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長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『ゴジラ−1.0』

2023-12-22 | 映画レビュー(こ)

 驚くべきことが起こっている。山崎貴監督作『ゴジラ−1.0』が北米公開され、字幕付きの外国語映画としては歴代2位のオープニング興収を記録。アメリカで公開された日本映画としては歴代1位の大ヒットを飛ばし、12月11日時点で総興収は2500万ドルを超えているのだ。さらに注目すべきは批評家からも大絶賛を集めていることで、年末に発表される各批評家賞では視覚効果賞のみならず、外国語映画賞でも本作の名前が挙げられ、アカデミー賞の視覚効果賞1次先行も突破している。近年、“モンスターヴァース”として展開されてきたハリウッド版ゴジラシリーズでは再現し得ない、製作費1500万ドルのセンス・オブ・ワンダーに全米が脱帽している格好なのだ。
 最も重要なことは本作の北米配給を東宝自らが行っていることだろう。コンテンツホルダーに正しく利益が配分される様は、2023年上半期に任天堂自らが『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』をヒットさせたように、ハリウッドが弱体化した今年を象徴するトピックである。

 ここ日本では山崎のネームバリュー故かネガティブな評価も多く、確かに手放しでは褒められない部分もあるにはある。VFXマンでもある山崎のフィルモグラフィを見渡せば、大ヒット漫画やベストセラー小説から、ドラえもん、ドラゴンクエストといった人気IPに頼ったものまで実に節操がなく、『ゴジラ−1.0』も巻頭早々、ろくなタメもなく出トチリのような出現をするゴジラの姿に“借り物感”はつきまとう。

 しかし、ハリウッド製“モンスターヴァース”が怪獣プロレスであるのに対し、山崎の単独脚本としてクレジットされている本作の肝は人間ドラマにこそある。終戦直後、特攻に怖気づいた主人公敷島(神木隆之介)は機体の不調を偽り、整備基地へ帰還。その夜、ゴジラの襲撃によって整備兵たちが皆殺しにされるのを、怯え立ちすくみ見るばかりだった。やがて終戦を迎え、帰国。焼け野原の東京に両親は既に亡く、敷島には生き残ってしまった罪悪感だけがつきまとう。ここから日本が復興へと向かう数年間をスケッチした筆致には、戦後多くの人々の口述によって伝えられてきた人生の重みと真実があり、中でも夫婦同然に一つ屋根の下で暮らす敷島と典子(浜辺美波)が床を分けているディテールには抉られるような衝撃があった。戦争のPTSDが正確に検証されてこなかった日本だが、この痛みは幾度も自国民を戦地へと送り、当人のみならずその家族までもが苦しむ歴史を繰り返してきたアメリカの観客に、身近な描写として受け容れられたのではないだろうか。神木の誠意ある熱演には観る者の胸を強く打つものがある(おっと、ゴジラよりも強烈な安藤サクラも忘れてはならない)。

 ゴジラはそんな戦争の傷痕、戦争という歴史の負債(=マイナス)として具現化し、愚かにも過ちを忘れ、今なお殺戮を繰り返す人類の前に現れては破壊の限りを尽くし、ついには東京にもキノコ雲を出現させて、黒い雨を降らせるのである。2023年、原爆の父と呼ばれたオッペンハイマー博士の伝記映画『オッペンハイマー』が異例の大ヒットを飛ばした全米市場において、このヴィジュアルインパクトが放たれた意義は非常に大きい。

 映画は中盤の銀座でのカタストロフを経て、ゴジラ撃退という定番プロットに入るとこだわりの薄い山崎のストーリーテリングではやや物足りないが、「戦争責任を問う作劇がない」とする批評は本作を“正しさ”だけで測り過ぎだろう。かつて特攻をお涙頂戴の愛国映画に仕立てた山崎が、ここでは政治の無策無能を事ある毎に揶揄し、「政治が頼りにならないなら」と帰還兵たちが勝手連で対ゴジラ作戦に挑む“なしくずし”とも言える国民性、メンタリティを描こうとしている。それは彼の地の虐殺を指をくわえて見るばかりのアメリカの観客により響いたのかもしれない。北米での大ヒットは『ゴジラ−1.0』という映画に、新たな一面を加えた。2023年の記憶されるべきモーメントである。
 

『ゴジラ−1.0』23・日
監督 山崎貴
出演 神木隆之介、浜辺美波、山田裕貴、田中美央、遠藤雄弥、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介
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『コンビニエンス・ストーリー』

2022-08-08 | 映画レビュー(こ)
 近年の日本映画の害悪の1つがオフビートを気取った内輪ウケの笑いだ。これはおそらくTVに対するカウンターとして小劇場演劇で興り、TVや映画へと逆輸入されたのだと思われるがその結果、50歳を過ぎた福田雄一や三木聡が臆面もなくこれを続け、日本の映画館には後始末もされない駄作が腐臭を上げているのである。今年、『大怪獣のあとしまつ』が近年稀に見る酷評をウケた三木聡がぐっと予算を抑えた本作をリリースするが、いったいどうして映画を撮り続けることが許されるのだろう?

