俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

新・アキレウスと亀

2007-11-14 21:07:12 | Weblog
 発展途上国が工業化を図って最新技術を導入しても先進国は更に先に進んでいるため発展途上国はいつまでも途上国に留まらざるを得ない。新しい商品を開発しても先進国ではもっと性能の良い商品が作られていて市場競争力を持ち得ない。まるでアキレウスと亀のパラドックスのような話だが深刻な現実だ。先進国と発展途上国の格差は埋められないものなのだろうか。
 日本の成功例をモデルにして突破口を見つけられないだろうか。2つの例を挙げよう。
①小型車
 道路の狭い日本ではアメリカのような大型車は使い勝手が悪く、小型車や軽乗用車が発達した。石油価格が高騰すると低燃費なこれらの自動車の評価が世界中で高まった。
②クウォーツ時計
 日本人は時間を大切にする。時計に対する要求は少しでも正確さが増すということだった。スイスではゼンマイに対する技術的なコダワリがあり、電池で動くクウォーツをオモチャのようなものと考えて軽蔑した。世界は安価でしかも正確な時計を優れた商品と評価した。
 要するに「追いつけ追い越せ」ではなく先進国との「棲み分け」を狙った戦略が国際的に支持を得て大成功に繋がったものと思われる。発展途上国が採るべき戦略も同じように先進国とは違った価値の発見と追求ではないだろうか。

抽象論

2007-11-14 21:06:58 | Weblog
 人間の脳は抽象的に考えることが苦手なようだ。考えることが苦手なだけに議論ともなれば抽象的な内容は結論を出しにくい。「なぜ人を殺してはいけないのか」もその1例だろう。
 具体的にすれば良い。「誰が」「誰を」殺すのかを明確にすれば議論は一気に進む。読者と私の共通の知人を設定することは難しいのでやむを得ず有名人を使おう。「ハンマー投げの室伏広治選手はなぜ野球のイチロー選手を殺してはいけないのか」ならすぐに答えは出る。殺す理由が無いからだ。芸能人同士ならこうなるだろう。「宇多田ヒカルさんはなぜ浜崎あゆみさんを殺してはいけないか」
 人間の脳は抽象語を自由自在に操るようにはできていないようだ。実は日本語には明治になるまで哲学的な抽象語は無かった。抽象語は日本人にとっては馴染みの薄い人工的な輸入言語でありまだまだ充分には使いこなせていない。

朝令暮改

2007-11-14 21:06:45 | Weblog
 「朝令暮改」は「言うことがアテにならない」などの悪いニュアンスで使うことが多いが、この言葉を「君子豹変」と同様、良い意味で使いたいと思っている。
 人は一旦決断したことに捕らわれ勝ちだ。思い入れがあると客観的に判断できず「茹でガエル」のようにズルズルと深みにはまる。情報が足りない時点での早急な決断に拘泥すべきでないことをパズルを使って数学的に証明しようと思う。
 ここに3枚の裏向けたカードがある。貴方がハートのエースを選べば勝ちだ。貴方は真ん中のカードを選んだとする。正解を知っているディーラーは左端のカードを表向けた。目的のカードではなかった。今、貴方はカードを選び直すことができる。今のカードのままか右端のカードに替えるか?
 多くの人は「どちらも確率50%だから替えても替えなくても同じだ」と判断する。ところがそれは大間違いで右端のカードに替えたほうが圧倒的に有利だ。
 最初の選択での正解率は1/3だ。すなわち不正解率が2/3だ。デーラーが外れのカードを表向けた時点で右端のカードが正解である可能性は2/3に高まる。多分納得しない人もいるだろう。数学者でさえ引っかかるパズルなのだから。疑う人は実際に試して欲しい。
 納得頂いたという前提で話を進める。ある経営者が「最善手」を含む10の選択肢から経営判断をするとする。彼はある1手を選んだとする。時間の経過に伴い3つの選択肢は駄目だったことが分かったとする。彼は悪い選択をしなかったことに満足するだろう。
 ここでは満足ではなく再検討をすべきだ。選択肢は10から7に減った。彼の選択の正解率は10%だが、他の6つの選択肢の正解率は15%なのだから。(9/10×1/6)
 勿論この理屈は議論を分かり易くするために「最善手」が1つだけあるという非現実的な前提に基づいているが、仮に「最善手」という前提を省いても直近の状勢に基づいて判断し直すほうが有利なことは間違いない。

西洋モデル

2007-11-14 21:05:42 | Weblog
 日本の教育は常に西洋に追いつくことを目標として来た。明治政府は「西洋のような近代的な国家になること」を目標とし、戦後は「アメリカのような民主的な国になること」を目標とした。西洋に追いつくことが目標であり、追い抜くことは想定されていない。追いついた時点で目標は必然的に見失われる。目標を失くした時点では新たな目標が設定されねばならないが今のところその兆しは見られない。
 キリスト教抜きの西洋文明を模倣すればどうなるか。倫理的には低く、先進国の文明を模倣するだけの技術優先の教育になる。創造性が乏しくなったのは当然だろう。もし日本に創造性を期待するなら新たな目標が設定されねばならない。

