goo blog サービス終了のお知らせ 

長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『ワンダーウーマン』

2017-09-01 | 映画レビュー(わ)


 今年最大のヒットとなった『ワンダーウーマン』は分断とレイシズムに揺れる2017年に現れるべくして現れた大快作だ。『モンスター』以来、実に13年ぶりの劇場長編となったパティ・ジェンキンス監督はワンダーウーマン=ダイアナを第一次大戦時に放り込み、フェミニズムの歩みを今一度辿りながら、人類愛とも言うべきヒューマニズムに達する。クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』以後、コミックヒーローが自らの正義の意味に悩み苦しむ陰鬱なヒーロー映画の時代はようやく終焉を迎えた。混迷の現在にこそ、揺るぎないヒロイズムが必要ではないか。2大ヒーロー世紀の戦いとなった『バットマンVSスーパーマン』ですら当てられなかったDCの屋台骨をワンダーウーマンがただ一人で持ち上げた事実は痛快だ。ジェンキンス監督は100億円予算規模の大作で興収1億ドルを突破した初の女性監督となった。13年をかけた執念は画面の隅々にまで漲り、あらゆる場面にモチーフが隠されている。

ダイアナは米軍パイロットのスティーブ(クリス・パイン)の導きにより第一次大戦期のヨーロッパは西部戦線に降り立つ。1910年代といえば女性の参政権運動が活発化する一方、男達の傲慢な論理で始まった戦争に戦車、機関銃、そして毒ガスといった大量破壊兵器が投入され、人類は未曽有の破滅の危機にあった時代だ。ドイツ軍の新型兵器を破壊すべくワンダーウーマンは塹壕のハシゴを上り、無人地帯(No Man's Land)へと歩み出す。まさに差別と偏見の如く注がれる凄まじい砲火を受け止めるダイアナ。彼女の活路を開くべく、スティーブ率いる落ちこぼれ部隊が障害を排除していく。

彼らの描写がいい。ユエン・ブレムナー演じる兵士はスナイパーにも関わらず臆病さから最後まで銃を撃つことができない。ダイアナはそれを「歌が上手いんだからいいじゃない」と認める。あらゆるマイノリティの混合である部隊の顔ぶれを見れば、彼女が女性性を超えた人類愛の象徴である事は自明だろう。男におもねる事なく、「快楽を得るために男は必ずしも必要ない」と言ってのけてしまうのも痛快だ。

戦場を駆け抜けるワンダーウーマンの雄姿はDCがようやく到達したカタルシスだ。ジェンキンスは瞬間スローモーションの“ザック・スナイダー手法”も使いこなしてありとあらゆる“キメ絵”を繰り出し、映画はこの西部戦線シーンで早くもピークに達する。鐘楼に位置した狙撃者を倒すべく、ダイアナを持ち上げるのはもちろんスティーブ達だ。クリス・パインのウェルメイドなしなやかさは本作の宝である。

もちろん映画の最大の原動力はワンダーウーマンに扮したガル・ガドットだ。その美しさについては言わずもがな、女性がアクションヒーローであるためにマッチョになるも事なく、美しさと可愛らしさ、強さとしなやかさを同居させる彼女の“たおやかさ”に魅了されっぱなしだった。
 ダイアナのメンターとなるロビン・ライトの惚れぼれするような格好良さにも触れておこう。『ハウス・オブ・カード』でやたらと鍛えていたのはこのためだったのか!(←違う)

明らかにザック・スナイダーの意向が入っているであろうクライマックスの大味なアクションシーンについては目をつぶろうじゃないか。本作の大成功によってジェンキンス監督は続編における最大限のクリエイティブ・コントロールを得たハズだ。スティーブの言葉を噛みしめよう。「今日はオレが守る。未来は君が守れ」。
 先人たちのこの意志の下、ついに『ワンダーウーマン』は生まれたのだ。


『ワンダーウーマン』17・米
監督 パティ・ジェンキンス
出演 ガル・ガドット、クリス・パイン、デヴィッド・シューリス、ロビン・ライト、ダニー・ヒューストン
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『わたしに会うまでの1600キロ』

2017-08-18 | 映画レビュー(わ)

僕は歩くことが好きだ。自転車もあまり乗らない(東京で自転車を乗り回すことにあまり利便性は感じない)。歩くという時間は心の反響に耳を澄ます、思索の一時だ。
シェリル・スレイドの自叙伝をジャン・マルク・ヴァレ監督が映画化した本作は歩くという行為の感覚そのものを捉えたロードムービーである。スマホもipodもない歩みは魂の内に思い出を去来させ、懐かしいメロディがつい口をつく。メキシコからカナダまでを縦断するPCT(パシフィック・クレスト・トレイル)の大自然と一期一会の人々がヒロインの荒んだ心を浄化していく。人生をまさに歩くような速度で見せるこの心地こそ、アメリカ映画が得意としてきたロードムービーのそれだ。

どんな苦境にもめげず、人生を謳歌していた母が他界し、シェリルは自分を見失っていた。ドラッグとセックスに溺れた彼女はついに離婚を突きつけられ、衝動的に1600キロ踏破を決意する。笑顔で口ずさむローラ・ダーンの輝くような存在感は、ヒロインの人生で最も大切なものが失われたと思わせるには十分な眩しさである。短い出番ながらアカデミー助演女優賞にノミネートされた。

踏破することで人生の問題が片付くわけでもなく、この旅は精神的にも肉体的にも過酷だが、シェリルは文学的教養による詩心と持ち前のユーモアセンスによって救われていく。脚色を手掛けたのは温かなヒューマニズムにシニカルな笑いを隠し味とする名作家ニック・ホーンヴィだ。

俳優ににじり寄り、ありのままの自然体を撮らえるヴァレ演出はリース・ウィザースプーンから虚飾を削ぎ落し、本来の実力を発揮させアカデミー賞候補に送り出した。今後も俳優演出に長けた監督としてオスカー請負人となっていくのではないだろうか。

スマホを置け、イヤホンを外せよ。
そのゆったりとした、しかし確実に前へと進む歩みこそ人生そのものである。

『わたしに会うまでの1600キロ』14・米
監督 ジャン・マルク・ヴァレ
出演 リース・ウィザースプーン、ローラ・ダーン
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする