国会のルールや決まりごとなど、議会人が備忘録を兼ねて記します。
議会雑感
国会の怪時計-その3
「国会の怪時計-その1」「国会の怪時計-その2」では、昭和22年12月9日の第1回国会会期末に国会の「時計が止まった」と思われる例について紹介しました。
その後、もう一度だけ国会で「時計が止まった」と思われる例がありますので紹介したいと思います。
時は、昭和40年12月27日。
補正予算案の審議が佳境を迎えていましたが、同日15時までに成立させなければならない状況でした。
約651億円にのぼる補正予算のうち、国家公務員給与のベースアップ分が約353億円。同日15時までに補正予算が成立しないと日銀からお金を出せなくなり、御用納めである12月28日支給も危なくなる、という理由です。
しかしながら、参議院予算委員会での審議に予想以上の時間を要したため、参議院本会議が開会したのは、14時23分。
予算委員長による委員長報告は所要10分、その後の反対討論には2名が立ち、うち1人は20分を要しましたから、それだけで既に15時直前。2人目が討論に入ったところで15時になるのは誰の目にも明らかでした。
そこで苦肉の策が登場したのです。
15時前から議場内の時計の針が動きをほぼ止め、牛歩を始めたのです。1分に120秒程度を使い、議場の時計では15時前に補正予算が成立したように仕立てたのです。
さらには、その後の議事に入ったと同時に、議場の時計は15秒で1分進むハイペースになり、それまでの遅れを一気に取り戻し、散会時刻とされる15時16分には1分差まで戻しました。
ただ、会議録には、開会時刻と散会時刻しか記録が残っておらず、予算案は当日最初の議事であったため、何時に成立したかは会議録上不明です。
補正予算成立直後から辻褄合わせのごとく、時計を早めたため、全体としては整合性が取れているように見えなくはないのですが、当日の議事からすると、予算委員長による委員長報告→反対討論2名→採決でしたから、補正予算成立は15時を過ぎていたことに相違ないはずです。
もっといえば、補正予算後の議事を見てみると、委員長報告3件で直ちに採決していますので、所要時間は10分強です。
となると、当日の会議録の散会時刻が15時16分であることから、逆算すると補正予算の成立は、15時6分~7分頃だったのではないでしょうか。
これを裏付けるように、昭和40年12月27日の翌日である昭和40年12月28日の新聞各紙には、下記の見出しが踊っています。
毎日新聞
「3時前に成立した補正予算 苦肉の策?時計が牛歩 公務員給与あやうくセーフ」
朝日新聞
「参院の怪時計 針が牛歩・ストップ 補正予算の成立に協力」
読売新聞
「火の車政府 大時計遅らせる 8分間ごまかした補正予算成立 日銀閉店へ苦肉の策 やっと公務員へ給料 関係者「知らぬ存ぜぬ」」
上記のうち、次回は朝日新聞の記事を紹介したいと思います。
その後、もう一度だけ国会で「時計が止まった」と思われる例がありますので紹介したいと思います。
時は、昭和40年12月27日。
補正予算案の審議が佳境を迎えていましたが、同日15時までに成立させなければならない状況でした。
約651億円にのぼる補正予算のうち、国家公務員給与のベースアップ分が約353億円。同日15時までに補正予算が成立しないと日銀からお金を出せなくなり、御用納めである12月28日支給も危なくなる、という理由です。
しかしながら、参議院予算委員会での審議に予想以上の時間を要したため、参議院本会議が開会したのは、14時23分。
予算委員長による委員長報告は所要10分、その後の反対討論には2名が立ち、うち1人は20分を要しましたから、それだけで既に15時直前。2人目が討論に入ったところで15時になるのは誰の目にも明らかでした。
そこで苦肉の策が登場したのです。
15時前から議場内の時計の針が動きをほぼ止め、牛歩を始めたのです。1分に120秒程度を使い、議場の時計では15時前に補正予算が成立したように仕立てたのです。
さらには、その後の議事に入ったと同時に、議場の時計は15秒で1分進むハイペースになり、それまでの遅れを一気に取り戻し、散会時刻とされる15時16分には1分差まで戻しました。
ただ、会議録には、開会時刻と散会時刻しか記録が残っておらず、予算案は当日最初の議事であったため、何時に成立したかは会議録上不明です。
補正予算成立直後から辻褄合わせのごとく、時計を早めたため、全体としては整合性が取れているように見えなくはないのですが、当日の議事からすると、予算委員長による委員長報告→反対討論2名→採決でしたから、補正予算成立は15時を過ぎていたことに相違ないはずです。
もっといえば、補正予算後の議事を見てみると、委員長報告3件で直ちに採決していますので、所要時間は10分強です。
となると、当日の会議録の散会時刻が15時16分であることから、逆算すると補正予算の成立は、15時6分~7分頃だったのではないでしょうか。
これを裏付けるように、昭和40年12月27日の翌日である昭和40年12月28日の新聞各紙には、下記の見出しが踊っています。
毎日新聞
「3時前に成立した補正予算 苦肉の策?時計が牛歩 公務員給与あやうくセーフ」
朝日新聞
「参院の怪時計 針が牛歩・ストップ 補正予算の成立に協力」
読売新聞
「火の車政府 大時計遅らせる 8分間ごまかした補正予算成立 日銀閉店へ苦肉の策 やっと公務員へ給料 関係者「知らぬ存ぜぬ」」
上記のうち、次回は朝日新聞の記事を紹介したいと思います。
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