 マーク・シリングなる人物と組んだ本作のストーリーをいちいち書き連ねるつもりはない。ナンセンスコメディを気取った品のないデヴィッド・リンチ映画のパロディ(劇伴はアンジェロ・バダラメンティそっくり)に過ぎず、主演の成田凌は決定的な間の悪さでコメディセンスの欠如を証明してしまっている。『茜色に焼かれる』で注目された片山友希にとってはキャリアの足を引っ張る作品と言ってもいいだろう。辺境のコンビニでうらぶられた若妻を演じる前田敦子はファム・ファタルを懸命に演じているが、彼女の才能はもっと他の映画で発揮されるべきだ。

 わかる人にだけわかればいい、というナラティブの軽視がまっとうな観客を育ててこなかった。ストリーミングサービスの充実により、優れた作品が世界同時に見られるようになった今日、本作に時間を費やすことはムダ以外のなにものでもない。


『コンビニエンス・ストーリー』22・日
監督 三木聡
出演 成田凌、前田敦子、六角精児、片山友希
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『コーダ あいのうた』

2022-03-05 | 映画レビュー(こ)

 サンダンス映画祭4冠を皮切りに、Appleによる26億円での配給権買付を経て、いよいよアカデミー作品賞にノミネートされた『コーダ』は見れば見るほど多面的な表情を見せる愛おしい作品だ。

 舞台はアメリカ地方部の田舎町。主人公ルビーは漁業を営む家族で唯一人の健聴者だ。両親、兄は聴覚にハンデを抱えており、まだ高校生の彼女がまるで保護者のように一家と社会の接点を担っている。毎朝まだ暗い時間から海に繰り出し、魚を揚げてから登校するのが彼女の日課だ。そんなある日、ちょっと気になっていた男の子を追いかけて合唱クラスに入ってみれば、レッスン次第で音大も狙えると才能を見出されて…。

 ルビーの置かれた境遇は複雑だ。健聴者である彼女は家族の直面する問題を実感することができず、一方で学校に行けばCODA(=Children of Deaf Adults)としてイジメの標的となる。どちらの側に立っても彼女は“マイノリティ”なのだ。家業と学業の両立は難しく、家計の苦しさも相まって進学は諦めざるを得ない。何よりルビーがいなければ家族は漁船操業はおろか、社会で生きていくこともままならない。
 そんな状況がルビーを自閉させる。音楽教師Mr.Vの指導はバラバラになってしまった心と身体を一致させ、声を解き放つプロセスだ。身体を動かすことで身体に言い聞かせ、なだれ込むように歌唱に転じるレッスンシーンのグルーヴはとてもリアルで、エネルギッシュなMr.V役エウヘニオ・デルベスが素晴らしい。

 昨今、ハリウッドでは『サウンド・オブ・メタル』『エターナルズ』『ホークアイ』、そしてアカデミー作品賞にノミネートされた『ドライブ・マイ・カー』と手話を用いた作品が相次いでおり、『コーダ』を見るとそれは手段ではなく肉体言語である事がよくわかる。話者それぞれによって表現に差異があり、個性を表せるものなのだ。本作で聾唖男優として初のオスカー候補になった父親役トロイ・コッツァーには唸らされた。荒っぽい海の男でありながら障害者ゆえの生きづらさを抱えており、愛妻家でユーモア抜群。その妻役は86年に『愛は静けさの中に』でアカデミー主演女優賞を受賞した聾唖の女優マーリー・マトリンで、コッツァーは彼女に憧れて演技の道を志したという。2人は本作の宝であり、よくぞここまで役者を続けてくれた。

