俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

戦犯

2015-02-26 09:48:19 | Weblog
 負けたチームのファンは戦犯を咎めたがるものだ。野球ならタイムリーエラーをした選手、サッカーならオウンゴールを献上した選手などだ。阪神タイガースのファンはしばしば贔屓の引き倒しをする。古い話だが昭和48年の「池田の尻餅」はその典型だ。対巨人戦の外野守備で転倒して逆転負けを招いた池田選手は優勝を逃した元凶として非難された。もっと酷いのはコロンビア代表チームのサッカー選手で、ファンによって射殺された。
 敗戦直後の日本にも似た感情があった。戦争に負けた責任を誰かに押し付けようとしていた。この感情があったから敵国の指導者を処罰したいというアメリカの欲求がすんなりと受け入れられた。しかし「戦犯」の意味が日米で全く異なる。日本人にとっては敗因を作った者でありアメリカ人にとってはアメリカに被害を与えた者だ。これでは日本人にとっての英雄が戦犯として裁かれることになる。
 戦犯に対する評価は大きく揺れた。敗戦直後は極悪人であり、その後、殉教者のように敬われ、戦後教育を受けた人は戦争を企んだ悪人と信じている。
 戦犯の処罰はポツダム宣言に基づく。日本が受諾したポツダム宣言の第10項には「吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加える」と記されている。捕虜虐待は国際法に背く戦争犯罪(B級戦犯)だ。しかしA級戦犯は「平和に対する罪」、C級戦犯は「人道に対する罪」で裁かれた。これらは刑罰不遡及の原則に背く事後法だ。ドイツの場合、ナチスによる虐殺があったため多くのC級戦犯が処罰されたが、日本ではBC級戦犯と一括りにされた。
 証人の中にはかのラストエンペラー愛新覚羅溥儀のように証人としての適性を欠く人もいた。彼らは自らが戦犯にされることを恐れて明らかに偽りと分かる証言をしている。被告は同時に証人の役割も務めた。潔い被告もいたが、自分の罪を軽くするための泥仕合もあったようだ。
 「平和に対する罪」は事後法であり国際法上、無効だ。ではなぜ有効なのか?勝者による裁きであり、サンフランシスコ平和条約で「極東国際軍事裁判(中略)の判決の受諾」が義務付けられているからだ。
 東京裁判は裁判の形式を取ったリンチに過ぎない。政治的目的を達成するために裁判という形式を借りただけだ。正義(justice)ではなく政治が目的だ。その何よりの証拠は昭和天皇が戦犯でないことだ。天皇個人がどういう人であれ、敗戦国の国家元首が免責されたのは前代未聞の珍事であり、天皇を政治的に利用するために免責されたとしか考えられない。戦後最初の「天皇の政治的利用」はアメリカによって行われた。
 東京裁判は正当な裁判ではない。彼らを殉教者として扱うのは行き過ぎだろうが、戦後の「民主教育」は戦犯について甚だしく誤った知識を植え付けている。

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