俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

偽患者と偽薬

2016-10-17 09:55:18 | Weblog
 健康が損なわれれば薬が必需品となり薬の微妙な違いが生活に与える影響も大きくなる。質や量は勿論のこと飲むタイミングが少しズレても良く効く薬が危険な毒物に化けるということもあり得る。「匙加減」という言葉があるように微妙な加減をするだけでも薬効はかなり増減する。薬の効果はそれほどまでに微妙なものだ。
 通常の健康状態であれば栄養に無関心であっても余り問題は生じない。極端な偏食さえしなければ健康は維持される。しかし欠乏症の状態であれば特定の栄養素を積極的に摂取しなければ生命に影響を及ぼしかねない。日本人の殆んどが既に充分過ぎるほど栄養を摂取しているから過剰摂取ばかりが問題にされるがこれはかなり奇妙なことだ。
 摂食量であればギリギリまで抑える必要性は全く無いが元々毒物である薬は最低限に抑えたほうが安全だ。薬を飲むことで安心できるという奇特な人もいるが折角の健康な状態をわざわざ危険に晒す必要性は無い。高齢者以外の日本人は殆んどが健康だ。健康な状態の時に薬を飲めばもっと健康になる訳ではなく、健康を害することが多い。これは当然だ。健康な人に降圧剤や解熱剤を飲ませれば少なくとも一時的には健康を害する。
 偽患者つまり健康な人には本物の薬を与えないほうが良い。本物の薬なら副作用を伴うが、メリケン粉などの偽薬であればほぼ無害だ。その一方で、病気の人の治療のために作られた本物の薬であれば副作用だけが現れて有害物になる。
 本当の病人には本物の薬しか効かないが偽の病人に本物の薬を与えることは危険であり、薬効も副作用も無い偽薬を与えるべきだ。患者と薬による世界があるように偽患者と偽薬もまた巨大な世界を構成している。医療費と呼ばれているものの大半が実は後者であり正しく使われている医療費は一部に過ぎない。
 健康な人と病気の人がいて、有効な薬と効果の無い薬があるとしよう。実際には無効でしかも有害な薬などの可能性もあるが繁雑になるだけなのでこの4つの要因だけに絞って検討する。この4つの要因によって可能な組み合わせは4種類であり必要なのは「病気の人に対する有効な薬」だけだ。それ以外は医療ではなく偽医療だ。それにも拘わらず他の3つの組み合わせも頻繁に見受けられる。
 「病気の人に対する無効な薬」が悪いことなら誰にでも分かる。しかし「健康な人に対する(患者になら)有効な薬」はもっと悪い。これによって大量の医原病患者が作られている。
 「健康な人に対する無効な薬」は健康上の問題だけしか見なければ危険性の少ない組み合わせだ。だからこの問題は軽視され勝ちだが医療費の無駄遣いとしては最大のものだ。このせいで医療費が肥大化している。

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