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長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『さざなみ』

2017-01-21 | 映画レビュー(さ)

結婚45年目を迎えた夫婦がいる。
夫は心臓バイパス手術を終えてようやく体調が回復してきた。妻は教職を退いてからしばらくが経っていた。イギリスの片田舎。大きな事件はなく、2人で犬の散歩に行くのが日々の大きな日課だ。

ある朝、夫の元に一通の手紙が届く。その昔、妻と出会う前に愛した女性の遺体がアルプスの氷河から見つかったのだという。20代のままの思い出の恋人。飄々としていた夫が急にそわそわし出す。青春時代の音楽を聞き、屋根裏の思い出を漁る。かつての尖った物言いをし、友人たちと話がかみ合わなくなる。一体どうしたのだろうか。

「さざなみ」(原題45years)は一組の夫婦の結婚45周年パーティまでを描いた7日間の物語だ。妻は夫のかつての恋人の存在を知り心が離れ始めるが、これは男女によって見方が分かれるだろう。結婚はあたかも全てを共有しなくてはならないような錯覚に陥りがちだが、あくまで他人同士である。僕はこの夫のように不可侵な感情の領域を誰もが持ち合わせていると思っている。

方や妻の視点からするとこの45年間は夫が恋人を失って得た価値観の上に立つ、彼女の亡霊と共にあった結婚生活と言えるのかもしれない。やがて千々に乱れ行く妻の感情を抑制した演技で見せるシャーロット・ランプリングが素晴らしい。まだまだ大きな芝居が求めらえるアメリカ映画界において、この偉大な女優が見せる静かな芝居は初のアカデミー賞ノミネートをもたらした。

アンドリュー・ヘイ監督は何気ない会話、音楽の1つ1つを緻密に構成する演出で2人の心理を描写しているが、中でも重要なバックボーンは2人が60年代に青春時代を送ったという年令設定だろう。セリフから夫は反骨の士であり、妻はフリーセックスの時代に乗らなかった中流以上の家庭に育った事が伺える。

 スウィンギングロンドン世代の成れの果てとも、砂の城のように脆い夫婦生活への諦観とも読み取れる本作。見る者の心に静かな波音を立てることだろう。


『さざなみ』15・英
監督 アンドリュー・ヘイ
出演 シャーロット・ランプリング、トム・コートネイ
 
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『彷徨える河』

2016-12-25 | 映画レビュー(さ)

 近年の南米映画の躍進は聞き及んでいたが実際、目の当たりにすると未だ見ぬ映画言語に圧倒されっぱなしだった。コロンビアの俊英シーロ・ゲーラ監督はコッポラやヘルツォークといった偉大なフィルムメイカー同様、ジャングルに分け入り、その闇の奥を撮らえる事に成功している。

20世紀初頭、アマゾン。ドイツ人植物学者が幻の草ヤクルナを求めてジャングルにやって来る。白人社会によって滅ぼされた部族の生き残りカラマカテだけがその在処を知っているからだ。

物語はその数十年後、ドイツ人植物学者の足跡を追ってきたアメリカ人学者と、彼を案内する老カラマカテの旅路も並行して描かれる。常人の理解の及ばない隔絶されたジャングル文明は、白人社会の入植によって滅びゆきつつある。本作のモチーフは実際の旅行記に基くというのだから面食らう。まさに『地獄の黙示録』を地で行く壮絶さだ。

プロダクションデザインが圧倒的だ。ジャングルの長大な運河を遡上するカヌーをカメラは追い、人の手の及ばぬ霊峰を撮らえ、モノクロームがこの映画をいつともどことも知れぬものへとする。劇伴、音響設定は観る者を酩酊へと誘い、ジャングルの奥地で独自の王国を築くキリスト教集落の場面で狂気はピークに達する。面白いのは先の巨匠たちと違ってゲーラには理性がある事だ。闇の奥で僕らが目にする神秘的な終幕はこの映画を忘れがたいものとしている。

何より白人社会によって滅ぼされた文明が再び白人文明のフィルムという魔術の力を借りて現代に蘇ったことに、僕は平伏せずにはいられない。


『彷徨える河』15・コロンビア、ベネズエラ、アルゼンチン
監督 シーロ・ゲーラ
 
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『最後の追跡』

2016-12-16 | 映画レビュー(さ)

 ニューシネマと呼ばれる映画群が生まれた背景の1つがベトナム戦争への反抗であり、戦争=人殺しをする事で一生涯背負ってしまった罪と傷を白日の下に晒すためのものだったように思う。デヴィッド・マッケンジー監督による『最後の追跡』(=原題“Hell or High Water”)は冒頭、テキサスの田舎町の壁にこんな殴り書きを見つける“3回イラクに行ったのに支援なし”。

