紙のまち資料館でのイエツァオ造形作品展の会場の花の手入れをして帰ろうとしたら職員の女性に声をかけられた。
”先日収録したのが11:45分から放映されますよ”
”ありがとうございます”と言ったものの家にはテレビがない。
撮影したときから見るつもりはなかったものの母が2回も見に来てくれている。
もしかして喜んでくれるかもしれない。
家に行くといない。
お墓参りにいったと聞いたので家から300メートルほどの場所にあるお墓へ行くと手押し車に腰掛けて線香を上げている。
時間は11:35分。
”11:45分から会場がテレビに写るけど見る?”と言ったら”見たい”と言う。
それからは90歳の母としては最大のスピードで帰ってくれたのだけれど走れるわけでなく手押し車を手放すこともできない。
それでもコマーシャルがあり無事見られた。
イエツァオの意味まで丁寧に書いてくれていた。
”噴火口”の部分を大写しにして三宅島の噴火のことを言ってくれたときはうれしかった。
2000年6月の三宅島噴火では全島民が島を離れて避難した。
2005年の帰島を待たずしてモイヤー先生は亡くなった。
島を離れつらい思いをされた人たちは多かっただろう。
今又東北大震災で同じ思いをしてる人たちがいる。
テレビ放映はほんの短い時間だったけれど母は喜んでくれたみたいだ。
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