長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『市民ケーン』

2020-12-22 | 映画レビュー(し)

 映画史上最高の1本と謳われる本作の技術的革新性について今さら僕が語る意味はないだろう。現在の観客はこれが1941年の作品であり、2020年の映画と比べても技術的にまるで遜色がない事に気付くこともないかもしれない。それでいい。

 むしろ、2020年に見直すべきはアメリカの精神性を批評するオーソン・ウェルズの先見だろう。映画は謎の言葉“Rose Bud=バラのつぼみ”という言葉を遺して死んだ新聞王ケーンの生涯を解き明かす形で進行する。貧しい家庭に生まれ育った彼が、やがて地方新聞社の主筆となり、強烈な発信力で大衆の耳目を集めていく。たゆまぬ努力と強い望みがあれば獲得できるかもしれない富と名声。ケーンはアメリカンドリームの体現者、アメリカのロールモデルなのだ。ウェルズは本作の製作初期、タイトルを『American』にしていたという。

 だが、その欲求はやがて破たんを呼ぶ。ケーンの横暴は人々を遠ざけ、最愛の女性スーザンとの関係も終わりを迎える。彼女はケーンの愛も政治運動も全て「自分のためだ」と看破する。本作のモデルは新聞王ランドルフ・ハーストと、その愛人だった女優マリオン・デイヴィスだと言う(実際の2人は最期まで連れ添っている)。

 アメリカ映画はアメリカンドリームがグレイトに成り得ないことをしばしば描いてきた。近年ではサブプライムショックの前後を挟んで、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』、デヴィッド・フィンチャー監督の『ソーシャル・ネットワーク』がある。前者では強欲の果てに血が流れ、オーソン・ウェルズを思わせる異質な声を創り上げたダニエル・デイ・ルイスが「もう終わったよ」とアメリカ資本主義の終焉を告げる。
 方やフィンチャーの『ソーシャル・ネットワーク』はマーク・ザッカーバーグによるFacebook創設秘話を描き、やはり多くの人間を排除したザッカーバーグが1人の女性への恋慕を抱えたまま孤独に陥る話だった。ソーシャルネットワークはその後、アラブの春はじめ世界中で民主化運動を促進する革新的ツールとなるが、ヘイトメッセージを放置し続けるFacebookの近年の凋落は知っての通りである(『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』とフィンチャーは本作の舞台裏を描いた『マンク』で交錯する)。
 2013年にはマーティン・スコセッシが『ウルフ・オブ・ウォールストリート』でサブプライムショックの温床となったウォール街と、新自由主義を持ち込んだ80年代レーガノミクスを批評。『市民ケーン』そっくりの乱痴気シーンを盛り込む所がスコセッシならではだ。

 そしてドナルド・トランプである。ビジネス帝国を築き上げ、強烈な発信力で人々の心を掴み、ついには大統領の座にまで上り詰めたこの男は今年、4年間の政治家生命に幕を下ろす事となった。未だその選挙結果を受け入れておらず、徹底抗戦の構えだが、以前ほどの支持は感じられない。トランプは『市民ケーン』を「よく描けている」とお気に入りなのだと言う。“トランプ時代”を生きた1人として、その終焉に『市民ケーン』を見ることは意義深い事かも知れない。


『市民ケーン』1941・米
監督 オーソン・ウェルズ
出演 オーソン・ウェルズ、ジョゼフ・コットン、レイ・コリンズ、ドロシー・カミンゴア、エヴェレット・スローン、ジョージ・クールリス

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