今年、式年遷宮が行われる伊勢神宮は内宮と外宮に分かれており、内宮には天照大御神(アマテラスオオミカミ)、外宮には豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)が祀られている。日本神話の主役の一人である天照大御神と比べて豊受大御神の歴史的(神話的)存在感は極端に乏しい。日本書紀には登場せず、古事記に豊宇気毘売(トヨウケビメ)として名前だけが登場する農業の女神だ。この激しいギャップの原因は何だろうか。
古来、日本人は滅ぼした者を篤く祀った。大国主や菅原道真、あるいは聖徳太子もその一人かも知れない。これは祟りを恐れるからだ。伊勢神宮も祟り信仰に基づくものではないだろうか。もしそうなら出雲と同格あるいはそれ以上の2人が祀られているということになる。
ヤマト王朝が残した歴史には記されず、中国の正史にのみその名が残されている女王が2人いる。卑弥呼と台与(トヨ)だ。私は邪馬台国は東征した神武天皇あるいはその子孫によって滅ぼされたと考えている。ヤマトの歴史には邪馬台国の痕跡が全く残っていないからだ。魏から授かった「親魏倭王」の金印紫綬が残っていないのは勿論のこと、魏との関係の伝承さえ失われている。これは邪馬台国が武力で滅ぼされたからだろう。
日本書紀には魏志倭人伝からの引用があり、神功皇后の時代のこととされているが、これは明らかに100年ほどズレている。こんな変な設定にしたのは滅ぼした邪馬台国の歴史を抹消するためだろう。
卑弥呼は「日巫女」と解釈されることが多いが、「日御子」の意味ならこれは正に天照大御神であり、その国を譲り受けた台与が豊受大御神ではないだろうか。彼女らは王であると同時にシャーマンでもあり、最も祟りそうな存在だけに大切な神として祀られたと私は考える。
伊勢神宮の起源は素人の妄想かも知れないが、邪馬台国の歴史とヤマトの歴史に断絶があることはほぼ確実だろう。
古来、日本人は滅ぼした者を篤く祀った。大国主や菅原道真、あるいは聖徳太子もその一人かも知れない。これは祟りを恐れるからだ。伊勢神宮も祟り信仰に基づくものではないだろうか。もしそうなら出雲と同格あるいはそれ以上の2人が祀られているということになる。
ヤマト王朝が残した歴史には記されず、中国の正史にのみその名が残されている女王が2人いる。卑弥呼と台与(トヨ)だ。私は邪馬台国は東征した神武天皇あるいはその子孫によって滅ぼされたと考えている。ヤマトの歴史には邪馬台国の痕跡が全く残っていないからだ。魏から授かった「親魏倭王」の金印紫綬が残っていないのは勿論のこと、魏との関係の伝承さえ失われている。これは邪馬台国が武力で滅ぼされたからだろう。
日本書紀には魏志倭人伝からの引用があり、神功皇后の時代のこととされているが、これは明らかに100年ほどズレている。こんな変な設定にしたのは滅ぼした邪馬台国の歴史を抹消するためだろう。
卑弥呼は「日巫女」と解釈されることが多いが、「日御子」の意味ならこれは正に天照大御神であり、その国を譲り受けた台与が豊受大御神ではないだろうか。彼女らは王であると同時にシャーマンでもあり、最も祟りそうな存在だけに大切な神として祀られたと私は考える。
伊勢神宮の起源は素人の妄想かも知れないが、邪馬台国の歴史とヤマトの歴史に断絶があることはほぼ確実だろう。