俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

紙一重

2016-02-15 09:26:11 | Weblog
 格闘技において紙一重の差で躱すことが最も高度な技術だ。ボクシングや剣道を考えれば分かり易い。相手の攻撃を大きく躱せば反撃できないが、紙一重の差で躱せば間合いに身を置いて、体勢の崩れた相手を攻撃できる。攻防一体の達人を迂闊に攻めれば忽ち隙を突かれる。
 レーシングドライバーが猛スピードで走れるのも紙一重の違いを知っているからだ。最高のコース取りをして曲がれる最高速で運転する。
 紙一重が理想ではあるが思わぬ失敗もあり得る。漫画の「あしたのジョー」では完璧なディフェンス力を誇るチャンピオンのホセ・メンドーサが、パンチドランカーになってパンチの軌道が狂うジョーのパンチを浴びた。
 紙一重が可能なのは相手に相応の力量がある場合に限られる。あるレーシングドライバーが「公道は怖くて走れない」と語った。公道の車の技術レベルはバラバラだ。レースであればお互いが最高の技術レベルを持っていると知っているからたとえテール・トゥ・ノーズで走っても危険性は少ない。素人相手にそんなことをすれば忽ち事故に遭う。
 パトカーのドライバーの中にも公道を怖がる人がいるがこちらは事情が違う。プライベート走行での公道が怖いということだ。パトカーに乗っていれば周囲の車は安全運転を守るが一般車に対しては合法ギリギリ、それこそ紙一重のレベルで運転をする。パトカーに慣れている警官ほどこのギャップの大きさに驚く。
 私は最下位合格を理想としている。所詮は足切りに過ぎない試験であれば、上位で合格するよりも下位で合格するほうが好ましい。やるべきことは幾らでもあるのだから、余裕を持って生活しながら滑り込みセーフとなることがベストだ。
 但しこれは余りお勧めできない。私自身、少なくとも1回、最上位不合格の憂き目を味わった。裏の事情は分からないが、社内の登用試験で私より下位の人が合格し私は最上位不合格者だった。レーシングドライバーと同様、紙一重が有効なのは、相手が信頼できる場合に限られる。
 命も実は紙一重だと知らされた。食道に腫瘍ができただけで他の総てが健康体であっても死と隣り合わせになる。微量の有毒ガスやほんの3分間の水没、あるいは少量の毒物や病原体によって命が失われる。命は余りにも脆くガラス細工のようなものだ。

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