小林信五君が亡くなった。アスベストによる中皮腫というガンが原因だ。30年ほど前、総評から連合に労働組合のナショナルセンターが変わる時、長野県労働組合評議会青年婦人協議会(県評青婦協)の私が議長で、私の妻が副議長、そして信五君が事務局長をつとめ、一緒に青年部運動を進めてきた。同時に国労長野地本青年部書記長をしていた。
夜遅くまで会議が続くことはしばしばであった。1987年にJRが分割民営化され、国労組合員に対する不当労働行為が続く中、大変厳しいなかで運動を進めていた。88年に始まった反核平和の火リレーに使うトーチをつくってくれたのも信五君だ。今、使っているものも信五君が作製したものです。
職場での労働運動にも強いこだわりがあり、激しい議論も行われたことを思い出す。結婚式にも出席させていただいた。58歳という若さで旅立った信五君、ご家族の皆様に心からお悔やみを申し上げます。
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