The Calendar of the Soul
by Rudolf Steiner
26. Michaelmas
おお自然よ、あなたの母なる命よ。
わたしはわたしのうちに、わたしの意志の本質を抱いている。
そしてわたしの意志の燃えるような力は
私の霊の衝動を剣へと変容させる。
自我の感覚がそこから湧き出すところである霊の芽生えから
真のわたしをわたし自身の中に抱いていくために。
おお自然よ、あなたの母なる命よ。
わたしはわたしのうちに、わたしの意志の本質を抱いている。
そしてわたしの意志の燃えるような力は
私の霊の衝動を剣へと変容させる。
自我の感覚がそこから湧き出すところである霊の芽生えから
真のわたしをわたし自身の中に抱いていくために。
*9月末から10月の半ばまで3週間、オーストラリアの東海岸ブリスベンに遊びに行きます。楽しみにしているのが「ジャカランダ」という花木がまるで桜の満開のときのように町中をラベンダー色に染めるということ。ギャップイヤーのなずなも一緒にいきますが、ファームステイをしたり、のんびり滞在する予定でいます。帰ってきたらまたお便りしますね。
この夏には、アンソロのアダルトエデュケーション、エマーソンカレッジで同級生だったYOKOさんに10年ぶりに会い、お互いイギリス居残り組としてがんばってきた数々のことを語り合いました。YOKOさんもずっと「母子留学」をしていたのですが、アカデミックの方向にサバイバルの道を進めてきた私とは対照的に、アーティスト、クラフトマンとして徹底的に手を使って学び、道を切り開いてこられていたのに興味を覚えました。
そして9月には、また、同じく同級生だった、台湾人のChouさんが、治療ユーリズミーの実習で私の勤める病院に学びに来て、新しい我が家に3週間下宿していました。40歳過ぎてからユーリズミーのトレーニングをはじめるのはむずかしいとのことで、それでも、人智学を学ぶにはユーリズミーがいいのではと考えたChouさんは、雑誌の編集者の仕事をやめて、再度、渡英したとのことでした。
面白いと思ったのは、私たち3人に共通しているのは、リレーションシップに幸せを求めず、新しいことを学ぶことのうちに喜びを見出してきたということです。
YOKOさんと、「美人に生まれてこなくてかえってよかったね。」と笑いあっていましたが、「邪魔」が入ることなく、自分の好きなように生きてこれて幸いだったなあと二人との会話の中で感じたしだいです。
もちろん「美人でない」ということ以外にも共通点はあり、意志の強さ、決断力、インスピレーションを感じ信じることのできる力、など誇るべき持ち味がたくさんで、40代、50代の女性ならではの自由さで世界を旅し、暮らしている私たちエマソン卒業生なのです。
(間美栄子 2010年 10月1日 http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef)
私はいまや私自身に属することができる
そして輝きながら私の内なる光を拡張することができる
時間と空間の暗がりの中へと。
私の中の自然はとてもとても眠りにつきたがっている
しかし、うちの奥なる魂は目覚めたままでいなければならない。
そして用心深く太陽のあたたかさを運ぶのだ
冬の、氷のような冷たいながれのなかに。
とまらない とまらない どんどんとつくられている
ソウルライフがもっともっと 自覚されてきている
コズミックスピリットがおし進めている
それ自身 人間の自己認識によって新たにされるのだ
そして魂の暗がりから
自ら起る意志の果実がつくられているのだ
* このメール通信も、早四年目となりました。また新しい一年がはじまりますが、こんどのテーマは新しい家で始まった共同生活。南アフリカのお隣、ジンバブエ出身のフィジオセラピスト、レジィがお話の登場人物に加わるでしょう。はてさて文化や習慣の違いをこえ、長所をいつくしみ、短所を許しあって楽しくくらすことができるでしょうか?
なずなは土壇場でやっぱりすぐには大学に行かないで一年のGap Yearを採ることに。ヒッピーにならないでほしいと願う母の期待を裏切り、ベトナムなどの南アジアを旅するそうな。シュタイナーキッズとしては無理からぬことか。
リハビリテイションの病院に勤務するようになって一年になろうとしています。山のように積み重なった患者さんたちの絵をやっと先日整理したところ。みんなよく描きました。
脳卒中などの患者さんとの毎日のセラピーセッションで、面白いと思うことは、ちょっとした反応や、動作ができるようになっていることにきづくときです。患者さんはこちらの視線、態度にとても敏感で、ポジティブな心でいるときには、それまでには無かった反応があったりするのです。
記憶ができない状態にある患者さんも多く、アートセラピールームのドアを開けて入ってくるとき、毎日のことなのに、初めてのような緊張した面持ちでやってきます。しばらくしてやっと、「ああ、アートセラピーだった、いたいことはしないんだった」とわかって、ほっとしたような表情を見せたりします。
私のセラピーでは、こころから患者さんの描く絵を面白いと思う、オープンさにポイントがあるのではと思っています。腕がコントロールできないからこそ、勢いのあるブラシストロークになるので、紙の上には私には到底まねのできない生命力、魂の躍動感が表現されていたりします。そして私が本当に感心しているから、患者さんも自信も取り戻すことができるのです。
病気の発病以前はプロのアーティストだったある患者さんは、前任者のアートセラピストとは絵を描くことを拒否していたので、きっとこの目線の違いに反応しているのだろうなあと思ったりします。
私が好きなお話で「クラックト ポット」という中国のお話があります。
ある農婦が毎日やきものの水がめを二つ持って水汲みにいきます。
そのうちのひとつのポットにはひびが入っていて、いつも家につくころには半分の水しか残っていません。
一年たち、二年たち、クラックトポットはそんな自分をずっと恥じていましたが、ある日とうとう農婦にそんな気持ちを打ち明けます。
すると農婦はこう答えました。
「お前はきづかなかったのかい、お前が毎日水を運ぶ側にだけ、道に沿って美しい花が咲いていることを。」
(間美栄子 2010年 9月15日 http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef)