してくれたフィンドホーンの仲間たちと6人、スカイプで集まっていろいろ話をしました。

 

看護士のみはちゃんは、現在療養病棟で、私の働いている病院の患者さんたちと同じように、呼吸も、栄養や水分もチューブでといった状態の患者さんたちと向き合っています。仕事以外でも、東京でハンズオンヒーリングをしているという。http://nupuca-healing.petit.cc/banana/

 

横浜の馬車道でピアノ生演奏しているりゅうさんは、鍼灸の資格も取得し、今度は、死に行く時をアシストする音楽を始めるとのこと。http://twitter.com/#!/symphonicmed

 

ちえちゃんは香川と東京で、フラワーエッセンスとアロマセラピーのセッションをしている。フラワーエッセンス学会を創設して、植物観察会なども開催している。http://anuenue.seesaa.net/

 

 

りゅうやくんは出版社に勤める編集者で、3.11の震災の後には詩人坂村真民さんの詩集「ねがい」を編集して被災地に届けたそうです。http://www.sunmark.co.jp/00/tantou/frame_index08.html

 

まさくんは千葉で農的生活をする、きこり。いろいろなおもしろい人たちとつながって、ゆたかなコミュニティー付き合いをしているみたい。私も地に近いそんな暮らしをあこがれているので、彼の作物の出来や、何を手づくりしたかを知らせてくれる彼のツイッターを楽しみにしています。

http://twitter.com/#!/spiritwalkerjp

 

こんなユニークな仲間たちと語り合ったことは、1000年単位で人生を見ていこうということ。この生の間、何かを学び、仕事をし、アートをして、また生まれ変わり、自分が前世で残したものを体験するかもしれない。

 

今日は、朝日に輝くおおきな樫の木が美しくて、1000年の命の繰り返しの中の、「私」として生きているこの人生の、この瞬間が、心に刻まれているように感じられ、感動していました。

 

(間美栄子 2011年 121  http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef

 

 


第七十七話 フィンドホーンの季節―アイリーンのことば

2010-11-30 16:40:23 | フィンドホーン

                      (なずなとメデューサの髪の木) 

 

  

 

*グリルで温めたクリスマスのミンスパイを食べながら、これを書いています。

もう12月ですね。イギリスでは記録的に早い冬の訪れで、冷凍庫の中にいるような寒さにヒーヒー言っている今日この頃です。雪に慣れていないこの国では、警察が一般市民に「外出はしないで家に閉じこもっていなさい」と警戒するという始末。私は赤や濃いピンクなどの暖かい色のセーターを着てがんばってサイクリングして通勤しています。    

 

第七十七話 フィンドホーンの季節―アイリーンのことば

 

クリスマスを待つアドベントの季節となりました。アドベントのフェスティバルはシュタイナースクールでは、もみなどの枝のグリーンでできた大きなスパイラルの中を子供たちが一人ずつ、ろうそくの明かりをもらいに入っていき、でてくる、という静かな美しいものですが、初めて経験したのは、フィンドホーンのシュタイナースクールでした。

私にとって、新しい人生が始まったのは、この季節のフィンドホーンからなので、過ぎ越し来たいくつものスパイラルやフィンドホーンを思いだすのです。

 

 

朝早く瞑想にいくのは わたしのつとめなのよ

サンクチュアリーに 猫のほかには 誰もいなくても

 

RRYUさんのプロデュースしたアルバムの中にフィンドホーンをはじめたアイリーンの声がはいっています。それは私たち1997年の晩秋フィンドホーンを訪れたグループが彼女の自宅にお邪魔したときの録音でした。

 

アイリーンのバイオグラフィーを読むと、当時、夫も子供もいる普通の家庭のよき妻、主婦であった彼女が、それらを捨てて家を出、フランクと人生をはじめた経過が書かれています。

 

フランクの霊的ティーチャーという女の人のところに身をおくことになったとき、その人から厳しく、パンの隅々までバターを塗らなければいけないと教えられたこと。

 

スコットランドの北の果てフィンドホーンで、ちいさなキャラバンで暮らし始めたころ、神の声を書き取るのに、ひとりになれる場所はトイレのなかしかなかったこと。

そんなディーテールがアイリーンの普通の人らしさを伝えてくれます。

 

当時80歳を越えていた、白髪をきれいにセットしたアイリーンは、私たちの質問にやさしくこたえてくれました。

 

これまでたくさんのすばらしいことが実現するのを

目の当たりにしてきたわ

 

 

光は暗闇をやさしく溶かすでしょう

私たち ひとりひとりが そのように生きていけば

 

私たちはここに「つかえるために」いるのよ

人に 自然に 世界につかえるために

 

 

13年たった今、わたしは、毎朝トーストにバターをぬるときアイリーンのことを思い出し、患者さんが反応するようになる、などのすばらしいことがほんとうに起きたことに驚きながら夜帰宅するといった日々を今日も送っています。

 

 

(間美栄子 2010年 121http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef

 

 

RRYU さんが横浜で主宰するミュージッキングカフェ、ウェブはこちら。http://musikingcafe.jimdo.com/about-us/


第五十五話 フィンドホーンの実践

2009-12-18 08:01:01 | フィンドホーン

(ユダヤ人夫妻のジュリエット&ラリーがプレゼントしてくれたモロッコのランプ)

