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アートセラピストのイギリス便り

アートセラピスト間美栄子のシュタイナー的イギリス生活のあれこれを綴った友人知人宛のメール通信です。

The Calendar of the Soul (September1- 7)

2015-08-31 12:40:20 | Mieko's soul journey

The Calendar of the Soul

 by Rudolf Steiner

22. Twenty -second week (September1- 7)

 

The light from world-wide spaces

Works on within with living power;

Transformed to light of soul

It shines into the spirit depths

To bring to birth the fruits

Whereby out of the self of worlds

The human self in course of time shall ripen.

 

 

宇宙の広い世界から来る白い光は

生命の力とともに私のうちに届いて織りこまれている

その光は魂の光へと変容し

スピリットの深みへと錦色に輝く

 

広い世界の本当の自分から果実をもたらすため

生物としての人間自身もやがて熟すでしょう

 


第137話 会ったことのない祖父母の話

2015-08-27 22:22:14 | Weaving of the light

 

わたしの父信二郎は、ひたすらに平らで、蒲の原が広がる、果てしのない潟、新潟平野の新潟市蒲原町で、1931年8月8日に生まれた。間家の次男坊である。祖父の名は松四郎。祖父の兄弟は松雄、松太郎、松五郎、とみんな名前に松がついている。砂浜には松林が広がる新潟の風景が眼に浮かぶ。

古代蒲原では、アガノ川とシナノ川の二つの大河がメスとオスの二頭の竜のようにうねり、荒れ狂い、まじりあい、まぐりあい、大洪水のたびに、町も村も家々もすべてを洗い流してきた。人々はそのたびに集落ごと移住して、またゼロからあたらしく簡素な家を建て直して、いちから生活をともに始めていった。共同体とは、土地や所有ではなく、人と人とのつながりであったのだろう。そんな風土の蒲原では、気持ちが開かれていて、ヨソモノをも歓迎して、いつも何か、新しいことをはじめることができる、自由な空気に満ちていただろう。

 

祖父松四郎は父が幼いころに亡くなったのでわたしは会ったことはないが、新潟市で洋食店ピーア軒をやっていた祖伯父松太郎さんには毎年お正月に会っていた。背が高くパリッとしたスーツで胸を張り、ほほ骨の高いニコニコ笑っていた顔を覚えている。耳も大きく、立派な人なんだなあと思っていた。きっと祖父松四郎もそんな容姿だったのかもしれない。

父信二郎のはなしでは、生前祖父松四郎は家にはおらず、製材関係の出稼ぎに出ていたという。材木が腹にあたり、死亡したという。労災だ。

 

祖母の名はテイ。実家の青木家は現在に至るまで新潟市蒲原町で米屋を営んでいる。祖母テイは父が20代の後半に、がんで亡くなった。

父信二郎はテイのことを、手先の器用な賢い人だったといつも言っていた。「ミコが賢いのは、おばあちゃんに似ているからだよ」とわたしをほめかわいがってくれた。

わたしは写真のなかのテイおばあちゃんの顔しか知らないけれど、微笑んでいて、やさしい人という印象をもっていた。父の言葉を信じ、祖母とわたしは似ていると思い、私自身も賢い人になると、将来を信じていた。幼いわたしは広告の裏に着飾った女の人の絵を描いては父に見せにいった。父はいつも「じょうずだねぇー」とほめてくれた。

 

若いテイと若い松四郎は結婚をし、男の子を授かり一松となづけたが、その赤ん坊は死んでしまった。

若い二人はそれから二人の男の赤ん坊に恵まれ、「松」を名前につける代わりに、「信」を男の子たちの名前につけた。


The Calendar of the Soul (August 25-31)

2015-08-24 13:31:51 | Mieko's soul journey

The Calendar of the Soul

 by Rudolf Steiner

21. Twenty-first week (August 25-31)

 

I feel strange power, bearing fruit

And gaining strength to give myself to me.

I sense the seed maturing

And expectation, light-filled, weaving

Within me on my selfhood’s power.

 

 

私は外から来る力を感じる

それはみのりをもたらすような

私に本当の私自身をもたらすような強さを与えてくれる力だ

 

私の奥深くにある種子が成熟しつつあるのを感じる

そして期待と 光に満ちた 織りかけの織物を

私のうちにある 私の生きた歴史に感じる


第136話 ワタシは深い雪の中にうまれた。

2015-08-21 21:17:16 | Weaving of the light

ワタシは深い雪の中にうまれた。1934年2月24日。陸の孤島と呼ばれる新潟県松之山赤倉。ワタシは村山家の6人兄弟姉妹の二番目の赤ん坊、ミチ、と名づけられた母の深い深いおなかの中に卵として息している。

松之山は世界で一番積雪量の多いところ。屋根まで雪で覆われる積雪3メートルを越す深い深い雪のなかで、やっとこ歩いてきたとりあげ婆さんの手で、ミチは取り上げられた。

 

