ハグハグの日々 Ⅳ  ~ 南日本海人、ライダー変身

ご訪問有難うございます。南日本海人、夏山裕のブログです。家族を愛し、人生に感謝して、日々をハグしながら送っています。

南日本海人、蝉の鳴き声を聴く

2008年07月26日 | 夢と妄想、時々まぼろし
 西欧の人は、蝉の鳴き声を右脳で聴き、雑音と感じるらしい。日本人は同じものを言語中枢のある左脳で受け止め、風情を感じるという。蝉の鳴き声を人の話や音楽と同様に受け止めるため、騒音とは感じないということなのである。不思議なものである。これをテーマにしたSF作品に山田正紀の『幻象機械』というのがあるが、興味のある方は読んでみていただきたい。
 「しずけさや岩にしみいる蝉の声」とは芭蕉の俳句である。この句もそのように、鳴き声を音声的に受け止めているが故に、「蝉が鳴いている以外に物音がない」という騒がしいとは反対の静かな情景を醸し出しているのだが、そう鑑賞できるのは日本人だからに相違ない。欧米の感覚では、蝉の鳴き声そのものが騒音であるのに、静かであるわけはなく、「岩にしみいる」とあまりのやかましさに、岩をも穿つ勢いであると解釈するかもしれない。
 それはともかく、蝉という虫もあわれな生き物である。一〇年以上も土の中で過ごし、地上に出てきて羽化し、ひと夏を生きて生涯を終えてしまう。言ってみれば、下積み生活をえんえんと過ごしてきた人間が、表舞台に出てきたと思いきや、短期間に燃え尽きてしまったという感じである。
 そんなことを想像しながら蝉の鳴き声を聞いていると、あわれに思えて、ますます風情を感じてしまう。
 蝉は悲しいなあ。しかし、一生土の中で過ごす虫もいることを思えば、一瞬でもひのき舞台に躍り出る蝉をうらやましいとも感じる見方もあるだろう。
 だが逆に土の中でのひっそりした生活の中にこそ、真実があるのかもしれないし…何を言っているのかわからない。「ちょっと何いってるかわからないス」(これは小力か)。
 暑さの中、ぼーっと蝉の鳴き声を聞きながら、わけのわからないことを考えつづける、この私、土の中にいるのやら、外で鳴いているのやら。中間の地表あたりをごそごそうろうろしているような気もする。地表あたりが一番いいのかもしれない。土の中ほど、暗くはないし、木の上のように終わって落ちてしまう心配も少ないし。おお、こういうのを「鳴かず飛ばず」というのか?
 みなさんはどうだろう。今自分は、木々の上で鳴いているのだろうか? それとも土の中で静かに暮らしているのだろうか? それとも地表でごそごそしているのだろうか?

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。