長田家の明石便り

皆様、お元気ですか。私たちは、明石市(大久保町大窪)で、神様の守りを頂きながら元気にしております。

信仰への招き―聖書の福音を現代の日本人に:はじめに

2019-06-01 09:09:40 | 信仰への招き
一人の牧師、一人の伝道者として、聖書が語る「福音」を様々な方にお伝えすることは終生の使命であると自覚しています。神学校を卒業して26年、私なりにこの務めに取り組んできましたが、近年、二つの面から困難を覚えることがあります。
 
一つは、マスメディアだけでなく、ネット情報も入り乱れている中、多くの方は多種多様な価値観に触れながら生きています。牧師としては、「聖書の大切なメッセージ」としてお届けしたいと考え、一生懸命お伝えしたとしても、「数多くの多様な考え方の一つ」として受け取られる傾向は、昔よりも更に増していると感じます。(もちろん、そういう受け取られ方は、使徒パウロの時代から既にあったのですが。)
 
もう一つは、より根源的な課題に関わるものです。それは、保守的なキリスト教会の中で、「福音理解」について問われることが多くなったことです。昔から聞いてきた「福音」、これまで語ってきた「福音」が、本当に聖書の伝える「福音」なのか、という問いです。
 
この課題については、私も真剣に取り組まざるを得ませんでした。「福音」を伝えることが終生の使命であれば、聖書が伝える本当の「福音」がどういうものなのか、ゆるがせにできない問題と思いました。
 
しかし、この課題は、いわゆる「神学」の世界に入り込んでいくことを要求します。最近の神学的文献にも当たる必要も出てきます。神学の学位も持たず、ギリシヤ語、ヘブル語といった聖書原語、あるいは英語などの語学力も低い私にとって、取り組みは遅々としたものにならざるを得ませんでした。
 
それでも、神様の助けを頂きながら、自分なりの目途がつくところにまでは来たような思いがしています。まだまだ道半ばでありながら、そろそろ、「福音」を伝えるという本来の使命に立ち返る必要も感じられてきています。
 
「福音」はよき知らせです。多くの方々にお届けすべきメッセージです。私は、神様からこのメッセージを託され、語り継げるように召されたと思い、牧師として、伝道者として、生きています。
 
近年、このブログでの投稿も、難解な神学的議論に関わる投稿が多くなっています。現在もその作業は継続中ではありますが、事情により一時的に中断中でもあります。その間、教会の現状を踏まえつつ、自分が置かれている状況を神様に問う時間も多くなりました。
 
そのような中、課題への取り組みの中間報告のような意味も込め、現時点の自分の理解の中で、信仰を持たない方を含むブログの読者の方々に向け、もう一度、自分の言葉で「福音」をお伝えしてみたい、という願いが起こされました。
 
聖書にしっかりと根差したものとなるように願います。引用した聖書個所は明示したいと思います(引用は特に断りのない限り口語訳聖書とします。)聖書をお持ちの方は、聖書を開き、確認しながらお読みくだされば幸いです。
 
同時に、できるだけシンプルに、また、できるだけ多くの方々に届くようにと願います。エッセイ風に、今の生身の自分を通して、神様からのメッセージ、聖書の福音をお届けしたいと願います。
 
大まかなテーマの流れは考えていますが、書き進めながら途中で行き詰まるかもしれません。それでも、最後まで完成したものを小出しにしていくよりも、書きながら、祈りながら、時には軌道修正しながら、進んでみたいと思っています。
 
関心を持ってお読みくださる方が一人でもいてくださったら幸いに思います。
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