マッケンジー監督はニューシネマや、サム・ペキンパーへオマージュを捧げながらイラク戦争後にアメリカが背負った十字架を観る者に突きつけ、それは“トランプ旋風”によって分断された今日、厳しく映る。主人公兄弟は住宅ローンによって帰るべき家を押さえられてしまった事から、テキサスの地銀を狙った銀行強盗を繰り返す。行員の出社時間を狙った大胆不敵かつ緻密な犯行は成功し続けるが、彼らを追うテキサスレンジャーによってその包囲網は狭められつつあった。

冒頭から目を見張るショットを連発するカメラと、乾いた音楽を奏でるニック・ケイヴのスコアが本作を“ネオウエスタン”として彩り、キャストも素晴らしいアンサンブルを披露する。『スター・トレック』以外の代表作を手に入れたクリス・パイン、“ショーン・ペン化”にますます磨きのかかるベン・フォスター、そしてジェフ・ブリッジスが十八番とも言える保安官役で豪放な魅力を放つ。老いたりといえどもやんちゃな若大将っぷりはかつての『サンダーボルト』を彷彿とさせ、ニューシネマ的な文脈を未だ描き続けている作家イーストウッド(そしてマイケル・チミノ)と本作を邂逅させている。

イギリス人監督マッケンジーによる虚実入り混じったテキサス像はやがて映画に神話的な奥行をもたらしていく。贖罪し続ける事の過酷さを描いた作品は近年、ついぞなかったのではないか。これは“2016年のニューシネマ”なのだ。


『最後の追跡』16・米
監督 デヴィッド・マッケンジー
出演 クリス・パイン、ベン・フォスター、ジェフ・ブリッジス
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『サウルの息子』

2016-10-28 | 映画レビュー(さ)

 ハンガリーの新鋭ネメシュ・ラースロー監督による並々ならぬ気迫に満ちた衝撃的デビュー作だ。初御披露目されたカンヌ映画祭を席巻し、全米賞レースも独走のままアカデミー外国語映画賞を受賞するに至った。第二次大戦時、ナチスドイツによるユダヤ人収容所ビルケナウで同胞殺しに従事させられたユダヤ人部隊“ゾンダーコマンド”を描く本作は究極の地獄絵図の中、人間の尊厳とは何かを追い求めていく。

まずはその描写力に度肝を抜かれる。巻頭早々“死のシャワー室”が描かれる。パニック状態のユダヤ人たちを誘導し、服を脱がせ、私物を置かせる。彼らを広間に集めると鉄の扉を閉じ、サウルらゾンダーコマンド達は機械的に私物と金品を選り分けていく。扉の向こうからはユダヤ人達の断末魔の声が…。

映画は終始カメラをサウルの肩越しに据え、まるで全ての感情を謝絶したような彼の表情を中心に映していく。血反吐と汚物にまみれた死体の山もカメラの隅でボヤけるだけだ。恐怖によって支配され、非人間的な行為を行っていくうちに感情を殺さざるを得なくなった彼の視野狭窄的な感覚をそのまま映像化しているのである。その迫真性は収容所の“処理能力”を超えてパニックに陥ったナチスがユダヤ人達を大穴へ投げ殺す大虐殺でついにピークを迎える。

サウルはガス室で唯一、死にきれなかった少年を見つけ出す。すぐさま殺されたその子を“自分の子だ”と言い張るサウルはユダヤの教義に則って埋葬しようとラビを探して収容所内を駆けずり回る。

果たして少年は本当にサウルの息子なのだろうか?
映画には初めからこの違和感がつきまとう。周囲は皆「オマエに子供なんていない」と言い、否定する。映画もサウルの人物像、背景を匂わせるだけでキャラクターをハッキリ描こうとしない。

彼が“埋める”という行為に執着した理由とはいずれナチスに殺される事が明らかなこの状況で、それが唯一の反抗であるからだ。ナチスはこの地上からゾンダーコマンドはおろか収容所の実態を示す証拠の一切を消し去ろうとしたが、ゾンダーコマンド達によって地中深く埋められたビンから凶行の全てが記録された文書が発見されたのだという。サウルが時に仲間との和を乱してまで埋めようとしたもの…それは人知れず歴史の闇に葬られた多くのユダヤ人達の怒りと勇気、人間の尊厳たる想いだったのではないだろうか。
 終始険しい顔つきの主演ルーリグ・ゲーザが最後に見せる微笑みが忘れがたい。


『サウルの息子』15・ハンガリー
監督 ネメシュ・ラースロー
出演 ルーリグ・ゲーザ
 
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