俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

薬のリスク

2008-02-20 19:43:18 | Weblog
 薬はもともとは毒薬だ。少量で体に顕著な影響を及ぼす危険物だ。最も身近にある毒物だ。例えば血圧降下剤を高血圧症ではなく低血圧症の人に投与すれば危険な状態を招く。残留農薬や食品添加物より遥かに危険だ。有害かつ有益で、有益性のほうが大きいものが薬として認められているにすぎない。「毒にも薬にもならない薬」だけが絶対安全な薬(?)だろう。
 薬の効果は「毒を以って毒を制する」と考えるべきなのだが、毒という意識が希薄だから薬好きの人も現れる。
 比較的毒性の低い胃腸薬でさえ困ったことを引き起こす。体調を崩してある特定の物質の分泌量が減った時にその物質を胃腸薬として飲めば体調は良くなる。しかしその薬を長期間飲み続けると胃腸がその物質を分泌することをやめてしまう。使わない筋肉が衰えるのと同じ現象が胃腸にも起こる。その結果その薬を一生飲み続けねばならなくなってしまう。
 私は薬は極力飲まない。風邪をひいても寝たら治る。出勤しなければならない場合だけ不本意ながら市販の風邪薬を飲む。たまにしか薬を飲まないからよく効く。薬は習慣性があるので頻繁に飲んでいると段々と強い(危険な)薬でないと利かなくなるそうだ。

諦めが肝心

2008-02-20 19:29:18 | Weblog
 夢は叶わないのが普通だ。叶う程度の夢しか持っていないならそれこそ「夢が無い」状態だ。
 夢を追い続けると一生を台無しにしてしまう。何年も浪人をして大学受験を続けたり、司法試験に落ち続けたり、コンテストやオーディションで落選し続けることになってしまう。
 失敗したら進路を変えれば良い。「夢から醒める」ことが必要だ。
 「頑張れば夢は叶う」などという考え方はたまたま成功した人の自慢話でしかない。「自分は頑張ったから成功した。成功しない人間は努力が足りない。」と威張りたいだけだ。
 「頑張れば必ずできる」という幻想をバラ撒く人は迷惑だ。できないことのほうがずっと多い。100mを10秒で走れるのはごく限られた人にすぎない。
 一方「これをやりたい」という意欲は夢ではない。現実を踏まえた願望だ。地に足の着いた願望と見果てぬ夢を混同してはならない。現実的な願望なら叶うことも少なくない。

皮膚1枚の美

2008-02-20 19:19:16 | Weblog
 美女の美しさは皮膚1枚だけのことだ。皮膚を剥げば化け物同然になる。理科室にあった解剖模型と同じような筋と血管が露出した気味の悪い姿になる。
 美が皮膚1枚のことだという事実を「だから虚しい」と解釈するか「僅か皮膚1枚の微妙な美だからこそ尊い」と解釈するかは個人の勝手だ。
 但し名画を見て「カンバスに絵具を塗っただけだ」と主張するような悪趣味な人間には私個人としてはなりたくない。

芸能と芸術

2008-02-20 19:13:18 | Weblog
 大衆芸能の価値は多数決で決まる。ドラマの価値は視聴率で決まり、歌の価値はヒットチャートが決める。これは芸術性とは関係ない。たとえお粗末な作品でも、難解でさえなければ、時流に乗って上手く宣伝すれば支持者が増えて結果的には高く評価される。
 芸術の評価はこれとは全く違う。「違いの分かる人」が判定する。
 低レベルな芸術は多くの人に理解されるが、高レベルな芸術を理解できる人は少ない。このことは芸術に限ったことではない。数学や技術でも最高レベルを理解できるのはほんの一握りの人にすぎない。それ以外の人はたとえ専門家でも権威を信じるしか無い。
 数学や技術の場合はそれを応用することを通じて有効性を証明できるが、芸術の場合はそれ自体で完結しているためそれが優れているかどうか検証できない。勢い権威に頼らざるを得ない。
 子供か猿の悪戯描きにしか見えない絵画が「名画」として高く評価されることもあるが私にはどこが良いのか全く分からない。分かる人にはその価値が分かるのだろう。少なくとも「大家の誰それの作品だから素晴らしい」という基準で評価している訳ではないだろう。
 芸術にはレベル以外に普遍性という要素がある。例えばモーツァルトの曲は世界中で愛されているが、これは勿論レベルが低いからではなく、普遍性を持つからだ。あるいは「深い」と言っても良いかも知れない。人間の根源的なもの(ユングの術語を使えば「普遍的無意識」)に訴えるから世界中の人に愛されるのだろう。
 多くの人に支持される作品はそれが普遍的な価値を持つ場合と低レベルな場合と2種類ある。しばらく経てば忘れられる作品は低レベルだからこそ広く支持されただけであり、ブームが終わっても支持され続ける作品は普遍的な価値を持っているのだろう。
 「違いの分かる人」ならこの2者を混同することは決して無かろう。