アートセラピストのイギリス便り

アートセラピスト間美栄子のシュタイナー的イギリス生活のあれこれを綴った友人知人宛のメール通信です。

第九十一話 渡りの時

2011-06-30 22:49:36 | 社会

                            (毎日の通勤路- Dog Rose)

 

 

*今日から7月。我が家の庭では真っ赤なばらが咲いていて、いまイギリスは花盛りの季節です。隣の家のバードテーブルには、樫の木の枝を伝わってリスがえさを食べに降りてきているのが見えます。 

うちの庭にもきつねがよくやってくるのですが、狐がまるで犬のように道をぶらぶらのんきに歩いているのは、どうも野生であるといった警戒心がないような、妙なかんじ。きっと自然環境も変わり、年月をかけて動物も習慣を変えていくのですね。

第九十一話 渡りの時

 

ここ数日暑い日があり、じりじりとしたお日様にさらされると、わたしはホームシックになるのです。イギリスの一年中、涼しいか、寒いかといった気候に慣れていると、「暑い」がかえって懐かしく、暑い日ふと、出て来た日本のことを思い出したりします。

 

毎日の通勤路に私が選んでいるのは、湖を横切る細いフットパスで、このごろは、両脇からネトルや、ブラックベリーや、アザミといった、トゲとげした植物が生い茂ってきていて、注意深く自転車をこいでいかねばいけません。

ここからは、定住しているガンたちの、春にうまれた子供たちもずいぶん大きくなっているのが見えます。

私の故郷新潟市にも鳥屋野潟という大きな潟があり、夏にはお父さんのバイクの後ろに乗っけてもらって、竹の簡単なさおでつりにいったことがあったのを覚えています。

 

今、梨木香歩さんの随筆集「渡りの足跡」を読んでいるのですが、そこにはなにげなく見かける、かもや鳥たちも、旅をし、命をかけて渡りをしているということが、鳥たちの視点から愛情深く描かれています。

鳥たちも、定住するのか、それとも「渡る」のかは、それぞれの個体の判断によるのだといいます。

鳥も人間も「渡る」決心をするのは、もちろんそれが、さしせまっているからで、もし、その場所が、自分が生活し、子孫を産み育てるのに何の不足もなければ、「渡る」ことはおこらないのでしょう。

 

私の祖父の実家は、雪深い新潟県松代で、材木を取り扱っていたのが、あるとき大雨で、材木がみんな流されてしまった。夜逃げのようにして、4人の兄弟は村を出、それぞれの人生を歩むことになります。

 

末っ子の四男坊は新潟市で懸命に料理の修行をし、やがて所帯を持ち寿司屋を始めます。そこで子守に呼ばれたのが松之山に生まれ育った姪である私の母で、 「山の向こうに何があるのかもまったく知らなかった」少女が、おしんのように親元を離れて、都会に出てきたのでした。

 

少女だった私の母の新潟市への移住は、わたしがイギリスに移住したのと同等の大きなカルチャーショックを起こしたに違いありません。それでも何年かして、すっかりと町の暮らしに慣れ、結婚をし、家族を持ち、家を建て、定住したのでした。

 

イギリスでは成人すれば親の家に住むことはまれで、どんどんと引越し、住む町をかえ、家を買い換えていくのが普通ですから、わたしのような「渡り」をしやすい性分が多いということですか。

私の渡英の決心は私の魂の生のために、そうせざるを得なく切羽詰ってしたわけですか、十数年たった現在、KENTで家を買いながらも、家族とも住んでいなく、イギリス人の隣人ともあまりかかわらずに暮らしていると、それはきっと、定住というより「迷い鳥」のようなさまであることでしょう。

 

ニュースを見聞きしていて、心が痛むのは、福島に留まっている方たち、特に子供や若い人たちへの放射能物質の深刻な影響のことです。わたしのように、娘以外は何も持ってないという、身軽な人間の「渡り」とはまったく桁のちがう重さで、避難、移住、ができかねているのだと思いますが、命と健康あっての家族、仕事や家、財産、ふるさとで、子孫代々のことを考えて決心をする時なのではないかとあんじています。(それは住民の決心だけでなく、東電と政府の責任として、その費用および、補償をしっかり支払って避難、移住を促すことがことが必要なのではないでしょうか。そして私たち一人ひとりのおとなは東電と政府に責任を果たさせるよう抗議していかなければならないのではないでしょうか。)

 

イギリスにきてすぐ、わたしは両親になぜ、「渡り」をしなければならなかったか、長い手紙に書いて送りました。それから十数年間、両親は私を信じて、私となずなが元気で幸せであれば、それでいい、と遠くに暮らす親不孝に愚痴をこぼすこともなく、ずっと応援してきてくれました。そんな両親や、友たちとも離れていて、かつ「空の巣症候群」を患う親鳥でありながらも、やっぱり、ここで仕事をし、暮らしていく意味があると、考えながらきょうも自転車をこいでいます。

 

 

(間美栄子 2011年 71  http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef

 

 



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