*街角では、大人の身長ほどの高さの生のクリスマスツリーが売られており、それらを買い求めては運んでいる人々もみられる季節となりました。
今年も一年大変お世話になりました。わたしにとってはフルタイムのセラピストの仕事を得て、おおきな転換期となったよい年でした。皆さんにとってはどんな年でしたか?
このメール通信も、はや3年目、書き溜めた小話も尽き、新年からはいよいよ、リアルタイムのお手紙となります。また、どうぞ懲りずにお付き合いください。それでは、よいお年をおむかえください。

第五十五話 フィンドホーンの実践

思えばいくつものクリスマスをむかえ、すごしてきたものです。季節は巡り、また同じところに戻ってきたような錯覚はあっても、それは一回り高くなっているスパイラルを描いていて、よく見てみれば、何かを経験し変化している自分に気づくでしょう。

変わらないことは、12年間「Opening Doors Within」という、フィンドホーンをはじめたアイリーンの365日、日々の瞑想の本を、毎晩眠りに着く前に読んでいるということでしょうか。大きな力と一体であって、安心していられること、不可能なことは何もないこと、すでに力は豊かにあって、それをひきだせばいいということ。それらの言葉が何度も繰り返されるうちに体にしみこんでいくようです。

フィンドホーンで得たことを自らの持ち場で、普通の生活の中で実践していくこと。それがこの12年間だったのではないでしょうか。
私は、外国で暮らし、お金の無い、不安定な場所に身をおくことで、なんでもお金で買ってしまうのではなく,人とのつながりの中で与えられていくことを学びました。失敗を数多く繰り返しながら、それでも不可能なことはなにも無いと信じ続け、小さな奇跡を目の当たりにしてきました。

実は、今の職場の病院の面接に行くときも小さな奇跡がありました。

「どやどやと汽車に乗り込んで来た小学生たち、半分以上は黒人の子供たち。
どの子もみんなうきうきとはしゃいでいる。おとなしそうなインド人の女の子は若い引率者とチョコレートをシェアーして話している。
彼らを微笑ましく眺めていた私の目に突然涙が溢れ出て来た。私も小学校の先生になろうと思っていた頃があったんだった— 外国でセラピストになろうなんて、思えばずいぶん遠くまで運ばれて来たものだ。
それまでの朝からの緊張が急に緩んだのか、涙腺も緩んでしまったようだ。
そうだ背伸びをしてもしょうがない、ここまで来れたことをよしとしよう。ありのままの私を話してこよう。」

こんな一瞬を奇跡とよぶことができたら、わたしたちの普通の日々や一年は小さな奇跡にみちたものとなるでしょう。

(間美栄子 2009年 12月15日)


第四話 フィンドホーンのオーロラ

2008-10-05 12:20:51 | フィンドホーン

*さむくなりましたね。火を囲んで、ぽつりぽつりとするようなお話、一緒にしたいです。
わたしは人の話を聞くのが好きで、どんな話も面白い。
新潟で聞いた、ある人のおばあちゃんが90歳になってデイケアにいって、初めて、歌う声がすごくいいと分かった、なんて話とか。
返信に近況やエピソードを書いてくれる人もいて、それを読むのを楽しみにしています。

先日、二年半前から庭の隅にこしらえてきた堆肥の山を崩してみました。生ごみと草を積み上げたものですが、深いこげ茶色の土に変わっているんですよね、当たり前といわれるかもしれないけれど、やっぱり自然の力は不思議です。
黄色いがまがえるが出てきて、私を飛び上がらせて驚かせてくれたけれど、もうすぐ冬眠に入るのでしょうか。
イギリスは夏時間が終わり、突然、夜が一時間早くやって来るようになりました。秋だねえ、寂しくなるね、と昔、母がつぶやいたのを、ふと思い出します。


第四話 フィンドホーンのオーロラ

今からちょうど10年前の11月、悩み事を抱えていたわたしは、スコットランドの北にあるフィンドホーンを訪ねました。
 フィンドホーンは約3000人ほどの人たちが緩やかにつながっている共同体で、外の人々にもさまざまなセミナーやワークショップを提供していて、わたしは日本人の共同体体験の二週間に参加したのでした。

朝六時半、まだ夜の明けぬ道を歩いて瞑想に行くと、花とろうそくが部屋の真ん中に置いてあり、ぽつぽつと何人かの人が思い思いに丸く座っています。
ちーんとかねの音がして瞑想のはじまり、30分ほどして、また、ちーんでおしまい。毎日のこの静かなひと時が私自身の心の中を見つめる助けとなり、二週間経った頃には、暗かった心の中に、ろうそくのようなほのかな明かりが灯ったような感じがしました。

歌う瞑想もあり、簡単な詩の繰り返しの歌を輪唱で歌うと、浄化されるような思いがしました。一緒に参加した日本人の人たちとは探しているものが同じであるという一点で共に語り合い、互いに支えあい、まるで家族のような絆を感じました。
そんななか、暖炉の火を見つめていたら、なずなをシュタイナースクールに、という思いが生まれ、イギリスへの移住を考え付いたのです。

わたしの誕生日の晩、グレーのオーロラが空に現れ、ゆらゆら揺れていたのも忘れられません。私にはそれが神からの励ましのプレゼントのように思われました。

間美栄子 200710月28日)