止まらない毎日がぼんやりかすみだす高い位置で
映った街が曖昧になってくるみたいな気がするんだ
止まらない季節に泳がされて長い列に
なんとなく並んでいたみたいな気がするんだ
「またいつかさよなら。なんでそんな嘘をついたのでしょうか?」
よく分からないが何かが足りなかっただけで
君がいないなら、いつかそれが当たり前になってしまいそうだ
またいつかさよなら全部放り出す街並みに落ちた
誰も知らない場所から見ている
アスファルトに埋もれた地面の上に映ったちいさな二人の影も、
見下ろすタワーも
またいつか
映った街が曖昧になってくるみたいな気がするんだ
止まらない季節に泳がされて長い列に
なんとなく並んでいたみたいな気がするんだ
「またいつかさよなら。なんでそんな嘘をついたのでしょうか?」
よく分からないが何かが足りなかっただけで
君がいないなら、いつかそれが当たり前になってしまいそうだ
またいつかさよなら全部放り出す街並みに落ちた
誰も知らない場所から見ている
アスファルトに埋もれた地面の上に映ったちいさな二人の影も、
見下ろすタワーも
またいつか
映った街が曖昧になってくるみたいな気がするんだ
おそらく、この世の中で「止まることができるもの」というのは「人の心」だけでしょう。モノも生物も止まれる、空間的には。でも「時間的」に止まれるのは人の心だけです。だから時に、「毎日」だけが過ぎ去り周囲がかすみだす感覚に襲われます。
止まるのは足りない何かを探すためかもしれないし、「君」がいなくなったのは「君」がいっしょに止まらなかっただけかもしれない。
>またいつかさよなら全部放り出す街並みに落ちた
ほうり出したのではなく、街から放り出されたのかもしれない。でも「またいつか」は少なくとも心のありかたとしては嘘ではない。人の心は「時間」を超えますからね。
とても虚無的ですけど、今は歩き続けているだけの私にとっては既視感のある一編です。
止まることに意味はあるのでしょうか。
止まるってなんだろう。
何か変化したような気がするだけで、何も変わっていないんでしょうね。
ただ、忙しなくて困ります。
かわらなくてもいい、止まらなくてもいい、
とにかく、ゆっくり歩けばいい。
この解説によって、しょうもない詩が輝きました。
ありがとうございました。