「国会の怪時計」シリーズは、コメント欄に頂戴したご質問に対する回答であって、今の国会の時計は正確無比です。
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会期の定めのある合議体で、その会期内に予定された案件の処理ができない場合に「時計を止める」ということが言われることもありますが、立法府たる国会で「時計を止める」ようなことをして、会期に間に合わせるという苦肉の策が講じられた例について紹介したいと思います。
古くは明治23年召集の第一議会の貴族院で予算案審議が大混乱し、午前0時になっても議決できないため、時計の針を0時少し前で遅らせた例があるようですが、日本国憲法下の国会になってからの「それらしき例」について、まずは残された会議録から見てみます。
[昭和54年3月15日 第87回国会 衆議院本会議]
○永年在職議員表彰の件・中村正雄君
いまなお私の頭に焼きついておりますことは、第1回国会の最終日であります昭和22年12月9日夜半の、参議院本会議における審議であります。
衆議院より送付される農林省関係の4つの法案を今国会中に成立させよという、総司令部の国会担当の一課長よりの厳命でございました。衆議院より送付されました時刻が夜半12時の数分前、委員会は質疑、討論を省略して可決後、本会議に上程されました。
松平参議院議長の「過半数と認めます。よって4法案は可決せられました。これにて散会いたします。」と宣言されました時刻は、私の時計ではすでに12月10日に入っていたと思いますが、本会議場の時計の針は11時57分を示しておりました。この11時57分という時計の針は、占領下の政治を象徴するように私の脳裏に深く刻み込まれております。
[昭和56年3月9日 第94回国会 参議院予算委員会]
○玉置和郎君
ところで、運輸大臣、あなたは新幹線担当の大臣で、時間を大切にするということですが、時の流れを止めることはできますか。
○国務大臣(塩川正十郎君)
私ではとっても時の流れは止められません。
○玉置和郎君
科学技術庁長官、科学技術の枠をもっても時の流れを止めることができるかどうか。あなたなら止めることできるな。
○国務大臣(中川一郎君)
私でも止めることができません。
○玉置和郎君
総理、この参議院で時の流れが止まったこと知っていますか。
○国務大臣(鈴木善幸君)
私は寡聞にして承知いたしておりませんが、鈴木内閣におきましても時の流れを止めることはできません。
○玉置和郎君
昭和22年の12月の9日です。この参議院の第1国会、ここで食管法の改正のときに、時の占領軍の国会対策課長がウイリアムズというんで、それがやってきて、今日中に、衆議院から法案送ってきて、通さなかったら食糧援助してやらぬぞと恫喝されて大騒ぎになった。それで私はいろんな証言を今度求めましたが、そのとき時計を止めた人がいま課長補佐でここにおるんです。山賀辰夫さんという人です。それを指令した人がまだ生きておるんです。藤沢で恐らくきょうテレビを見ておると思う。そのときの親時計がこれなんです。(写真を示す)これが親時計。
いま参議院の時計はこの親時計で動いておるんです。昭和11年1月沖電気一号機というやつなんです。そうして、11時30分に待機命令が出て、11時50分に参議院のすべての時計が止まったんです。そうしてその法案を通したんです。すでにもう通ったときにはいわゆる会期のなかったときなんです。それどう思いますか。
○国務大臣(鈴木善幸君)
占領下における異常な事態であったわけでございまして、今日では全く想像もつかない事態であると、こう思います。
○玉置和郎君
この中でそのようなことを知っておる人まだあると思いますが、中曽根大臣どうですか。
○国務大臣(中曽根康弘君)
何の法案であったか記憶は明らかでありませんが、私たちが衆議院の議場で審議をしておりますときに、たしか時計が11時58分か9分ごろまで来たら針が止まってしまって、あれどうしたんだろうかと、5分か10分くらい確か止まっておった記憶がございます。後で聞いてみたら、何か作為が施されていたんではないかと、そういううわさでありました。
○国会の怪時計(その1~その5)
「国会の怪時計-その1」
「国会の怪時計-その2」
「国会の怪時計-その3」
