俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

家族

2008-03-30 20:48:03 | Weblog
 3月21日付けの朝日新聞のアンケートによると一番信用できるのは家族で97%、一方一番信用できないのは政治家と官僚でともにわずか18%となっていた。命懸けで子供を守る親と、保身に走る官僚、私利私欲のために政策を売る政治家というイメージとも一致する。
 しかし殺人事件の半数が家族によって行われるというデータもある。このデータには心中も含まれているが、殺意に基づく親殺しや子殺しも近年目立っている。
 ライオンによる子殺しは妻の連れ子を殺すことによって雌ライオンを母親役割から妻役割に変換させる効果があるらしい。七面鳥はヒナのピイピイという声に反応して母性を発揮するらしいが、そのために耳の聞こえない母鳥はヒナを自分の子供と認識できず殺してしまうそうだ。
 人間は本能が壊れているため本能的な親子愛は無い。一緒に暮らす良い関係が愛情を育む。育み損ねたら・・・一番危険な存在になってしまう。それを親の自業自得だと言えば余りにも酷だろうか?

時間の質

2008-03-30 20:36:01 | Weblog
 植物人間の状態で長生きしたいとは思わない。奴隷の身分で生き長らえたくない。奴隷よりはマシとはいえ、使い捨てにされる「社畜」として生き続けても無意味だ。
 生きることの質を考えるなら、楽しんでいる時間と主体的に考え・感じている時間だけが「充実した時間」と言えるだろう。少なくとも眠っている時間や単純作業をしている時間や暇潰しをしている時間や苦悶している時間は「充実した時間」とは言えそうにない。
 寿命が一定とするなら「充実した時間」のシェアを高めることが充実した人生へと繋がるのだから、差し当たって無駄な時間を減らすことが充実した人生のための第一歩となるだろう。

好き嫌い

2008-03-30 20:28:07 | Weblog
 食べ物の好き嫌いがあることは決して悪いことではない。勿論極端な偏食は栄養失調を招くので好ましくないが、旨い物を旨いと感じ、不味い物は不味いと感じる能力は必要だ。もし何を食べても旨いと感じるなら彼には味覚が無いのだろう。味覚が無いからどの味も旨く、言い換えればどの味も不味いだけのことだ。腹を満たすだけの行為を快感(旨い)と感じているにすぎない。
 音楽もピンからキリまである。駄作でも何度も聞いて馴染めば良い曲と感じる人が少なくない。こんな人には音楽的センスが欠けている。
 誰とでも仲良くできる人も人間を認識する能力が欠けていると思われる。良い人も悪い人も、あるいは賢い人も愚かな人も、卑しい人も品格ある人もいるのだから、相手によって付き合い方を変えるのは当たり前のことだ。

蝶と蛾

2008-03-30 20:18:06 | Weblog
 道端で蝶を見掛ける季節になってきた。蝶のはかなげな飛翔はなぜか人の心を優しくさせる。しかし同じ鱗翅類でありながら蛾が好きな人は、私の知る範囲では殆どいないように思える。
 フランス語では蝶と蛾はどちらもpapillon(パピヨン)だ。あえて区別すれば「昼のパピヨン」と「夜のパピヨン」となるらしい。
 蝶は昼間に活動するから視覚が発達して、蛾は夜に活動するから嗅覚が発達した。
 異性選びにおいて視覚の発達した蝶は見かけを重視するので美に向かって進化する。一方、視覚が弱く嗅覚が発達した蛾は雌の出すフェロモンに反応するので美に向かっては進化しなかった。その結果、蝶は美しく、蛾は醜くなった。
 蝶と蛾が同じ鱗翅類でありながら見掛けが大きく異なるのは種族内淘汰によるものだと断言できそうだ。