
2020年は終わっていない。コロナショックによってハリウッド映画が『テネット』ただ1本となり、ディズニーが劇場向けの映画製作を止めると宣言しても、アメリカ大統領選挙という重大な年に現れた『シカゴ7裁判』を見逃してはならない。かつてはスピルバーグ監督作として企画が進行し、十余年の紆余曲折を経て登場したアーロン・ソーキン監督による本作は今こそ見るべき烈火のような1本だ。
1968年、ベトナム戦争反対のデモを先導したとして7人の活動家が告発される。民主党大会をターゲットとしたそれは警官隊との衝突で多くのケガ人を出してしまったのだ。事件後に発足したニクソン政権は反政府的世論を打ち砕くべく7人を見せしめに国策裁判を断行する。
おお、振り返ればこんな堂々たる法廷劇はいったい何時以来か。巻頭早々に審理の幕は開き、2時間10分ほぼ法廷の中だけで物語は展開する。“シカゴ7”の個人的バックグラウンドはほとんどオミットされ、描かれるのは国家による恣意的な法廷闘争だ。
となれば必要となるのは素晴らしい演技と脚本である。『ソーシャルネットワーク』『モリーズ・ゲーム』同様、アーロン・ソーキンの膨大な台詞が俳優陣を熱くたぎらせ、エディ・レッドメインが今再び自己ベストを更新。ヤーヤー・アブドゥル・マティーン2世は頭角を現したHBO『ウォッチメン』がフロックでない事を証明し、サシャ・バロン・コーエンは本作の翌週に『ボラット2』がリリースされる事でそのオルタナティブな笑いと批評精神を明らかにした。ジョゼフ・ゴードン・レヴィットがサポートロールで演技者としての本懐を見せれば、名脇役ジョン・キャロル・リンチは遥かに少ない出番で助演の鑑である。マイケル・キートンは所謂“大御所枠”で登場し、ほんの数年前まで過去の人だったのが嘘のような重厚さだ。この顔触れでジェレミー・ストロングがいる事にアがれない人は今すぐ『キング・オブ・メディア(サクセッション)』を見るように。そして映画の守護精霊マーク・ライランス!彼らのアンサンブルは2020年どころか近年のアメリカ映画における最もスリリングなそれであり、来るアカデミー作品賞レースでも注目を集める事になるだろう。
本作は多くの歴史的事実に脚色が施されており、“正しさ”において決して信頼できるものではない。見るべきは本作を2020年にリリースするソーキンの“解釈”だ。ブラックパンサー党のボビー・シールは抗議の声を封じられ、法廷で猿ぐつわに枷で拘束されてしまう。その姿に「I can't breath」と訴えながら白人警官に殺された黒人達を想起せずにはいられない。威厳と傲慢を履き違えた判事(圧巻のフランク・ランジェラ)が大統領を雇用主と宣う姿は哀しいかな、ここ日本でも見慣れた光景だ。
何より重要なのはリベラルの敗北が描かれている事だろう。トム・ヘイデンは実際に暴力を煽るような発言はしなかった。彼らが認められたのは本作で描かれない控訴審での事であり、シカゴ7のインテリジェンスと苛烈な怒りは姑息なニクソンにつけ入る隙を与えてしまったのだ。“世界は見ている”に対して無常に響く「誰か窓の外を見ている人はいる?」という台詞を聞き逃してはならない。劇中「4年に1回の民主的革命」と言われる選挙において最も重要なのは人々の無関心と如何に向き合うかなのだ。Black Lives Matterのマーチが犠牲者の名をコールし、大坂なおみが彼らの名前を背負って戦ったのと同様、シカゴ7はベトナム戦死者の名前を挙げて抗議する。この理想を持ってしても、なお僕らは困難な戦いに直面しているのだ。
本作を1年後、3年後に見ても意味がない。ここには映画をリアルタイムで見ることの価値があり、アーロン・ソーキンのパワフルなメッセージと全世界同時リリースで“仕掛けた”Netflixの訴求力に圧倒されてしまった。
『シカゴ7裁判』20・米
監督 アーロン・ソーキン
出演 エディ・レッドメイン、サシャ・バロン・コーエン、ジェレミー・ストロング、マーク・ライランス、ジョン・キャロル・リンチ、ジョゼフ・ゴードン・レヴィット、ヤーヤー・アブドゥル・マティーン、フランク・ランジェラ、マイケル・キートン
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