「国会の怪時計-その4」
「国会の怪時計-その5」
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会期の定めのある合議体で、その会期内に予定された案件の処理ができない場合に「時計を止める」ということが言われることもありますが、立法府たる国会で「時計を止める」ようなことをして、会期に間に合わせるという苦肉の策が講じられた例について紹介したいと思います。
古くは明治23年召集の第一議会の貴族院で予算案審議が大混乱し、午前0時になっても議決できないため、時計の針を0時少し前で遅らせた例があるようですが、日本国憲法下の国会になってからの「それらしき例」について、まずは残された会議録から見てみます。
[昭和54年3月15日 第87回国会 衆議院本会議]
○永年在職議員表彰の件・中村正雄君
いまなお私の頭に焼きついておりますことは、第1回国会の最終日であります昭和22年12月9日夜半の、参議院本会議における審議であります。
衆議院より送付される農林省関係の4つの法案を今国会中に成立させよという、総司令部の国会担当の一課長よりの厳命でございました。衆議院より送付されました時刻が夜半12時の数分前、委員会は質疑、討論を省略して可決後、本会議に上程されました。
松平参議院議長の「過半数と認めます。よって4法案は可決せられました。これにて散会いたします。」と宣言されました時刻は、私の時計ではすでに12月10日に入っていたと思いますが、本会議場の時計の針は11時57分を示しておりました。この11時57分という時計の針は、占領下の政治を象徴するように私の脳裏に深く刻み込まれております。
[昭和56年3月9日 第94回国会 参議院予算委員会]
○玉置和郎君
ところで、運輸大臣、あなたは新幹線担当の大臣で、時間を大切にするということですが、時の流れを止めることはできますか。
○国務大臣(塩川正十郎君)
私ではとっても時の流れは止められません。
○玉置和郎君
科学技術庁長官、科学技術の枠をもっても時の流れを止めることができるかどうか。あなたなら止めることできるな。
○国務大臣(中川一郎君)
私でも止めることができません。
○玉置和郎君
総理、この参議院で時の流れが止まったこと知っていますか。
○国務大臣(鈴木善幸君)
私は寡聞にして承知いたしておりませんが、鈴木内閣におきましても時の流れを止めることはできません。
○玉置和郎君
昭和22年の12月の9日です。この参議院の第1国会、ここで食管法の改正のときに、時の占領軍の国会対策課長がウイリアムズというんで、それがやってきて、今日中に、衆議院から法案送ってきて、通さなかったら食糧援助してやらぬぞと恫喝されて大騒ぎになった。それで私はいろんな証言を今度求めましたが、そのとき時計を止めた人がいま課長補佐でここにおるんです。山賀辰夫さんという人です。それを指令した人がまだ生きておるんです。藤沢で恐らくきょうテレビを見ておると思う。そのときの親時計がこれなんです。(写真を示す)これが親時計。
いま参議院の時計はこの親時計で動いておるんです。昭和11年1月沖電気一号機というやつなんです。そうして、11時30分に待機命令が出て、11時50分に参議院のすべての時計が止まったんです。そうしてその法案を通したんです。すでにもう通ったときにはいわゆる会期のなかったときなんです。それどう思いますか。
○国務大臣(鈴木善幸君)
占領下における異常な事態であったわけでございまして、今日では全く想像もつかない事態であると、こう思います。
○玉置和郎君
この中でそのようなことを知っておる人まだあると思いますが、中曽根大臣どうですか。
○国務大臣(中曽根康弘君)
何の法案であったか記憶は明らかでありませんが、私たちが衆議院の議場で審議をしておりますときに、たしか時計が11時58分か9分ごろまで来たら針が止まってしまって、あれどうしたんだろうかと、5分か10分くらい確か止まっておった記憶がございます。後で聞いてみたら、何か作為が施されていたんではないかと、そういううわさでありました。
○国会の怪時計(その1~その5)
「国会の怪時計-その1」
「国会の怪時計-その2」
「国会の怪時計-その3」
「国会の怪時計-その4」
「国会の怪時計-その5」