祖母の名前はジョン。腰が曲がって背が低く、いつもしわしわの顔の小さい眼でニコニコ笑っていた。わたしが子供のころ、祖母がわたしの家に布団の打ち直しに手伝いに来て、布団皮を一緒に縫い合わせながら、母が「ミコったら、…」とはなしては、母娘でとてもおかしそうにわらっていた顔を思い出す。

祖母ジョンが、胃がんでなくなったのは63歳。わたしは10才だったが、おばあさんはとてもとしよりなんだとおもっていた。新潟市の道場山の自宅で、息を引き取った。布団の周りを囲んでいた娘たちがいっせいに大声で泣いた。わたしは母やおばたちが泣くのをうしろからみていた。

 

わたしのおさないころの母の昔語りで、ジョンの姉にあたる人が、結婚したのだけど何かうまくいかなくて、東京で汽車に飛び込んでなくなったんだって、孫親が「カワイソウナコトヲシタ」といつもいってたっけと話してくれた。

わたしは、花を胸に抱えて線路脇に立つ女の人のすがたが見えるような気がした。(わたしが20代のころ7年間付き合っていた男は、わたしがこの話をすると、わたしの眼を見つめて、「知っていたよ。」といった)

孫親(曾祖母)の名前はナカ。松之山水梨の出だ。母の語り口では、優しく愛情深い人だったように思われた。母ミチはきっとこの孫親に抱かれ育ったのだろう。一家の初めての女の子としてナカにかわいがられたのだろう。異郷の地で若くして亡くなってしまった姉娘の生まれ変わりと思って大事に育てたのかもしれない。

 

姉が亡くなったため、妹であったわたしの祖母ジョンが、婿をもらって家を継いだ。

婿の名前は宮澤三郎。松之山の隣村、松代の下山出身。頬骨が高く、背も高かった。母の昔語りでは、おっかなかったんだよ。「何してるんでい!」ておこられてさ。といっていたけれど、わたしには優しく穏やかなひとでニコニコ笑って、わたしを「ミコちゃん」とよんでいた。わたしが教育学部の学生で国語研究で方言の聞き取りをしたとき、キャンパスの近くに住んでいた祖父三郎にインタービューをしたことがあった。新潟市で鳥のから揚げやをやっていたおじ一家の二人の男の子供たちを祖父がおんぶしていたのを覚えている。

 

わたしの母の昔語りでは、材木を扱っていた宮澤家が、あらしで材木がみんな流されてしまい、おとこきょうだい四人、借金を返せず夜逃げのようにして村を出た、と語っていた。四男の与四郎は新潟市で寿司屋を出して、すし組合の会長を長く務めていた人で、子供ながらに、嵐で材木が流されて、村を去る羽目になったがゆえに、のちに母ミチもおじを頼って新潟市に出ることになったという関連が見えていたようにおもう。

宮澤という名は長野県に多いという。「宮のそばの沢」。諏訪神社があるためだそうだ。長野県には遠いむかしからの冠婚葬祭の儀礼が残っているらしい。

わたしの祖父三郎も祖母ジョンも、長い年月、先祖代々深い雪の中で暮らしてきた山の民の子孫なのだ。

わたしが20代のころには、わたしは山登りや山菜取りがとても好きになっていて、祖父、母、おじ、おばと一緒に松之山の家があった跡地を訪ねていったことがある。歩きはじめると祖父三郎は突然曲がっていた背骨をシャンと伸ばし、スタスタとわたしが追いつけないほどの速さで、細い山道を登っていった。「ここにはなにがあった、あそこには何があった」といつになく饒舌で、別人のようであった。

 

松之山の本家本元の村山家は700年続いた名家で、坂口安吾も村山家に嫁いだおばを訪ねてよく遊びに来ていたという。長い年月の間、村中のたくさんの家が村山姓だった。この雪深い山奥の土地では人の流入は少なかったであろう。血はほかの民族と混じることなく濃いまま残り、むかしのままの骨格、骨相が受け継がれているのかもしれない。まるで現在のユーラシア大陸のへそにあるアルタイの住民たちとおなじだ。

最近YouTubeで、遠く中央アジアの雪の山で囲まれたアルタイの原住民のビデオクリップをみたときには、驚いた。人々の顔が、わたしの母の若いころの写真にそっくりだった。頬骨が高く、大きな耳をしている。他民族の襲撃を防ぐため遠くのかすかな音が聞こえるように、長い年月をかけて大きくなった耳たぶなのだろうか。アルタイには、プレヒストリーの40000年前のケーブドローイングがある。ほんとに古い土地なのだ。

祖父三郎も祖母ジョンもたぶんアルタイを通って動物を追って、東へひがしへと旅した人たちの末裔なのだろうか。故郷と同じ雪の山を拝み、天に近いところに住んで祈りの生活を続けるため、故郷と似た同じように雪の山深い地に定住することにしたのではないかと想像する。

 


The Calendar of the Soul (August 18-24)

2015-08-17 11:38:40 | Mieko's soul journey

The Calendar of the Soul

 by Rudolf Steiner

20. Twentieth week (August 18-24)

 

I feel at last my life’s reality

Which, severed from the world’s existence,

Would in itself obliterate itself,

And building only on its own foundation,

Would in itself bring death upon itself.

