甘い食べ物が大嫌いな友人がいる。日本酒は辛口しか飲まないし卵も「甘いから」と敬遠する。かつてよく行った鶴橋の焼肉屋「鶴一」もタレが甘くなったと言って立ち寄らない。彼にとって甘いとは不味いと同義語だ。
彼ほどではないが、私も甘い食べ物が嫌いだ。私の家には砂糖が無い。しかし彼とは違って卵の甘味は受け入れる。卵かけご飯は好物だし野菜炒めや焼きソバには卵を絡める。果物も好きだ。
多分、私の場合、甘い物一般ではなく砂糖の甘味が嫌いなのだろう。砂糖の甘味は口に残って唾液を粘着かせる。不思議なことに私の好みは20歳前後に激変した。それまでは花林糖が大好きという甘党だったのに、甘さを不快と感じるようになった。酒を飲み始めたことと因果関係があるかどうかは分らない。味覚そのものが変わったとは思えないから、それまで快と感じていた味を不快と感じるようになったということだ。これが心理的なものか生理的なものかはよく分からないが、ある刺激に対して快と捕えるか不快と捕えるかを決めるのは知覚ではなく統覚だということだろう。ジェットコースターのような強い刺激に対して「怖い」と感じるか「面白い」と捕えるかが紙一重の違いであるのと同じようなものだ。
彼ほどではないが、私も甘い食べ物が嫌いだ。私の家には砂糖が無い。しかし彼とは違って卵の甘味は受け入れる。卵かけご飯は好物だし野菜炒めや焼きソバには卵を絡める。果物も好きだ。
多分、私の場合、甘い物一般ではなく砂糖の甘味が嫌いなのだろう。砂糖の甘味は口に残って唾液を粘着かせる。不思議なことに私の好みは20歳前後に激変した。それまでは花林糖が大好きという甘党だったのに、甘さを不快と感じるようになった。酒を飲み始めたことと因果関係があるかどうかは分らない。味覚そのものが変わったとは思えないから、それまで快と感じていた味を不快と感じるようになったということだ。これが心理的なものか生理的なものかはよく分からないが、ある刺激に対して快と捕えるか不快と捕えるかを決めるのは知覚ではなく統覚だということだろう。ジェットコースターのような強い刺激に対して「怖い」と感じるか「面白い」と捕えるかが紙一重の違いであるのと同じようなものだ。
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