 本作は彼ら聾唖俳優のキャスティングによっていくつもの真に迫った瞬間を獲得することに成功している。ルビーの兄がバーでナンパを始めると、いつしか映画から字幕がなくなり、しかし男女が明らかに“デキて”いくのを僕達は目の当たりにする事となる。ルビーの合唱コンサートでは不意に無音となり、周囲の感動もわからず取り残される両親の姿が胸を突く。『コーダ』は字幕やセリフ、環境音といった普段、僕らが何気なく接するモノを取り払った瞬間に最も輝きを放つのだ。ルビーの歌声を聞こうと父が彼女の喉元に手を添える場面は本作の最も感動的な場面である。
 ルビーはそんな2つの世界(Both Side)を横断できる存在なのだ。終幕、手話という身体性を用いることで彼女の心と身体は一致し、歌声が開放されていく。彼女のアイデンティティは2つの世界をまたぐ事でこそ生まれ得たのである


『コーダ あいのうた』21・米、仏、加
監督 シアン・ヘダー
出演 エミリア・ジョーンズ、トロイ・コッツァー、マーリー・マトリン、ダニエル・デュラント、フェルディア・ウォルシュ・ビーロ、エウヘニオ・デルベス
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『ゴヤの名画と優しい泥棒』

2022-02-25 | 映画レビュー(こ)

 1961年、ロンドン・ナショナル・ギャラリーからゴヤの名画『ウェリントン公爵』が盗まれる。英国政府が14万ポンドもの大金をかけて収集家から買い戻した時の名画とあって、世間は話題騒然。ついには007第1作『ドクター・ノオ』で悪の秘密基地に飾られる始末だ(撮影当時に犯人は捕まっておらず、007シリーズが時事ネタを取り入れた格好)。だが犯人は悪の秘密結社ではなく、下町に住む年金暮らしの老人ケンプトン・ハンプトンだった。
 
 困った老人である。BBC(国営放送)の受信料徴収に抗議すべくTVから受信用コイルを抜き出してはお縄にかかり、無学の見様見真似で脚本を投稿し続けるが箸にも棒にも引っかからず、定職に就いても長続きした試しがない。当然、家計を支える妻からの風当たりは冷たく、映画は屈託のないジム・ブロードベントと終始不機嫌で厳しいヘレン・ミレンの夫婦漫才で笑わせてくれる。
 
 しかし、一本筋の通った老人でもある。受信料無料は戦後の孤老老人たちを助けるためであり、仕事をクビになったのは弱きを助け、権力の横暴に抗議したからだ。そしてかのウェリントン公爵とは国民参政権に反対した人物である。そんな男の肖像画に多額の税金を費やし、国宝とするなんてもっての外というのが彼の"犯行動機”なのだ。1961年の英国は老いも若きも貧しく、思いやりを欠いた社会の姿は残念ながら今を生きる僕らとそう遠くないように映る。自由と平等を信条とするケンプトンの姿は何とも逞しく、それは本作が劇場長編として遺作となったロジャー・ミッシェル監督のモノ申す“真っ当な老い”に見えた。
 
 ミッシェル監督は99年にジュリア・ロバーツ、ヒュー・グラント主演の『ノッティングヒルの恋人』が大ヒット。以後『チェンジング・レーン』『恋とニュースのつくり方』など多彩なジャンルを撮り続けた職人監督である。晩年にあたる2017年にはダフネ・デュモーリアの原作小説を自ら脚色した『レイチェル』で円熟に達しつつあった。享年65歳。ご冥福をお祈りします。


『ゴヤの名画と優しい泥棒』20・英
監督 ロジャー・ミッシェル
出演 ジム・ブロードベント、ヘレン・ミレン、フィン・ホワイトヘッド、アンナ・マックスウェル・マーティ、マシュー・グード
2月25日(金)全国順次公開
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『ことりのロビン』

2022-02-19 | 映画レビュー(こ)

 第94回アカデミー短編アニメ賞ノミネート作。Netflixからのリリースという事で新興スタジオの作品かと思いきや、『ウォレス&グルミット』シリーズで知られるアードマン・アニメーションズの新作だ。アードマンと言えばクレイアニメの印象だが、ここでは布地のパペットで全編ハンドメイドのような手触りがあり、美術は細部に至るまで目にも楽しい。そしてアードマンには珍しくシニカルな英国流ギャグがほとんどなく、ネズミの一家に育てられたことりのロビンの冒険はなんともキュートなのである。老舗スタジオならではの充実の32分だ。


『ことりのロビン』21・英
監督 ダン・オジャリ、マイキー・プリーズ
出演 ブロンテ・カーマイケル、リチャード・E・グラント、ジリアン・アンダーソン
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