ハグハグの日々 Ⅳ  ~ 南日本海人、ライダー変身

ご訪問有難うございます。南日本海人、夏山裕のブログです。家族を愛し、人生に感謝して、日々をハグしながら送っています。

南日本海人、去年(こぞ)の花にはあらず、に感銘

2008年04月22日 | 日々(ふつうに)
 数少ない視聴するテレビの中で、最近見ているものは『篤姫』である。落ち着いて見られるドラマで、純粋に楽しんで見ている。
 この前の放送で、花見をテーマにした場面があった。その中で、島津斉彬こと高橋秀樹が、西郷隆盛に「今年の花、去年(こぞ)の花にあらず」という言葉から一節語るシーンがあった。
 咲く桜の花は同じようにみえて、去年の花とは違うものである。今年の花は今年の花であって、人生も今日を大事に生きていかなければならない、ということを話していた。
 南日本海人、思わず感動して、メモした次第である。脚本の田淵さんはやはりすごい。それとも原作にあるのか?
 それはともかく、この言葉、深みがあって考えさせる。確かに、世の中というもの、人生というもの、去年と同じようなことが繰り返されるように見えるが、実際は去年とは同じではないのだ。表面的に見ると同じように見えても、実際は違っているということ、改めてそう言われて、はっと気づく。
 いろいろな事が起きてそれに対処していくわけである。そのたびに、今までの経験から対応しようとするのであるが、必ず今までの経験だけで判断しきれるということはない。いつも自分が今までに経験したことのない事柄が含まれており、故に人は判断、決断に悩むのだと思う。考えてみれば、当然だ。今までに起きたことと全く同じことが仮に起きたとするならば、対処方法はわかっており、悩んだり、考えたりする必要はないからだ。
 また、時間的なものだけでなく、問題のひとつひとつが、それぞれ違っているということは、自分が相対している問題について判断を下すのは自分しかいないということも導き出される。
 最近、決断や選択を迫られることが多く、自分のそれがはたして正しいものなのか、不安がつきまとっていた。が、「去年(こぞ)の花」から考えると、自分の下さなければならない決断や選択は、他人にはできない選択であるということが理解できる。
 言ってみれば、同じことがらについての決断・選択も人(の立場)によって異なる意味を持つということなのである。故に自分が一生懸命に考え、悩んで下した決断やら、選択は自信を持っていいし、持つしかないのだということを感じた次第である。
 一言で言えば、「ふっきれた」ということか。独断的・独善的になってはいけないが、よく考えた末ならば、自分の判断に自信を持っていいのかな、と思えるようになった。
 高橋秀樹、篤姫、田淵さん、ありがとう。

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