長田家の明石便り

皆様、お元気ですか。私たちは、明石市(大久保町大窪)で、神様の守りを頂きながら元気にしております。

信仰への招き  17.律法からの解放と律法の成就

2020-02-04 20:19:32 | 信仰への招き

福音が示す救いの道は、イエス・キリストへの信仰を条件とするものであることを見ましたが、その際、「わたしたちの行った義のわざによってではなく」(テトス3:5)というパウロの手紙の一文を紹介しました。以下のようなパウロの言葉も、救いが私たちの行いによらないことを明確にしています。

「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるのではない。それはだれも誇ることがないためなのである。」(エペソ2:8、9)

このような言葉は、救いが人間の行いに基づいたものではなく、あくまでも神の恵みとして与えられることを強調しています。しかし、このことはパウロが行いを軽視していることを示しているわけではありません。上記の言葉は以下のように続けられます。

「わたしたちは、神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。」(エペソ2:10)

この言葉は、神の救いは人間の行いに基づかず、恵みによって与えられるものであるけれども、救われた者に良い行いをするよう変革を与えるものでもあることを告げています。

このことと関連して、福音と律法の関わりを考えることも大切です。要約的に言うならば、福音は律法からの解放を告げると同時に、律法の成就をもたらすものでもあると言えます。このことは、上記のような救いと行いの関係と重なる点も多いのですが、厳密な理解のためには、もう少し補足する必要があるでしょう。と言うのも、「律法」は聖書の中では基本的にユダヤ人律法を意味するからです。これまで見てきた内容も振り返りながらご説明したいと思います。

モーセの時代、神はイスラエルの民に律法を与えられました。その中心は十戒と呼ばれ、神を愛し、隣人を愛する生き方を示すものであることは、先にご紹介しました。しかし、モーセ律法には祭司制度に基づく様々な規定も含まれますし、現代ではユダヤ人しか守ろうとしない食物規程も含まれました。この律法は、有名なシナイ山で与えられたものですが、神がアブラハムと結ばれた約束(アブラハム契約)に基づき、イスラエル民族を祝福しようとして結ばれた契約を伴っていました(シナイ契約)。それは、神との関係が維持され、神の祝福を頂くために律法を守ることを条件とするものでした(レビ26章)。もしこの契約を破るならば、様々な神の祝福は失われ、のろいがもたらされること、最終的には国の滅亡と民の離散さえもたらされることが告げられていました。

その後のイスラエルの歴史は、既に見たように、この契約に背き続けた歴史でした。憐みの故に神は彼らを悔い改めに導き、ご自分に立ち返らせようとされましたが、一時的な回復は何度かあったものの、最終的には国の滅亡と民の離散という裁きが余儀なくされるに至りました。このような中、預言者たちがメシアの到来を予告すると共に、預言者の一人エレミヤは、シナイ契約とは別に立てられる新しい契約についても語りました。更に、イエスこそは、約束されたメシアであるとの新約聖書の証言も、既に見てきたところです。

イエス・キリストは苦難の僕として十字架に死に、復活して、私たちに救いの道を備えてくださいました。その救いは豊かな内容を持つものでもあり、キリストは預言者が語った「新しい契約」をもたらす方でもあることを見ました。すなわち、罪の赦しと共に、聖霊による内的変革を与えるものでもあると確認しました。

ここで、エレミヤが語った「新しい契約」の内容を確認してみますと、罪の赦しと共に示唆されていた聖霊による内的変革は、次のように表現されていたことが分かります。

「しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。」(エレミヤ31:33)

ここに、律法の成就のテーマが現れていることを見ることができます。すなわち、イエス・キリストの十字架の死と復活によって立てられる新しい契約は、罪の赦しと共に、律法の内在化とでも言うべきものをもたらすものでもあるということです。

このような歴史的文脈を踏まえつつ、主イエスや使徒たちが律法についてはどのように語っているかを確認しましょう。

まず、主イエスご自身は、ユダヤ人からは様々な誤解を受けられましたが、律法の永続性を主張されました。

「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。よく言っておく、天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。」(マタイ5:17、18)

おそらく、当時の律法学者やパリサイ人と違っていたのは、律法の外的遵守よりも、その本質、特に神と人への愛を重要視されたこと(マタイ22:34-40、23:23)、特に祭儀的律法については、その本質に焦点を当てつつ、再解釈さえ示唆された点でしょう(マルコ2:27、28、7:19)。そのようにしながら、律法の専門家を自認する人々に対して、彼ら自身が神の戒めを無視し、背いていることを指摘されました(マルコ7:13、ルカ16:14-18)。但し、主イエスにおいて、律法の永続性と共に、律法の時代が一つの終わりを迎えることも示唆されていることは注目してよいところでしょう(ルカ16:16)。

他方、パウロは律法に対して否定的に語った人物と受け止められがちです。確かに彼は、手紙の中で何度も「律法からの解放」、「律法からの自由」ということを明確に語りました。しかし、見逃してはならないのは、彼は「律法の成就」というテーマについても、繰り返し語っていることです。

異邦人クリスチャンも割礼を受けるべきとの主張に直面していたガラテヤ諸教会への手紙を中心に、パウロが教えたことを確認しましょう。

彼はその手紙の中で問題の所在を確認した後、「人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされる」ということを、福音の揺るがすことのできない真理として提示しました(ガラテヤ2:16)。律法は正しい行いを示しますが、イスラエルの歴史が証明するように、人はそれを守ることができません。結果的に、律法は彼らにのろいをもたらすものとなりました。このことのゆえに、「キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった」とパウロは言います(ガラテヤ3:13)。ここに、「律法からの解放」というテーマが現れます。

パウロはこのことをイスラエルの歴史を踏まえて説明します。すなわち、アブラハム契約が恒久的なものである一方、シナイ契約は一時的な性格を持つことを指摘し、結果的に律法が人々をキリストに導く養育係の役割を果たしたと言います(ガラテヤ3:17、19、23-25)。「しかし、いったん信仰が現れた以上、わたしたちは、もはや養育係のもとにはいない。」(ガラテヤ3:25)「それ(神が御子をお遣わしになったこと)は、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためであった。」(ガラテヤ4:5)

彼の結論はこうでした。「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。」(ガラテヤ5:1)

「律法からの解放」、「律法からの自由」というテーマをこの上なく明瞭に示した直後、彼は続いて「律法の成就」というテーマを打ち出します。「兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。律法の全体は、『自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ』というこの一句に尽きるからである。」(ガラテヤ5:13、14)続いて彼は、このような律法の成就が聖霊の働きによることを教えます(ガラテヤ5:26-23)。

彼は、少し違う事情の中ではありますが、ローマ人への手紙でも同じように、「律法からの解放」というテーマを確認すると同時に(ローマ6:14、7:1-6)、「律法の成就」というテーマを打ち出します(ローマ3:31、8:4、13:8-10)。要約的に言えば、彼はユダヤ人律法が一時的役割を終えたことを示唆し、そこからの解放を明確に打ち出すと同時に、その本質的役割は愛の律法において継続され、信仰と聖霊によって成就されていくことを明示していると言えます。

生れたばかりの諸教会の中で律法の問題の取り扱い方針が共有され、落ち着いた後は、パウロも律法に対する言及が減っていったと考えられます。彼の晩年の手紙では、より一般的な形で、救いは行いによらないことを確認すると同時に、神が聖霊によって備えてくださるよきわざに熱心に取り組むべきことを教えます。

「ところが、わたしたちの救主なる神の慈悲と博愛とが現れたとき、わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。」(テトス3:4、5)

「このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない。」(テトス2:14)

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