 

 

そしていまや

私の命の真実性を感じることができるのです

宇宙存在から遠くはなれ

私は私自身の中で跡形も無くしようとし

その上にのみ新たにきづきはじめる

それは私自身死をもたらすに等しいのです


第135 話 曲馬団のまかない - 1874年 (明治7年) 新潟

2015-08-11 20:12:58 | Weaving of the light

 レストランイタリア軒をはじめたイタリア人シェフピエトロさん

 

 

1874年 (明治7年) 新潟。

開港五港のひとつとして、明治元年に開港した新潟は文明開化のムードが高まっていて、外国人商人たちも集まってきていた。そこにフランス人を座長とする曲馬団がやってきた。

イタリア人青年ピエトロは曲馬団のまかないとして、遠い異国の地にいた。

昔のサーカスはいったいどんなだっただろう?

私とナズナがイギリスのコッツオルズの小さな町ストラウドに住んでいたころ、ある女の人が昔のサーカスを再現したいといって作った曲馬団が、ちいさなテントでサーカスを公演したのを見に行ったことがある。その女の人は白い馬にのって、曲芸を披露してくれた。馬のひずめがザッザッと砂をけった。空中ブランコもみせてくれた。素朴な観客たちと一体となったひと時はナズナたち子供たちだけでなく、大人にも夢や思い出を与えてくれたものだった。

イタリア人コックピエトロは新潟で病気をしてしまい、ほかのサーカスの団員たちは彼をおいていってしまったという。残されたピエトロを、曲馬団の雑用係としてやとわれていた新潟の女おすいが親身に看病した。あとにのこされたピエトロはそれから県令の援助も受けて営所通で牛なべ屋を始めた。

ところが6年後、六千戸の家々が燃えつくされた新潟大火でピエトロの店が燃えてしまう。

ピエトロはイタリアに帰ろうと思うが、周りの人々に説得され、異郷の地に留まる。めおととなっていたおすいのアイデアで 新しい店を「イタリア軒」となずけ、西堀通りに洋館を建て、洋食レストランをはじめたのだった。

レストランイタリア軒は繁盛した。数十年がたったころ、川向こうの蒲原町からきた12歳の少年松太郎がピエトロのキッチンに弟子入りした。ピエトロは、少年の実家が沼垂で梨の商いを営んでいたので、「ペーア、ピーア」と呼んではかわいがった。

レストランイタリア軒は「新潟の鹿鳴館」とも呼ばれるほどに栄えていたが、ピエトロはイタリアに帰りたかった。新潟の砂浜で海の向こうに沈む太陽とまっかな夕焼けを眺めながら、遠い遠い西の故郷のことを思っていたのかもしれない。還暦のころにはついに故郷に帰ることができ、8年後故郷の土に永眠した。

少年松太郎はピエトロの恩を厚く感じたのだろう。やがて青年となった松太郎は独立して自分の洋食屋をはじめ「ピーア軒」となずけた。いまもレストランピーア軒は、ちんちん電車の通りにある。

 

このピーア軒の松太郎さんが早くに実父を失くした私の父信二郎のおじであり父親代わりで父を導いたひとで、レストランで使う肉の仕入れ先の、ある肉屋が取り持つ縁で、私の母との結婚をすすめた人であったので、「もしピエトロ青年が病気をしなかったら、そして、もし置いてきぼりにならなかったら、ワタシもナズナもいまこの世にいなかったのだろうなあ」とわたしはおもつたりするのだつた。


The Calendar of the Soul (August 11-17)

2015-08-10 20:25:33 | Mieko's soul journey

The Calendar of the Soul

 by Rudolf Steiner

19. Nineteenth week (August 11-17)

 

In secret to encompass now

With memory what I’ve newly got

Shall be my striving’s further aim:

Thus, ever strengthening, selfhood’s forces

Shall be awakened from within

And growing, give me to myself

 

私が新たに得た種子を記憶でひそやかに囲い込むことは

私をもっと遠い目的へと向かわせるでしょう

 

そして永遠の力である自我の力は

内側から目覚めさせられるでしょう

 

育ち いずれ 本当の私に向かうため

小さな私に与えられるのでしょう

 


The Calendar of the Soul (August 4-10)

2015-08-10 20:17:38 | Mieko's soul journey

The Calendar of the Soul

 by Rudolf Steiner

18. Eighteenth week (August 4-10)

 

Can I expand my soul

That it unites itself

With cosmic Word received as seeds?

I sense that I must find the strength

To fashion worthily my soul

As fitting raiment of the spirit

 

 

種としてうけとられる宇宙の言葉

そして宇宙の言葉とひとつになるように

わたしは 私の魂をひろげることができるだろうか

 

そのためにも 私は強さを見つけなければいけないと感じている

スピリットにふさわしい衣を 私の魂に身に着けるようにと