代行

2007-11-14 21:05:22 | Weblog
 民主党の菅直人氏の肩書きは「代表代行」だ。私はもっと大胆な肩書きを名乗ったことがある。取引先を訪問した際に「社長の代行代理補佐予備候補見習いとして伺いました」と挨拶した。先方は大笑いしてあとの商談もスムーズに進んだ。相手が石頭でないと分かっているならビジネス上でのこんなジョークも許されるだろう。

シティバンク

2007-11-14 21:05:06 | Weblog
 シティバンクのCEO(最高経営責任者)がサブプライムローンなどでの損失の責任を取って退任するらしい。
 私はシティバンクをメインバンクとしている。外貨預金だけではない。普通預金も便利だからだ。シティバンクの普通預金は世界中の支店で現地通貨で引き出せる。このレートが非常に良い。例えば先月末にフィリピンに旅行したが両替商でのレートが1ペソ約3円に対してシティバンクの普通預金で引き出せば1ペソ約2.7円だった。レートが1割ほど良かった。
 海外旅行をする時には非常時も考慮して必要以上に現金を持ち出し勝ちだ。現金を必要以上に持ち出さなくて済むしレートが現地より良いのだから海外旅行をする人には文句無しにお勧めできる。

親の教育

2007-11-14 21:04:55 | Weblog
 「成績が悪い」とか「もっと勉強しろ」と怒る親は多い。しかし「嘘をついた」とか「行儀が悪い」と本気で怒る親は少なくなってしまった。
 子供は親に迎合する。無力な子供は親に嫌われたら逃げ場が無くなるので親の喜ぶことを進んで行う。親が知育偏重で徳育を怠ったならその子供が道徳性を欠くのは当然だ。子供の徳育のためには親の教育からやり直す必要がある。

脳の悪い癖

2007-11-14 21:04:35 | Weblog
 脳は意外と単純作業が好きらしい。足し算などの作業をすると脳が活発に働くようで脳トレと称して脳の老化予防策としても使われている。足し算などの単純作業を脳は飽きずに続けるが、困ったことにその間は思考することは疎かになる。まるで「ワシはこんなに働いているのだ。邪魔するな。」と主張しているかのようだ。
 職場でも似たことが起こる。十年一日の如く全く同じ作業しかしない従業員に「少しは改善したらどうか」と注意すると「こんなに一所懸命働いているじゃないか」と反発されかねない。作業をすればそれで充分な筈だと彼らは考える。脳の特性がこう言わせるのなら、「仕事」をさせるためにはまず「作業」を減らすことが必要なのかも知れない。

解決方法

2007-11-14 21:04:25 | Weblog
 将棋の羽生善治永世棋聖は「初めに着想があり読みでそれを裏付ける」そうだ。これと全く逆なのがコンピュータで総ての手を検討した上で最善手を選ぶらしい。コンピュータらしいと言えばそれまでだが何とも無駄な手法で人間なら時間が幾らあっても足りなくなる。
 機械が故障した場合、熟練した技術者なら故障の具合を見て可能性の高い箇所から順に点検するだろう。素人は試行錯誤を繰り返して散々無駄なことを試みてからやっと修理箇所を見つける。
 ヤブ医者は様々な病気の可能性を考慮して様々な手を打って、そのあげく却って症状を悪化させてしまう。熟練した医師なら最も可能性の高い病気を想定して早期に治療するだろう。
 今コンピュータ世代が増えている。コンピュータを使った分析は正確だが効率が悪いことがある。それは的を絞らずに総てを点検するからだ。デスクワークならそれでも良い。しかしこの世代が管理職になると困ったことが起こる。やたら作業が増えることだ。
 人間ドックに入れて総点検することが悪いとは誰も言えない。それは確かに正論だ。しかし総点検ばかりしていたら金も時間も掛かり過ぎる。
 問題の本質を見抜くプロの目があれば総点検に頼らなくても早期に問題解決ができる。これは決して手抜きではない。

パズルとクイズ

2007-11-14 21:04:16 | Weblog
 余り区別をする人はいないが私はパズルとクイズを次のように区別して使っている。「パズルは知恵の遊び、クイズは知識の遊び」
 例えば「叱られないと勉強しない」の対偶は何かというのはパズルで、曙の体重は約何キロかというのはクイズだ。
 パズルは知恵の遊びとしてかなり高尚なもので、学校では全く教えられていないにも関わらず公務員の採用試験にも使われることがある。但しこの定義に従うならクロスワードパズルはクイズの要素が強過ぎるようだ。知識偏重の日本人が作るとパズルもクイズになってしまうということだろうか。