
パードリックとコルムは歳こそ離れているものの、長年の親友同士。毎日14時を回れば島で唯一のパブに繰り出して、ギネス片手にバカ話に花を咲かせる毎日だ。今日もパードリックはコルムを迎えに海辺の家を訪れるが、どんなに声をかけてもうんともすんとも応えない。仕方がないから1人でパブへ行けば、常連の酔客達があれやこれやと詮索する。しばらくするとコルムは現れ、パードリックに向かって絶縁を宣言した「友達をやめる」。時は1923年、海を隔てたアイルランド本土は内戦の真っ只中で、砲火の音がここイニシェリン島まで木霊してくる。
イニシェリン島とは存在せず、監督脚本のマーティン・マクドナーがアイルランド西部アラン諸島をモデルにしているという。本作は1996年の戯曲『イニシュマン島のビリー』に始まり、2001年の『ウィー・トーマス』に続く“アラン諸島三部作”の完結編として書かれたが完成には至らず、長編映画として日の目を見る事になった。島中が碁盤の目のような石垣で覆われ、木々が1本もないイニシェリン島のランドスケープは目を引かれるものの、多分に戯曲の魅力が強く、演劇では“見立て”として演出される戦争や精霊は映画にするとあまりに直截的で、物語から曖昧さを奪ってしまっている。次第にエスカレートしていく絶縁騒動はある日、突如として隣人同士がいがみ合い、時が経つにつれ争点すらわからなくなる内戦のメタファーで、これが分断と対立を描いた2022年のアメリカ映画(&TVシリーズ)に呼応し、アカデミー賞8部門9ノミネートに結実したのだろう。しかし“アイルランド人の両親から生まれたロンドン育ち”という出自を持つマクドナーの作風につきまとう批判だが、純朴で愚鈍な田舎者とその教養ある友人、知的な妹らが織り成す対立劇はあまりに批評的だ。
マクドナーは本作のテーマについて語ることを避けている一方、「これは恋愛関係の終わりだ」と言及している。信心深いアイルランドの寒村で中年の男女が独り身でいることは容易いことではない。コルムは牧師に「同性への性的欲求はあるか?」と問われると憤慨する。彼は同性愛者で、ゲイフォビアから自身とパードリックを守るために絶縁宣言し、挙げ句自身の指まで切り落としてパードリックを遠ざけたのか?終幕に向かうにつれ、彼の“献身”は際立つも、しかし愚鈍なパードリックには何一つ伝わっていない(そもそもパードリックには同性愛という知識すらないのかも知れない)。パードリックはマクドナーの前作『スリー・ビルボード』でサム・ロックウェルが演じたディクソンと表裏一体のキャラクターであり、演じるコリン・ファレルのしょぼくれ芝居は実に軽妙、いよいよ堂に入ってきた。終幕、道を違えてしまう凄味はオスカー会員には高度過ぎてわからなかったのかもしれない。マクドナーは容易に悪にも善にも転じてしまう人間の愚鈍さと純朴さに慈しみの眼差しを向けている。その視点は時に辛辣が過ぎるが、根底には愛があるのだ。
『イニシェリン島の精霊』22・アイルランド、英、米
監督 マーティン・マクドナー
出演 コリン・ファレル、ブレンダン・グリーソン、ケリー・コンドン、バリー・コーガン
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